知識の限界 、意識の限界

人が持つ知識意識には、本質的な限界があることを、3つの例で説明してきました。明確に、 知識の限界 と 意識の限界 があります。

考察を始めた順は不同です。と言うか期間は重なっています。

  1. 特殊相対性理論にあるE=mc2
  2. 超ひも理論にある2種類のひも
  3. 国語辞書を遣って「スプーン」という語を調べる

3つの例を図案化するとまったく同じ形になることを示します。これが「外のない内」の意味するところです。

 

相対性理論E=mc2

2013年頃から、相対性理論は循環理論らしいとわかってきました。それで得た図が下です。

図1 ※→運動→時間→光速度(不変)→空間(重力と質量)→物質※

循環を光速度不変としてループを断ち切りますと一定の結果を得ます。その結果得たのがE=mcです。

  • エネルギー ←→ 物質*光速度
  • 物質エネルギーに転換するし、逆にもなる
  • 物質とエネルギーの間を光速度(定数)が橋渡ししている

 

超ひも理論

多数観測される素粒子と相対性理論で説明される重力を統合すべく考えられたのが超ひも理論です。

ずっと大きさのスケールの図を用いて考察を続けてきました。

図2

右端は相対性理論により説明される領域です。2018年頃から、左端の超ひもが気になりだして、これが何かを考え始めました。

超ひもは、長さがありますので、理論物理学者たちはこのひもが実在だと考えているようです。それが下の図です。

図3 超弦理論とブレーン世界

ところが、どう見てもE=mcと超ひもは同じ形をしていると気づきました。 図3にE=mcを重ねたのが次です。

図4 超ひもとE=mcは同じ

要は、どれだけ数式を使って計算しても、論理の基本形※は変わらないということです。

※超ひもの基本形は、相対性理論のE=mcということ。

 

スプーンと匙

言葉とは何か、言語とはどう言った仕組みなのかを考え始めたのは、2017年頃かと思います。その例として次を考えました。

写真1

これは誰でも”スプーン”とわかります。ここで、これが何かと問われたとします。誰も問わないですが、敢えて国語辞書で調べます。

写真2

洋風とありますので、この2つの語を調べます。

写真3

西洋的な様式」「液体こなすくいとる小さ道具。スプーン」とあります。それで、西洋、様式、液体や、粉、すくう、小さい、道具を調べます。更に調べ続けますと次の図が得られます。これ以上は無理です。意味がないことは誰でもわかります。

図5 スプーンは洋風の匙、匙はスプーン

 

知識の限界

上の図を用いて次の図を作って比較します。

図6

この3つは、同じ論理の基本形だとわかります。

ここで、直近に挙げた動画に使った図7を示します。この図は生成AIによります。

図7

よく見ると図7のネットワークを描くには、図6に示した2つの図形(開いたひも、閉じたループ)を組み合わせる事によって作成できます。つまり、知識は、繰り返し(往復)と別の経路による繰り返し(ループ)の組み合わせに過ぎないとわかります。おわかりのように、論理の基本形には数学も含みます。

  • 言葉は互いに規定し合う繰り返し、ネットワーク
  • 全てを覆っているが、それより外へは決して出てない

 

理論物理学者たちは、1900年代初め(相対論、量子論の草創期)から今日まで、120年以上かかって、手元にある国語辞書から1ミリも出ていません

これが 知識の限界 です。勿論のこと、意識は知識の上に載っていますから、意識の限界も明白です。これを「外のない内」と言います。

ある科学者は、人類の歩みを次のように述べています。

我々は君の国の多くの一流科学者の精神を調べてみたんだ。大抵の場合、我々は科学者たちの精神が既成概念という鋳型で固められていることを知った。彼らは遠くまで進みすぎている。その結果遠い道のりを後もどりしなければならない。私の言う意味を比喩によってもっと優しく言ってみよう。科学知識を求める人間は木に登るアリのようなものだ。自分では上方へ動いていることがわかっていても、その視野は狭すぎて幹全体を見通せない。そのために幹を離れていることに気づかないで下方の枝の方へ移動するかもしれない。いっときは万事がうまゆく。自分ではまだ上方へ登れるし、進歩という果実を少し摘み取ることもできる。だがその枝が急に無数の小枝に分かれていろいろな方向に葉が散らばっているために本人はまごつき始める。

基本的法則は今や分かれ始めて反対の方向に散らばり始めていることに気づく。すると科学者は心によって受け入れられる 知識の限界 に近づいていることや、あらゆる物理的な法則は究極的には全く統計的なものになるという結論に達する。

下線は管理人による。

この話は1950年でした。完全に合致しています。

そう言えば、時折参考にする日月神示ヒフミ神示にも同じことが示されています。

ひふみ神示 第三巻 富士の巻 (昭和19年8月10日 – 8月30日)

第三帖(八三)
メリカもギリスは更なり、ドイツもイタリもオロシヤも外国はみな一つになりて神の国に攻め寄せて来るから、その覚悟で用意しておけよ。神界ではその戦の最中ぞ。学と神力との戦と申しておろがな、どこから何んなこと出来るか、臣民には分かるまいがな、一寸先も見えぬほど曇りて居りて、それで神の臣民と思うてゐるのか、畜生にも劣りてゐるぞ。

第二十三帖 (一〇三)
世界は一つになったぞ、一つになって神の国に攻め寄せて来ると申してあることが出て来たぞ。臣民にはまだ分るまいなれど、今に分りて来るぞ、くどう気つけて置いたことのいよいよが来たぞ。覚悟はよいか、臣民一人一人の心も同じになりて居ろがな、学と神の力との大戦ぞ、神国(かみぐに)の神の力あらはす時が近うなりたぞ。今あらはすと、助かる臣民 殆んどないから、神は待てるだけ待ちてゐるのぞ、臣民もかあいいが、元をつぶすことならんから、いよいよとなりたら、何んなことありても、ここまでしらしてあるのざから、神に手落ちあるまいがな。


ひふみ神示 第二十巻 んめの巻(ウメの巻) (昭和21年9月28日 – 12月14日)

第十五帖
この儘では世持ちて行かんと云ふこと判って居らうが、所々の氏神様、今迄の様な氏子の扱ひでは立ちて行かんぞ、天の規則通りにやり方変へて下されよ、間に合はんことあるぞ。血尊べよ、血は霊であるぞ神であるぞ、血にごしてはならんぞ、血はまぜこぜにしてはならんのぢゃ、黄金(こがね)は黄金の血、白銀(しろがね)は白銀の血、黄金白銀交ぜ交ぜて別の血つくってはならんのぢゃ、外国にはまぜこぜもあるなれど、元をまぜこぜならんのざぞ、交ぜることは乱すことざぞ、学はこの大事な血乱す様に仕組みてゐるのざぞ、それがよく見える様にしたのは悪神ざぞ、人民の目、くらましてゐるのぢゃぞ、科学科学と人民申してゐるが人民の科学では何も出来ん、乱すばかりぢゃ、神に尋ねて神の科学でないと何も成就せんぞ、分らなくなったら神に尋ねと申してあること忘れるなよ、一に一たす二ばかりとは限らんのぢゃ、判りたか。

ここでは、知識や意識を「」と表現されています。

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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