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掲示板 への194件のフィードバック

  1. 佐々木 のコメント:

    Tubeで「ファンタスティック・プラネット」公開されています。あと1週間かな。
    内容は人間を問う、形容しがたい何か。フランス映画はこういう芸術作品が面白い。
    特にフランスの哲学要素は日本人も学ぶところがある。日本人は日々忙しくさせられているからね。

  2. 佐々木 のコメント:

    > 二重反転、三重反転
    しきりは銅板だったかな。水銀とは導電率その他が違っている。近接作用とすると素材-物性の違いが反転を生む?遠隔作用とすると何処と何処の関係性なのか?”接する”って難しい。MとMが接するのではなく、MとEが接するのもアリかな、と考えてしまう。

    ttps://ja.wikipedia.org/wiki/重力を説明する古典力学的理論
    何かに似ていると思ったら渦動説でした。渦動一元論なんてのも読んだ。意味わからんかったけど。弧理論はさらに違う。
    こうして見ると、どれも”説”なんですね。デカルトが1600年代。ニュートン力学も言葉で縮退し過ぎて間違っていそうです。エーテルや軸性エネルギー流の方がまだ本質を突いてそう。その意味ではヲシテ文献(縄文時代)の方が分があると考える。

    • Φ のコメント:

      弧理論の核「自然は映像」→仏教者山崎弁栄「自然は心があるために映写される映像」、ヲシテ文献「アとワによる映像」、アラン「別の次元軸からの投影による映像」
      自然、映像という言葉を使っていませんが、どの資料も「自然は映像」だと示しています。特にヲシテ文献とG・アダムスキー&ダニエルフライの資料は、内容が同じです。
      このように弧理論は、私個人の思い込みではありません。歴史的な各資料が同じことを示しているという事実が重要です。

      その上で、映像に本質がないとわかります。近接作用はあり得ないことも当然です。例えば、貴方が動画を撮って保存したとします。HD内のトラックとセクターに磁気のbit(二値)として配置されます。PCのHDにあるデータを液晶に同期しながら配置したのが動画であって、PCにもHDにも液晶にも動画の本質はありません。動画を見た人の中にあります。しかも、人の脳も時系列列に沿う処理が行われるだけです。これはAIと同じです。脳もAIもPCも処理系であって、映像が「わかる」という本質は映像である脳にもPCにもAIにもHDにもありません。
      「わかる」の本質は投影元にあると考えざるを得ないとの結論に至ります。これが岡潔の情であり、善導大師の覚にあたります。しかし、岡潔の頭頂葉にははないと結論できます。
      >何処と何処の関係
      同様に、「接する」という関係は、M軸(映像)と基軸との関係が繰り返されることによって成り立っていると考えるしかないと思います。これを因果といいます。「時は過ぎゆく」という性質はここから来ます。
      >MとEが接する
      私の考えと同じです。これが界面空間の仮説です。「アとワはつながり、ウをもたらし」のアとワの境界(界面)にウ(物と事)がもたらされます。界面空間の模型が理解しやすいです。

      >弧理論はさらに違う
      最初から気にしていたのは、アワとウズでした。ウについて、最近気づいたのは、ウ(渦)は、位置があってかつ運動している。つまり、渦は物であり事(動き)でもあるということです。とても興味深いです。渦は発散トーラスを組あせた楕円双極を想起します。
      そして、アワが宇宙の大規模構造を示しているらしいことです。あまりにも一致しすぎです。
      動画「渦とサイホン」や1円玉とアルミホイルをつかった「引力と斥力」さらにはgifにした「二層型の逆さ渦」「二層型の泡」などの模型が理解を助けます。

      >エーテルや軸性エネルギー流
      それだと、空間が何であるかを示さねば、エーテルやエネルギー流が理解できません。
      上記の通り、基軸にすべて(映像:空間・物・事)の原因があるとして、科学せねば始まりません。第一、物と事は互いに規定し合って成り立つ繰り返しです。ですから「わける」行為によって「わかり切る」ことは決して、絶対にありません。行き着く先は抽象です。だから、自然は映像と考える以外にないのです。

      >ヲシテ文献(縄文時代)の方が分がある
      その通りです。過去記事に書いたとおり、アランの祖先がヲシテの時代から我々を支援してきたと考えます。それほどにヲシテ文献の核は、アランと言葉と同じです。アランは現象が差分だと示しています。ヲシテ文献で「ウはアとワの差分」だと示しています。ここまで似ていたら、起源は同じと判断してよいと感じます。

      • 佐々木 のコメント:

        長々と解説いただいて誠に申し訳ないのですが、おそらく通じているのは1ppm程度としておきます。稀な分野の話で人がわかり合えるのは(人が球体と仮想して)点に過ぎないでしょう。直感に従ってコメントを書いています。時にピンポイントで相手にささる表現(身体的、言語的)をしてしまうのは私の悪い癖です。それでいろいろ失敗してきた。理解度はこんなものです。
        > 自然は映像
        動物が空間を移動するから、視覚に頼っているから、その発想が生まれたのでは。盲目の人には通じない科学なんでしょうか。
        金沢氏のページを改めて読み始めました。体系化されていないので時系列に沿って。
        ttps://hokakebune.wordpress.com/2010/11/02/
        図3から。心窓に映る映像であるなら、外界事象の原因が投影元になる。そうならば納得できる。通常、大抵の人は映像というと視覚に映ったものやヴァーチャルなものを想像します。サンプリングされ、映像という言語で意味が縮退された何かです。しかし本当のことはサンプリングされない”それ以上”。自然は映像(IS_Aの関係)。自然の属性の1つが映像であって、映像=自然とはならない。
        > MとE
        ここでのEは弧電磁気理論での、まだ見ぬエネルギー値、の意味でした。ヲシテ文献のことはわからない。その上さらに自然が映像だと言われると、渦動一元論にある潜象(物事の背後にあるもの、現象と対になる)のようにアッチ系の話かと思った。E軸を基軸・氣軸に変えたのは、わからんものをわからんものに置き換えた/押し込めたように見える。勿論そうではないでしょうが。(解説は不要です。私のわからない部分を表明したに過ぎません)
        > 空間が何であるか
        厳密な定義の必要性はあるのだろうか?先に書いたように、盲目の人の捉える空間は表現が違っているはずです。ある哲学者の考え方を真似て「それは皆が空間と考えるものだ」とでも言っておきましょう。時代・社会・流行などでヒトの物事の捉え方は変わりゆく。その捉え方がメジャーかマイナーかの違いでしかない。Abstractされた科学は元々マイナーなように感じる。ヒトの興味がどこにあるのか、本屋に行くと痛烈に感じます。科学<(電験などの)技術資格 現象が差分
        これもわからない。+-があるとして、現象として表出しないのがゼロなのか。2惑星の運動の件を思い出す。でも、世にあるのは現象だけですよ?

      • 佐々木 のコメント:

        最後の方がコピーミスしたようです。制限があるようです。
        科学<(電験などの)技術資格 現象が差分
        これもわからない。+-があるとして、現象として表出しないのがゼロなのか。2惑星の運動の件を思い出す。でも、世にあるのは現象だけですよ?

        • Φ のコメント:

          >おそらく通じているのは1ppm程度
          全く問題ありません。こちらにメリットは2つあり、感謝してます。
          岡潔の意訳「自然科学はAの科学Bの科学Cの科学を集めたもの。かようなものは単なる思想に過ぎず学問ですらない。思想の洪水を止めるべき。」アランの意訳「進歩し続けたいなら、分岐点まで降りて、再び登れ。」
          1.返事を書きながら私の考えを整理できます。2.当サイトの考えを百か千人にひとりくらいわかっていただけます。
          分岐点まで降りた結果、自然科学に基礎がないとわかりました。当サイトの考えを公式に出す場はありません。それどころか、私はヲシテ文献、岡潔、仏教、物理学、電磁気学など参考にしている資料のいずれについても「部外者」です。
          しかし、例えば、A1,A2,orB1,B2,orC2,C3などなどの科学、技術の専門家が何かを語った場合、論理や議論の行き着く先は繰り返しになることがわかっています。これらの議論は精密・緻密ではあっても抽象です。
          例として、この前見たエッシャーの「円の極限」の”図”が円に「接する」部分です。図が理論的に正則分割であり、確か。いくらでも分割できる。だけれども図には描けない「接する」部分、これが抽象です。円付近において、”図の意味”はありません。
          ttps://www.az-art.net/view/item/001000003236
          私は「神学論争、水掛け論、抽象、言葉遊び」を警戒しています。抽象は意味がなく不毛だからです。
          >盲目の人には通じない
          いえ。G・アダムスキは、五感を一つずつ消して、さらに触覚のtouchを取り除いて残る部分が「わかる」の本質だとしました。これが何処から来ているのかが問題です。「わけるによりわかる」は本質ではありません。これを岡潔は情と言い、善導大師は覚と名付けました。あるいは気づくの(キ)です。脳を模したAIが発達し、脳にもAIにもこの「わかる」の本質はないことがわかりました。どう見ても脳にもAIにも発見・創造はありません。
          わける」により残るのは常にブラックボックスです。この条件により状態を変化させる素子(ブラックボックス)を重ねて脳やAIが作られます。脳はM軸内でのみの働きです。

          >サンプリングされない”それ以上”
          同意。時系列で書きます。「物がわかる」これが唯一の現在。「事がわかる:動きがわかる」その後「物と事がわかる」これに音韻を割り付けて、物と事に意味づけ出来る。これが言葉。それで価値がわかる。やっと意識を通してわかる。「それ以上」の物と事が揃わない何かは、意識を通さない。つまり、「わからない」まとめると「知識・意識は過去」
          例として、「時報は過ぎてからしか知り得ない」思想信条主義主張は「価値がわかる」以後なので過去。
          岡潔意訳「すべてを覆っているが、それより外へは一切出ていない」これを「外のない内」と言います。

          >アッチ系の話
          前述の通り、論理ではない部分に何かあるという結論を得るには長々と書かねばなりません。そして、詳しくすればするほど、何が何だかわからなくなる。つまりは抽象へ陥る危険が常にあります。おまけに「自然科学の他」などとの説明が必要。だから、難しいです。要は自然科学が放棄した部分を言います。だから、アッチ系と区別できない。
          >解説は不要
          図3が適切には思えません。物と事をわけて、その上で”それ以上”を説明できるようにすると「何に疑問を抱いている」のかをわかってもらえるかもという期待がもてます。養老氏「肺は位置がある。呼吸というと場所がない」

          >厳密な定義の必要性
          あります。どこまで唯物・還元で押しても、何もわからないことが判明しています。
          >時代・社会・流行など
          いえ。だから、ヲシテ文献、仏教、アランは皆、時代・空間を超えて同じものを示しているという事実が大事です。逆に言えば、自然科学は今だけです。
          >+-がある
          難しいです。ASCIIコードに似ています。空spaceは(hex20),無はnull(hex00),0は(hex30)と名付けているようなものです。文字や記号で「わからない何か」を言い表すしかない。だから、先人は皆、四苦八苦していた。詳しくすれば、もっとわからない。でも「わからないx」を発見・創造するには、言葉(知識・意識)よりもっと前(現在)でなければならない。これは言葉ではない。
          >世にあるのは現象だけ
          確かに。「空間・真空・無とは何か」です。

      • 佐々木 のコメント:

        どうやら禁止文字があるらしい。

        • Φ のコメント:

          >禁止文字
          セキュリティに引っかかることはないようです。禁止文字は設定していますが、該当していません。何故か不明です。というか、このような長いお話をwordpressのコメント欄でするに無理がありそうです。

          • 佐々木 のコメント:

            技術資格<i ~ほにゃらら~ >現象が差分、の記号英字を半角で書いてhtmlタグと認識されたようです。記号や英数字を半角で書くのは癖ですね。返信がインデント全角4文字なのが縦長になる原因で、もっとチャットっぽく使うもののようですね。

          • Φ のコメント:

    • 佐々木 のコメント:

      (インデント避けての返信)
      今度は京都で地震か。中央構造線でも破壊したいのかな。農業基本法改正案で自給率を無くし、日本人はいなくなり、割譲され、日本という地名だけが残る。能登地震もロシアとの海底ケーブルを切断する為の人工的なものだと推測する人も居る。そんな現実。
      >全く問題ありません
      そう言っていただけると感謝。無形のものを扱う場合、互いの言葉による思考誘導が起きないかに注意が必要です。新興宗教じみてくるから。しかし、表現がうまいといえるほど日本語に精通していません。
      「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」世界中の人が一日沈黙する日を設けるのはどうかな。口頭での伝達禁止、メールネットSNS禁止、TVラジオ禁止、あらゆる会話の禁止。世界が変わると思う。何で戦争してるんだろう?何で政治してるんだろう?何で仕事してるんだろう?何で生きているんだろう? あらゆる何で?を超えて語り得ぬものに想いを馳せる、ということには、ならないか。ならないだろうな。
      >行き着く先は繰り返し
      確かに。行き着く先がビッグバン(爆発オチ)やマルチバース(夢オチ)だと興醒め。子供にもわかるエンディングじゃないとね。そうして確実に生きていることの意味を現実と結びつけたい。日本で自○者が多い理由もわかり切っている。人を救わない学問なんて捨てちまえ、とさえ。「学問とは貧乏人の暇つぶし(by立川談志)」とはよくいったものだ。
      >精密・緻密ではあっても抽象
      技術は特に精度で適用範囲が決まっています。ジェットコースターを造るのにニュートン力学や流体力学が有効なように程度の問題です。そして精度の追求はせいぜい性能向上にしか寄与しない。それ以上でも以下でもない。科学は、今の宇宙論などは適用範囲が無制限です。だからおかしくなる。蝶の羽ばたき1回でさえ説明できないし、またそれに気付いていない。
      >意識
      これの捉え方が違うようだ。意識を通していない時系列”それ以前”がイメージできない。”意識・意識する”が現在ではないのか。要約すると言葉を扱う我々・ヒトは”今を生きてない”ことになる。
      >養老氏「肺は位置がある。呼吸というと場所がない」
      オブジェクト指向でいうところのHAS_Aの関係さえ成り立たない。”X HAS_A 呼吸 function”のXが定義できない。このXを知りたいということですものね。ただ、Xを表現するためのfunctionとも言える。オブジェクト指向の混乱しがちなところで、機能が先に来て、だからXが定義される。(伝わらんかも)
      >同じものを示している
      理解できる。が、簡単なことに気付かないのは社会の為せる業なのか。今や空間というと11次元とかメタバースです。4次元というと大抵の人は不可思議なイメージを持つのは奇妙なこと。日々十数次元(単位)を扱う技術者でさえ、科学の話になるとオカルトの域になる。技術-科学-現実-自然が完全にバラバラです。かろうじて繋ぎ止めているのがお金-経済という逆説的な話。教育の問題だと思う。あとは言語・伝達の問題かな。
      >差分
      差分しか現出しない世界では、それを絶対量としか認識できないはず。数直線での+-方向付けする前段階での差分を意味している。これは確かにうまく言えない。いったい何を持って差分としたのか?ここで解説がヲシテ文献に入る為、まずわからない。

      • Φ のコメント:

        >京都で地震
        こちらも少し揺れました。
        >新興宗教じみて
        難しいです。岡潔講演「数学の使えない世界」があります。これを知って、岡潔が何を伝えたいかわかりました。ほとんどの人はわからないです。それは、定義ではないからです。ある動画において理論物理の野村泰紀氏は、1時間ほど無数にあるという宇宙論を語った後「宇宙とは、時間とは何か定義しなければ始まらない」と述べています。岡潔が伝えたかったものは、言葉で言えないから「定義」ではないです。
        岡潔も私も言葉で言えない何かを四苦八苦して伝えようと努力しています。岡潔も私も宗教家ではありません。ですから、宗教家のように説得はしません。それでも普通に考えて、アッチ系、あるいは宗教じみて見えます。それは、その「何か」を自然科学が放置・放棄・あるいは無視してきたからです。岡潔や当サイトの話がオカルト心霊アッチ系として一緒くたに見える理由です。以前、茂木健一郎の講演を聴きました。質疑の際に「(無意識のうちに起きる)寝返りは(随意筋を使って)どうして起きるか」と質問したら、わからないとのことでした。逆に茂木氏より何の研究をしているか聴かれたのですが、答えたくなくて詰まっていたら、アッチ系ですかと言われました。貴方と同じです。
        >沈黙しなければ
        w。沈黙すらもnull。
        >語り得ぬものに想いを馳せる
        自然科学には発見・創造の仕組みがありません。G・アダムスキーは弛緩と関心と言いました。岡潔のそれと同じです。発見・創造を定義して実行できれば何の問題もないはず。
        >マルチバース(夢オチ)
        そうです。マルチバースという理論(情報:事)にかかる媒体(物)は、科学者の脳内にある生理的電流(電子と動き)に過ぎません。理論に対応する物(無数の宇宙)がない。これを抽象と言います。大栗氏の背景に全情報が蓄えられているというのも同じです。

        スコラは奴隷の上に居る市民の暇つぶし。現在の市民(sheeple)は奴隷。
        >”意識・意識する”が現在ではないのか
        違います。知識・意識は最後です。
        1.物がわかり2.事(動き)がわかる。3.物と事を音韻に割り付けて、意味づける。これが言葉。4.だから物事の価値がわかる。最後に5.意識を通してわかる。6.言葉は互いに規定する繰り返しだから、価値はすぐに反転する。例えば、全然は否定のはずが、「全然いいです。」と反転します。
        1.のみが現在で、2.~は過去です。だから、時報は過ぎてからしかわかりません。時間は過去です。ある動画での養老氏の意訳「法的に問題になることで誤解しかねない話。脳と筋肉に電極をつけて調べると、筋肉の動作が先で、0.5秒くらい後に脳が働く」と述べています。だけれども、犯罪は犯人の責任であることに変わりません。
        物と事が揃わねば、言葉で言えません。知識・意識はその後です。この物と事が揃わない世界があるとの主張がわかりにくいです。その境界が抽象です。
        要は、自然科学は過去で、現在を含みません。だから、発見・創造がどのようなものなのかさっぱりわかっていません。コードを書いても発見・創造ができないのはよくおわかりのはず。岡潔は発見・創造の過程を述べています。とても稀です。
        ttp://www.okakiyoshi-ken.jp/oka-18-27.html
        ttp://www.okakiyoshi-ken.jp/oka-15-10.html

        >オブジェクト指向
        これ自体よくわかっていません。「機能が先」はもっとわからない。FORTRANとAccess(SQL)の簡単なのまでです。ただ、『is-a関係とhas-a関係:プログラミングの「継承」と「包含」』を見ると、「物と事にわける」という考え方の一歩手前のような感じがします。ただ、歴史上、核心に迫ると必ず、無視か攻撃、歪められます。
        >11次元とかメタ 不可思議なイメージ 技術-科学-現実-自然が完全にバラ
        完全に同意。ただ、弧理論の「別の次元軸」を実在かどうかわかりません。実在という言葉を自分の言葉として使ったことはありません。基軸の存在を確かめるのが目的の一つです。
        >絶対量としか
        そうです。しかし、傍証と考えることはあります。サイト内に「傍証」を含む記事は4件あります。私にはアランの言葉は当たっていると思えます。すべての現象の原因を空間の場や素なる領域に求めるのは無理があります。そもそも自然が映像でないなら「接するとは何か」の疑問など起きないように思います。近接作用で十分です。要は、空間とは何かです。空や無はnullや0と同じです。絶対量ならば、フリーエネルギーも重力制御ありません。心の仕組みと働き、物と事の研究など不要です。岡潔「一部は映像と云ってよい。」
        http://www.okakiyoshi-ken.jp/oka-futatsuno03.html

        • 佐々木 のコメント:

          自然こそ、自然科学が放棄してきたものなのでしょう。それをアッチ系とは思わない。自然はそうそう定義できないですよ。数学なんて最も自然から遠いはずなのにね。私は子供の頃に遠山啓や銀林浩の影響を受けたせいか、自然⊃物理学(単位あり)⊃数学(単位なし)のイメージができあがっていました。抽象度ははっきりしていて、それらがイコールだなんて考えようもない。
          >新興宗教じみて
          互いに言葉の上で盛り上がってカルトになるのは避けたい。それだけです。他意は無い。気を悪くされたならすみません。
          >宇宙論
          の宇宙って狭苦しいです。数式の中に人や物を詰め込んでどうする。それだったら映画「コンタクト」を観ることを奨める。“Do you think there’re people on other planets ?” “If it is just us, it seems like an awful waste of space.”
          >オブジェクト指向 「物と事にわける」という考え方の一歩手前
          まさにそうです。『「継承」と「包含」』はわざわざ難しい説明をしている。IS_Aは「~という属性を持っている」HAS_Aは「~という機能がある」程度のことです。その属性(=変数)と機能(=内外の変数を変えるもの)が互いに関連し合ってプログラムを動かす。これがE-Mの関係に似ていると思った。X IS_A~とX HAS_A~でXを表現し、Xが定義される。言語構造からして、Xそのものの直接的な定義はできません。静的なISだけ、動的なHASだけではプログラムは動かない。作動対象の無い機能は無く、参照/格納されることもない変数は何の意味も無い。
          >絶対量ならば、フリーエネルギーも重力制御もありません
          これは言いよう。絶対量かどうかはともかく、その量り方がわからないだけ、とは弧電磁気理論にもあった。
          こんなのがありました。技術と化学の賜物。いったい何を見ているんでしょうね。
          ttps://www.youtube.com/watch?v=Ok4rqTCt4KE
          とか書いていて重大な問題に気付いた。いくら都市部に住んでるからとはいえ、コンクリートの住宅がひしめいているとはいえ、周りにあるのは物質なのに私は自然を少しも感じていない。かろうじて空、風、少々の木と花、鳥の鳴き声がする。それ以外も自然のはずなのに。脳化社会の病人だ。

          • Φ のコメント:

            >自然科学が放棄してきた
            一番無視してきたのは人(心)です。彼らが考える自然と身体はわかっても、学問としての科学は始まってもいない。ともすると、賢い彼らは自己を神の位置に置いてしまう。自己を置き去りにしたから。
            >数学なんて最も自然から遠い
            同意。20世紀初頭、多数の素粒子群がみつかり、それらを整理するに単独で取り出せないクオークを創造した。そこから抽象である数学と現象を扱う物理の垣根がなくなった。つまり、数学で合理的であれば無数の宇宙もOKw。既に記事で指摘したとおり、電磁波・放射線を使って、相手の質量はわからない。そこに誤魔化しがある。ピアノの音を聴いて、ピアノの質量を求める。これが電磁波でも同じ。
            >物理学(単位あり)⊃数学(単位なし)
            ここが最大の問題です。量は無いのに単位があるお金。物と事の区別がない。遡るとアランの指摘したE=mc^2に行き着く。問題の根幹は相対論。
            >数式の中に人や物を詰め込
            考えている自己は放置して知らん顔です。
            >E-Mの関係に似ている Xそのものの直接的な定義はでき 何の意味も無い
            面白い。しかし、わからない。たぶんゲーデルエッシャーバッハにもあったかも。「(ある)様子」と「(これこれ)という働き」?わからない。
            意味づけ出来て、初めて価値がわかる。清家氏は虚数軸を考えていました。その軸は実在するかどうかわからない。しかし、絶対値はわかる。それが差分。だから、基軸(旧E)は虚数軸だと考えてきた。だから、12進数が大事。時間の代わりに投影角を用いれば、あらゆる物性(物と事)がわかるはず。わかるのは絶対値。この考えは、理論物理の11次元(数学的に整合)と同程度に妄想。
            >量り方がわからない
            今もどうすればよいかわからない。アランの云うとおり、差分を積算する方法を見つけるしかない。differential accumulatorとは何なのか。発散トーラスを組み合わせた楕円双極のバランスを崩すということはわかっている。発想の基点は、二重反転、三重反転。運動の本質は「回る」にあり、「回す」ではない。
            >何を見ている
            岡潔の言葉にあったとおり、透過しない映像だと考える。物(陽子中性子電子)の最小部分。これより小さな領域は事(確率波)。かなり昔、IBMが世界最小の文字を書いた話を思い出す。
            ttps://www.jst.go.jp/kisoken/presto/complete/ryousi/topics/topics20-11-2.pdf
            >私は自然を少しも感じていない
            田舎在住。雪が降った朝、晴れた山並みの美しさは例えようもない。何年か前、沈む夕日が雲間から放射状に光って見えた。手前に広がる湖とともに見た光景は、今も脳裏に焼き付いている。価値とはそんなものです。

          • 佐々木 のコメント:

            >誤魔化し
            ある動画を思い出した。CT値=40では1兆倍、人工衛星軌道から地表のベンツのマークを探すとキュウリの断面がヒットする話。それでベンツの車が見つかったと看做すのだ。簡単には反証できない、しかし実証もできない。後はメディアの力に依って、信仰ではない信じる力に依って結果が変わる。世界で神道が流行っているそうです。創始者も教義も教典も無いのはウケが良さそう。支配要素が無く、完全に個人の感性に委ねられるからです。メディアのニュースは全く信用ならないから、それくらいが丁度良い。
            >虚数軸
            強電分野や電磁気学で使うそれは便利だからでしょうね。実際には多次元行列、テンソルで表記できると聞いたことがある。真偽のほどは不明。学生時代は複素函数論が得意だったけど、もう完全に忘れている。複素数表現でなければいけないとしたら、技術とこんなに結びつくはずがない、物理で何らかの副作用が出ると思う。検索するとwikiに面白い説明が出てくる。還元不能とな。数を扱う学問で何故か?いや数学範囲ならばあり得そうだが、物理範囲ならば多次元の実数表記に変換できるものかもしれません。

          • Φ のコメント:

            学生の頃、軍事衛星は顔や靴紐がわかると云われていた。ホントかどうか。
            >支配要素が無く
            田中英道のいう自然道。一神教(二元論)は科学を発達させるが、既にお役御免。次の段階。
            >便利だから
            そう、閉じ込めも都合がよい。
            >テンソル
            電磁気学を表せるとは聞いたことない。テンソルで思い出すのは、勉強不足だったこと。
            >技術とこんなに
            世に絶対というのはほとんどない。不思議なことに温度には絶対がある。アランとネガの紡錘図形から現象は差分だとわかる。だけれども温度だけが絶対というのは不可解。G・アダムスキーによれば、宇宙船内が寒いときには、特別な暖房機が必要とのこと。
            >物理範囲ならば多次元の実数表記に変換
            一番わからないのはヒトの心(自己)。わからないもの(ブラックボックス)を「わけることにりわかる」それで、残るのは、常にブラックボックス。
            条件式や半導体は「条件により状態を変えるブラックボックス」脳という神経系もブラックボックスの組み合わせ。都合、脳も脳を模したAIにも自己の本体はない。では、自己はどこから来るのか。何処にあるのか。脳もAIも物理範囲。確かに、意識は身体の範囲内にある。しかし、意識は位置を選ばず思いを馳せることができる。では意識とは何か?

          • 佐々木 のコメント:

            >自己はどこから 意識とは何か?
            言葉と意識の順序が(私とは)逆なので、何とも。
            もしそれ(意識)が脳や身体の一機能とするなら、それを使って答えは出ないだろうし。より前段階の言葉以前に問うのが良いか、あるいは前提か質問設定に無理がある。

          • Φ のコメント:

            >脳や身体の一機能
            処理系としてみると脳と脳を模したAIは同じ機能しか持っていない。結論的には、脳に意識を生じる働きはない。肉体はあくまで処理系でしかない。どうも意識はシヰの表れであるようだ。
            >質問設定に無理
            ピノキオを例に記事にしたように、ヒトとは何かをわかろうとすること自体とても不思議。それでもわかろうと努力することが大事。

          • 佐々木 のコメント:

            言葉が先で意識が後となると、外国の方と身体を使ったボディランゲージや運動で、あるいは音楽などで意思や気持ちが通じる現象をどう考えるのか。また、対象が赤ん坊の場合はどうか。

          • Φ のコメント:

            岡潔の意訳「情知意の順」
            >赤ん坊の場合
            岡潔はそれを「情」と言った。「幼児は情緒が大事」。情、ヲシテ文献にあるナサケヱダに同じ。ただし、岡潔は頭頂葉と言ったが、そこにあると断定できない。
            先の養老氏のはなしと同じ。意識より身体が先の例がスポーツ。知識は記憶なので媒体としての肉体が必要だが、肉体にはそれ以上の働きがある。
            昔聞いた話。バレーボールはレシーブ・トス・アタックの繰り返し。試合中、監督のサインが見えない場合もメンバーは即、フォーメーションを変えることができる。当たり前だが、練習は知識を学び・意識して繰り返し、無駄のない形へもっていく。試合では意識は後。意識は最後。
            記事に書いたとおり、条件式・Tr/FET・脳細胞はブラックボックス。ブラックボックスの組み合わせ(ネットワーク)による脳やAIは、処理はできるが、意識はない。では、ヒトの何処にあるかが問題。
            記事の通り、還元主義で脳・AIはわかるし・出来るが、ブラックボックスは必ず残る。還元主義に限界がある。ブラックボックスを含む記事は42個ある。2つ示す。
            ttps://www.arktheory.com/wp-ark/?p=5720
            ttps://www.arktheory.com/wp-ark/?p=66488
            岡潔とヲシテ文献を比較して、一対一に対応するものと、しないものがある。シヰ(生命維持の欲)と意識は対応しているようだ。つまり、意識を通して思想信条主義主張があるが、いずれも欲の延長に過ぎない。
            池田満氏は、シヰは地上にあると説明している。
            ttps://www.youtube.com/watch?v=rTIIN_jO7mc&ab_channel=ooharae

          • 佐々木 のコメント:

            さっぱりわからん。気持ちが通じる現象という至極一般的な事を尋ねたつもりだった。

          • Φ のコメント:

            おわかりいただけなくても全く問題無い。考えを整理するに役立っています。
            >現象  至極一般的な事
            そのとおり。その仕組みがどこからどのように来ているかを2015年ころより考察してる。アランはフライとのコンタクトに増幅器を使ったとしている。暗に意識は物理現象として扱えることを示唆している。
            心の本体である自己、並びにその働きの結果である意識は、脳と脳を模したAIにはない。まして、発見・創造(気づかされる:他力)の仕組みはM軸にはない。考察を総合すると発見・創造は、アランの言う別の次元軸にあるとの結論に至る。これまでに、基軸・気軸(旧E軸)が本当にあるという記述をしたことはない。しかし、本当に基軸は存在するとしなければ、合理的な説明ができないという結論に達する。数学で示される抽象的な次元軸ではなく、実際にあるとしか考えられない。
            実は気にしていることがある。随分前、井出氏と電話でパルストランスについて、話していて確か「本当に信じていないと出ないことがある」と言われた。半信半疑ながら、何かあるらしいことはわかっていた。同じくバシル・バン・デン・バーグの「非学理的な発見」も同種の何かかも知れない。

  3. 浦河信吉 のコメント:

    同じテーマを扱っておられて関心があります。私のテーマは数学否定の上に立っていますので紹介させていただきます
    「飛ぶ矢が飛ばないゼノンの謎」  これは次の事を述べています
    *数かず1-2-3は数のシステム「数全体」に含まれる。だから数1-2-3は存在する。 したがって飛ぶ矢は飛ぶ
    *独立した数(すう)1,2,3はいずれも数のシステム「数全体」に含まれない。だから数1、2,3は存在しない。したがって飛ぶ 矢は飛ばない。
    【真理多にして1】。これは、私たち日本人の先祖縄文人が、いまか1万5千年前に発見した数のシステムです。驚きませんか?1万5千年前です。なのに、現在の日本人一億人に尋ねても、知っている人は皆無なのです。
    説明させていただきます。どういうことかと言いますと、≪私たちの宇宙は中性子のエネルギーだけで出来ている(私が執筆した資料『電子の系統の遺伝子中性子の発見と、コロナワクチン開発への応用』興味を持って頂けたら送らせていただきます)。だから、私たちの周りは、中性子のエネルギーで出来たものばかりだ。村も家も、生きた人も死んだ人もすべてが中性子のエネルギーだけで出来ている。だから、もしある母親が昨年死なせた我が子に会いたいと思えば、名前を呼ぶだけで、すぐ近くの多にして1が、「ハイお母さん」と、目の前に現れてくれるという次第です。万物が、あなたを中心とした同心円の中心に常在している、と考えればよくわかります。
    今月は(もはや先先月となりましたが)、お盆の月ですので、少し時間をいただきまして、お盆と三月の雛節句の始まりで、一例を話させていただきます。
    縄文時代は今よりもずっと気候が不安定で、生活が苦しく、生まれた子が女の子だと知ると、母親が早速わが子の鼻と口と耳を塞ぎ、死なせることがしばしば起きたのです。しかし母親は、決して死なせた我が子のことを忘れることがなかったのです。彼女は、毎年、死なせた我が子が一歳大きくなるごとに、我が子の成長に合わせた鼻と口と耳を土器で作り、糸を通して、片時も肌から離すことがなかったのです。そして、三月の雛節句と八月のお盆に家に呼び寄せ、成長した娘と一緒に「明かりを灯けましょぼんぼりに」と歌って我が子と互いの薄幸を慰め合い、傍らに置いた誓いと願いの縄文で埋めつくした水甕から、白酒を汲んでやって
    今度≪この地上の天国≫を去って≪定めの天上の天国≫に登ったら、どんなことが起きてもあなたを離すことはないわと、固く抱きしめてやったのです。(『電子の系統の遺伝子中性子の発見と、コロナワクチンの開発』補遺最終の文を参照下さい。)
    ●土偶、遮光土器は、縄文人が「神に誓って」と言うときに多用する【絵文字】のひとつで、天国に常在する万人共通の真理【多にして1】に誓う人間の姿を暗喩しています。
    ●【多にして1中性子のエネルギーが万物万人にもたらす特殊な感情についても、同じ資料に執筆しています。

    • Φ のコメント:

      ありがとうございます。ほとんど意味がわかりません。当サイトの右側に書いたとおり、幾つかの資料を参考に考察を進めています。各資料には、共通点が多いです。ほぼ同じ内容を異なる表現にしているとさえ思えます。各資料の書き手の人種(異星人を含む)・言語・時代はまったく異なります。日月神示に至っては人間ですらありません。決して単独で解釈しているわけではありません。これが普遍性でしょう。
      例えば、岡潔は人に心が2つあると指摘しました。ヲシテ文献にもタマとシヰの2つあるとあります。ヲシテ文献の方が岡潔より詳しいです。
      岡潔は「(”わかる”というのには2つある。)”わかる”というと理解とか物の理というが、全然理解じゃない。」と述べています。心は2つあるとわかるのが最初です。人に心が2つあるとわかることが出発点です。
      そういう意味で当サイトの内容は、宗教・神学、信仰、哲学・思想、信条、主義、主張ではなく、議論や論争ですらありません。心の仕組みと働きがわかると自然とは何かという疑問に答えが見いだせるはずという考えで進めています。
      当サイトの記事で「真理」や「正義」という言葉を使ったことがありません。人によって感じ方が異なってしまう、いわゆる”手垢の付いた”言葉は使わずに、できるだけ平易な言葉で説明します。難しいことを易しく言うように心がけています。

      エネルギーという言葉は物理学の定義と弧理論のそれとは異なります。何がどのように違うかも検討済みです。また中性子に働く強弱の相互作用を否定していません。しかし、理論と実験値があえばそれでよいとも思いません。実験の値は差分だろうと考えます。観測する立場が異なれば、異なる運動を観るからです。絶対値はないとの考えです。
      それと自然が映像ならば、物理学の近接作用はあり得ませんし、物と事をごちゃ混ぜにしていて、力を近接作用で統合するというのは、どうにも筋が悪いです。どう見ても自然科学は間違っています。
      岡潔「少なくとも(素粒子の)一部は映像といってよい。」として、自然が映像だということを否定していません。弧理論は映像の仕組みを説明します。

  4. eddy のコメント:

    φ様

    初めまして、eddy(仮名)と申します。
    お金に関する記事を中心に参考にさせていただいてます。

    経緯的にはこれまで生きてきた中で感じてきた違和感があって(これは言語化できるものと言語化は出来ないけど頭の中でモヤモヤしてブレーキがかかる何か)岡潔先生→φ様と繋がりました。

    お金に関してはお金に価値があると刷り込まれてる時点でもう相手が用意したテーブルの上です。
    支配層(通貨を絶対としたい権威や誰か)は存在します。支配層は文字通り支配ですから、それらを管理できる管理者はいません。
    思うがままです、人の命や次世代のことなんて全く持って考えてないです。
    史実からも法律改正からも法廷(事件)からも”気付く”ことは沢山あります。
    まさに繰り返しの中です。
    気になる要素やネタなんて何でもいいとさえ思うくらい話違うよ〜って思うこと沢山ありますし、調べ込んでくとやはり重要な要素に決まって行き着きますよね。お金や時間などなど

    本当の悪魔は人だと思ってますし、人類の敵は人類、この構図何とか出来ないのかなとずっと想い続けて生きています。

    思惑が入ったものは怖いです。

    関心を示してくれる人は本当にいません。大筋、歪みまくったお金や時間の渦に飲まれています。

    他のコアな方々と違って一貫性のないコメントですみません。

    サイト記事は全てに目を通しきれておりませんし、これからも参考にさせていただきます。

    楽しみの一つになりました。

    ありがとうございます。

    • Φ のコメント:

      コメントありがとうございます。
      まるっと同意です。
      ずっと自然科学は胡散臭いと感じてきました。岡潔を知ってから何が本当かをずっと考えてきました。過去に株やFXを調べて、FXを実際にやったことがあります。結局、お金と時間が問題だとの結論に至りました。
      自然科学は、パトロンの意向に従って歪んできたことがわかっています。
      どなたも、己の立場があり、立場に沿った意見しか言えない状況です。皆信じたいものを信じているに過ぎないのです。パトロンは皆に信じざるを得ない何かを提供しているに過ぎません。
      現代は、ある種信仰の時代と感じます。

      最近、気付いたこと。曖昧さがない言語がベストなら、言語は世界で一つであってしかるべきです。しかし、実際は100以上の言語があり、かつ様々な宗教があります。曖昧さがないプログラム言語でさえ、何十とあります。
      そして、宗教が最大の争いの原因となって、お金がそれを助長しています。
      なぜ、多言語で他宗教なのかです。岡潔の情と言葉の関係について考えています。

  5. 児玉紀行 のコメント:

    このブログの説明内に気になる説明があったので。
    原子核構造モデルはいまのモデルは間違っています。原子核は陽子と核内電子で構成されています。つまり核内電子は陽子間の接着剤みたいな感じです。電子軌道は原子核内電子軌道から外殻電子軌道に接続されているかもしれません。
    論文を書いているので興味があったら送ります。
    今存在する物理学の標準的な理論を信じすぎてはいけません。一番大切な原子核理論が間違っているのだから。

    • Φ のコメント:

      コメントありがとうございます。
      >信じすぎてはいけません。
      同意です。岡潔が云ったように、自然科学には基礎がありません。時間は量ではありません。時間は物と事の内、事のです。また、空間とは何かについて説明はないようです。空間は自明でなくて、最近出した境界空間という仮説でいろいろうまく説明できそうです。

      余談です。実のところ、脳内で抽象へ飛躍できる人しか理論物理学者という職につけないと感じます。極端な抽象化は、人が生活する世界とは断絶していると思います。数学の難問に挑むと心を病む人が出てくるのは大脳皮質の衰弱につながるからのようです。第1の心は循環ですから当然です。ある科学者曰く、真実はいつも簡単で理解が容易だとのことです。第2の心でわかるのは極簡単な具体だからです。第2の心は現在で、第1の心は過去です。人は2つの心があって、初めて時の中に住めます。

  6. ぱーく のコメント:

    いくつか記事を読ませて頂きましたが大変興味深い内容でした。

    単極誘導について

    磁石を固定して円板を回転すると誘導電流が流れる。
    円板を固定して磁石を回転すると誘導電流は流れない。
    磁石と円板を一緒に回転すると誘導電流が流れる。

    地球が単極誘導とするならばマントルは磁石になりえる物質なのか?

    遠くない未来にフリーエネルギーが開発され世の中が正しい方向へ向かう事を願っています

    更新これからも楽しみにしております

    • Φ のコメント:

      ありがとうございます。同じ電流が生じるに、異なる現象らしいです。単極誘導の現象は、磁場あるいは磁界と関係ないと感じます。空間が持つ本質的な回転運動です。直接観測にかからない別のポテンシャルが原因ではないかと感じます。これを楕円双極(楕円磁場)と呼んでいます。磁石の重心位置に近いほど強いので原子核との相互作用と考えます。これは実験を通して得た仮説です。そう考えると地球が単極誘導と関係あるとの仮説にジェット気流とオーロラを交えて考えるには、別の見方(楕円双極)が必要かと思います。
      >フリーエネルギーが開発
      ニコラ・テスラは回転運動こそが宇宙の本質だとの意味の言葉を述べたとされますが、遺された資料(主にコロラドスプリングスノート)に単極誘導に関する記録はありません。死語、FBIが押収したとされる部分が非公開で存在するのではないかと推測しています。先頃、FBIにて公開された(テスラは金星から来たという)3件の資料をサイトで確認しましたが、1950年頃のニュースレターや新聞の切り抜きばかりで意味のないものでした。
      参考に右検索欄にて「単極誘導 重力」で関連記事をお読みください。内、重要な記事は、2020年5月19日「重力と電磁力 との類似点について」、2018年9月10日「重力の 加速度 は遠心力と区別できない。重力は回転運動と深い関係にあるはず。相対性理論では納得できない。」、2018年6月29日「楕円磁場による 重力理論」あたりです。
      単極誘導の現象が磁石の重心位置を中心とする楕円双極(ポテンシャル)にあると考えると
      「磁石を固定して円板を回転すると誘導電流が流れる。円板を固定して磁石を回転すると誘導電流は流れない。磁石と円板を一緒に回転すると誘導電流が流れる。」という疑問に意味がないとわかります。
      (トム・ベアデンの手紙を参考に)歴史を見ると電磁気学成立過程において、単極誘導の現象をないがしろにしようとした結果、この矛盾を生じたとともに、区別は付かないが幾種類か存在する加速度について考慮する可能性を排除したのだと思います。ベクトル表記は加速度の種類を区別できません。20世紀初頭に原子核が発見されたときに電磁気学は修正されるはずでした。修正されずに量子力学と相対論に分岐したまま交わることなく120年が経過しました。
      電磁誘導は「回す」で、単極誘導は「回る」です。「回す」の代表が加速器LHCです。「回る」の代表がマグネトロンです。LHCは考えられないほど効率が悪いです。人類史上最悪です。マグネトロン>>>LHC。マグネトロンと同じ仕組みを半導体にて実現すると凄く効率のよい何かが出来そうに思います。何か想像できませんが。この点において注目しているのが熱電対です。まだわからな過ぎて考えるに至っていません。熱電対と単極誘導を組み合わせることで飛躍的に効率を上げられるはずだと考えています。ただ、位相が違うし、熱の伝導と電子の運動の違いがあり苦戦しています。
      トム・ベアデンが指摘した「ヘヴィサイドが発見した回転性電磁エネルギー流」は、単極誘導に関係するとにらんでいます。そして、この種の実験は材料がたやすく入手できる現代においては、仕組みさえわかれば比較的簡単に実現できるだろうと考えています。量子力学の観点を持っていては絶対にこの発想は出てきません。

  7. 佐々木 のコメント:

    研究における言語表現について。戦時中の外国語禁止ではないけれど、
    黒い穴、大爆発など、日本語にしたら、日本での研究は止まるような気がします。ブラックホール、ビッグバンだから”何かありそう”になる。最先端科学は実はファンタジー文学だと言ったら、顔赤くして怒る人は居るだろうな。ビッグバン(爆発オチ)、多次元解釈(夢オチ)とするとさらに怒られそうであります。
    科学におけるレトリックはどこまで許容されるのだろう。言語は自分さえ騙せるのです。しかるに自然はレトリックを使わない。言葉で言い尽くせるものでもない。

    • Φ のコメント:

      強く意識するのは、日本語が堅牢であること。漢字仮名外来語と混じる中で本質はずっと変わらない。一時母音は8つあったけれど、最後は5つに戻った。堅牢さの元はヲシテにある。記紀に無いことは確か。どうも英語圏の行き着く先は魔法。でも日本に来るとコスプレやアニメになってしまう。基本「面白がる」。何でも飲み込むのに似ても似つかぬものにしてしまう。日本人の日本人たるところは日本語にあることは確か。しかし、その元になるのは何かよくわからない。一つ思い当たるのは「カミ」。外国の如何なるモノであろうと(カミの)仕組みの内と解釈するならば「面白がれる」。そこに宗教が入る余地はない。神も仏も何でもありの理由は、日本語の堅牢さにあるように思う。これは日本教に通じる。神も仏も人間の側の都合による。面白ければよいというのは、如何にも節操がない。一方おどろおどろしい魔法に稚拙さを感じる。錬金術も魔法に近い。錬金術の延長に自然科学がある。
      ヲシテのヨソヤコヱ(48音図表)を眺めていると無茶苦茶システマティックに感じる。極めて人工的。何でだろう。ttp://www.zb.ztv.ne.jp/woshite/page22.htm ここに魔法は微塵も無い。

  8. ぎーぎまん のコメント:

    フィボナッチ数列、好きです

    研究職の方ですか?

    • Φ のコメント:

      ありがとうございます。フリーでやってます。9年目です。数学が出来なくて困っています。4つめの次元軸(E軸)を想定した上で、時間を用いずに質量と運動P_(物理学でいうエネルギー)を表したいです。物性をE軸からの投影角θであらわすことになるので、12進が便利なはずです。ぎーぎまんさんは、12進の加減乗除はできますか。私は五つ玉のそろばんを使う方法しか思いつきません。
      お金はありません。逆に紐付きではないので(人を傷つけなければ)何をやってもOKです。

  9. saitou huuma のコメント:

    funny

    日本語があまり出来ません
    しかし勉強したい

    • Φ のコメント:

      ありがとうございます。ウイジェットにあるgoogle翻訳を使ってください。読みやすくなります。(Widgets)Please use google translation.It will be easier to read.

  10. 井上 のコメント:

    久々に良いサイトを見つけたなと思いました

    これからも研究頑張ってください

    • Φ のコメント:

      ありがとうございます。自然=「自然科学」だと思っている内は、次へ行けないと気付く人が段々と増えているようです。
      岡潔は自然科学者の考える自然を「物質的自然」と名付けました。では岡潔の考えていただろう「自然」とはどのようなものだったのか。どうも「精神的自然」という言葉に気付きました。岡自身が言ったかどうかわかりません。けれども自然=全部だとするならば、2つを合わせたようなものではないかと考えます。ある人は云います。「~~なんて、非科学的でインチキだ。」このような態度は自然科学が「全部」ではないことを自ら認めているのと同じです。

  11. 佐々木 のコメント:

    >視点が余分な次元軸を想定しなければあり得ない図
    冷たい視点ですが、世界情勢とか考えると、人間は世界には余分な存在なんだと認識されていないかと思う。ここはどこ、私は誰?の状態。誰でも子供の頃には周囲の環境や自然があって、地面があって、青空や曇り空や星空があることを知っていて、そこにいる私、その”私から始まる”ものの見方がある。ビッグバンの図を見ると、”私”の不在を感じてどうにも居心地が悪い。
    >人間の都合 あまりに強引
    これは簡単には通じない感覚だとは思う。そも、その計測結果をもって、電磁力の方が強いから、弱い重力を御しきれると思ってはいないでしょう。それはわかる。これら4つの力への分類は人間がやったことで、自然は全てを同時に使っているかもしれない。
    2つの円環フェライト磁石を重ねて反発させる。弾かれるので柱に通しておく。この実験で上の磁石が浮いているのは、磁石の反発力と重力が釣り合っているからと”説明”される。私はこれさえも疑問だったりします。それぞれの力の単位が[N]で、それを加算したのだな、と。でも加算できる根拠はどこにもない。なぜ磁石の力だけで、重力だけで説明が成立しないのか。ここに後天的な思考の心理遺伝が、自分の感覚を通して得ていない誤解があるのだと考えます。そして、書籍を読むと、さらに複雑な理論が展開されていく。人間の都合が随所にあり、心理遺伝は強化される。暗黒物質がない銀河を発見したとか、地球の何人が理解しているかわからないようなものがニュースになるのは、押し付けがましく感じませんか。必要なのは誰にでもできる、”私”から始まる科学でしょう。
    Φさんの別の次元軸、真のエネルギー値も言わんとすることはわかります。金澤氏の最近のブログも読んでみるといいです。何人かのブログやニュースを追っていると、面白いことに、一切連絡を取り合っていないのに、同時期に似た思考形跡を辿っていることがわかります。

    • Φ のコメント:

      >”私から始まる” 居心地が悪い
      同感。私は孤立系と呼んでいます。西洋的”神”の視点です。岡潔の第1の心です。恐らくそこから抜け出せない。彼らには、最初に入れ物としての空間がある。そこから抜け出せない。開放系のことを「外のない内」と一発で云える人が日本人なのは当然と思います。
      >自然は全てを同時に
      だから”在る”です。「分ける」を否定はしません。分けるによって「分かる」も必要です。アランの云う社会科学は一言で云えば「分かつ」です。分けて与えるです。縄文哲学の「ロノヲシテ」でもあります。
      >4つの力への分類 人間の都合
      同意。寺田寅彦を読んで、力というものは人の便宜だと感じます。原因は空間には無いようにも思います。最近、2つの核力は複数の発散トーラスの合算の結果だと考えるようになりました。いずれの核力も距離の7乗に逆比例する発散トーラスの組み合わせによる「差分」だろうということです。
      >押し付けがましく
      自然科学を「群盲象を評す」に例えました。各個あるいは各組織が自分の理論と実験結果を押しつけがましく騒がしく主張していると感じます。各々が正しいけれども、誰も正解ではないと感じます。何より誰も全体を把握していません。
      >一切連絡を
      否、連絡なくても影響し合っているかも。適切と思われる仮説の元に進めるしかないと考えます。
      最近、文字や図形によって思考を進めるに困難を感じています。自然科学(物理学)が枝を逸れて発達した原因は電磁気学だと判断しました。相対論が事情をややこしくしています。

      • 佐々木 のコメント:

        >文字や図形によって思考を進めるに困難
        感覚を大切にするのは良いこと。無限に思えることでも、外に出すとそれっぽっちのことになってしまうから。カウンセリング技術でポジティブな言葉で脳を騙すのがあるけど、本質は逆なんじゃないかと思いました。言語化して上書きを繰り返すのは疲れます。言語化前の想いを育てる。そういう訓練を受けた記憶があまりないです。小学生時に作文が得意な人が必ずいますよね。書く前に、何を書くのかわかっていたのだと思う。
        坂本賢三の「わかれ」の論理で崇徳院の歌が取り上げられていて、これがものの見方として忘れていたことに気づきました。かつて一つであったものが、わかれ、そして再び一つになる。理解と認識の方法、あるいは磁気も。
        金澤氏の影響か、電磁波とは何がどのようになっているのか理解していないと思ってしまいました。理論に矛盾があるとして、考え得る最大のものは「伝わらない」こと。まさかね。
        ttps://blog.goo.ne.jp/murokuni/e/65294184cf0dfd027f92befef7906d83
        —「光と同じ速度で走ってみたとしたら、光はどんなふうに見えるのか」
        ttp://www7b.biglobe.ne.jp/~kubota-takashi/maxvsein.html
        —物体の運動を記述する力学と、電磁気学における光の伝播を同じものとして、特殊相対性理論をつくりました

        • Φ のコメント:

          >言語化
          岡潔は「情知意」の順に働くと云いました。言語化は最後の「意」です。過去記事に{私的に「(五感を通さない)こういった刺激」が「言語(理論)」につながっているらしい}ことを書きました。その「過程」の存在に気付いたのは研究を始めて3年目くらいだったと記憶しています。そういう過程が縄文哲学の「トノヲシテ」に近いものと認識しています。日月神示に頻出する「気(キ)付く」です。その過程は私的すぎて説明しにくいです。その過程に従って研究していますので、ブログ記事は取り扱いテーマも時系列順もばらばらです。
          自然科学の問題点が古典電磁気学の成立過程にあるとわかるずっと前に、単極誘導モーターの実験を繰り返したのは偶然ではないと考えます。
          >電磁波とは何がどのようになっているのか
          同意です。アランは「(科学者が)電子は確率波をもつ粒子だということによって正当化させようとしている」と述べています。この点について。弧理論の考え方における「波」というものをどう扱うかについて何年も悩みました。今でもよくわかりません。一つ結論めいた言い方としては次になります。
          投影角が90度の電子は質量と位置をもって現れる。(観測者に対して静止) 投影角が浅くなるにつれて質量は空間で次元を失い見えにくくなる。投影角がゼロの時が問題。これを質量か見えない「波」だと結論しました。これが電磁波です。(だから光子の質量はゼロというより計測できない) でも媒質はあるのか?という疑問はあります。光速度不変は怪しいです。むしろ別の次元軸があるはずと考える方が合理的です。(孤立系循環論【分けてもわからない】から抜け出せる) 媒質は無いのでは?「位置をもって現れる」これが空間だと考えます。空間が先ではないと考えます。孫悟空と手のひらに例えて、何度か記事にしています。

          • 佐々木 のコメント:

            >過程は私的すぎて説明しにくい
            そういうものだと思う。普段注目しないだけで、皆わかっていることがある。他の惑星では体系化して社会基盤にしているのでしょう。
            >媒質 光速度不変は怪しい
            ある系において一定、が妥当でしょう。後者サイトのキャラクター・マクスウェルが言うように速度は変化する。自己進行波とは何かは説明はされていないし、通信でそれに情報を載せて・降ろす具体的な物理は解明されていないかも、と妄想する。自己進行波であり続けたり、速度を変えたりする、それを支えるものがある。媒質が有限だといつ決めたのか? 同時に内在する無限性が無ければ自己進行波は成り立たないのではないか。
            孫悟空が遙かな距離を駆けて、自らの神性に出会う話だと、今気付きました。

          • Φ のコメント:

            >体系化して社会基盤にしている
            そう思います。最近アランの言葉はとてもよく練られたものだと強く感じます。我々の知らない概念を知っている言葉に置き換えて述べているので、変に思うだけで、非常に理知的だと感じます。我々のことを我々より知っています。少なくともダニエル・フライに向けていません。数十年後よりもっと未来に向けて話しています。
            >媒質
            ほんとに難しいです。弧理論の考え方を理解してから「波」とは何かずっと考えてきました。最近まで記事にも出来ませんでした。直近の記事で「光と併走すると光は電子に見える」だとろうとしました。では波の媒質は?と問われても答えられません。ToM氏の論文(真空中は電磁波は電磁波として伝わらない?)が気になります。電磁波について云えば媒質は関係ないように思えます。空間が先にあると思うから問題になっているように思います。これは一般相対論の「空間が曲がる」という考えにもつながります。空間が一様でないから光が曲がる?理解できません。空間の何が曲がるのか。
            >孫悟空が遙かな距離を駆けて
            何度も書きました。宇宙は距離ではなくて投影角だと考えます。宇宙を入れ物だと考えている内は解答が得られないように思います。遠いと思うから諦めが先に立つ。古代インドの人も地平面が曲がっていると気付いていました。ただどの方向にも曲率は同じなので自分が世界の中心だと考えざるをえなかったようです。現代のビッグバン理論も地球が宇宙の中心だと考えざるを得ない状態です。これはどう見ても変です。一つ次元を上げねば解決しないと感じます。突き詰めるとあらゆることが「映像」だという考えを推しているように見えます。

  12. 佐々木 のコメント:

    神の数式はあのような表現でしたか。4つの力を同じ形式にしようとして、結局は加減算で式化しているのは、いかにもセンスが無い。それにこれではテレパシーや念動力が表現できない。宇宙動かす、結びつける力の表現は数式では難しい。
    >そういう人は群れることはない
    適正密度があると思います。巨大な果実が1つではなく、離れた位置に沢山実る。テレパシーや気付きの理論として考えると、S/N比が必要だから。静かでないと宇宙に溢れる通信が自身に響かない。だから音声や表記での言語伝達の方が、今は未だ適切です。でないと良くも悪くも混ざる。
    地球ではまず、宇宙船の無い宇宙文明になることが望まれます。ところが一般に広まっている技術は人を仮想世界に閉じ込めるものが多い。その行き着く先は本や映画やゲームなどで、過去に文明が滅びた理由とそれを乗り越える人々の物語として希望と共に描かれる。
    以前フランスに行った時のこと。路面電車の乗り方がわからなかったのを美人母子に助けてもらいました。言葉は全くわからない。でも言っていることはわかる。そんなささやかなことで、ここにはまた来れる。そう思いました。
    少なくとも銃が向けられる場所に行こうとは思わない。希望を持ち、夢を見る方法を忘れているとしても、地球人は特に絶望しているわけでもない。生きていることそのものへの恐怖がある。その象徴が銃なんじゃないだろうか。
    「生まれながら」の心理遺伝は夢野久作のドグラ・マグラを読んでみることを奨めます。

    • Φ のコメント:

      標準理論には重力は入っていないと存じます。
      >テレパシーや念動力が表現できない
      まったくです。宇宙を表すとしながら、自己は除外しています。
      >離れた位置に沢山実る
      なるほど。
      >宇宙船の無い宇宙文明
      なるほど。その次が永久宇宙船でしょう。
      >恐怖がある
      最近結構本気で、一神教から出ているような気がしています。
      >心理遺伝は夢野久作のドグラ・マグラ
      ご紹介ありがとうございます。早速本を購入、手に持ち頁を繰ると「お病気」だと感じます。岡潔にもお病気を感じますけれども岡潔の言葉は、易しい単語と文体です。岡潔の場合は、岡潔にとっての前提があって、説明があるのですが、説明したいこと以外で当然帰結することは省略します。字面は読みやすいのですけれども、飲み込めません。これは天才故のようです。最小限の言葉で誰でも同じ結論に至るようにしか説明しません。凡凡人である私は「自然科学の時間空間、五感でわかるもの、西洋人の唯物主義」の短い文章だけで3年余り考えてきました。(主に時間について) 岡潔は狂気の向こう側に普遍があって安心できます。
      岡潔と違って自然の全体が映像だと仮説しています。すると現象の全ては結果です。ならば遺伝子さえも結果ですから、その元となる仕組みを探さねば本当のところはわからないと考えます。薬がなぜ効くのかわからないままでは仕方ありません。
      2015年頃まで単極誘導の実験をやって、それから何をやってきたかというと3つの科学の内精神科学と社会科学です。ことに社会科学(想念の横の経路:岡潔の云う第1の心のこと)は、2月までの記事で核心部分は出たと感じます。精神科学はほぼ手つかずですが、ヲシテ文献を参考にすれば前へ進めそうです。物質科学はその後か、並行になろうかと思います。道のりは長いです。

      • 佐々木 のコメント:

        >標準理論には重力は入っていない
        あっても加算するだけでしょう。加算記号が形骸化している。
        >一神教
        輪廻転生の有無を考えたと思います。一神教が縦、多神教が横。あるいは西洋思想と東洋思想で縦横。一神教には神と悪魔という2つで構成されるバイアス、舞台装置がある。銃や「いいね」は狂気のボタンで、そこから逸脱できる道具になる。ところが東洋では輪廻や因果応報があるから、その道具は通用しない。
        >「お病気」
        正当な感覚かと。「読破した者は必ず一度は精神に異常を来たす」と評される奇書。あくまでエンターテイメント、小説だから、全体の仕掛けがわかれば面白いですよ。私は純粋に面白いと思いました。同程度に狂っていると自覚できる。夢野本人が「これを書くために生きてきた」というだけあります。世界の縁を歩く人が世の正常に合わせる必要なんて無い。

        • Φ のコメント:

          >あっても加算するだけ
          全く違います。ttp://p.booklog.jp/book/81900/page/2087885 重力はほかの3つと異なって遙かに弱く、性質が違いすぎます。重力を一般相対論で説明していますが、相対論と量子力学は頗る相性が悪く、恐らく統一できないでしょう。アランはE=mc^2について正確に述べているに対して、重力は電磁気力の一種だと説明して、相対論による重力理論を完全に無視しています。コンタクトにおいて個人名まで出すのですから余程の意味があると考えてきました。つまり、アランは1.エネルギーの誤解2.重力の理解 この2点においてアインシュタインはミスリードだったと指摘したと考えます。今日の物理学の大問題の分岐点は相対論にあると考えます。遡れば電磁気学の発達もトム・ベアデンの指摘の通りだと思います。アランはアインシュタインを物理学者や科学者と云わず、思索者と云いました。これが全てです。
          ttps://www.youtube.com/watch?v=UTV1oqJ2Ro8
          重力は「質量と運動に関係ない」と見ます。一円玉の質量に比較して表面張力による引力と斥力は格段に小さいです。このように考えます。
          >銃や「いいね」は狂気のボタン
          完全同意です。チェスより将棋。当ブログもボタンを配置していますが、見た目がカラフルだから貼ってみただけです。
          >あくまでエンターテイメント
          理解します。云いたいのは作品ではなくて、作者が病んでいるのではないかと云いたかった。岡潔のエピソードを観るに、お病気だと感じてきました。2月に岡潔を主人公とするドラマがありました。番組を観て実際の人となりも確かにそうだったろうと感じました。
          >世の正常に合わせる必要なんて無い
          理解します。ただ、世界が精密、正確、緻密、難解な論理の極致にあるはずだ、というのは解せません。もっと基本的なことがおろそかだと感じます。そして基本的なことは誰でも理解できます。ニュートン以前から引力はありました。

          • 佐々木 のコメント:

            >全く違います
            ざっと読みました。観測できない質量ゼロの何かが振動していると言われても何が何だか。
            >重力はほかの3つと異なって遙かに弱く、性質が違いすぎます
            うーん、強い弱いというのは人間の都合なんですよね。ひょっとしたら思考形式も心理遺伝するのかもしれません。
            アインシュタインはメディアが取り上げて流行らせました。日本では科学に興味が無い人でも名前を知っている。海外では大して注目されていないという話もあります。仕掛け人の意図があるはずです。他の事を隠すために、ある事を広めるのは報道の常識です。
            遥かに弱いというのは私にはヒントです。樹木は地表から天へと雷の形状で生長していく。光と水と栄養素、それらを運ぶのに重力は適しているように感じます。燃やす力でなく、これからは育む力への理解が必要になる。電磁気の毛細管現象を思いついたのはそのあたりです。
            >作者が病んでいるのではないか
            もちろん病んでますよ。夢野は博覧強記だったようで、それが内にある根源的な疑問、どろどろとした吐き出したい思いに火をつけて、あのように表現したのでしょう。エリートキツネとお金の関係で示されているのと同じこと。環境因子は遺伝する。適合しない人は当然病む。大人が答えられない子供の疑問ってやつですね。自分か世界か狂っているのはどっちかと子供時分に悩む。けれど、誰もそのことを他人と共有しない、できない。素朴な疑問こそ残酷だからです。抑圧された世界は十分に狂気的です。だから向き合う人はそれまでとは全く別の答えに辿り着く。岡潔も自らの知的好奇心に忠実だったのかな。ならば狂っていて、病んでいてしかるべき。そう思います。

          • Φ のコメント:

            >何が何だか。
            量子力学と相対論はほぼ同時期です。それから100年近く経っても統合できないという事実は重いです。自然科学はどう考えても孤立系です。良い例がttps://rika-net.com/contents/cp0320a/contents/rekishi/answer14/index.html ビッグバンの図です。視点が余分な次元軸を想定しなければあり得ない図です。問題は次です。
            自然科学は、1)物質と運動から → 時間を作る → 時間を用いた数学で「物質と運動」を(フィードバックして)説明しようとしている。これは循環論です。 次に、相対論です。杉岡氏のttp://www5b.biglobe.ne.jp/sugi_m/page254.htm「相対論物理学者に捧ぐ4」によれば、『「光の伝播法則の上に時間の概念を樹立し・・」という意味は、簡単にいえば「真空中の光速度cを用いて時間を定義する」という意味』です。 前述に習えば2)物質と運動から → 時間を作る → 時間を光速度に置き換える → 光速度を用いた数学で「空間と時間並びに重力」を説明しようとしている。1)も2)も詰まるところ孤立系で循環論です。しかも量子力学を基礎とした(極微の)素粒子物理学と(極大の)宇宙(空間時間重力)を説明しようとする相対論では循環の過程が異なります。どう考えても「(神の数式に重力を)加えればよい」とはなりません。加えられる訳がありません。そして苦し紛れに宇宙は点から始まったと説明しているのですから、古代インドの宇宙観にある「ヘビが己の尻尾を噛む」のと何ら変わっていないのです。今も何千年前も少しも変わっていないのです。
            >人間の都合なんです
            あまりに強引です。「原子からクオークへ:JSトレフィル著(株)培風館」p229表15によれば(強い力1、電磁力137分の1、弱い力10^(-5)、重力【万有引力】6×10^(-39) とあります。重力は極端に弱いです。各々の到達距離も違いすぎます。
            >アインシュタインはメディアが取り上げて流行らせました。
            全同意。「七つの科学事件ファイル―科学論争の顛末」に詳しいです。実験も社会的要因に引きずられてきたことがわかります。
            >岡潔も自らの知的好奇心に忠実だったのかな。ならば狂っていて、病んでいてしかるべき。
            一昨年まで、物や事は”分ける”ことにより【分かる】と思ってきました。でも違いました。最近、数学も「分ける」から発することに気付きました。つまり分けることによっても分からない自然の部分について数学を用いて挑むことで病むのだと思います。 岡潔は、年を重ねる内に狂気から抜け出したと感じます。つまり、「分けることにより分かると思っている」世界から「数学の使えない世界」に気付き、移ったのです。だから狂気から脱した。そう思います。だから安心なのです。狂気のままであれば云っていることの意味は分からないはずです。緻密で精密かつ難解な理論が必ずしも高尚ではないこともあります。
            結論として、どう考えても別の次元軸を考えざるを得ません。別の次元軸からの投影による映像だと考えます。岡潔によって山崎弁栄上人のことを分かり易く解説されたのは、有り難いことです。

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