電子雲 という回転運動

数学者岡潔が名付けた物質的自然について、弧理論でいうところの物質面(M軸)とおなじです。管理人は、これまで物質的自然は、別の次元軸(以下、E軸という。)からの投影による映像だと述べてきました。その発端となったのが、ある科学者が云った次の言葉でした。

君たちの科学の急速な進歩に対する根本的な障害の一つは、科学者たちが物質とエネルギーのかんたんな同一性をまだ十分に把握していないことだ。地球の最大の思索家の一人であるアルバート・アインシュタイン教授はずっと以前に物質とエネルギーの同一性を量的に表した数式を発表した。この式は数学的には全く正しいのだけれども、誤った結論に達している。つまり、物質はエネルギーに転換するし、その逆にもなるというが、本当は物質もエネルギーも一つの実体の異なる側面に過ぎない。

数式とはE=mcのことです。図にします。

図1

E軸(エネルギー軸)から見るとその面がM軸です。投影角が90度以外だと、その影の部分が運動に見えます。そして、物質的自然は、別の次元軸からの投影による映像だから、物質の運動などが離散的になると説明してきました。その例としてテレビジョンや映画などと似ているとしました。ただ、それでは不十分な説明だという認識を持っていたのですけど、これまでうまく説明できる術はありませんでした。岡潔のいう「情的にわかっていても、知的に言い表せない状態」です。  また、ある科学者は、次のように述べています。

たとえば地球の科学者は電子が粒子で、波動性の二重性をもつものと定義せざるを得ない状態にある。彼らは電子は確率波をもつ粒子だということによってこれを正当化させようとしている。これは心で描くことのできない状態であり、そのため進歩の唯一の方法として抽象的な数学に頼らねばならなくなる。

物理学者たちが、「電子は確率波をもつ粒子だという説明で正当化している」として、その問題点を「心で描けない状態」と述べています。 この正当化と「心で描けない」にずっと引っかかってきました。

「電子が粒子で、波動性の二重性をもつもの」ならびに「確率波をもつ粒子」というのは、量子論における波動関数のことです。最初の波動関数は、オーストリアの物理学者シュレーディンガーが1926年に発表したものです。

写真1 出典:物理学の魔法の鏡

波動関数は、絶対値の二乗が「ある位置で粒子の存在する確率」を表します。確率密度ともいいます。観測により位置を決める度に位置は変わりますが、複数回観測した場合のシミュレーションしたのが 電子雲 です。例えば、水素原子(基底状態)の場合の 電子雲 が次図です。

gif1 出典:水素原子の波動関数 ~電子雲~

 

一方では、19世紀から20世紀にかけて化学の発達につれ、原子の構造が明らかになるとともにいくつかの「原子モデル」が提唱されました。そのモデルの構造は、原子核が中心にあり、周囲に電子が存在するとしたものです。

図2 出典:原子の構造

一般的に、原子の構造として理解が容易なのは図2です。陽子と中性子を核として、周囲に電子が周回しているというものです。これは間違いとされます。何故なら実験結果で得られたことと波動関数を元とした予想と合致するからです。実験で得られたことと理論が合致するということです。その他の軌道には以下あります。

図3 出典:写真Σ軌道図

 

では、ある科学者が云った「電子雲をもたらす波動関数を正当化させようとしている」あるいは「心に描けない」といった表現は、どういう意味でしょう。 管理人は、「人が心に描けるのは、自身の五感でわかる(マクロで)物や事に地続きであるもの」だろうと考えました。(ちょっと適切な表現が思い浮かびません。) つまり、人の「わかる」に腑に落ちるということです。波動関数では、心との整合性が得られないといっているのです。 誰しも、長岡半太郎が示した土星形モデルの方がわかりやすいです。私たちは、五感の内に生きています。

これまでの考察で人の「わかる」には3つあることがわかっています。

  1. わけることによりわかる」 意識を通す。言葉で云える。要素還元主義
  2. 何となく趣おもむきがわかる。意識を通さない。言葉で云えない。岡潔の(情)。静的にわかる。ヲシテ文献のナサケエダ。
  3. 何となく動きがわかる。意識を通さない。言葉で云えない。本居宣長の「もののあはれ」。動的にわかる。ヲシテ文献のアワレエダ。

実験の結果というのは、1.によりわかったことです。一方で人のわかるの本質は、2.3.にあります。2.と3.によりわかるのは、陽子と中性子を核として、周囲に電子が周回しているというモデルです。何故なら、月は地球を周回してることを皆が知っているからイメージしやすいのです。この3つの心の間にある不整合をある科学者は指摘していたのです。

 

それでは1.による実験の結果は、どうするのかという疑問が出ます。そこで、次の模型を作りました。

gif2

輝点は、ばらばらに出ています。しかし、よく見ると輝点は概ね円周上に並んで現れていることがわかります。 これが電子雲の模型です。

 

 

この模型は、魚釣りに使う鉛の玉をぶら下げてまわしたものを撮影したものです。

写真 2

gif3

撮影には、簡易なストロボを作成しました。

写真3

写真4

撮影に使った道具です。Arduio uno + MOSFET + USB LED ライトにて撮影しました。 撮影条件です。 間歇的に点灯する簡易ストロボを作成しました。点灯8ミリ秒、300ミリ秒消灯の簡易ストロボにて、撮影(STDモード640×480 30fps)したものから重りの様子がわかる部分(輝点)のみのスナップショットにて静止画とします。その静止画105枚を1枚当たり50ミリ秒の設定でgifにしました。

 

要は、この模型は、「回転しているけれども、離散的(確率的)に現れている」ということです。言い換えると次になります。

物質は、粒子であるとともに波としの性質を併せ持ちます。軌道電子は原子あるいは分子内で原子核の周囲の軌道を動いているとされます。

図4 化学と電磁気学の発達の比較

同時に離散的(確率的)に現れます。 この1.(わけわかる)による実験的事実を2.と3.の心が受け入れられないということです。

  1. 粒子の運動の一形態がである。粒子は波の性質を持つ。
  2. 粒子は確率的に現れる。
  3. 電子は核を周回している。

この3つは並立すると考えます。その模型がgif2です。鉛の玉(粒子)は、回転運動しています。観察すると離散的に現れますが、円周上に現れる様子は確率によります。2018年12月21日の記事「確率 は原因ではなく結果」を参照ください。不確定性原理は、結果に過ぎません。

ですから、観察の結果の通りの仕組みではない場合があると考えます。それが別の次元軸からの投影による映像です。 自然科学の物理学において、物理量ではない時間を用いて物質を表すことは不可能です。自然科学は時間を用いた循環論法だからです。

図5

それどころか、物質的自然は勿論のこと、数学を含む言語と我々の思考を含めて、すべて循環の内にあります。 これが「外のない内」です。2017年11月6日の記事『宇宙は「 外のない内 」である』を参照ください。  この循環の内に無い(外につながる)のは、2.3.による「わかる」だけです。2つの心の出どころもまた、別の次元軸以外に考えられません。

実験による観察から得られることと仕組みは異なる場合があるはずです。それが別の次元軸からの投影による映像という仕組みです。

 

補足します。 gif2は、鉛の玉をぶら下げてまわしたものです。xy面に円を描いています。(一軸ということ。) 模型は作れませんが、三軸(xy面、xz面、zy面に同時での回転)にすれば、gif1に示した基底状態を示す電子雲に近くなります。 そこで次のことに気付きます。簡易ストロボは、間歇的に明滅します。そこで明滅の回数並びに明滅間のタイミングと全体の周期を調整することによって、基底状態以外の軌道をシミュレートできるはずです。 そうすることで、図3の説明ができます。

この考察によって、E軸とM軸との間にある投影の仕組みの一端がわかってきます。従前、離散的に現れることから、もしかしたら投影の仕組みが直流のようなのではなくて、間歇的なのかもしれないと感じてきました。まだ、正と負の発散トーラスを組み合わせた楕円磁場との関係が判明していません。漸くのこと、弧理論が自然科学を包摂していることの説明ができたに過ぎません。 ここまで考えると、「人のわかる考えることの仕組みについて」考えなければ、決して物質科学の発達はあり得ないことがわかります。つまり、精神科学の発達がなけば、物質科学の発達はありえません

 

余談です。最近、思うこと。私たちの思考を含めてすべてが循環ならば、言葉を弄する人ほど何も喋っていないことに気付きます。 岡潔の天才だからこそ、易しい言葉で簡潔に云えるのです。確かコメントに”技術用語が多すぎる。何とか減らせないか”というのがありました。「わけることによりわかる」と思い込んでいるから、幾らでも細かく定義して、説明するのです。でも本当は何もわかっていません。量子もつれの突然死はまさにそうです。 岡潔が自然科学者をして「原始人的無知」と言いました。誇張あるいは自己顕示かとも受け取れますけど、そうではありません。最近、ほんとに原始人的に無知だと感じます。時間を含む4次元で足りないから5次元だとか10次元、11次元と学者は言います。でも「次元が足りないから、指を折って数を増やしているだけのようで、児戯に等しい」と書いた記憶があります。

ヲシテでは隙間を魔物と呼んでいます。隙間はあらゆる言葉を尽くしても具体ではありません。抽象です。隙間とは抽象です。言葉を尽くして抽象をどや顔して語られても鼻白みます。その抽象を神(の数式)と呼ぶことがあります。どんなに頑張っても我々は具体(外のない内)に生きています。だから、言葉遊びはあまり好きになれません。 循環の内にある隙間=抽象=魔物です。魔物には魅力があります。確かにマンデルブロ集合には魅力があります。循環とは再帰(フラクタル)でもあります。きりがない。なぜこのような仕組みが在るのか考えるべきです。隙間そのものに嵌ってはダメでしょう。だから、言葉の仕組みの内に原罪があるということです。こういった文章の言葉に宗教的に反応する方がありますが、これもダメです。(今地球上に存在する)宗教は現実【具体】から逃れる隙間です。隙間は魅力的で言葉遊びに行きたくなりますが、魔物です。悪いことに、10進数は隙間によく合います。恐らく、上記で示した電子雲の回転運動の仕組み(投影による映像の仕組み)は、12進数によくあうだろうと感じます。

 

Φ について

2010年より研究しています。
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