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161 Responses to 掲示板

  1. 佐々木 のコメント:

    研究における言語表現について。戦時中の外国語禁止ではないけれど、
    黒い穴、大爆発など、日本語にしたら、日本での研究は止まるような気がします。ブラックホール、ビッグバンだから”何かありそう”になる。最先端科学は実はファンタジー文学だと言ったら、顔赤くして怒る人は居るだろうな。ビッグバン(爆発オチ)、多次元解釈(夢オチ)とするとさらに怒られそうであります。
    科学におけるレトリックはどこまで許容されるのだろう。言語は自分さえ騙せるのです。しかるに自然はレトリックを使わない。言葉で言い尽くせるものでもない。

    • Φ のコメント:

      強く意識するのは、日本語が堅牢であること。漢字仮名外来語と混じる中で本質はずっと変わらない。一時母音は8つあったけれど、最後は5つに戻った。堅牢さの元はヲシテにある。記紀に無いことは確か。どうも英語圏の行き着く先は魔法。でも日本に来るとコスプレやアニメになってしまう。基本「面白がる」。何でも飲み込むのに似ても似つかぬものにしてしまう。日本人の日本人たるところは日本語にあることは確か。しかし、その元になるのは何かよくわからない。一つ思い当たるのは「カミ」。外国の如何なるモノであろうと(カミの)仕組みの内と解釈するならば「面白がれる」。そこに宗教が入る余地はない。神も仏も何でもありの理由は、日本語の堅牢さにあるように思う。これは日本教に通じる。神も仏も人間の側の都合による。面白ければよいというのは、如何にも節操がない。一方おどろおどろしい魔法に稚拙さを感じる。錬金術も魔法に近い。錬金術の延長に自然科学がある。
      ヲシテのヨソヤコヱ(48音図表)を眺めていると無茶苦茶システマティックに感じる。極めて人工的。何でだろう。ttp://www.zb.ztv.ne.jp/woshite/page22.htm ここに魔法は微塵も無い。

  2. ぎーぎまん のコメント:

    フィボナッチ数列、好きです

    研究職の方ですか?

    • Φ のコメント:

      ありがとうございます。フリーでやってます。9年目です。数学が出来なくて困っています。4つめの次元軸(E軸)を想定した上で、時間を用いずに質量と運動P_(物理学でいうエネルギー)を表したいです。物性をE軸からの投影角θであらわすことになるので、12進が便利なはずです。ぎーぎまんさんは、12進の加減乗除はできますか。私は五つ玉のそろばんを使う方法しか思いつきません。
      お金はありません。逆に紐付きではないので(人を傷つけなければ)何をやってもOKです。

  3. saitou huuma のコメント:

    funny

    日本語があまり出来ません
    しかし勉強したい

    • Φ のコメント:

      ありがとうございます。ウイジェットにあるgoogle翻訳を使ってください。読みやすくなります。(Widgets)Please use google translation.It will be easier to read.

  4. 井上 のコメント:

    久々に良いサイトを見つけたなと思いました

    これからも研究頑張ってください

    • Φ のコメント:

      ありがとうございます。自然=「自然科学」だと思っている内は、次へ行けないと気付く人が段々と増えているようです。
      岡潔は自然科学者の考える自然を「物質的自然」と名付けました。では岡潔の考えていただろう「自然」とはどのようなものだったのか。どうも「精神的自然」という言葉に気付きました。岡自身が言ったかどうかわかりません。けれども自然=全部だとするならば、2つを合わせたようなものではないかと考えます。ある人は云います。「~~なんて、非科学的でインチキだ。」このような態度は自然科学が「全部」ではないことを自ら認めているのと同じです。

  5. 佐々木 のコメント:

    >視点が余分な次元軸を想定しなければあり得ない図
    冷たい視点ですが、世界情勢とか考えると、人間は世界には余分な存在なんだと認識されていないかと思う。ここはどこ、私は誰?の状態。誰でも子供の頃には周囲の環境や自然があって、地面があって、青空や曇り空や星空があることを知っていて、そこにいる私、その”私から始まる”ものの見方がある。ビッグバンの図を見ると、”私”の不在を感じてどうにも居心地が悪い。
    >人間の都合 あまりに強引
    これは簡単には通じない感覚だとは思う。そも、その計測結果をもって、電磁力の方が強いから、弱い重力を御しきれると思ってはいないでしょう。それはわかる。これら4つの力への分類は人間がやったことで、自然は全てを同時に使っているかもしれない。
    2つの円環フェライト磁石を重ねて反発させる。弾かれるので柱に通しておく。この実験で上の磁石が浮いているのは、磁石の反発力と重力が釣り合っているからと”説明”される。私はこれさえも疑問だったりします。それぞれの力の単位が[N]で、それを加算したのだな、と。でも加算できる根拠はどこにもない。なぜ磁石の力だけで、重力だけで説明が成立しないのか。ここに後天的な思考の心理遺伝が、自分の感覚を通して得ていない誤解があるのだと考えます。そして、書籍を読むと、さらに複雑な理論が展開されていく。人間の都合が随所にあり、心理遺伝は強化される。暗黒物質がない銀河を発見したとか、地球の何人が理解しているかわからないようなものがニュースになるのは、押し付けがましく感じませんか。必要なのは誰にでもできる、”私”から始まる科学でしょう。
    Φさんの別の次元軸、真のエネルギー値も言わんとすることはわかります。金澤氏の最近のブログも読んでみるといいです。何人かのブログやニュースを追っていると、面白いことに、一切連絡を取り合っていないのに、同時期に似た思考形跡を辿っていることがわかります。

    • Φ のコメント:

      >”私から始まる” 居心地が悪い
      同感。私は孤立系と呼んでいます。西洋的”神”の視点です。岡潔の第1の心です。恐らくそこから抜け出せない。彼らには、最初に入れ物としての空間がある。そこから抜け出せない。開放系のことを「外のない内」と一発で云える人が日本人なのは当然と思います。
      >自然は全てを同時に
      だから”在る”です。「分ける」を否定はしません。分けるによって「分かる」も必要です。アランの云う社会科学は一言で云えば「分かつ」です。分けて与えるです。縄文哲学の「ロノヲシテ」でもあります。
      >4つの力への分類 人間の都合
      同意。寺田寅彦を読んで、力というものは人の便宜だと感じます。原因は空間には無いようにも思います。最近、2つの核力は複数の発散トーラスの合算の結果だと考えるようになりました。いずれの核力も距離の7乗に逆比例する発散トーラスの組み合わせによる「差分」だろうということです。
      >押し付けがましく
      自然科学を「群盲象を評す」に例えました。各個あるいは各組織が自分の理論と実験結果を押しつけがましく騒がしく主張していると感じます。各々が正しいけれども、誰も正解ではないと感じます。何より誰も全体を把握していません。
      >一切連絡を
      否、連絡なくても影響し合っているかも。適切と思われる仮説の元に進めるしかないと考えます。
      最近、文字や図形によって思考を進めるに困難を感じています。自然科学(物理学)が枝を逸れて発達した原因は電磁気学だと判断しました。相対論が事情をややこしくしています。

      • 佐々木 のコメント:

        >文字や図形によって思考を進めるに困難
        感覚を大切にするのは良いこと。無限に思えることでも、外に出すとそれっぽっちのことになってしまうから。カウンセリング技術でポジティブな言葉で脳を騙すのがあるけど、本質は逆なんじゃないかと思いました。言語化して上書きを繰り返すのは疲れます。言語化前の想いを育てる。そういう訓練を受けた記憶があまりないです。小学生時に作文が得意な人が必ずいますよね。書く前に、何を書くのかわかっていたのだと思う。
        坂本賢三の「わかれ」の論理で崇徳院の歌が取り上げられていて、これがものの見方として忘れていたことに気づきました。かつて一つであったものが、わかれ、そして再び一つになる。理解と認識の方法、あるいは磁気も。
        金澤氏の影響か、電磁波とは何がどのようになっているのか理解していないと思ってしまいました。理論に矛盾があるとして、考え得る最大のものは「伝わらない」こと。まさかね。
        ttps://blog.goo.ne.jp/murokuni/e/65294184cf0dfd027f92befef7906d83
        —「光と同じ速度で走ってみたとしたら、光はどんなふうに見えるのか」
        ttp://www7b.biglobe.ne.jp/~kubota-takashi/maxvsein.html
        —物体の運動を記述する力学と、電磁気学における光の伝播を同じものとして、特殊相対性理論をつくりました

        • Φ のコメント:

          >言語化
          岡潔は「情知意」の順に働くと云いました。言語化は最後の「意」です。過去記事に{私的に「(五感を通さない)こういった刺激」が「言語(理論)」につながっているらしい}ことを書きました。その「過程」の存在に気付いたのは研究を始めて3年目くらいだったと記憶しています。そういう過程が縄文哲学の「トノヲシテ」に近いものと認識しています。日月神示に頻出する「気(キ)付く」です。その過程は私的すぎて説明しにくいです。その過程に従って研究していますので、ブログ記事は取り扱いテーマも時系列順もばらばらです。
          自然科学の問題点が古典電磁気学の成立過程にあるとわかるずっと前に、単極誘導モーターの実験を繰り返したのは偶然ではないと考えます。
          >電磁波とは何がどのようになっているのか
          同意です。アランは「(科学者が)電子は確率波をもつ粒子だということによって正当化させようとしている」と述べています。この点について。弧理論の考え方における「波」というものをどう扱うかについて何年も悩みました。今でもよくわかりません。一つ結論めいた言い方としては次になります。
          投影角が90度の電子は質量と位置をもって現れる。(観測者に対して静止) 投影角が浅くなるにつれて質量は空間で次元を失い見えにくくなる。投影角がゼロの時が問題。これを質量か見えない「波」だと結論しました。これが電磁波です。(だから光子の質量はゼロというより計測できない) でも媒質はあるのか?という疑問はあります。光速度不変は怪しいです。むしろ別の次元軸があるはずと考える方が合理的です。(孤立系循環論【分けてもわからない】から抜け出せる) 媒質は無いのでは?「位置をもって現れる」これが空間だと考えます。空間が先ではないと考えます。孫悟空と手のひらに例えて、何度か記事にしています。

          • 佐々木 のコメント:

            >過程は私的すぎて説明しにくい
            そういうものだと思う。普段注目しないだけで、皆わかっていることがある。他の惑星では体系化して社会基盤にしているのでしょう。
            >媒質 光速度不変は怪しい
            ある系において一定、が妥当でしょう。後者サイトのキャラクター・マクスウェルが言うように速度は変化する。自己進行波とは何かは説明はされていないし、通信でそれに情報を載せて・降ろす具体的な物理は解明されていないかも、と妄想する。自己進行波であり続けたり、速度を変えたりする、それを支えるものがある。媒質が有限だといつ決めたのか? 同時に内在する無限性が無ければ自己進行波は成り立たないのではないか。
            孫悟空が遙かな距離を駆けて、自らの神性に出会う話だと、今気付きました。

          • Φ のコメント:

            >体系化して社会基盤にしている
            そう思います。最近アランの言葉はとてもよく練られたものだと強く感じます。我々の知らない概念を知っている言葉に置き換えて述べているので、変に思うだけで、非常に理知的だと感じます。我々のことを我々より知っています。少なくともダニエル・フライに向けていません。数十年後よりもっと未来に向けて話しています。
            >媒質
            ほんとに難しいです。弧理論の考え方を理解してから「波」とは何かずっと考えてきました。最近まで記事にも出来ませんでした。直近の記事で「光と併走すると光は電子に見える」だとろうとしました。では波の媒質は?と問われても答えられません。ToM氏の論文(真空中は電磁波は電磁波として伝わらない?)が気になります。電磁波について云えば媒質は関係ないように思えます。空間が先にあると思うから問題になっているように思います。これは一般相対論の「空間が曲がる」という考えにもつながります。空間が一様でないから光が曲がる?理解できません。空間の何が曲がるのか。
            >孫悟空が遙かな距離を駆けて
            何度も書きました。宇宙は距離ではなくて投影角だと考えます。宇宙を入れ物だと考えている内は解答が得られないように思います。遠いと思うから諦めが先に立つ。古代インドの人も地平面が曲がっていると気付いていました。ただどの方向にも曲率は同じなので自分が世界の中心だと考えざるをえなかったようです。現代のビッグバン理論も地球が宇宙の中心だと考えざるを得ない状態です。これはどう見ても変です。一つ次元を上げねば解決しないと感じます。突き詰めるとあらゆることが「映像」だという考えを推しているように見えます。

  6. 佐々木 のコメント:

    神の数式はあのような表現でしたか。4つの力を同じ形式にしようとして、結局は加減算で式化しているのは、いかにもセンスが無い。それにこれではテレパシーや念動力が表現できない。宇宙動かす、結びつける力の表現は数式では難しい。
    >そういう人は群れることはない
    適正密度があると思います。巨大な果実が1つではなく、離れた位置に沢山実る。テレパシーや気付きの理論として考えると、S/N比が必要だから。静かでないと宇宙に溢れる通信が自身に響かない。だから音声や表記での言語伝達の方が、今は未だ適切です。でないと良くも悪くも混ざる。
    地球ではまず、宇宙船の無い宇宙文明になることが望まれます。ところが一般に広まっている技術は人を仮想世界に閉じ込めるものが多い。その行き着く先は本や映画やゲームなどで、過去に文明が滅びた理由とそれを乗り越える人々の物語として希望と共に描かれる。
    以前フランスに行った時のこと。路面電車の乗り方がわからなかったのを美人母子に助けてもらいました。言葉は全くわからない。でも言っていることはわかる。そんなささやかなことで、ここにはまた来れる。そう思いました。
    少なくとも銃が向けられる場所に行こうとは思わない。希望を持ち、夢を見る方法を忘れているとしても、地球人は特に絶望しているわけでもない。生きていることそのものへの恐怖がある。その象徴が銃なんじゃないだろうか。
    「生まれながら」の心理遺伝は夢野久作のドグラ・マグラを読んでみることを奨めます。

    • Φ のコメント:

      標準理論には重力は入っていないと存じます。
      >テレパシーや念動力が表現できない
      まったくです。宇宙を表すとしながら、自己は除外しています。
      >離れた位置に沢山実る
      なるほど。
      >宇宙船の無い宇宙文明
      なるほど。その次が永久宇宙船でしょう。
      >恐怖がある
      最近結構本気で、一神教から出ているような気がしています。
      >心理遺伝は夢野久作のドグラ・マグラ
      ご紹介ありがとうございます。早速本を購入、手に持ち頁を繰ると「お病気」だと感じます。岡潔にもお病気を感じますけれども岡潔の言葉は、易しい単語と文体です。岡潔の場合は、岡潔にとっての前提があって、説明があるのですが、説明したいこと以外で当然帰結することは省略します。字面は読みやすいのですけれども、飲み込めません。これは天才故のようです。最小限の言葉で誰でも同じ結論に至るようにしか説明しません。凡凡人である私は「自然科学の時間空間、五感でわかるもの、西洋人の唯物主義」の短い文章だけで3年余り考えてきました。(主に時間について) 岡潔は狂気の向こう側に普遍があって安心できます。
      岡潔と違って自然の全体が映像だと仮説しています。すると現象の全ては結果です。ならば遺伝子さえも結果ですから、その元となる仕組みを探さねば本当のところはわからないと考えます。薬がなぜ効くのかわからないままでは仕方ありません。
      2015年頃まで単極誘導の実験をやって、それから何をやってきたかというと3つの科学の内精神科学と社会科学です。ことに社会科学(想念の横の経路:岡潔の云う第1の心のこと)は、2月までの記事で核心部分は出たと感じます。精神科学はほぼ手つかずですが、ヲシテ文献を参考にすれば前へ進めそうです。物質科学はその後か、並行になろうかと思います。道のりは長いです。

      • 佐々木 のコメント:

        >標準理論には重力は入っていない
        あっても加算するだけでしょう。加算記号が形骸化している。
        >一神教
        輪廻転生の有無を考えたと思います。一神教が縦、多神教が横。あるいは西洋思想と東洋思想で縦横。一神教には神と悪魔という2つで構成されるバイアス、舞台装置がある。銃や「いいね」は狂気のボタンで、そこから逸脱できる道具になる。ところが東洋では輪廻や因果応報があるから、その道具は通用しない。
        >「お病気」
        正当な感覚かと。「読破した者は必ず一度は精神に異常を来たす」と評される奇書。あくまでエンターテイメント、小説だから、全体の仕掛けがわかれば面白いですよ。私は純粋に面白いと思いました。同程度に狂っていると自覚できる。夢野本人が「これを書くために生きてきた」というだけあります。世界の縁を歩く人が世の正常に合わせる必要なんて無い。

        • Φ のコメント:

          >あっても加算するだけ
          全く違います。ttp://p.booklog.jp/book/81900/page/2087885 重力はほかの3つと異なって遙かに弱く、性質が違いすぎます。重力を一般相対論で説明していますが、相対論と量子力学は頗る相性が悪く、恐らく統一できないでしょう。アランはE=mc^2について正確に述べているに対して、重力は電磁気力の一種だと説明して、相対論による重力理論を完全に無視しています。コンタクトにおいて個人名まで出すのですから余程の意味があると考えてきました。つまり、アランは1.エネルギーの誤解2.重力の理解 この2点においてアインシュタインはミスリードだったと指摘したと考えます。今日の物理学の大問題の分岐点は相対論にあると考えます。遡れば電磁気学の発達もトム・ベアデンの指摘の通りだと思います。アランはアインシュタインを物理学者や科学者と云わず、思索者と云いました。これが全てです。
          ttps://www.youtube.com/watch?v=UTV1oqJ2Ro8
          重力は「質量と運動に関係ない」と見ます。一円玉の質量に比較して表面張力による引力と斥力は格段に小さいです。このように考えます。
          >銃や「いいね」は狂気のボタン
          完全同意です。チェスより将棋。当ブログもボタンを配置していますが、見た目がカラフルだから貼ってみただけです。
          >あくまでエンターテイメント
          理解します。云いたいのは作品ではなくて、作者が病んでいるのではないかと云いたかった。岡潔のエピソードを観るに、お病気だと感じてきました。2月に岡潔を主人公とするドラマがありました。番組を観て実際の人となりも確かにそうだったろうと感じました。
          >世の正常に合わせる必要なんて無い
          理解します。ただ、世界が精密、正確、緻密、難解な論理の極致にあるはずだ、というのは解せません。もっと基本的なことがおろそかだと感じます。そして基本的なことは誰でも理解できます。ニュートン以前から引力はありました。

          • 佐々木 のコメント:

            >全く違います
            ざっと読みました。観測できない質量ゼロの何かが振動していると言われても何が何だか。
            >重力はほかの3つと異なって遙かに弱く、性質が違いすぎます
            うーん、強い弱いというのは人間の都合なんですよね。ひょっとしたら思考形式も心理遺伝するのかもしれません。
            アインシュタインはメディアが取り上げて流行らせました。日本では科学に興味が無い人でも名前を知っている。海外では大して注目されていないという話もあります。仕掛け人の意図があるはずです。他の事を隠すために、ある事を広めるのは報道の常識です。
            遥かに弱いというのは私にはヒントです。樹木は地表から天へと雷の形状で生長していく。光と水と栄養素、それらを運ぶのに重力は適しているように感じます。燃やす力でなく、これからは育む力への理解が必要になる。電磁気の毛細管現象を思いついたのはそのあたりです。
            >作者が病んでいるのではないか
            もちろん病んでますよ。夢野は博覧強記だったようで、それが内にある根源的な疑問、どろどろとした吐き出したい思いに火をつけて、あのように表現したのでしょう。エリートキツネとお金の関係で示されているのと同じこと。環境因子は遺伝する。適合しない人は当然病む。大人が答えられない子供の疑問ってやつですね。自分か世界か狂っているのはどっちかと子供時分に悩む。けれど、誰もそのことを他人と共有しない、できない。素朴な疑問こそ残酷だからです。抑圧された世界は十分に狂気的です。だから向き合う人はそれまでとは全く別の答えに辿り着く。岡潔も自らの知的好奇心に忠実だったのかな。ならば狂っていて、病んでいてしかるべき。そう思います。

          • Φ のコメント:

            >何が何だか。
            量子力学と相対論はほぼ同時期です。それから100年近く経っても統合できないという事実は重いです。自然科学はどう考えても孤立系です。良い例がttps://rika-net.com/contents/cp0320a/contents/rekishi/answer14/index.html ビッグバンの図です。視点が余分な次元軸を想定しなければあり得ない図です。問題は次です。
            自然科学は、1)物質と運動から → 時間を作る → 時間を用いた数学で「物質と運動」を(フィードバックして)説明しようとしている。これは循環論です。 次に、相対論です。杉岡氏のttp://www5b.biglobe.ne.jp/sugi_m/page254.htm「相対論物理学者に捧ぐ4」によれば、『「光の伝播法則の上に時間の概念を樹立し・・」という意味は、簡単にいえば「真空中の光速度cを用いて時間を定義する」という意味』です。 前述に習えば2)物質と運動から → 時間を作る → 時間を光速度に置き換える → 光速度を用いた数学で「空間と時間並びに重力」を説明しようとしている。1)も2)も詰まるところ孤立系で循環論です。しかも量子力学を基礎とした(極微の)素粒子物理学と(極大の)宇宙(空間時間重力)を説明しようとする相対論では循環の過程が異なります。どう考えても「(神の数式に重力を)加えればよい」とはなりません。加えられる訳がありません。そして苦し紛れに宇宙は点から始まったと説明しているのですから、古代インドの宇宙観にある「ヘビが己の尻尾を噛む」のと何ら変わっていないのです。今も何千年前も少しも変わっていないのです。
            >人間の都合なんです
            あまりに強引です。「原子からクオークへ:JSトレフィル著(株)培風館」p229表15によれば(強い力1、電磁力137分の1、弱い力10^(-5)、重力【万有引力】6×10^(-39) とあります。重力は極端に弱いです。各々の到達距離も違いすぎます。
            >アインシュタインはメディアが取り上げて流行らせました。
            全同意。「七つの科学事件ファイル―科学論争の顛末」に詳しいです。実験も社会的要因に引きずられてきたことがわかります。
            >岡潔も自らの知的好奇心に忠実だったのかな。ならば狂っていて、病んでいてしかるべき。
            一昨年まで、物や事は”分ける”ことにより【分かる】と思ってきました。でも違いました。最近、数学も「分ける」から発することに気付きました。つまり分けることによっても分からない自然の部分について数学を用いて挑むことで病むのだと思います。 岡潔は、年を重ねる内に狂気から抜け出したと感じます。つまり、「分けることにより分かると思っている」世界から「数学の使えない世界」に気付き、移ったのです。だから狂気から脱した。そう思います。だから安心なのです。狂気のままであれば云っていることの意味は分からないはずです。緻密で精密かつ難解な理論が必ずしも高尚ではないこともあります。
            結論として、どう考えても別の次元軸を考えざるを得ません。別の次元軸からの投影による映像だと考えます。岡潔によって山崎弁栄上人のことを分かり易く解説されたのは、有り難いことです。

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