まずは、前回の記事をお読みください。
- 2022年5月23日 岡潔 の間違った点について
岡潔が名付けた第2の心の出処について、「確かに在るが、それは何かは決してわからない。」ということでした。くどいようですが、論理的帰結として確かに在るけれども、論理の帰結として決してわからないのです。
言葉は互いに規定しあって成り立つ循環でネットワークです。言葉の元である音素に意味はありません。言葉は形式です。意味を持たない音素を組み合わせることにより出来上がっているから世界中に言葉があふれているのです。
如何なる 宗教 もある部分は正しいのでしょうが、たとえ、その 宗教 がすべてと思われても他にも在るのです。何故ならば、人の考えること(第1の心による教理経典)は、言葉によるからです。これが外のない内である第1の心の限界です。唯一無二の宗教、あるいは主義主張は単なる思い違いです。あるいは思い上がりなのかもしれません。
以上が言葉の数ほど宗教が存在する理由です。詰まる所、人は自ら信じたいものを信じているにすぎません。ということで、世の思想信条、 宗教 あるいは政治的対立は、シヰに基づいていると言えます。タマシヰのシヰは、欲しい欲しいのシヰで、強いるのシヰです。生命維持の欲求です。
ローマ教皇が「世界の宗教を統合しよう」と話して、統一の象徴を”クリスラム”という言葉で言い表しました。このような無責任な話はないです。
- 2015年11月2日 ローマ教皇 が、クリスラム(Chrislam)を宣言して世界統一宗教を目指すことについて
実に無責任です。仮に宗教の指導者たちに合意ができたとしても、何の合理性も理念もないところの統一などうまく行く訳がありません。 続きを読む
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