時間空間を目安にした 宇宙論 に「ヒト」はいない

先日の記事において、大事なことを書き漏らしました。

現代の宇宙観であるビッグバン 宇宙論 にも仏教が示す宇宙観の何れも、空間の大きさ(広さ)と時間を基準としていることから、2つの宇宙観は同じだと示しました。

現代の宇宙観を示す図。

図1 縦軸に空間、横軸に時間をとった宇宙観

ビッグバン 宇宙論 においては、縦軸に空間の大きさ、横軸に時間をとっています。

 

これに対して、仏教に示される宇宙観として須弥山があります。

図2 須弥山

須弥山は、横軸に空間の大きさ、縦軸にも空間の大きさを示します。同時に縦軸に時間をとっています。図の上半分には時間の長さが示されています。

2つの図は、いずれも時間・空間を基準にしていて、同じ部類に入るというのを記事に示しました。

 

ここで、忘れがちなのですが、実は2つの(宇宙観)図において、ヒトは存在しません。2つの図はいずれも、ヒトは宇宙を外から概観する形になっていて、図にヒト持つ働きの核となる「自己」は存在しません。

この点においても2つの宇宙観は同じと言えます。

 


因みに、弧理論による原子模型において、ヒトが持つ働きである)は、別の次元軸である基軸上にある大宇宙の中心(ア)より来るようです。

図3 弧理論による原子模型 ヒトハノモノ

宇宙に存在する全ての原子1個1個にそれぞれ「2つある大宇宙の中心アとワが、すぐ隣に存在する」ことを示しています。

 

但し、大宇宙の中心であるは決してわかりません。何故ならば、アがわかるためには、その前にワがわかっていなければなりませんし。ワがわかるためには、その前にアがわかっていなければならないからです。

つまり、アは量れませんし、ワも量れません。アとワは互いに規定し合う繰り返しですし、2つは互いに打ち消し合って成り立つ関係だからです。ですから、ヒトが(わかる)のはアとワの差分だけです。

ここで、ヒトが持つ働き(これをわかると言う。)は以下です。

  • (わかる)=物が”わかる”+事が「わかる」
  • 物が”わかる” :唯一の現在
  • 事が「わかる」 動きが「わかる」
  • 物と事が(わかる)→これを音韻に割り当てる(これで言葉で言える)
  • すると物事の意味が(わかる)
  • すると物事の価値が(わかる)
  • 最後に物事を意識して(わかる)

だから、ヒトは自然が(わかる)のです。宇宙が(わかり)ます。言い換えれば、物と事が揃っていない何かは決してわかりません。量れません。何故ならば、全ては差分だからです。ここから、時間とは何か空間とは何かという疑問が解けます。

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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