宗教 間の対立は無意味 

まずは、前回の記事をお読みください。

岡潔が名付けた第2の心の出処について、「確かに在るが、それは何かは決してわからない。」ということでした。くどいようですが、論理的帰結として確かに在るけれども、論理の帰結として決してわからないのです。

言葉は互いに規定しあって成り立つ循環でネットワークです。言葉の元である音素に意味はありません。言葉は形式です。意味を持たない音素を組み合わせることにより出来上がっているから世界中に言葉があふれているのです。

如何なる 宗教 もある部分は正しいのでしょうが、たとえ、その 宗教 がすべてと思われても他にも在るのです。何故ならば、人の考えること(第1の心による教理経典)は、言葉によるからです。これが外のない内である第1の心の限界です。唯一無二の宗教、あるいは主義主張は単なる思い違いです。あるいは思い上がりなのかもしれません。

以上が言葉の数ほど宗教が存在する理由です。詰まる所、人は自ら信じたいものを信じているにすぎません。ということで、世の思想信条、 宗教 あるいは政治的対立は、シヰに基づいていると言えます。タマシヰのシヰは、欲しい欲しいのシヰで、強いるのシヰです。生命維持の欲求です。

ローマ教皇が「世界の宗教を統合しよう」と話して、統一の象徴を”クリスラム”という言葉で言い表しました。このような無責任な話はないです。

実に無責任です。仮に宗教の指導者たちに合意ができたとしても、何の合理性も理念もないところの統一などうまく行く訳がありません。 続きを読む

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岡潔 の間違った点について

岡潔 は二つの点で間違っていました。一つは既出で、書き漏らし(1)がありました。 もう一つは”大宇宙の本体は情である”と、決め打ちした(2)ことです。

 

(1)まず一点目は既出です。人がわかるのはです。 岡潔 は「数は量のかげ」と言いました。物にはがあり、事にはがあります。ですから、正確には次です。

  • 数は物の量のかげ

書き漏らしたのは次です。

  • 数は事の質のかげ

には自然数、有理数、無理数、虚数などあります。理学の面で言うならば、2種類の数を物の量と事の質に使い分けねばならないはずです。しかし、実際は混同したまま進んできました。自然科学においては、物の量事の質を混同したままです。何度も書きました通り、時間は物の量ではなく、事の質です。時で言えば、時間は過去で現在を含みません。

岡潔は、数について次のように述べています。

  • 自然数の1は決してわからない。

なぜ1がわからないです。10進数ではなく、0と1を使う2進数で例えます。

  • 1とはゼロでない数。ゼロとは1ではない数。

1とゼロは互いに規定しあって成り立つ循環、繰り返しです。だから、決してわかりません。10進数であれ、n進数であれ同じです。一般化すると次です。

  • 言葉は互いに規定しあって成り立つ循環、繰り返しで、ネットワーク。外のない内。

岡潔は自然科学者が考える自然について、「全てを覆っているが外へは決して出てない」と述べています。つまり、第1の心(意識を通し言葉で言える心。私わたくしという心。)は、”互いに規定しあって成り立つ循環、繰り返しで、ネットワーク”であって、外のない内である。だから、そこから一切出ていないと言ったのです。

仏教にある”如来”の意味に同じです。決してわからないものをあえて言葉にしたのが如来です。如来とは岡潔の言った第1の心を指します。詳しくは過去記事をお読みください。

如来という言葉をどこの誰が言われたのかわかりません。如来という言葉は第1の心を指しているが、示したかったのは、外のない内である第1の心のほかを示したかったのだとわかります。これを反転というか、逆というのか、裏というのかうまく言い表せません。

 

(2)間違っていた点。

岡潔は”大宇宙の本体はである”と言い切った点にあります。【7】【8】 

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境界空間 仮説での最大の疑問

弧理論(Ark Theory)における 境界空間 の仮説とは、宇宙の成り立ち(自然)を説明する仮説です。岡潔は物質的自然(自然科学者が考える自然:時間空間)について、次のように述べています。【2】自然科学者の時間空間より。

自然科学者は自然というものをどういうものだと考えているかということを代りに言ってやって、そして、それを検討するより仕方がない。

自然科学者は初めに時間、空間というものがあると思っています。絵を描く時、初めに画用紙があるようなものです。

人は時間の中なんかに住んでやしない。時の中に住んでいる。

時には現在、過去、未来があります。各々、全く性質が違うんです。それ以外、いろいろありますが、時について一番深く考えたのは道元禅師です。

が、その時の属性のうちに、時の過去のうちには「時は過ぎ行く」という属性がある。その一つの性質を取り出して、そうして観念化したものが時間です。非常に問題になる。

が、まあよろしい。ともかく初めに時間、空間というものがある、その中に物質というものがあると、こう思っています。

岡潔によれば、自然科学者は「初めに時間、空間というものがある、その中に物質というものがある」と考えています。そして、運動と時間は比例すると決めてかかっているといいます。しかし、角度から作った時間は量ではありません。何故なら角度は量ではないからです。

では、空間とは何かということです。自然科学者は空間について、自明として議論が始まっていますけれども、それではダメです。 岡潔は山崎弁栄上人の言葉をひいて、自然は心があるために映写される映像だとして、自身は”少なくとも一部は映像だと言ってよい”と肯定しています。(【3】西洋の唯物主義

 

当サイトでは、いろいろ検討すると自然は映像だと考えざる得ないという結論に至りました。 続きを読む

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時制と仏教の 因果

昨年より、機会があって仏教について調べてきました。調べたのは以下です。

  • 唯識
  • Buddha
  • 仏 (善導大師)
  • 覚 (善導大師)
  • 情 (岡潔)

唯識については、2021年7月7日「唯識論 は”繰り返し”になっている。だから間違い。」としました。けれども、繰り返しがあるから、即、正しくないという訳ではないようです。繰り返しが出てきたら行き止まり(抽象)だというのが正しいところです。

2021年5月12日『「仏」と善導大師の「覚」、そして 岡潔 の「情」』にある図で説明します。

図1

岡潔は「情・知・意」の順に働くとしました。まず、何となくその趣がわかり(的にわかり)、的に言い表す。(言葉で言える)そして、が働くという順です。

に相当するのが善導大師の示したであり、です。その覚は5つの器官よりきます。だから、視なのです。何となくその趣がわかり、その次にくるのが知と意です。

唯識は情あるいは仏、覚より後に来ます。言い換えると唯識とは、心の仕組みと働きわけることによりわかろうとする行為です。(言葉で言い表そうとする。)だから、繰り返しが現れるのです。

そもそも”何となくその趣がわかる(映像がわかる)”という説明の仕様がない何かを言葉で言い表すことなど本来的にできないものをあえて言うならば、Buddha、仏、覚、情と仮に言い表したにすぎません。それをあたかもわけることによりわかるとする唯識は間違いなのです。あくまで知は後です。岡潔の名付けた第1の心の内です。これを岡潔自身勘違いしました。(晩年、唯識に嵌ったようです。)

岡潔が言ったように「人は言葉でわかっているのではない(第2の心)」のです。言葉で言えない何かをあえて別の言い方をしたのが如来です。 続きを読む

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有限と無限  第1の心 の限界(外のない内)

手元に月刊ニュートンの別冊「ゼロと無限 素数と暗号―数学者たちを魅了してきた深奥な数 (ニュートンムック Newton別冊) 」があります。

写真1

目次写真2にある様々な”数”についての記事があります。以下は「数とは何か」です。

  • 数は(物の)のかげ・・・・岡潔
  • 数は事ののかげ・・・・管理人

岡潔は「数は量のかげ」といいました。正確には、数は物の量のかげです。”数”にはもう一種類あって、”事の質のかげ”でもあります。これは管理人の考察によります。人が五感でわかるのはです。

  • 物と事は一つの実体の異なる面に過ぎない。

で、数は元々、物の量事の質を表すために使っていたのですけれど、文明の方向として事の質を表すに重きが置かれる様になってきました。例えば、仮想通貨は”数”ですが、事の質であって量は伴いません。これまで観てきたように、事の質にかかる複雑さに際限はありません。その行き着く先は抽象です。

このような2種類ある”数”について、事の質を探求したのが冒頭の本です。目次を観ます。

写真2

「ゼロとは何か?」に始まって、素数と暗号、無限、そしてゼロと無限のQ&Aと続きます。 続きを読む

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何故、誰も 科学 を統合しようとしないのか?

手元に、”数学の大統一に挑む:エドワード・フレンケル著”という本があります。また、物理学においても自然にある4つの力を統一しようと努力が続けられてきました。

図1

ところが、 科学 の全体を俯瞰して、科学の行く末について考えている人がほとんどいません。このことについて、いつも引用するある 科学 者は次のように述べています。

我々は君の国の多くの一流科学者の精神を調べてみたんだ。大抵の場合、我々は科学者たちの精神が既成概念という鋳型で固められていることを知った。彼らは遠くまで進みすぎている。その結果遠い道のりを後もどりしなければならない。私の言う意味を比喩によってもっと優しく言ってみよう。科学知識を求める人間は木に登るアリのようなものだ。自分では上方へ動いていることがわかっていても、その視野は狭すぎて幹全体を見通せない。そのために幹を離れていることに気づかないで下方の枝の方へ移動するかもしれない。いっときは万事がうまゆく。自分ではまだ上方へ登れるし、進歩という果実を少し摘み取ることもできる。だがその枝が急に無数の小枝に分かれていろいろな方向に葉が散らばっているために本人はまごつき始める。

基本的法則は今や分かれ始めて反対の方向に散らばり始めていることに気づく。すると科学者は心によって受け入れられる 知識の限界 に近づいていることや、あらゆる物理的な法則は究極的には全く統計的なものになるという結論に達する。

人類の進歩を木を上るアリに例えています。遠くまで来すぎたことを指摘しています。注意すべきは、科学者たちが”上りすぎた”のではない”遠くまで進みすぎた”ということです。アリの視野が狭すぎて木の全体を見渡せない状態であって、上へ上っているのか、はたまた横、あるいは枝の端を下っているのかもわからないと指摘しています。

図2 大きく観ると進んできた枝は10進数による文明

 

これまで参考にした資料にて考察した結果、我々が科学している”自然”は、概ね次ぎようです。

  • 自然は映像である。

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サンドブラスター 空気 乾燥タンク の製作(VP75:シリカゲル)

先般より、中古の原付バイク(ホンダのダックスST50)を買ってレストアしています。錆と塗装はがしに直圧式のサンドブラスターキャビネットを購入、VPの75でブラストタンクを製作しました。

エアタンクから水分除去できるレギュレーター2個をかましているにもかかわらず、時折詰まります。メディアがうまく落ちてきません。タンクを叩いてやっとノズルにでてきても、水滴が混じっている状態です。圧縮空気の湿気が多すぎて取り切れないことがわかりました。考えてみれば、多湿な日本の気候では仕方ないです。

調べてみたところ、こちらでは圧縮空気の水分を取り除くためにシリカゲルを入れたタンクを製作されています。これを参考にシリカゲルを入れて空気の水分を除去する 乾燥タンク を製作しました。

写真1 乾燥タンク VP75の1mからメディアタンク分(55cm)を切り取った残り

空気の流れとしては、レギュレーターとメディアタンクの間に空気の水分を除去する 乾燥タンク を入れただけです。

写真2

写真3

シリカゲルはドライフラワー用に売られている3kgのものを買いました。細粒ですので、適当な不織布で作った袋に小分けして入れればよいでしょう。まだ、試していませんけれども期待できます。

まだもう一つ問題があります。タンク上部のねじ付きキャップが漏れます。強く締め付けるとキャップの上部が変形してパッキンが用をなさなくなるようです。因みに、ゴム板で同サイズのパッキンを作って2重にしてみましたが漏れは止まりませんでした。うまく締めこめば実用上問題はないのですが、これでは気に入らないです。何かうまい方法はないでしょうか。↓

 

追記 シリカゲルは湿気っても別途乾燥すれば何度でも使えます。そういえば、3Dプリンタのフィラメント乾燥用に買ったドライフルーツを作るフードドライヤーが使えます。

写真4

追記5/9 タンク上部のねじ付きキャップの空気漏れ。空気圧によるキャップの上部の歪みによると思われます。要はキャップの強度不足。そこで、キャップの内面に3ミリ厚のアクリル板を円形に切って貼り付けました。多少改善されましたが、漏れます。やむなく、ポリ袋の切れ端をねじを締めこむところにあてがって、共締めじました。何とか実用に耐えるくらいの漏れに収まりそうです。

  • パッキンを2重にする。
  • キャップの内側をアクリル板で補強する。
  • ポリ袋を共締めする。

他にできることとしては、キャップの上面(外側)にもアクリル板を貼り付けるくらいしかありません。面倒でもポリ袋友締めで使おうかと思います。

 

追記5/12 コンプレッサーからの空気を乾燥するタンクを使って、リアサスペンションのカバーとショックアブソーバーの塗装と錆落としをしました。とても快適です。まったく砂が詰まりません。一度もメディアタンクを叩いて落とすことなくノズルからスムーズに砂が出続けました。よかった。

 

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農薬散布 ラジコンエアボートにジャイロ搭載

農薬散布 に使ってきたRC プロペラボート(ラジコンエアボート)のラダーにジャイロを搭載しました。

2018年に「農薬散布 RC プロペラボート自作  ラジコンエアボート」を作りました。以来、2019年春の田植え後に農薬(フロアブル剤)の散布に使ってきました。今年も時期になりリポバッテリーの充放電とバラしてあった自給式ポンプの組み立てを行いました。

写真1 薬液タンクの位置を変えて重心を調整できるRCプロペラボート

動画1

これまでのところ、水位が十分あって無風であれば、散布の役には立ったのですが、幾つか欠点もあります。

  1. プロペラの半トルクで船体が傾く。
  2. 操舵は、プロペラの向き(角度)を変えることによっているので、スロットルの変化によって、舵が変わる

1.については、気になるほどではありません。問題は2.です。動画を見てもらえばわかる通り、スロットルは極力一定にしています。吹かせば舵を切ったとの同じ状態になり船体の向きが変わってしまい、コントロールしづらいことこの上ないです。

gif1 スロットルの変化により舵のききが変わってしまう 続きを読む

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岡潔が伝えたかったのは” 悟り ”だったのか?

岡潔の言葉などの資料・文献について調べていて、昨年頃より” 悟り ”という言葉が頭をよぎります。

図1

  • ヲシテ文献による(ト)のヲシテ
  • ヲシテ文献によるタマ(心の本体)
  • ヲシテ文献によるナサケヱダ(随心)
  • 記紀によるシラス(民に方向を示す?)
  • 岡潔による情(大宇宙の中心) 情知意の順に働く
  • 仏教による仏(Buddha)善導大師の(覚)
  • 仏教による他力(仏・覚にある能動力)
  • 仏教による如来 (岡潔による”自然数の1は決してわからない。”に同じ)
  • 日月神示(ひふみ神示)による 気(キ)づき の促し(気づかされる)
  • 五感を下支えする覚 (視覚・聴覚・味覚・触覚)5÷1
  • G・アダムスキーによる2つの触覚(touch sense)5+1
  • 時の現在が”わかる” (静止画がわかる

上記は皆、ほぼ同じことを示しています。岡潔が示した「”わかる”には2つある」に同義です。上記がなければ、一切は存在しません。【4】情のメカニズムより。

知の働きは「わかる」ということですが、そのわかるという面に対して、今の日本人は大抵「理解」するという。ところが、わかるということの一番初歩的なことは、松が松とわかり、竹が竹とわかることでしょう。松が松とわかり、竹が竹とわかるのは一体、理解ですか。全然、理解じゃないでしょう。

 理解というのは、その「ことわり」がわかる。ところが、松が松とわかり、竹が竹とわかるのは理がわかるんではないでしょう。何がわかるのかというと、その「おもむき」がわかるんでしょう。

 松は松の趣をしているから松、竹は竹の趣をしているから竹とわかるんでしょう。趣というのは情の世界のものです。だから、わかるのは最初情的にわかる。情的にわかるから言葉というものが有り得た、形式というものが有り得た。

 それから先が知ですが、その基になる情でわかるということがなかったら、一切が存在しない。

 

人の脳を模して作られたAI(人工知能)と脳を比較すると第1の心には、創造の仕組みがないとわかります。

図2 ブラックボックスを”わける”ことに得た結果はまた、ブラックボックス

還元主義はどこまでもブラックボックスが続きます。 続きを読む

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岡潔の”創造” 自然科学の問題点

これまで、 自然科学の問題点 については、幾つかあると指摘しました。量ではない時間とか、空間とは何かなどです。一番の問題は自然科学に「創造」についての仕組みと働きが組み込まれていない点でした。創造とは何かについて、まとめたのが次図です。

図1

上段が岡潔が言う第2の心で、下段が第1の心です。各資料文献によって、呼び方が異なります。

  1. のヲシテ、ロのヲシテ (ヲシテ文献にある心の働き)
  2. タマ(ナサケヱダ)とシヰ(アワレヱダ) (ヲシテ文献にある心の本体と隋心)
  3. シラス・ウシハクのシラス (記紀による”知る”の尊敬語)
  4. →知→意 (岡潔の2つの心:第2の心と第1の心の働き)
  5. 他力 (仏教にあるBuddha→仏→覚:善導大師)=気づかされる
  6. 気(キ)づけよ(日月神示に頻出する”気づきを促す”=他力)
  7. 上段が空白で下段のみしかない (自然科学には創造の仕組みがない)

図1の上段が”創造”の源泉です。自然科学には”創造”にかかる仕組みがありません。(上段の一番右端)何故なら心が2つあることを知らないからです。詳細は過去記事を。4.について、岡潔は”創造”の過程を

”情知意”の順に働くと述べていて、情的にわかるものを知的に言い表すことにより、文化はできてくると述べています。

そして、心の状態を次のように述べています。【27】西洋人の創造解説より。

  • わからないXに関心を集め続ける。注1)匙とスプーンの関係図参照。
  • 精神集中をつづけていると、いつしか努力感を感じない精神統一になっている。注2)
  • やがて情的にわかる。
  • 情的にわかるものを知的に言い表すことにより、文化はできてくる。

 

ところが、前提となる”創造”について、皆がほとんどわかっておられないことに気づきました。岡潔はこの点について次のように述べています。【29】創造と工夫考案より。

よくこのおれ、、が、おれ、、がという感情があると、クリエーション、創造がよく働くと思う人が多いようですが、あれは創造でない。工夫考案であって、それは側頭葉でできる。しかし、そこまでです。生み出すという働きは、前頭葉でなければできない。創造は、そんなものが働いてはできないものです。

一般に言われる”創造”とは工夫や考案であって、創造ではありません。ただし、過去記事にあるように、脳と人工知能の比較により、脳に創造の働きが無いことはわかっています。

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