「場の 量子論」 と仏教の如来。一見、無関係な言葉ですが、しっかり結びついています。
”場”について、wikiによると以下です。
物理学で言う場とは、場(ば、英: field、工学分野では電界・磁界など界とも)とは、物理量を持つものの存在が、その近傍・周囲に連続的に影響を与えること、あるいはその影響を受けている状態にある空間のこと。
つまり、場とは空間の部分であるということです。(実のところ、”近傍・周囲に連続的に影響を与える”というのには疑問があります。→これまでの考察によれば近接作用はあり得ません。サイト内を”近接作用”で検索ください。)
次に量子についてです。文科省の”量子ってなあに?”からです。
量子とは、粒子と波の性質をあわせ持った、とても小さな物質やエネルギーの単位のことです。物質を形作っている原子そのものや、原子を形作っているさらに小さな電子・中性子・陽子といったものが代表選手です。光を粒子としてみたときの光子やニュートリノやクォーク、ミュオンなどといった素粒子も量子に含まれます。
量子の世界は、原子や分子といったナノサイズ(1メートルの10億分の1)あるいはそれよりも小さな世界です。このような極めて小さな世界では、私たちの身の回りにある物理法則(ニュートン力学や電磁気学)は通用せず、「量子力学」というとても不思議な法則に従っています。
物質とエネルギーは等価だとされていますから、量子とは粒子と波の性質を併せ持ったエネルギーの単位であるということです。
2つの言葉を合わせて考えると「量子とは、空間の部分における粒子であり、かつ波であるエネルギーの単位」ということになります。
注)しかし、一部間違いがあります。E=mc2について、物質mはエネルギーEに転換するし逆にもなるというが、本当は別の次元軸上(真のエネルギー値Eと呼ぶ。)にある一つの実体の異なる面に過ぎません。時間は量ではありませんので、Eを時間[T]を含まない運動Pとしますと、
「物質mは運動Pに転換するし逆にもなるというが、本当は真のエネルギー値Eを持つ一つの実体の異なる面に過ぎない」のです。
言い換えると、物質mと運動Pはサイコロの面の様なものです。
写真1
サイコロを上から眺めると、1が見えます。2が出たとすると1は見えません。だからといって、1が2に転換したわけではなくて、1が見えなくなっただけです。
図にすると次になります。 続きを読む
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