第1の心は外のない内」タグアーカイブ

阿弥陀仏のアミダと 阿弥陀 如来のアミダは、全く異なる

Buddha(仏)と如来の関係をわかりやすく説明するに苦心しています。仏も如来も”量れない”という意味では同じですが、そのわからなさ(量れなさ)には、決定的な違いがあります。 如来のわからなさは、論理的な結論として決して … 続きを読む

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有限と無限  第1の心 の限界(外のない内)

手元に月刊ニュートンの別冊「ゼロと無限 素数と暗号―数学者たちを魅了してきた深奥な数 (ニュートンムック Newton別冊) 」があります。 写真1 目次写真2にある様々な”数”についての記事があります。以下は「数とは何 … 続きを読む

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外のない内  岡潔 はなぜ”無意識”という言葉を使わなかったのか?

岡潔 は、人に心が2つあることを説明する際におおよそ次のように述べました。 第1の心・・・・理解、物の理。還元主義と唯物主義による。わかり方=意識を通し言葉で言える。 第2の心・・・・情の働きにより、直にその趣がわかる。 … 続きを読む

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自然が映像ならば、 近接作用 はあり得ない

丁寧に言えば、(物質的)自然が弧理論による別の次元軸からの投影による映像ならば、「接することにより力が伝わることはない。」つまり、 近接作用 は決してあり得ません。つまりは映像としての物理世界は遠隔作用によるしかないとい … 続きを読む

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