神との契約 は「還元主義:わけることによりわかる」を促す

前回の続きです。前回記事の補足に『「わけることによりわかると思える」連中は、「わかった」のだから、全能感が半端ないのかも知れません。』と書きました。これまでの考察では、我々が存在する物質的自然は、外のない内に在って循環であることがわかっています。(いわゆる開放系です。) 重要なのは、数学を含む言葉も、それに伴う人の思考も循環の内に在るということです。 つまりは、還元主義「わけることによりわかる」により「わかる」、あるいは「わかり切る」ということはあり得ないということです。 「わかる」の本質は、岡潔の云った情じょう「何となくその物の趣おもむきがわかる=心の仕組みと働き」にあります。

おまけに、自然科学は物理量ではない時間を用いた循環になっています。

図1 運動から時間を作り、時間を用いて物質の運動と質量と距離を求める 光速度は時間を用いる

これでは、人の思考が「物や事の」本質に届くはずはありません。

 

人の五感の特性は非線形です。一方でお金は線形です。 2017年1月2日 『人の「五感」とお金と時間』を参照ください。  この不整合が人類文明の発達の行方を決めているようです。次第に抽象へと向かう傾向が強くなっています。 続きを読む

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素粒子物理学 は どれくらい抽象か

昨日の記事において、世界の物や事が抽象へ向かっていると主張しました。

図1 地球上のほとんどの物や事は、複雑化抽象化へ向かっている

素粒子物理学、ことに超弦理論やM理論を「抽象」に分類したことの理由を説明します。

 

(1) 数学者岡潔が指摘した自然科学の問題点は、だいたい以下の通りです。

  1. 物質は五感でわかるものでなければならない。表 五感でわかる範囲
  2. 唯物主義者は、五感でわからないものは無いとしか思えない。
  3. 角度から作る時間について、時間という計量的なものはない。

角度は量ではありませんので、時間は物理量ではありません。

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自作 3Dプリンタ 用(中華部品)

以前自作した、余りものMDFボード製のCNCを3Dプリンタもどきにしようかと、エクストルーダーなどを買ってあったのですけど、精度が出ないし小さな物しかできないということで、別途3Dプリンタを作ろうと計画しました。

写真1

幾つか中華製の部品を購入したのですけど、ダメダメです。

写真2

400ミリ長のリニアレールシャフトサポートネジセットです。スムースに動きません。ゆるゆるやガリガリです。どこが渋いのか、緩いのか組み合わせを替えたりしながら、動かして様子を見てました。そのうち、何かがポロリと落ちました。

写真3

ダメだ、こりゃ・です。安物買いの銭失いです。  見た目は機械装置の部品ですけど、機能しないのではプラモデル以下です。

 

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世界は具体から 抽象 へ向かっている いずれ抽象から文明の崩壊へ向かう

これまでの考察によって、現在の文明の何処にどのような問題があるのかはわかりました。 全体を眺めると多くの物や事が具体から 抽象 へ向かっています。明らかに、人の脳は 抽象 を受け入れるに限界があります。それがそのまま、現在の文明の限界点です。次図をご覧ください。

図1

横軸に「具体と抽象」をとります。縦軸は、上が複雑としました。管理人が思いつく物や事(1次産業~3次産業や科学、教育、技術など)を図に配置しました。図での位置は、管理人の個人的な判断によります。これまでの考察によれば、時間は物理量ではありません。ですから、五感でわからないもの、かつ、時間を用いている超弦理論などは、右上に配置しました。仮想通貨などはかなり危ないです。

面白いことに、オカルト系と超弦理論や素粒子物理などは、同じ程度に抽象です。複雑さの違いでしかありません。 抽象に流れすぎると心を病むことになります。 何事もほどほどにということのようです。そこで、図の下に中庸と入れました。

先にご紹介した「サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福」を著したユヴァル・ノア・ハラリは、某番組で「多くはフィクションだ。」と述べていました。彼は「文明は、人々が信じているから成り立っているフィクションだ。」との主張でした。

管理人がこれまで記してきた「現代は、神頼み(シャーマニズム)の時代だ。後の時代の人からは、現代文明は信仰の時代と評されるだろう。」と同じです。 フィクションという表現は抽象とは違いますが、云っていることは同じです。 根底が崩れれば、瞬時にちりぢりバラバラになるに違いありません。1991年、ロシア連邦におけるクーデター未遂事件の際に、エリツィンが戦車の上に乗って演説をした瞬間にソヴィエト連邦が崩壊し、連邦職員が失職したのと同じです。皆が信じなくなった瞬間に崩壊します。

以前にもご紹介したように、「世界の富豪トップ8人の資産は、貧困層36億人分と同じ」だとのことです。

図3 出典:世界富豪トップ8人の資産、貧困層36億人分と同じ=慈善団体

異常な世界です。羨ましく思うかも知れませんけれども、皆が信じているからこそ成り立っているに過ぎません。ジンバブエにおけるハイパーインフレも同じです。 このような状態は、人の五感にある非線形性と線形なお金の仕組みとの不整合からきているようです。 行きすぎた抽象は、崩壊に繋がります。どうも、10進数の数に囚われた連中がこの世界を支配しているようです。人類の行く先は自滅のようです。

これまでに、心の仕組みの一部はわかりました。心の働きについて理解が必要ですし、心を優先すべきだと感じます。 数学者岡潔は情操教育の必要性を訴えました。「【6】 日本歴史の概要」を参照ください。

図1に示した「具体と抽象」は、一つの指標となり得ます。これが社会科学の基礎のようです。 平たく云えば、弧理論による社会科学とは、人々の心を健全に保つことを目的とする科学です。

 

物質的自然がどのように出来ているのかもおおよそのことはわかりました。でも、この次、どうしていけばよいのかがはっきりしません。E軸の側からM軸のことを考えるならば、何かが見えてくる様に思われるのですが、さっぱりです。 これまで次に何をすればよいかわからずにやってきました。「何となく、感じる」方向へ進めてきました。その結果、当初思ってもいなかった事がわかってくることが多かったです。研究は、広く深くなってきました。だからといって、続くとは限りません。それこそ、「何となく、近いと感じる」のですが、どうでしょう。  わかってきたのは、一見、複雑で精緻に見える自然は、かんたんな仕組みによって出来てるらしいことです。

ある科学者は物質とエネルギーの関係を次のように述べています。

君たちの科学の急速な進歩に対する根本的な障害の一つは、科学者たちが物質とエネルギーのかんたんな同一性をまだ十分に把握していないことだ。地球の最大の思索家の一人であるアルバート・アインシュタイン教授はずっと以前に物質とエネルギーの同一性を量的に表した数式を発表した。この式は数学的には全く正しいのだけれども、誤った結論に達している。つまり、物質はエネルギーに転換するし、その逆にもなるというが、本当は物質もエネルギーも一つの実体の異なる側面に過ぎない。

下線は管理人による。情報とエネルギー(弧理論では運動と呼ぶ。)の関係も上記の物質とエネルギーの関係に似ているように感じます。言い換えると以下です。

知(情報)と物質の運動は、一つの実体の異なる面に過ぎない。

もっと丁寧な説明がいるはずですけれども、現状ではこの程度にしか説明できません。そして、「知」は、「(何となく趣が)わかる」と同義です。たぶん生命の本質は「知」にありそうです。当然のこと「知」はエネルギーと関係するとも言えます。「知」は、物質の間に普遍的に染み渡っている。そんなイメージを持っています。 ただし、この場合の「知」は、意識を通す前で言葉で言えない状態を指します。

情報エントロピーと熱力学エントロピーに同じ数式が現れる背景を(別の次元軸から)考えています。

 

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物質的自然 について知るには、別の次元軸から眺めるしかない

ずっと以前から、知識、情報とは何かが気になっていました。探求した結果、 物質的自然 は、我々の言葉(数学を含む)も、人の思考も循環(外のない内)だとわかりました。つまり、要素還元主義も唯物主義もすべてが循環である 物質的自然 を「わけることによりわかる」ことはできないのです。わかり切ることはできません。

数学者岡潔が山崎弁栄上人をひいて「自然は心があるために映写されている映像にすぎない」と云いました。「【3】 西洋の唯物主義」を参照ください。 物質的自然 の循環を脱するには別の次元軸を考えること、即ち、「物質的自然は、別の次元軸からの投影による映像」だと考える以外に循環から脱することは不可能です。

その上で、「知、知識、情報」がどこから来るのか、漸くわかってきました。情報を蓄える(記憶)には、僅かばかりのエネルギー[ML2T-2]が必要です。当サイトでは、エネルギーのことを時間を含まない運動と呼びます。 情報を蓄えるには、位置と質量を持った物質が一定の状態(運動)にある必要があるのです。ただし、これが何故「情報」なのかわかりませんでした。

色覚検査において、色のついたドットが何故、数字に見えるのかです。

図1 出典:「色覚検査の攻略本」「本当は効かない色弱治療」はなぜ存在したのか 進学・就職制限を受けてきた「色弱」の歴史とこれから (1/3)

知:知識、情報は、物質とその運動による状態に依存するということです。どう考えても物質的自然に情報の本質があるとは思えません。そこで、物質的自然が別の次元軸からの投影による映像だと考えるというふうに発想を逆転しました。 そうるすことで、これまで何となく引っかかってきた次の言葉の意味がわかってきました。

  1. 岡潔「数学の使えない世界
  2. 岡潔「論理も計算もない数学」・・・「岡潔の数学教育の考え
  3. 自然数の「1」は決してわからない
  4. 数は量のかげ

3.と4.は既にわかっています。1.と2.が上記の説明と合致します。「知」は別の次元軸にあります。前回に示した心の仕組みの図には、時の過去わかる「アワレエダ」が記憶を担うことを示しました。 続きを読む

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ヲシテ文献にある ヰクラムワタ のヰクラについて

3月19日の記事「山崎弁栄 上人 自然は心があるために映写されている映像に過ぎない」において、次のように記しました。

『2.の静的に「わかる」:(時の現在)が、ムワタではないかと感じます。その上で、3.の動的に「わかる」:(時の過去)がヰクラではないかと感じる』と記しましたけれども、間違いであることがわかりました。当該部分を削除して、訂正します。

日本人の精神の根幹はどこの何にあるのかを求めて、日本教数学者岡潔について調べる内に、ホツマツタヱのことを知りました。2015年9月12日の記事「漢字伝来以前に文字 は間違いなくあった。 聖徳太子と蘇我氏の功罪」を参照ください。その最初期から、「 イクラムワタ ヲネコエワケ」に注目してきました。

少し、前置きがあります。 数学者岡潔の言葉に次があります。

  1. 山崎弁栄上人によると、自然は心があるために映写されている映像にすぎない。そう云っている。【3】 西洋の唯物主義
  2. 時間というものを表わそうと思うと、人は何時も運動を使う。【 2】 自然科学者の時間空間
  3. 時間という計量的なものは無い。【5】 情の特色
  4. 数は量のかげ。岡潔先生をめぐる人々 フィールドワークの日々の回想(47) 龍神温泉の旅の話

1.について。弧理論は、「物質的自然(M軸)は、別の次元軸(E軸)からの投影による映像」という仮説です。これまでの考察により、山崎弁栄上人の云ったとおり、物質的自然は別の次元軸からの投影による映像であり、かつ自然より心が優先するものだということです。心があってこその自然です。また、「物質的自然は投影による映像である」という仕組みは、投影の角度が重要であって、距離は問題ではないというのが管理人の結論でした。

図1 2つの投影点があれば、スクリーンは空間として認識できる。

2.について。これまで時間の本質について考えてきました。時間はもともと太陽の運動から作られました。時間は太陽が地上につくる影の角度より求めました。 続きを読む

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物質的自然 とフリーエネルギーの概要

前回の記事の続きです。 これまに考察してわかった 物質的自然 の性質をおさらいした上で、フリーエネルギーの仕組みについて、その概要を考えます。

数学者岡潔が名付けた 物質的自然 は、弧理論においてM軸(物質空間)と呼びます。「【 3】 五感でわかるもの」を参照ください。管理人が考える物質的自然は、おおよそ次の通りです。

  1. 3つの基本粒子(陽子・中性子・電子)は単独ではわからず、互いに規定し合っている。 図1 電子とは、陽子・中性子ではない物質粒子
  2. 物質的自然は、「外のない内」である。 図2
  3. 物質的自然は、循環である。
  4. 物質的自然の総量は保存しない。
  5.  人が持つ「わかる」は3つある。
    1. わけることによりわかる」 意識を通す。言葉で云える。要素還元主義
    2.  何となく趣おもむきがわかる。岡潔の情じょう静的にわかる。意識を通さない。言葉で云えない。ナサケエダに通じる。
    3.  何となく動きがわかる。動的にわかる。本居宣長の「もののあはれ」。意識を通さない。言葉で云えない。記憶と関係する。アワレエダに通じる。

    人の「わかる」の内、A.の「わかる」は、B.とC.による「わかる」があって、初めて成り立つ。

  6. 言葉の要素(音素)は、互いに規定し合って成り立つ。音素に意味は無い。言葉は、B.とC.による「わかる」の「かげ」とも云える。
  7. 自然数の「1」は決してわからない。例えば、2進数で云えば「1とは0でない数、0とは1ではない数」
  8. 数は量のかげ。
  9. 量のかげではない数がある。例えば角度。
  10. 数も言葉も互いに規定し合って成り立つ循環である。
  11. 数学も言葉も人の思考の道具である。
  12. 従って、人の思考も循環である。物とは何かをわかることはない。答えはない。
  13. 物としての人も思考も物質的自然の内に在る。
  14. ただし、B.とC.による「わかる」は、上の循環に入らない

物質的自然(M軸)は、別の次元軸(E軸)からの投影による映像だというのが弧理論(Ark Theory)の基本です。 続きを読む

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山崎弁栄 上人 自然は心があるために映写されている映像に過ぎない

本記事の内容は、人の心について述べています。心のあり方であったり、心の仕組みであったりします。けれども、結論は自然科学の問題点の指摘と現代文明への批判となっています。

以下は、これまでに扱った題材ばかりですが、これらの示す内容には共通点があります。むしろ同じ事を異なる言葉で述べているとさえ感じられます。記事を読んで興味を持たれたならばサイト内を検索ください。以下に概要を列挙した上で順に述べます。自然科学の「時間・空間」の問題については、過去記事を参考に。

  1. 数学者岡潔『 山崎弁栄 上人によると「自然は心があるために映写されている映像にすぎない。」そう云っている。』
  2. ある科学者は云った。「(量子論による)電子は確率波を持つ粒子だという二重性をもつとの考え方は、心で描けない状態。そのため進歩には抽象的な数学に頼るしかない。」
  3. 社会学者の小室直樹は、日本教について述べた。「神様も仏様も人間(日本人)の都合による。」
  4. ヲシテ文献には、「イクラムワタ ヲ ネコエワケ」ることによって、12の倍数になる「ヨソヤコヱ」を創ったとある。
  5. ヲシテ文献には、「天体の運行(太陽と月)から、1年を12か月とすると1ヶ月30日になる。月の運行を鑑みて、隙間ができて魔物が入り込む。隙間を埋めるために32音という字余らせのウタをつくった。」とある。

 

1. 数学者岡潔は、 山崎弁栄 上人のことを紹介しています。「【3】 西洋の唯物主義」より一部引用します。

大正9年に亡くなった山崎弁栄という上人がありますが、その人は心について大変詳しく云っていますが、その人の云うところによると、本当に実在しているのは心だけである。自然は心があるために映写されている映像にすぎない。そう云ってるんです。

本当に実在しているのは心だけだと云います。自然は心があるための映像に過ぎないということです。自然にある物や事より、心が優先すると述べています。

心 > 自然

”現代は物質文明だ”と言葉では言いますが、表面的です。心とはどういったものか考えるべきだということです。 続きを読む

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発散トーラス はE軸とM軸をつなぐ

前回と一部重複します。これまでの考察によりわかった物質的自然の特徴は次でした。

  • 物質的自然は、循環である。基本粒子(陽子・中性子・電子)は互いに規定し合うことで成り立っている。単一の存在では意味をなさない。 図1 弧理論においては、中性子は陽子と電子を結ぶ重要な要素
  • 物質的自然は、「外のない内」である。 図2 循環であるが故に外は無い
  • 数学を含む言葉もまた循環論法である。
  • 人の「わかる」には3つある。
  1. 物質である人の肉体が持つ五感による「わかる」・・・「わけることによりわかる」とする。要素還元主義。
  2. 静的にわかる。岡潔の云う情。
  3. 動的にわかる。本居宣長の云う「もののあはれ」。

言葉を使って思考する人もまた上記の循環の内に在ります。ただし、3つの「わかる」の内、2.3.による「わかる」は、この循環に入りません。 上記のすべての条件を満たすには、別の次元軸を考える以外にありません。当サイトでは、別の次元軸をE軸、物質的自然をM軸と呼びます。

物質は粒子ですから単です。磁石は必ず二つの極が対になって現れますから双です。

写真1 棒磁石に鉄粉をつけると磁束を可視化できる

単極である3つの基本粒子(陽子・中性子・電子)は位置と質量を持っています。一方の磁石の元となる磁気は、双極であって磁界あるいは磁場と呼ばれおおよその位置はありますが、質量はありません。

 

フリーエネルギー研究者の井出治氏によるインバータートランス(デゴイチ)の正の起電力仮説を別の次元軸(E軸)との位相変換だと想定して解析した結果、 発散トーラス を見いだしました。 E軸上の実体は、6種類考えられます。

図3

例えば、電子の実体はCとIです。この実体がM軸に投影されることによって、電子が位置と質量をもって現れます。 これは実体Cについて考えるならばCと電子は双極だということです。図3は観測者に対して静止の状態を表します。 投影角が変化することによって、電子は運動を持ちます。

図4

図4の一部を抜き出します。

図5

実体Cが持つ真のエネルギー値は、投影によって位置と質量mを持つ電子となって現れます。(実体Iにかかる部分は省略します。) 実体Cと電子は双極でした。これが電子と運動3の対として、M軸上に(双極)として現れます。その時の形状が 発散トーラス です。  電子はM軸に直交しているとき、位置と質量を持っていますが、投影角が直交から平行になるとM軸上では電子は次元を失います。つまり電子は質量が観測できなくなります。これは、単極であるが質量のない磁気に似ています。

実体Cは、運動3としてM軸上に現れます。実体はE軸上の静止の位置へ戻る過程において、「運動3→∞→運動2」と無限大を経ます。これが正の起電力の正体でした。到達距離は短いが非常に強い正の方向へ働く「距離の7乗に逆比例する力の」です。これのM軸上での形状が発散トーラスでした。

図4の左に示した発散トーラスを抜き出します。

図6 続きを読む

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物質的自然 は「外のない内」かつ循環である その最小単位が発散トーラス 

前回の続きです。ここまでをざっくりとまとめると以下になります。

  • 自然科学は、物理量ではない時間を用いた循環論法である。図1 時間は角度から作る。角度は量ではない。
  • 物質的自然 は循環である。3つの基本粒子(陽子・中性子・電子)について、例えば電子とは?と問われた場合、「陽子・中性子以外の物質」と答えるしかない。互いに規定し合って成り立っている。仮に電子のみの世界では、「在る」となりえない。
  • 物質的自然は、「外のない内」である。図2
  • 上記2つを合わせて図示すると二つ巴に似ている。図3
  • 記号言語である数学を含む言葉もまた、循環論法である。例えば、「匙はスプーンであり、スプーンは匙」であるというように、互いに規定し合って成り立っているため単独では意味をなさない。
  • 人の「わかる」には3つある。
  1. 物質である人の肉体が持つ五感による「わかる」・・・「わけることによりわかる」とする。要素還元主義。
  2. 静的にわかる。岡潔の云う情。
  3. 動的にわかる。本居宣長の云う「もののあはれ」。

 

上記のすべての条件を満たすには、別の次元軸を考える以外にありません。注意として、最後に示した2.による静的に「わかる」と3.の動的に「わかる」は、この循環に入りません続きを読む

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