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作者 : ↑ Φ(nsw495kpr8) 瞬くmeat softer
を元に弧理論(Ark Theory)を展開。各資料は、”自然が2つの心があるために映写される映像”であることを示している。
岡潔の言った第1の心(数学を含む言葉)は、循環かつネットワークであり、外のない内である。これが第1の心の限界であると同時に科学の限界でもある。限界(循環)を回避するには自然が別の次元軸からの投影による映像だという仕組みを探るしかない。
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日本には伊勢や出雲を筆頭におびただしい数の神社・神宮・大社があります。岡潔も毎年伊勢神宮に参拝していました。彼の晩年の作品「春雨の曲」は現在の人々には到底受け入れられないような内容になっています。彼が数学を捨て探し求めていたものを考えると自ずと日本人・日本語の起源や宇宙人や神々・創造主にたどり着くと思います。「春雨の曲」は未完で結論も書き直しがあったりして曖昧なところが多いですが晩年の岡の思想信条を知るには欠かせない存在だと思います。渦と気の粒、力場と磁場、アストラル(非物質)と物質、重力(渦場の向心力)と光(磁場振動)、心(顕在意識)+霊(潜在意識)+魂(肉体を包む力学焦点内包生体電磁場)+体(物質的肉体)=人間生命の主要構成要素。心・霊が天(地球渦磁場圏)にあり、魂・体が地上。心と魂、霊と体が天地で結ばれて人間生命は成立しています。
「春雨の曲」で検索すると第7稿くらいまで書かれたとのことです。この第7稿で思い出すのが、岡潔は最晩年に唯識について第7稿まで原稿を書いていたとの話を聞きました。その題名が春雨の曲だったのでしょうか。だとすると、とある方から聴いたこととして「唯識論には繰り返しが現れるので、考えないことになっている。」とのことです。私は、最晩年の岡潔は唯識に嵌まっていると感じていましたので、ある方からの「繰り返し」で納得した記憶があります。というのも、岡潔自身、本当の「わかる」は、「理解や物の理ではない。」とし、これを情だと言いながら、唯識に嵌まったと感じたからです。唯識論の行き着く先は単なる抽象です。これはとても危険です。心の仕組みと働きは、階層ではありません。「わかる」の語源は「わける」です。人は、わけることによりわかっているのではありません。繰り返しを避ける。これを肝に銘じなければなりません。抽象に嵌まると自身、あたかも神(GOD)に成ったように錯覚するからです。(人によるようですが。)
>神々・創造主にたどり着く
正しくもあり、誤りでもあります。川下を結果、河上を原因として、河上に向かうのは非常に困難です。しかし、突き詰めると「人とは何か」という疑問に行き当たります。これは源流です。源流に行き着けば、川を下るのは比較的容易です。それで、ヒトの核となる部分が「わかる」と言う「働き」です。古来、この働きを神仏としてきました。しかし、漢字や他の言語で言い表しても、核となる部分を言い表すことは難しいです。歴史的には、ヲシテの「カミ」に漢字の神が覆い被さってきました。その上に国家神道が載りました。戦後は神道となりましたが、日本語を話す日本人の骨格は「カミ」のままです。これを故田中英道氏は「日本人は神を信じない。これを自然道という。」と言いました。この神とはGODです。ですから、自然道の内においては、神社もお寺もお参りするに何の疑問も持ちません。つまり、殆どの日本人は無宗教だと言います。しかし、無宗教ではあっても、自然道とでも言う信仰はあるのです。ですから、日本人には宗教という受け皿は不要なのです。神、創造主と表現するのは西洋的です。アワウタは、「在る」も「アルファであり、オメガ」もBuddhaも覚も情も気も「キ」も「ナサケヱダ、アワレヱダ」も含んでいます。漢字で魂、神、霊、顕在、潜在と表現した時点でダメです。
ついでながら、カミ、キミ、オミ、タミは、主従関係ではありません。それぞれの仕組みや役割を示しているに過ぎません。神、君、臣、民ではダメなのです。
ご返信・ご承認ありがとうございます。私は岡潔の思想信条に興味を持ち最晩年の「春雨の曲」にたどり着きました。その内容に疑問を持ちながらも心の底であたため宇宙生命論(日諸賢一)に出会ったときに疑問が氷解した。
自我の本体が霊(磁気静帯)です。肉体死と共に心(力気動帯)は消滅します。やがて魂(生体電磁場)も消滅し、最後に残るのが霊そのものです。これが地球渦磁場圏の特定位置に物理的に存在します。霊にはアカシックレコードが存在し輪廻転生の対象になります。われわれ人間は惑星地球の渦磁場生命体であり水の惑星の高等磁気生命体です。
渦運動(回転運動)が引き起こす映像的な世界が運動宇宙としての自然界の姿です。運動が停止すると気の粒に還元します。この世は虚無の実相(運動による仮の世界=鏡の中の世界)というのが真実のようです。
はっきり記します。貴方の考察はほぼ無駄です。行き着く先は抽象です。私自身気づいた切っ掛けはホツマツタヱにある「ヰクラムワタヲ ネコヱワケ フソヨニカヨヒ ヨソヤコヱ」です。これは日本語の基礎です。ホツマの文字は表音表意です。この仕組みが如何に凄いかがおわかりにならない内は、貴方の努力は無駄になります。貴方のお書きになる文章も言葉もすべてここから来ています。間違いないです。もし、春雨の曲が唯識をテーマにしていたのならば、春雨の曲は無駄です。言葉は物と事の繰り返しです。「複雑で緻密であれば優れている」というのは、まったくの誤解です。人は物事を言葉でわかっているのではありません。
「この世は虚無の実相(運動による仮の世界=鏡の中の世界)」が「自然は映像」と言うのであれば、正しいと思いますが、それだけでは不足です。書籍やネットにある言葉を書き連ねても本当にはたどり着けません。ただの繰り返しだからです。記憶、知識、意識、情報は繰り返しです。しかも中今を含まない過去です。本質は中今にのみあります。
ついでながら、日月神示には3分(3%)とあります。「言葉でわかっているのでは無い。」簡単なのに難しいです。
ヒフミヨイマワリテメクル
ムナヤコトアウノスヘシレ
カタチサキソラニモロケセ
ユヱヌオヲハエツヰネホン
追伸 スパムに入っていたコメントを承認しました。
お久しぶりです。毎回興味深く拝読しております。
原子の周りを飛ぶ電子についてなのですが、実際には波と粒子ということで
3次元と4次元が内在していると最近思うようになりました。
二重スリット実験で、粒子と波が観測できるというのは、2つの次元が
あるからなのではと思った次第です。
毎回、鋭い考察に感嘆しており、私自身も残りの人生を個人的な
研究に費やしたいと考えております。
ありがとうございます。
>3次元と4次元が内在している
ある科学者の言うことには、「電子と光子は一つの実体の異なる面」だとのことです。しかも自然は映像です。
液晶に例えます。画素をまとめて眺める。これが映像です。対して、画素は3原色の明暗を表すに過ぎません。で、量子力学は、映像で言えば、原子未満の振る舞いです。素粒子と言いながら、波(孤立波:ソリトン)であり、素粒子は(事:動き:波)に過ぎません。つまり、素粒子は物ではありません。映像はというと「原子をまとめて眺めた」状態を言います。原子の小さな領域の量子力学と、映像としての我々を含む現象とは、直接の関係はないかも知れません。画素と映像とは何の関係もありません。量子論と古典物理がつながらないのは、そう言った理由です。量子力学は、ある程度利用できる様ですが、最後は理論が複雑になりすぎて誰にも意味がわからなくなります。事の複雑さには限度がないからです。量子論には論理の終端があります。これを抽象と言います。
それで、弧理論では、別の次元軸(基軸)は、原子の近傍において丸められていると考えています。つまり、4つめの次元は3次元にある原子近傍に折りたたまれているようです。takuminさんの言葉に近いですが、違いもあります。
>粒子と波が観測できる
両方とも実験的事実ながら、今述べたように物(粒子)と事(波)として観測できるのは、物と事が別の次元軸にある(何か)の異なる面に過ぎないからです。
ある科学者「地球の科学者は電子が粒子で、波動性の二重性をもつものと定義せざるを得ない状態にある。彼らは電子は確率波をもつ粒子だということによってこれを正当化させようとしている。これは心で描くことのできない状態であって、そのために進歩の唯一の方法として抽象的な数学に頼らねばならなくなる。」
このように、波動関数として扱ったとしても、正解には至らないはずです。過度な抽象化は心を病みます。数学を含む言葉は繰り返しです。「自然は映像」という仕組みを考えるのは、複雑になりすぎる繰り返しを避ける意味もあります。お病気になりたくありませんから。
>私自身も残りの人生を個人的な研究に費やしたい
お互い様です。どうも、専門家には立場や制限があり、正解にたどり着けないとわかってきました。私も、「完全な部外者である」という立ち位置から、制限無く研究を続けます。
ご返信ありがとうございます。言葉の定義とそれが意味するところを具体的に表現して厳密さを確保されている姿勢に感銘しました。私と考え方の違うところは、神々(元人間の成仏霊=意識体)や創造主というものを念頭に置かない自然科学(宇宙真理)の探求、そんな風に読みました。
陰陽哲理とは、流転(時間は一方向)・優化/劣化(必ず優劣が生じる)・因果律(原因があって結果が現れる)です。この大前提のもとに、目の前の景色を俯瞰しています。もちろん、目に見えない存在(現段階では観測不可・潜象=アストラル世界・形而上・本質)を意識して目に見える存在(観測可能・現象=物質世界・形而下・形質)を俯瞰するという意味です。
宇宙原初に何が起こったか?
宇宙は誰が創造したか?
その目的は?
ご返信ありがとうございます。言葉の定義とそれが意味するところを具体的に表現して厳密さを確保されている姿勢に感銘しました。私と考え方の違うところは、神々(元人間の成仏霊=意識体)や創造主というものを念頭に置かない自然科学(宇宙真理)の探求、そんな風に読みました。
陰陽哲理とは、流転(時間は一方向)・優化/劣化(必ず優劣が生じる)・因果律(原因があって結果が現れる)です。この大前提のもとに、目の前の景色を俯瞰しています。もちろん、目に見えない存在(現段階では観測不可・潜象=アストラル世界・形而上・本質)を意識して目に見える存在(観測可能・現象=物質世界・形而下・形質)を俯瞰するという意味です。
宇宙原初に何が起こったか?
宇宙は誰が創造したか?
その目的は?
大宇宙は一つの有限な大きさの器(閉じた世界)で、創造主によって気の粒(最小単位)を容器の中心で圧縮爆発させて開闢した(いわゆるビックバン)。この爆発によって、四方八方に力線が走り渦が誕生した。力学原理の根本は、水平場(赤道面)の力線の四角運動からそれぞれの対角線が交わる中点から垂直場(正8面体構造)が発生する。これがやがて回転による球体構造を持って、渦(流)の階層構造を造り出す。力学骨格が先行してこの土台を形成するが、観測不可能なので力場の存在を科学は見失っている。渦場は、力場が先行してそのあとから磁場が形成される。これは、渦場=渦力場+渦磁場の二重構造を意味します。
要するに、渦と気の粒から出発して、銀河天体から素粒子までを矛盾なく(フラクタル)説明し、そこに創造主や神々の介入があって優秀な生命(人間意識)を誕生させ育てる一大物語が宇宙そのものであり、ビックバン開闢を繰り返して現在に至り、乙女座銀河団の中の天の川銀河系に属する太陽系の地球人類が存在しているという理解です。
神々や創造主とは、宗教や信仰の対象ではなく、歴然と人間社会(さらに個々人)に介入する外部存在だと認識しています。現代科学も医学も、現象のみを扱っており、潜象の部分を知らないがために原因と結果を転倒しています。重力場(力場・渦場の向心力)が先にあって、物質(電磁気的観測可能量)はあとから生じるということを知らないからです。
電流とは、電子が流れているのではなく、電子は配列しているだけでその中心を電子磁束流が貫いているのが宇宙真理です。核子磁束流も原子磁束流(水素原子磁束流=生体電流の正体)も分子磁束流(例えば、水の六員環による水分子磁束流)も自転地球のコア磁場磁束流(地磁気の正体)も自転天体も自転銀河もその中心を貫く磁束流が存在します。
電子・陽電子も陽子・中性子も渦場を伴った存在です。この渦場という発想が消えているのが現代科学です。だから、素粒子から天体・銀河に至るまで渦構造(フラクタル)だと理解できないのです。素粒子(非物質・アストラル)を量子などとごまかして量子力学を築いて宇宙真理から逸脱した功罪は大きいです。ニュートンもアインシュタインもシュレーディンガーも誤った理解で自然科学(宇宙真理)の発展を歪めてきたというのが正直なところでしょうか。
陰陽哲理に基づく基礎科学の再構築を目指しています
ニュートンの万有引力も
アインシュタインの一般相対性理論も
質量が先で重力が後から発生すると考えている
ここに大きな誤りがある
重力(場)が先にあって質量(物質)は後から発生する
宇宙空間を真空空間として何もないと仮定するから
物質の起源も重力の起源もわからなくなる
渦場と気の粒が本質
岡潔「(自然科学者の)時間空間は簡単な模型であって、自然そのものではない。」と言います。
当サイトでも時間とは何か、空間とは何かを示しています。右検索欄から「境界空間」「時間」「重力」などで検索頂くと過去記事が出てきます。ご参考まで。
自然科学には、幾つか問題があります。
1.物と事(動き:運動)の区別が無い。物には量、事には質がある。数には種類があって、物の量にかかる数と事の質にかかる数がある。これの区別が無い。
2.事:動き:運動はあるが、「働き」が無い。数学を含む言葉は「中今」を含まない。中今とは未来と過去の間。だから、数式は中今を含まない過去に過ぎない。
ですから、自然科学において、初期条件、初期値を入れねばなりません。初期条件を求めてビッグバン宇宙論になりましたが、意味がありませんし、わかりません。
「わかる」という働きによって、物がわかり、事がわかり、物と事が揃って初めて言葉で言えます。言葉は中今を含みません。気づきは中今にのみあります。ですから、自然科学には発見や創造の仕組みはありません。それで、中今から、物と事は”繰り返し”ながら、過去(の記憶)となりますので、物と事の2つが揃わねば、知識意識になりません。
物と事を母音子音に割り当てたのが言葉です。ですから、言葉は繰り返しです。
ここで、(わかる)の順を示します。
1.物が”わかる”:中今。
2.動き(事)が「わかる」
3.物と事が(わかる)→これを母音と子音に割り当てる(これが言葉)
4.物と事の意味が(わかる)
5.物と事の価値が(わかる)
6.物と事を意識して(わかる)
ここで、物と事は繰り返しなので、意味も価値も意識もすぐに反転します。世界の混乱の原因はこれです。事は過去の積み重ねです。ですから、事の複雑さに際限はありません。その行き着く先が抽象です。過度な抽象化によって、人類は滅びます。
銀河人さんの目指す基礎科学は、このようなところから出発するかと思います。まず、(わかる)とは何かです。その上で、物と事がどのように現れるかです。それから、物の量と事の質を区別しつつ、数で表します。このような順序かと思います。
最初に1.の”わかる”という働きが無ければ、一切は存在しません。岡潔はこれを「情」としました。あるいは「気」「覚」とも言います。これの原因は決してわかりません。物と事が揃わない何かは、意味も価値も決してわかりませんし、意識も出来ません。岡潔は「意識を通す。意識を通さない。」として区別しました。
このような過程を経て「質量重力空間時間渦」の意味と価値を意識して(わかり)ます。弧理論においては、気を別の次元軸に求めています。これを基軸あるいは気軸と呼びます。
ご返信ありがとうございます。言葉の定義とそれが意味するところを具体的に表現して厳密さを確保されている姿勢に感銘しました。私と考え方の違うところは、神々(元人間の成仏霊=意識体)や創造主というものを念頭に置かない自然科学(宇宙真理)の探求、そんな風に読みました。
陰陽哲理とは、流転(時間は一方向)・優化/劣化(必ず優劣が生じる)・因果律(原因があって結果が現れる)です。この大前提のもとに、目の前の景色を俯瞰しています。もちろん、目に見えない存在(現段階では観測不可・潜象=アストラル世界・形而上・本質)を意識して目に見える存在(観測可能・現象=物質世界・形而下・形質)を俯瞰するという意味です。
宇宙原初に何が起こったか?
宇宙は誰が創造したか?
その目的は?
大宇宙は一つの有限な大きさの器(閉じた世界)で、創造主によって気の粒(最小単位)を容器の中心で圧縮爆発させて開闢した(いわゆるビックバン)。この爆発によって、四方八方に力線が走り渦が誕生した。力学原理の根本は、水平場(赤道面)の力線の四角運動からそれぞれの対角線が交わる中点から垂直場(正8面体構造)が発生する。これがやがて回転による球体構造を持って、渦(流)の階層構造を造り出す。力学骨格が先行してこの土台を形成するが、観測不可能なので力場の存在を科学は見失っている。渦場は、力場が先行してそのあとから磁場が形成される。これは、渦場=渦力場+渦磁場の二重構造を意味します。
要するに、渦と気の粒から出発して、銀河天体から素粒子までを矛盾なく(フラクタル)説明し、そこに創造主や神々の介入があって優秀な生命(人間意識)を誕生させ育てる一大物語が宇宙そのものであり、ビックバン開闢を繰り返して現在に至り、乙女座銀河団の中の天の川銀河系に属する太陽系の地球人類が存在しているという理解です。
神々や創造主とは、宗教や信仰の対象ではなく、歴然と人間社会(さらに個々人)に介入する外部存在だと認識しています。現代科学も医学も、現象のみを扱っており、潜象の部分を知らないがために原因と結果を転倒しています。重力場(力場・渦場の向心力)が先にあって、物質(電磁気的観測可能量)はあとから生じるということを知らないからです。
電流とは、電子が流れているのではなく、電子は配列しているだけでその中心を電子磁束流が貫いているのが宇宙真理です。核子磁束流も原子磁束流(水素原子磁束流=生体電流の正体)も分子磁束流(例えば、水の六員環による水分子磁束流)も自転地球のコア磁場磁束流(地磁気の正体)も自転天体も自転銀河もその中心を貫く磁束流が存在します。
電子・陽電子も陽子・中性子も渦場を伴った存在です。この渦場という発想が消えているのが現代科学です。だから、素粒子から天体・銀河に至るまで渦構造(フラクタル)だと理解できないのです。素粒子(非物質・アストラル)を量子などとごまかして量子力学を築いて宇宙真理から逸脱した功罪は大きいです。ニュートンもアインシュタインもシュレーディンガーも誤った理解で自然科学(宇宙真理)の発展を歪めてきたというのが正直なところでしょうか。
大宇宙は一つの有限な大きさの器(閉じた世界)で、創造主によって気の粒(最小単位)を容器の中心で圧縮爆発させて開闢した(いわゆるビックバン)。この爆発によって、四方八方に力線が走り渦が誕生した。力学原理の根本は、水平場(赤道面)の力線の四角運動からそれぞれの対角線が交わる中点から垂直場(正8面体構造)が発生する。これがやがて回転による球体構造を持って、渦(流)の階層構造を造り出す。力学骨格が先行してこの土台を形成するが、観測不可能なので力場の存在を科学は見失っている。渦場は、力場が先行してそのあとから磁場が形成される。これは、渦場=渦力場+渦磁場の二重構造を意味します。
要するに、渦と気の粒から出発して、銀河天体から素粒子までを矛盾なく(フラクタル)説明し、そこに創造主や神々の介入があって優秀な生命(人間意識)を誕生させ育てる一大物語が宇宙そのものであり、ビックバン開闢を繰り返して現在に至り、乙女座銀河団の中の天の川銀河系に属する太陽系の地球人類が存在しているという理解です。
神々や創造主とは、宗教や信仰の対象ではなく、歴然と人間社会(さらに個々人)に介入する外部存在だと認識しています。現代科学も医学も、現象のみを扱っており、潜象の部分を知らないがために原因と結果を転倒しています。重力場(力場・渦場の向心力)が先にあって、物質(電磁気的観測可能量)はあとから生じるということを知らないからです。
電流とは、電子が流れているのではなく、電子は配列しているだけでその中心を電子磁束流が貫いているのが宇宙真理です。核子磁束流も原子磁束流(水素原子磁束流=生体電流の正体)も分子磁束流(例えば、水の六員環による水分子磁束流)も自転地球のコア磁場磁束流(地磁気の正体)も自転天体も自転銀河もその中心を貫く磁束流が存在します。
電子・陽電子も陽子・中性子も渦場を伴った存在です。この渦場という発想が消えているのが現代科学です。だから、素粒子から天体・銀河に至るまで渦構造(フラクタル)だと理解できないのです。素粒子(非物質・アストラル)を量子などとごまかして量子力学を築いて宇宙真理から逸脱した功罪は大きいです。ニュートンもアインシュタインもシュレーディンガーも誤った理解で自然科学(宇宙真理)の発展を歪めてきたというのが正直なところでしょうか。
すべての物事(森羅万象)には道理が伴います。この道理(陰陽哲理)がさっぱりわからず空想・幻想・捏造しているのが現代科学であり医学です。生まれてくる道理、死んでゆく道理、この世界で生きている道理、宇宙真理を探究するためにも創造主や神々の介入という視点に立って宇宙の始まりから考察することが必須だと思います。
陰陽哲理とは、流転(時間は一方向)・優化/劣化(必ず優劣が生じる)・因果律(原因があって結果が現れる)です。この大前提のもとに、目の前の景色を俯瞰しています。もちろん、目に見えない存在(現段階では観測不可・潜象=アストラル世界・形而上・本質)を意識して目に見える存在(観測可能・現象=物質世界・形而下・形質)を俯瞰するという意味です。
追記
https://x.com/2023DEC22/status/1899958048497820019
歴史を振り返ると「根源にあるのは、言葉で言えない何か」であると偉人の多くは考えてきました。言葉で言えない何かを懸命に言い表そうとした結果、「Buddha、仏、気(キ)、ナサケヱダ、情、覚、ソウルマインド」などと表現しました。ちょっと違いますが、「如来」もその内です。現在の人々の受け皿となり得る表現にしなければ、単なる言葉遊び(抽象化)に過ぎなくなります。何故ならば、言葉は繰り返しに過ぎないからです。難しい言葉を使えば人を煙に巻くことは出来ますが、受け皿にはなりません。かつ、過度な抽象化(複雑化)は危険です。とりわけ、話す人自身が言葉に酔い、意味がわからなくなるからです。
高等教育を受けた超富裕層が、何故か悪魔崇拝小児性愛人身売買をするのは、大脳皮質が複雑化に耐えられなくなったからと考えます。頭は良いのに生物としての欲求がそのまま表に出てきた爬虫類のようです。しかも、幾らでもお金があるから、何でも出来ます。