宇宙に 物質粒子 は3個しかない?

もし宇宙が別の次元軸からの投影による映像であるなばら、宇宙には 物質粒子 として基本粒子(陽子・中性子・電子)の3個しかありません。もちろん何百とある素粒子群ではありませんし、3種類でもありません。基本となる 物質粒子 は宇宙でたったの3個です。

もし自然が映像ならば、当然のことなんらかの投影元があるはずです。弧理論においては、投影元を別の次元軸(E軸という。)として、投影の結果が自然、即ち我々の”宇宙”なわけです。映像をM軸(物質空間、物質的自然、あるいは宇宙)といいます。弧理論はこの投影元であるE軸とM軸(自然もしくはその一部)との関係を突き詰めようという理論です。

そう考えると、宇宙には、物質である基本粒子は陽子・中性子・電子の3個しかないという結論になります。3種類ではありません。3個しかないのです。また、100種とも300種ともされる素粒子群は”物”ではありません。”波”の一種である孤立波(ソリトン)であり、音波と同じ”事”に過ぎません。弧理論では、物と事は別の次元軸上にある一つの実体の異なる面に過ぎません。

図1 物(物質)と事(運動:速度・加速度・波etc)は一つの実体の異なる面

自然が映像ならば「宇宙に 物質粒子 は3個しかない」というお話は、(弧理論のE軸とM軸の位相の関係)ですから、これをカラーブラウン管の構造に例えることができます。

 

次図は、今では見かけることのないカラーブラウン管(カラーモニター)の構造です。

図2 出展:一般的なカラーブラウン管の例(日本財団図書館)

図3 出展:同上

カラーブラウン管は三原色の蛍光体を発光させるために、電子ビームを当てます。そのために3本の電子銃が必要です。(電子銃の本数はカラーブラウン管の形式により異なります。)

3色の蛍光体基本粒子である陽子・中性子・電子に相当します。当時のアナログカラー放送での水平解像度は330本~350本ほど、垂直解像度は525本でしたが有効走査線数は480本でした。つまり、カラーブラウン管の蛍光体(画素)の数は350×480=168,8000個であったわけです。しかしながら、各画素は輝度を変化させますがまったくの無個性なわけで、その元は3個の電子銃でしかありません。画素の数は解像度の違いでしかありません。

 

同じように宇宙において、陽子・中性子・電子のそれぞれが個性を持っていたならば、陽子は陽子として名づけることもできませんし、中性子を中性子と名付けることもできない混沌でしかない宇宙になってしまいます。基本粒子(陽子・中性子・電子)はエネルギー順位や量子数などの状態を変化させますが、まったくの無個性です。そして、その元はE軸上にある3個の実体でしかありません。

注)E軸上の実体の数はおそらく基本粒子の数である3の倍数になると考えます。つまり、実体の数は「3×2=6 もしくは3×2×2=12」であろうかと。これは奇しくも(単独で取り出せない)クオークの数に等しいです。

つまり、宇宙には、 物質粒子 である基本粒子は陽子・中性子・電子の3個しかないということです。あとは、テレビと同じ解像度、つまり、宇宙に陽子が何個、中性子が何個、電子が何個あるかというお話に過ぎないことになります。

自然は映像ですから、宇宙の観測可能な範囲の距離と全質量を計測して分布を求めることに本質的な意味は無いようです。

図4 出展:ダークマター(暗黒物質)

物質粒子の陽子・中性子・電子が無個性であって、名前が付けられることについて、岡潔は、言葉が形式として成り立つことを話しています。次の記事が参考になります。

今、この記事をお読みの貴方の身体を作るタンパク質内にある電子と月の裏側にある岩を構成する硅石の内部の電子を取り替えても各々の状態(エネルギー準位)が異なるだけで問題ありません。交換したかどうかは判別不可能です。電子には個性がないから出来ることです。

 

いつも思うこと 。なぜ物理学者たちは上記のようなことを考えないのでしょうか。不思議でなりません。物や事の本質を言葉(数学)で言い表すということが如何に大事かと思うのです。心が在って初めて物や事について、あれこれ考え得るという大前提を疎かにしているように思えます。どんなに緻密で精密な理論も人(ヒト)とは何かを考えずに出した理論に何の価値があるのかと思ってしまいます。参考(2021年11月16日 日本学術会議 会員有志による「 特殊相対論 入門」メモ

その点、ヲシテ文献は偉大です。

  1. ヰクラムワタヲ ネコヱワケ フソヨニカヨイ ヨソヤコヱ
  2. フソヨニカヨイは24×2→ヨソヤコヱ=48音韻
  3. ヨソヤコヱは物と事を母音と子音にわけた48音韻
  4. 48音韻が日本語の元
  5. 日本人は図1にある物と事を言葉(日本語)に置き換えて考えることができる
  6. ほかの言語では物と事を混ぜてしまっているのでムリ

「ヰクラムワタヲ ネコヱワケ」について最近思うこと。どうもヰクラとは5つのクラであって、クラとは記憶を蓄えるという意味らしいです。(唯識の議論から来ています。”蔵”に通じます。)その記憶が5つあるということになります。ムワタはG・アダムスキーの(5+1)に近いかも知れません。

”フソヨニカヨイ ヨソヤコヱ”の24も48も12の倍数です。実に興味深いです。

 

Follow me!

ブログランキングの応援と広告のクリックをお願いします。   にほんブログ村 科学ブログ 自然科学へ    

Φ について

2010年より研究しています。
カテゴリー: 解説 タグ: , , , パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA