自然科学=外への科学
自然科学は、人間を取り巻く自然がどのようにして出来ているかを科学してきました。
図1 外へ向かう科学
但し、人間は自明という扱いです。
岡潔は、自然科学者の態度について次に様に述べています。
物質は、途中はいろいろ工夫してもよろしい。たとえば赤外線写真に撮るとか、たとえば電子顕微鏡で見るとか、そういう工夫をしても良い。しかし、最後は肉体に備わった五感でわかるのでなければいけない。こう思ってます。それじゃあ、どんなに工夫しても五感でわからないものはどうなのかというと、そういうものはないと思っている。「ない」といってるんじゃありません、「ない」としか思えないのです。だから、仮定とも何とも思ってやしませんから、それについて検討するということはしない。五感でわからないものはないというのは、既に原始人的無知です。しかも、自分がそう仮定してるということにさえ気付かない。それについて考えるということができないというのは、実にひどい無知という外はありません。
科学者は、自然を「わかる」と思っています。五感でわからないものは「ない」としか思えなくて、自分がそう仮定してるということにさえ気付かないひどい無知だと言います。
わかるの語源と自然科学の得たもの
- 「わかる」の語源は「わける」。人間は、自然をわけることによってわかると思っている。
ところが、18世紀ニュートンの頃から300年以上かかってたどり着いたのは、言語の基本構造でした。
- 2025年8月16日 知識の限界 、意識の限界
図2 相対論・超ひも理論・スプーンは同じ構造を持つ
注釈)相対性理論と超ひも理論の要となる部分は、中学生向け国語辞書から得た「スプーンは洋風の匙、匙はスプーン」という構造を超絶複雑にしたに過ぎない。
つまり、人類は300年以上かかって1ミリも進歩していなかった訳です。行き着いた先は、心で受け入れられる知識の限界(過度な抽象)でした。
要は、「自然とは何か」という疑問を外に向かって探求した結果、何もわからないという結論に至った訳で、外へ向かう科学の方向性が間違いだった訳です。
注釈)1900年代末にインターネットが普及し始めて、日常にAIが利用される様になりました。人々は、ヒトの肉体が持つ処理系とネットワークが誰にでも理解できるようになりました。ネットワークは図2の基本形を組み合わせて出来ることが容易に理解できます。
図3 脳の処理系とインターネットは同じ構造
さて、ここに至って科学の定義を変えるとの話が出ています。
- 2025年5月30日 藤原直哉氏「(トランプ大統領は) サイエンス の定義を変える」
- 2025年7月17日 米国防総省 ”UFO・UAPは物理現象だから、科学の定義を変える。”
上記の通り単純に科学の定義を変えるだけではダメだとわかります。むしろ、これからの 科学の方向 を変えることが必要です。
つまり、人間という存在は自明だとの前提が間違っていたということです。
ヒトとは何か 内への科学
ここで、人を”ヒト”とします。これまでに得た考察の結果を記します。但し、詳しくは過去の記事や動画を参考に。
- ヒト=タマ+シヰ+ウ(渦:物と事)
- 物と事は必ず「対」となる。→ヒトにとっての自然は物と事の「対」として「わかる」
- ヒトが持つ「わかる」という働きを心と言う
- ヒトには心が2つある。
- 心の本体であるタマの持つ働きをナサケヱダ、情、Buddha、覚、あるいは気(キ)と言う。
- それで、心の核である(ナサケヱダ、情、覚・・・)が持つ働きが”わかる”である。
この核を仮に「自己」と呼びます。すると。
- 自己の働きによって”わかる”のが自己以外の全て、即ち自然そのもの。
- 自然科学者の時間・空間(時空)はかんたんな模型であって、自然そのものではない。
だとすると、ヒトとは何かを科学すれば、自己と対となる自然がわかるはずです。本当の科学の方向は内への探求だったということです。
ここで、問題があります。言語の仕組みです。
- 言葉は、互いに規定し合うことによって、物と事に意味づけ出来る繰り返し(ループ)であり、ネットワーク。
- 物と事が揃わねば、言葉で言えない。
- 岡潔「自然数の1は決してわからない。」
gif1 1のみを取り出すことはできない。1は0がわからねばわからない。0は1がわからねばわからない。
物と事は必ず対となって現れます。対とならない何かは決して意味も価値もわかりませんし、意識も出来ません。
逆に、複雑すぎる理論、主義、思想etcは抽象に至り、ヒトは言葉はあっても意味も価値もわからなくなりますし、意識も混乱します。これは、言葉が持つ本質的な限界です。(ヒトの立場によって、同じ言葉でも意味も価値も意識も幾らでも反転します。)
数学を含む言葉・言語は繰り返しですから、どのような理論であっても行き着く先は抽象です。仮に、何処まで進歩しても細心の注意を払う必要があります。
繰り返し、ネットワークを回避することは不可能です。但し、当面の間、これを回避することは出来ます。自然は別の次元軸からの投影による映像だとすることです。弧理論は別の次元軸が実在するとの考えです。これがこれからの 科学の方向 だと考えます。
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