地球の 科学理論 に価値はない

極端な表現ながら、現在地球上に存在するあらゆる 科学理論 (論文等)に本当の意味での価値はないです。

数学者岡潔は、【4】情のメカニズムで次のように述べています。

知の働きは「わかる」ということですが、そのわかるという面に対して、今の日本人は大抵「理解」するという。ところが、わかるということの一番初歩的なことは、松が松とわかり、竹が竹とわかることでしょう。松が松とわかり、竹が竹とわかるのは一体、理解ですか。全然、理解じゃないでしょう。

一部書省略

それから先が知ですが、その基になる情でわかるということがなかったら、一切が存在しない。人は情の中に住んでいる。あなた方は今ひとつの情の状態の中にいる。その状態は言葉ではいえない。いえないけれども、こんな風な情の状態だということは銘々わかっている。

言葉ではいえない。教えられたものでもない。しかし、わかっている。これがわかるということです。だから知の根底は情にある。知というものも、その根底まで遡ると情の働きです。

下線は管理人による。 人が持つ心の働きである「わかる」は、物の理ことわりや理解ではないと述べました。

一方で、【3】 西洋の唯物主義にて、山崎弁栄上人を紹介して、次のように述べています。

山崎弁栄という上人がありますが、その人は心について大変詳しく云っていますが、その人の云うところによると、本当に実在しているのは心だけである。自然は心があるために映写されている映像にすぎない。そう云ってるんです。

実際科学をみましても、自然科学は素粒子を発見した。その素粒子には、安定な素粒子と不安定な素粒子とがあって、不安定な素粒子は生まれてきてまたすぐ消えてしまっている。そうすると、自然は存在じゃないんですね。少なくとも、一部は映像と云ってよい。

岡潔は、「少なくとも、(素粒子の)一部は映像と云ってよい。」と述べています。

上記2つをまとめます。

  1. 人の心が持つ「わかる」は、情じょうの働きである。
  2. 自然は人の心があるために映写される映像である。

1.は、岡潔自身の言葉ですし、2.は山崎弁栄上人を引用してでの言葉ですが、一部は認めています。しかし、全部肯定ともとれません。

つまり、「わかる」の根底である情の働きがあるから、「言葉ではいえない。教えられたものでもない。しかし、わかる」のです。 それから先が「知」です。 「知」とは言葉で言えるが、しかし教えられねばならないものです。 西洋人は、岡潔の云う第1の心しか知りません。

  • 要素還元主義・・・・「わけることによりわかる」と思っている。
  • 唯物主義・・・・岡潔「五感でわからないものは無いとしか思えない。」

上の2つの””印は、1.で示した人の心が持つ「わかる」という情の働きがなければ、一切存在しません。このことがわかってもらえません。

 

岡潔は、人の心の仕組みと働きを考えるに「大脳の頭頂葉に宿る」と考えました。しかし、人工知能の仕組みを鑑みると、大脳の頭頂葉にあるとは云えません。管理人は冒頭の2.で示した「人の心があるために映写される映像」を「別の次元軸」が原因であると考えました。つまり、人の心の仕組みと働きは、別の次元軸にある何かによるもので、それが映写されることにより映像として現れるということです。 1.2.は直接に関係するということです。

そして、1.2.があって初めて、「それから先が」になります。言葉で言えて、教えられねばわからない「知」です。これが””印です。

このことについて、教育のある人ほどわからないようです。コメントに書きましたけれど、文系の人は岡潔が参考にした仏教思想から解釈しようとします。理系の人は数理的に解釈しようとします。 そのいずれも違います。むしろ中学生くらいの方の方がうまくわかってくれそうです。””印に基づく教育という鎧を身に纏った人は、頑としてわかりません

要は、いかなる科学理論でも、その理論に「思考した人自身の肉体と人の心の仕組みと働き」が含まれていなければ、その科学理論が如何に精密であっても価値はありません。 勿論のこと、科学理論の構築には、””印の手法を用いねばなりませんけれども、1.2.に立脚しなければ意味はありません。 基礎がないからです。

 

女性の理論物理学者でリサ・ランドールがいます。

この人は、「空間(3次元)+時間+別の次元軸」による5次元理論を提唱しています。 つまり、2.の「映像」であるという考え方を一部取り入れようとしています。しかし、理論には彼女自身の心の仕組みと働きが含まれていませんので無価値です。それ以前に時間は物理量ではありませんからダメです。

以前、次元数が足りないからといって、幼児が足し算をするように指折り次元数を数えるようで児戯に等しいと書いたことがあります。岡潔は痛烈ですけど、本当にそう思います。

 

因みに、岡潔の示した1.2.について、ヲシテ文献と紡錘図形を参考に図案化したのが下図です。

図1 人の心の仕組みと働きをE軸に求める

ヲシテ文献にある心の仕組みは、池田満氏著になるホツマ辞典に詳しいです。ヲシテ哲学(縄文哲学)は、3000年より古く、かといって岡潔が見いだした情とほとんど同じです。”在る”のであって、古い新しいという考えはありません。 紡錘図形の示している、あるいはある科学者が述べていることと同じです。地球以外の文明とも通じていて、本当の意味でのグローバルです。

 

自然科学の法則の一覧がありましたので、以下に示します。

 

世に神の方程式・愛の方程式など数あります。これらにも作者自身は微塵も含まれていません。図1を作成する過程で、世界のほとんどは抽象化へ向かっていることがわかりました。

図2

先の女性理論物理学者もスピ系のいずれも抽象です。 具体がどのような仕組みで現れるのかの探求に心の仕組みと働きを入れねば、図2に気付きようがないです。

どうもフラクタルなどの循環を美しいと感じるのは、タマ+シヰのシヰの働きによるらしいです。 ”抽象を美シヰ”と感じるのはシヰの働きだとすると合理的です。タマ+シヰのシヰは、”強いる”のシヰです。生きることへの衝動かもしれません。でも行き着く先が抽象というのはどうなんでしょう? 勿論、「わけることによりわかる」と思っているが故での結論に違いありません。 精密で緻密な論理に本質があると思い込んでいるからこそ、ドヤ顔で居られるのでしょう。きっと。

 

岡潔は計算も論理もない数学を目指したとのことです。(岡潔の数学教育の考え) 図2の右上にある数学とは明らかに異なります。 ”あちらの世界”に行ってしまわなかった希有な存在です。あちらとは複雑に過ぎる抽象に埋もれて病む世界です。 強いシヰは心を病むということです。  どうでもよいことに、近頃管理人がやっているのは、ある種の数学かも知れないと思うことがあります。確かにほとんどを幾何的に解析しようとしていますけど、わからない何かをわかろうとする進め方に論理はありません。 もっとも「わけることによりわかる」と思っている人には、自身がわからない何かの有無もわからないでしょうから、進め方はもっとわからないのでしょう。 その点、日月神示は重要です。気(キ)付けばよいのですから。 岡潔の云うことには、”関心を集め続ける”のです。さすれば気(キ)付くのです。意味わかります?「努力感のない精神統一」では伝わらないです。 岡潔「情的にわかるものを知的に言い表そうとすることにより文化はできていく。」のです。 岡潔は平易な言葉で述べますが、何年も考察した結果を簡潔に述べているのですから、読むには何年もかかります。 それにしても神とか愛の方程式は浅くて胡散臭い。「複雑で精密で緻密な理論は、お前にはわかるまい」感が強い。 基礎がなければ抽象に過ぎず意味も価値もありません。

 

上記をまとめて一言で云うと、自然科学には取りこぼしがあるということです。 岡潔が「【1】 このままでは人類は滅びる」として述べています。

一番怪しいと思えるのは自然科学です。それで自然科学から調べます。大体、自然科学というものは、自然とはどういうものかということを言わないで、自然というのはわかり切っていると一人決めにしている。そして、これについて科学した結果を集めたものです。

だから、かようなものは学問とはいえません。これは単なる思想です。

自然科学は、専門家と呼ばれる人たちによって科学した部分の寄せ集めですから、隙間があります。隙間にはスピリチュアル系、オカルト系、呪術や宗教など彼らの云う非科学として排除したものがあります。 それらは人の心の仕組みと働きの問題ですから、当然そうなります。図2に考えられるすべてを入れ込んでいるのは、人の心の仕組みと働きを考えているからです。 隙間があって、排除したものがあることに気付けないのです。 自身が非合理的なことに気付けないのです。 何故滅びるか?抽象へ向かうことで不適応者が増えていくからです。人のシヰは、空間の距離に適用して非線形ですから、抽象である線形のお金とは不整合です。どれだけお金があっても満足できない。これがシヰの暴走です。

 

Φ について

2010年より研究しています。
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2 Responses to 地球の 科学理論 に価値はない

  1. takutaku のコメント:

    素人の当方のレスにも、真剣に答えて頂き感謝しております。
    最近見たyoutubeの動画に、日本の研究団体がアップしているものがありまして
    そこには、極限の圧力を掛けた水がどうなるのか?というものがありました。
    非常に面白いのは、水に圧力を掛けていくと20度でも雪の結晶ができていく様
    が動画で確認できました。この部分だけでも、教科書では教えてくれない
    ことなんじゃないかと思う一方で、極限状態が物質に与えられることで
    違うものが現れる重要なことだと思います。
    まさにΦ氏が言うように、私たちの科学というものが、間違った立ち位置でものを
    見ている端的なものと言えるのではないでしょうか。
    多くの科学は仮説でありながらも、断定的なもので世に広まっています。
    それが答えかのごとく知れ渡ることで、人類の進化を遠のけてしまっている
    そんな気がしてなりません。

    • Φ のコメント:

      コメントありがとうございます。動画は見ました。相の転位といいます。
      >間違った立ち位置
      そうだと思います。いつもコメントをいただく佐々木さんも技術用語が多すぎると書かれました。自然科学者は、いろいろ説明するけれども本当は何もわかっていないと感じます。岡潔は自然科学を「何が何だかわからないまま福祉に役立っている」と述べています。自信満々でドヤ顔するのは、どうも違います。
      >科学は仮説
      一応立証はされています。ただ、どこもまでも近似です。まさに万華鏡の例えに似て。
      彼らは本気で「わかっている」と思っているようです。物理が好きでも何かが違うと思う人は、自然科学者にはなれないようです。井口和基氏曰く、才能面で数学者になれなかった人が物理学者になるそうです。数学者は抽象に戸惑いません。
      私は3Dプリンターや電子工作、RCなど具体が好きです。でも、具体が映像だと知りました。映像が心からきていると知りました。具体である映像がどのようにできているのかに興味があります。私の興味の先が工作等と思想哲学に分裂していると感じた方も私が、「物理は好きだが現在の物理学は何かが違う」と感じていることに同意いただけると思います。日常見る物や事の内に途轍もない正と負の緊張が潜んでいると見て間違いないです。

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