ヲシテ文献 にあるヰクラムワタとヰツイロの関係について

これまで ヲシテ文献 にあるヲシテ哲学(縄文哲学)の核であるカミの仕組みについて、数学者岡潔による「2つの心」とある科学者が述べた「別の次元軸にかかる実体」などとの比較によって考察して来ました。その結果、5月頃までには精神科学の概要がわかりました。

概要を示したのが次図です。2019年5月10日の記事「物質的自然 は映像である 」を参照ください。

図1

ただし、この図では「ムワタ」の詳しいことがわかりません。人は何故に「物」がわかり、欲求が生じるのかがわかりません。そこで、 ヲシテ文献 に示される次の2つについて考察しました。

  1. ヰクラムワタ ヲ ネコエ ワケ
  2. ヰツイロノ ハニモテツクル モリノカミ 、 ミメカタチ

この2つの文は、いずれもホツマ辞典:池田満著展望社刊p226にある「ヰクラムワタヲの構成表-1」に示されています。この構成表は概要であり、それぞれの働きと組み合わせはよくわかりません。ヲシテ文献のみを参考に考察しても限界があると感じます。


ヲシテ文献 に示される哲学がまさに本当であるならば、他の資料にも同じ構成があるはずです。それと、ヲシテ文献が焚書され漢字を国の文字と定めてから千年以上の歴史があります。現代の日本語には、渡来系の文化が層状をなしています。ですから、ヲシテを直接に私たちの国語とするには無理があります。ですから、冒頭に示した岡潔の言葉やある科学者の言葉を参考に現代の言葉で精神科学を再構成すべきだと感じます。


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自然と 物質的自然 の違い 自然科学の問題点

前回記事の補足にて、「自然と 物質的自然 の違い」が何となくわかってきたと記しました。数学者岡潔は、自然科学者にとっての自然とは何かを次のように述べています。「【1】 このままでは人類は滅びる」より引用します。

大体、自然科学というものは、自然とはどういうものかということを言わないで、自然というのはわかり切っていると一人決めにしている。そして、これについて科学した結果を集めたものです。

自然科学者自らが対象と考えている”自然”をして、自然科学者は「時間・空間」と云いました。岡潔が云うには、「これはかんたんな模型であって、自然そのものではない」とのことです。これを名付けて 物質的自然 といいました。

では、自然とは何かということです。管理人が読んだ範囲では、岡潔自身「自然とは何か」を明確に応えた文章は見当たりませんでした。 これまでの考察によれば、2018年の段階において、自然科学は循環であることがわかっていました。

図1

自然科学は、量ではない角度からつくった時間を用いた循環であるということです。この循環構造は、古代インドの宇宙観と同じだと気付きました。

図2 出典:アメリカの若者「地球って本当に丸いの?」 地球平面説を信じる人が増加中

古代インドでは、重力がどのようなものであるかわからなかったから巨大なヘビが自らを支えている図になったということです。これは自然科学とまったく同じ循環です。これが昨年での認識でした。 続きを読む

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「死」は自然の 循環 の一部

これまでに岡潔が名付けた物質的自然は 循環 であることがわかっています。物質的自然は、自然科学者が対象にする自然のことです。「【 3】 五感でわかるもの」を参照ください。

人は五感でわかる物や事について、数学を含む言葉で言い表します。言葉は互いに規定し合うことにより成り立っています。つまり、 循環 です。人は言葉により思考します。ですから人の思考もまた循環です。ですから、人の五感でわかり言葉で言い表せる物や事は、循環としてしか扱えません。物や事のわかる(測定できる)範囲は、観測機器や測定器の発達により拡大してきましたけれど、すべて 循環 の内にしか整理できません。この循環を逃れる術を知りません。

表1

この手法を還元主義といいます。つまり、「わからないものを要素にわけることによりわかる」とするものです。 そのわかり方は、意識を通し言葉で言えますから、その思考も循環になります。だから、自然科学は循環なのです。

図1

例え物理量ではない時間を用いたとしても、その科学もまた循環にならざるを得ません。これが岡潔の云った第1の心の構造です。

 

人は機械装置と同じで、いつか必ず壊れます。100%の確率で死ぬ訳です。どうも、死は自然の 循環 の一部のようです。現代において、死は日常から隠されています。人の死は身近にありませんから忘れていますし、死について考えることがありません。しかし、死は人の発達の過程に必須のようです。循環の一部に組み込まれています。

年老いて死を身近に感じるに従い、人生を振り返って整理すべきと考えます。確か、G・アダムスキーの高弟は、高齢になると静かに余生を送ったということですし、ヲシテ文献で云えば、トヨケさん(豊受大神:伊勢神宮外宮)は死期をさとりイナホラ(辞洞)に籠もったとされます。トヨケさんは、元伊勢の一つである籠神社の奥宮にあたる眞名井神社付近に辞洞を掘らせて籠もったとされます。

人生を総括しないと次の「生まれ」の際に、例えば「双六の振り出し(最初)」からやり直すことになります。2014年5月13日の記事「エリートキツネと闘牛士」を参照ください。

写真1 出典:相撲取組双六

エリートキツネ(ペットキツネ)についてのロシア人による実験は、大事なことを気付かせてくれます。例えば、人類がお金に執着するという指向を何世代も続けることで、「生まれながらにお金に執着する人の比率が高くなる」はずです。通貨を使うようになって年世代も経ちます。外見では区別は付きませんけれど、現在でも比率は相当高くなっていると思われます。恐ろしいことです。これが岡潔の畏れた「間違った思想の洪水により人類は滅ぶ」だと考えます。 管理人は、まだまとめに入ることはできませんけれども、これまでの考察について繰り返し復習することが多いです。

補足。自然は心があるために映写される映像ですから、その仕組みを別の次元軸に求めるのが「カミの仕組みと働き」です。ですから人の心(タマ+シヰ)も 循環 の一部と考えられます。すると人は死すれば無になるという考えは誤りということになり、上記の議論になります。説明が後先になりました。悪しからず。  それと、自然とは何かという大きな疑問があります。岡潔が名付けた物質的自然のことが少しずつわかりかけてきたので「自然と物質的自然の違い」も朧気ながらわかってきました。 また、弧理論は大宇宙の仕組みから心のありかまでシームレスにカバーしますので、人の死もテーマに含まれます。悪しからず。

 

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映像における「 接する 」ということ

2014年頃より物の「接する」ということがどういうことなのか考え続けてきました。というのも、2013年から2015年頃にかけてファラデーの単極誘導モーターに生じる力について実験で確かめたからです。単極誘導モーターに生じる力の力学的な作用と反作用を細かく調べたところ、ブラシや電極の接点に生じていることがわかりました。

gif1

ところが、放電による単極誘導モーターでは放電を介して力が伝わっているようでもありました。

動画1

これでわからなくなりました。力が伝わるとは何か?「 接する 」とは何かということを原子レベルで考える様になりました。

その後、考察を進める内に「自然は映像」であることがわかってきました。数学者岡潔は、「2つの心」で山崎弁栄上人をひいて次のように述べています。「【3】 西洋の唯物主義」を参照ください。

その人の云うところによると、本当に実在しているのは心だけである。自然は心があるために映写されている映像にすぎない。そう云ってるんです。

弧理論の考え方を一言で云うと「物質と物質にかかる物性のすべては、別の次元軸(E軸上)にある実体の投影による映像である」ということです。これは、岡潔が述べたことと同じです。

弧理論の元となる図形があります。

図1

図1は、ヲシテ文献にある「カミ:つながり、もたらし、生じさせる」にフトマニ図にある「ア・ウ・ワ」を組み合わせた言葉に同じです。「カミ」とは次になります。

「ア」と「ワ」は、つながり、「ウ」をもたらし、「ウ」よりヒトを生じさせる。「ヒトハ アノモノ」であり、「ヒトハ ウナリ」。

図1のM軸(注1)がE軸上の実体からの投影による映像だということです。これを「カミの仕組みと働き」と呼んでいます。これにより宇宙ができていると考えています。


注1:これまでM軸について、様々な呼び名を使ってきました。物質空間、物理空間、宇宙、岡潔が名付けた物質的自然などです。「自然とは何か」という疑問がある内は、M軸をどう呼べばよいかわかりません。とにかく、M軸は次表の範囲を云います。観測可能な宇宙の範囲を云い、どうも「外のない内」であるようです。

表1


ここで気付いたのが「 接する 」と「つながる」の違いです。

これまでのところ、物質的自然は映像であり、物質の「粒子であり波動性の二重性をもつ」という性質を量子力学として捉えることが不適切だとわかりました。つまり、心の仕組みと働きは、別の次元軸にもとめ、その仕組み故に「原子は陽子と中性子を核とし、電子が周囲を回っている」とする訳です。

gif2

gif3

模型で云えば心の仕組みと働きは、gif3であるが、観測はgif2になるということです。別の言い方をするとgif3は、E軸上にある「心の仕組みと働き」であり、fig2が「M軸にある映像」ということです。仕組みはE軸上の実体にあります。

ですから、M軸の観測が粒子であり波動性の二重性を持っていても、仕組みはE軸上の実体に原因を求めねばならないということです。

 

単極誘導モーターの実験により感じた「 接する 」部分にある物性について、突き詰めて考えると「遠隔作用か近接作用か」という選択になります。(物理学者の)思考の順序としては、観測の極致としては近接作用にならざるを得ません。だから素粒子物理学に行き着いたと考えられます。「力を媒介するのは素粒子である」と考える訳です。

しかし、観測は映像です。これを映像として考えます。

例えば次の玩具です。

出典:via GIPHY Newtons cradle

当然のこと、古典的には力学による作用と反作用です。しかし、原子レベルで考えるとわからなくなります。これを理解し、うまくきっちり説明できる人はいるでしょうか。 金属球の原子をしてどのように力が伝わるのかよくわかりません。原子を構成する電子は電子雲として存在し、それは波動関数として著されます。そのような原子核と殻電子は、「どうなって、どのように」力を伝えるのかまったくイメージが湧きません。(gif2の仕組みでNewtons cradleを説明できますか?)分野が異なるという説明はダメです。

ある科学者が云った言葉の意味を突き詰めた結果が上記です。ある科学者の言葉は以下でした。

地球の科学者は電子が粒子で、波動性の二重性をもつものと定義せざるを得ない状態にある。彼らは電子は確率波をもつ粒子だということによってこれを正当化させようとしている。これは心で描くことのできない状態であって、そのために進歩の唯一の方法として抽象的な数学に頼らねばならなくなる。

繰り返します。M軸の観測が粒子であり波動性の二重性を持っていても、仕組みはE軸上の実体に原因を求めねばならないということです。何故なら心にイメージできないからです。岡潔が云ったように「自然は心があるために映写されている映像」だから、心が先にあるのです。心に描けないのではダメです。

これは上記の単極誘導モーターでも同じです。 「磁力線の向き ⊥ 運動方向 ⊥ 電流の向き」にあります。それで、その(回転)運動が接点にスラスト方向に生じます。これを「接する」と考えると「近接作用」として考えねばなりません。 管理人の結論は、『カミの仕組みにある「つながる」を取る』方がよいと考えます。これはたぶん遠隔作用という言い方になりそうです。ただ、遠隔作用としてもかなり趣きが異なります。

物や事の原因のすべては別の次元軸(E軸)にあるとするのですから、原子(陽子・中性子・電子)やその他素粒子群のすべては映像です。原因はE軸にあります。例えば、上に示したNewtons cradleにある金属球の動きを拡大します。

写真1 金属球は接しているが、画素が接している訳ではない

Newtons cradleの金属球は映像ですから、その元は画素です。画素は運動しませんし、接してもいません。画素はその状態を変化させているだけです。画素に運動の原因はありません。それと同じです。原子を構成している陽子・中性子・電子は映像です。映像である陽子・中性子・電子は、写真1の画素に似ています。陽子・中性子・電子はその状態を変化させているだけです。画素との違いは、運動するかどうかです。注2


注2:量ではない角度から作る時間は、物理量ではありません。ここでは運動に時間を用いてないという意味でアンダーバーのついたPを付けて運動とします。運動には、物質の状態である「速度、加速度、躍度、波(電磁波、赤外線、X線etc)、素粒子(ソリトン)、エネルギー」などの総称です。


陽子・中性子・電子という基本粒子は、状態を変化させている画素のようなものです。互いに規定し合うことにより成り立っています。

図2 例えば、電子のみの宇宙に意味はない(物はあっても、事がない)

このような原子に「力が伝わる」ということの本質があるかどうかわかりません。結果として遠隔作用らしいことはわかりますが、よくわかりません。E軸上の実体がかかわっているはずだとは考えます。だた云えることは、「カミの仕組みと働き」からは、物と物との接触というより、「つながり」という表現の方が適切だということです。物と物がつながり、事がもたらされるのです。

単極誘導モーターで云えば、円板と針金の先端である銅と銅がつながりスラスト方向に力がもたらされるのです。

gif4

まだ、不完全ですが、『(自然という)映像における「 接する 」と「つながる」の違いは何か?』ということでした。

余談です。以上を岡潔的表現をすると以下です。

「わかる」というと物の理ことわりとか理解と云います。これが岡潔の云う第1の心です。「わからないものをわけることによりわかる」とする還元主義のことです。そのわかり方は、意識を通し言葉で言えます。でもまったく理解ではありません。自然は第2の心があるために映写される映像です。でなければ、意識を通し言葉で言える第1の心はありえないのです。その仕組みが映像だということです。心の仕組みと働きを別の次元軸(E軸)に求める以外にこれを納得する方法はありません。 岡潔の云う第2の心がなければ、画素(複数)の状態の変化の内に金属球の衝突などわかりようがありません。このわかり方は意識を通さず言葉で言えないがわかるというものです。(これが日月神示に頻出する”気(キ)付く”です。) 物理現象は、人の心の仕組みと働きに直接関係しています。 この辺りから物質科学がでてくるようです。自然科学とはまったく異なる科学です。自然科学は、水深3mでバタ足なしのクロールをするようなものです。超非効率。

space shuttle写真2 出典:引退したスペースシャトルの部品は、こうして新しいプロジェクトで宇宙へと“復帰”する

 

以下は、管理人のメモです。

  1. バシル・バン・デン・バーグによる2つの静電気モーター 静電気といっても電場磁場とも違う、どちらかというとベクトル・ポテンシャルに近い。1つは写真のみ。もう一つは不明。
  2. バシル・バン・デン・バーグは非学理的な発見をしたという
  3. (自然という)映像における「接する」と「つながる」との違い 本記事にて済み
  4. 単極誘導と熱電対の関係 運動とは何か?運動という観点からは、力と熱伝導は直交している。何故か?E軸の仕組み。
  5. 精神性の高い文明とはどのようなものか? 物質科学との関係≈「非学理的発見」というヒント精神科学と物質科学との重複領域をどう捉えるか?松明・行灯の人から見たらレーザーは魔法。 来るべき文明における科学は、機械及び装置に心の仕組みと働きが直接に関わってくる?岡潔は第2の心は頭頂葉に宿るとしたが、物質にはより普遍性があるはず。脳の部位に限らない。想念(思念)は位置を持たない。別の次元軸からするとM軸上の距離は投影角の違いでしかない。
  6. 図1の「中心点アに円」は、ホツマ文字「ア」に同じ。日月神示の「○+ゝ」にも同じ。フトマニ→山口志道(布斗麻邇秘伝)→岡本天明(日月神示)の流れ 別記事に済み

 

追記10/09 精神科学の復習です。岡潔の云う第2の心(意識を通さず言葉で言えないが、その趣がわかる)では、上記映像としてのNewtons cradleは、わかりません。第2の心は情の働きによりわかるのですが、わかるのは静止画だけです。

写真3

つまり、不連続な映像として「ワイヤで吊り下げられた金属球」の趣がわかるのです。ここに動きはありません。多数の静止画があり、同じ金属球だとわかることはありません

物の動き(運動)がわかるのは、本居宣長が解説した「もののあはれ」です。つまり、不連続な映像を記憶して「ワイヤに吊り下げられた金属球の運動により衝突する様子」が意識を通さず言葉で言えないがその趣がわかるのです。一言で云えば動画がわかるのです。「本居宣長」でサイト内検索してください。

面白いことに、岡潔と本居宣長が最初ではありません。数千年前のヲシテ文献に示されていました。岡潔の「情」は音読みです。訓読みでは「なさけ」です。この「なさけ」と「あはれ(もしくはあわれ)」は、ナサケエダとアワレエダとしてホツマ辞典(池田満著展望社)に解説されています。これらをまとめたのが次図です。

図4

ナサケエダとアワレエダを併せたミヤビは、ホツマ辞典によれば(社会性、他人への思いやり、あるいは記憶を司る)とあります。ですから、岡潔の静止画、本居宣長の動画という解釈は正しいです。逆に云えば、ヲシテ文献だけではミヤビが記憶を司る理由がわかりません。

岡潔いわく「自然は心があるために映写される映像に過ぎない」のですから、心の仕組みと働きがあって初めてNewtons cradleの衝突がわかるのです。第1の心が第2の心に優先するわけありません。

結局のところ、遠隔作用として扱ってよいと考えます。還元主義により近接作用と考えると心の仕組みに合わないだろうということです。繰り返します。還元主義により画素あるいは(素粒子、超ひも)にすべての情報が詰まっているとの考えは間違いです。この論だけで自然科学が間違っているとわかります。

 

お願い。恐らくほとんどの人が本記事を含めた当サイトに何が書いてあるのかおわかいただけないと存じます。特に若い頃より勉学に励んでこられた人ほど困難だと思います。これは理系文系の違いを問いません。当サイトを読まれて気になった一文や語句を心の何処かに留め置いて、これに関心を集め続けてください。時折、思い出すだけでもよいです。いつかきっと気(キ)付きわかる瞬間が来ると信じています。当サイトに書いてあることのほとんどは、とてもわかりやすいことなのです。

希代の大天才である岡潔が人々に必死に訴えたのは「(自然科学に見られる)間違った思想の洪水から逃れよう」ということです。人々の心が病みやがて人類が滅びることを心配したからです。管理人が意訳すると「心の仕組み社会の行き着く先との間に乖離が大きくなることにより、心が病んで人類が滅びる」ということです。心の仕組みと働きを優先して、仮想通貨とか偶像などの抽象に行きすぎると心を病みます。例えば、RPGを代表するゲームやeスポーツなどとても不健康です。

小学校低学年の算数セットで時計の読み方を学んでからずっと間違っているのですから、この問題の根は深いです。「時間という計量的なものはない」と間違いを指摘したのは岡潔だけです。

写真4

 

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ヨソヤコヱ (48音韻:アワウタ)は前文明の遺産かも知れない

これまでの考察から見て、ヲシテ文献にある ヨソヤコヱ (48音韻:アワウタ)は、日本語の基礎に間違いありません。そして、ヲシテ文献に書かれているヲシテ哲学(縄文哲学)の核心である「カミ※1」という言葉は、管理人の研究課題であるG・アダムスキーが遺したネガフィルムに写っていた紡錘図形※2の意味するところと同じようです。この2つの一致は、客観的に見てどの程度かわかりませんけれど、管理人にはまったく同じと感じます。

研究を開始した2010年に約半年をかけてUFO contactee誌(宇宙哲学とUFOの研究ネットワーク)を2回ほど通して読みました。当時、気になった文章があります。G・アダムスキー:久保田八郎訳になる「空飛ぶ円盤の真相」(高文社)という本にまとめられていて、p75とp77から一部引用します。

写真1

さて、この象形文字が私に与えられたおもな理由の一つは、地球人が欲しがっていることを宇宙人が知っていたという〝具体的な証拠〟を与えるためであった。

宇宙の兄弟たちは次の事実を認めている。すなわち地球の古代文明の歴史やその文明の哲学のなかには、彼らの遊星上で知られていて、そこに住む人々によって保たれている歴史や哲学と一致するものがあって、それが例の象形文字のなかに述べられているというのだ。
それで、ずっと以前に私に与えられたあの象形文字の完全な説明をすることは現在でも私にはできないけれども、その文字はおそらく目的を果たしたであろう。宇宙人たちは満足の意を表わしている。

下線は管理人による。「私」とはG・アダムスキーのことです。象形文字とは、G・アダムスキーが遺したネガフィルムに映っていた宇宙文字と呼ばれるものです。

写真2

「地球人が欲しがっていることを宇宙人が知っていた」というのは、言わずもがなフリーエネルギーと重力制御に関する科学です。「地球の古代文明の歴史やその文明の哲学」と「そこに住む人々(彼ら異星人)によって保たれている歴史や哲学」と同じものがあって、それが写真2に示されているということです。

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フリーエネルギー の原理に関係する用語

これまでの考察により、ある程度 フリーエネルギー の原理に関する用語が出そろったのでメモします。 なお、 フリーエネルギー と重力制御とは密接な関係にありますので、関係する用語を区別無く掲載します。

1.G・アダムスキーは、キーワードとして次の言葉で説明している。・・・・ 静電気、ヴァンデ・グラーフ静電発生装置(ヴァンデグラフ起電機

2.ある科学者・・・・楕円磁場、ディファエンシャル(差動)・アキュムレーター

3.トム・ベアデン・・・・手紙(10.オリバー・ヘヴィサイドが発見したという回転性電磁エネルギー流)

4.管理人・・・・発散トーラス(弧理論による仮説。)、二重反転型(三重反転型)単極誘導モーター

以下は、ざっくりとした解説です。他にも気になる語がありますが、省略します。


発散トーラスは、井出治氏によるトランスにある第3起電力(正の起電力仮説)を「電磁気現象が別の次元軸を考慮した際の位相変換による」と考えた場合での第3起電力の原因となる力の場。(距離の7乗に逆比例する力の場)(弧理論による仮説)

正と負、2種類の発散トーラスを組み合わせてできるのが楕円磁場。磁場と云っても電場磁場の磁場とは異なる。強いて云えば、ベクトル・ポテンシャルに似ている。電磁気現象の原因とでも云える力の場。物質空間は緊張状態にある。差分を観測できる。

発散トーラスは、陽子・中性子間に働く※1とする力の場。中性子・電子間に働く※2とする力の場の仮説。正と負の発散トーラスの差し引き(差分)が楕円磁場である。楕円磁場を言い換えると接線方向への斥力である。原子(陽子・中性子・電子)による回転運動は、発散トーラスを組み合わせた楕円磁場による。 どうもある科学者が云った楕円磁場とは、G・アダムスキーの云った静電気と同じものの様だ。(現在地球では同じ概念を持つ物がない。近いのがベクトル・ポテンシャル。) 例えば電子は、観測により粒子であり波動であることがわかっているが、別の次元軸からの投影による映像であると考えるならば、離散的・確率的に起きるという記述(量子力学)は不要。別の次元軸からの投影により物質は回転運動するという仕組みが優先する。また、素粒子群は物質未満の破片に過ぎず別の次元軸にある実体の数(6種×2)に比例する。 続きを読む

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UFO – 飛翔体 飛来の目的

平坦な研究に変化が欲しくて「実体験をふまえた UFO 現象 ~ UFO -飛翔体・遭遇とその軌跡~講師:加藤 純一 氏」のお話を聞きに出かけました。

写真1 出典:UFO研究の第一人者が教える「UFOウォッチング」に成功するコツ

講師の加藤純一氏が撮影した多くのUFO写真と自身の体験とを語られ、幾つか気付いたことをメモします。かなり大事な内容を含んでいますので、できれば最後までお読みください。

写真2 出典:同上

加藤氏は、幼少期にUFO(飛翔体)遭遇の体験をされ、以後、数多くのUFO(飛翔体)に遭遇し写真におさめてこられました。以下に語られた内容について記憶を頼りにメモします。

  1. 幼少期に近所で友達と遊んでいるとき、巨大な何かに遭遇。(当時それを何と呼ぶか知らなかった。)市内付近で多くの人たちが目撃し、TVニュースにもなった。
  2. いつも目撃、遭遇する前に、”ポーン”という音を聞く。今思うと訓練を受けていたようだ。「音を聞く」と「目撃」との関係は幼少期のみ。その後、目撃もなくなり忘れる。
  3. 成人後上京し、再び目撃するようになる。写真も多く撮るようになる。その際、”言葉で言えないが、何となく感じる(予感がする)”ようになる。
  4. UFOウオッチングを繰り返す内に、写真を撮りたくなった場合「事前にある図形をイメージ」することによって、やがて”言葉で言えないが、予感がする”ことで目撃・遭遇できるようになる。つまり、希望すれば目撃・遭遇することができる。粘り強く続ければ誰でも必ず目撃できる。
  5. いろんな形に変化する。色々に発光する。編隊を組む。
  6. 何がやってきて、何を撮っているのか、まったくわからない。
  7. 幾つも目撃・遭遇する中、双眼鏡などで観察するに、蜃気楼などの屈折などではない。「動かない、機能を停止しているときは形のある固体ではない何かであるよう」に思う。しかし、機能し飛んでいるときには白銀や赤・オレンジに発光したり、透明や黒になるとともに、変形するのではないか。
  8. 何故、平凡な自分がこのようなことをやるようになったのかわからない。 UFO や宇宙人というお話しをするのは好きではない。どちらかというと嫌い。
  9. 目撃談や写真を収集して研究することにより、UFOが何なのかを知ることは絶対に不可能。
  10. あえて個人的な体験や感想を出すのは、これらを直接に役立てて科学してほしいから。
  11. 彼ら(なのかどうか)が何のために、何を目的でやってくるのか是非知りたい。
  12. このような自分に大群で飛来して見せる彼らは、よほど暇なのだろう。
  13. 写真でもビデオでも提供するので、これらで科学して欲しい。

目撃のお話しは少し参考になりましたが、正直写真やビデオはどうでもよいです。感想は以下です。 続きを読む

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自然科学 は、股裂き状態にある

数学者岡潔の言葉を参考に考察した結果、 自然科学 の何がどのように間違っているかが判明しました。同時に 自然科学 は分野ごとに分裂というか股裂き(不連続な)状態にあると述べてきました。今回は、物理学発達の歴史を振り返ることにより、自然科学の不連続性について例え話しを交えて説明します。

まず、これまでの考察によりわかった自然科学の間違っている点を列挙します。

  1. 時間は、五感でわかる物質の運動に対して(人が持つ)観念に過ぎない。
  2. 時間は、五感でわかる物質の運動から作る
  3. 時間は、太陽の光が地上に作る影の角度から作る。
  4. 角度は量ではない
  5. 従って、角度から作る時間は物理量ではない
  6. 現在、時間はセシウムの運動から作る。(セシウム原子時計) しかし、時間は10進数による12の倍数であり、本質は変わっていない。
  7. 時間は、人が持つ観念に過ぎないから、人の五感でわかる運動の範囲にしか適用できない。
  8. 運動が角度から作る時間に比例して起きるかどうかは場合による。
  9. 量は一意であり計測により確定(最確値を得ること)すが、時間は一意ではないし計測ではなく作るもの。

例えば、ピザの(面積、重さ)は、角度に比例する場合と比例しない場合があります。

写真1

ピザの厚みとピザの半径は角度に比例しません。ですから物質の運動は角度から作った時間に比例して起こる場合と起きない場合があります。繰り返します。時間は量ではありません

自然科学の間違っている点です。1.時間を用いた理論は、人の五感でわかる運動にのみ適用できます。何故なら人が持つ観念の一つに過ぎないからです。2.量ではない時間と運動との間に比例関係がなり立たない場合があります。だから時間は物理量として扱えません。

人が持つ時間という観念が適用できる範囲は、概ね次表に示す(赤い括弧)で括った範囲と云えます。工夫することはできますが、限界があります。 続きを読む

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単極誘導 と熱電対

2013年~2015年頃にかけて、主にマイケル・ファラデーの 単極誘導 モーターについて一連の実験をしました。その頃から 単極誘導 モーターの現象は回路(電流経路)に生じるのではなくて、回路の接触(接点)部分に生じるように感じていました。 その結果、物と物が「接する」とは何か、接するとはどういう事なのかを考え続けてきました。

同時に、いつも引用するある科学者の言葉が気になりました。一部引用します。

君の国の科学技術者はいまいわゆる原子エネルギーで推進する潜水艦の建造計画に従事している。(注=この記事はかなり昔に発表されたものである)彼らは原子炉を建造してこれをやろうとしている。その原子炉の中ではウランの軽いアイソトープが熱エネルギーと数個の中性子を放ちながら分裂し、これが他の重いウランに吸収されて、またそれが分裂する。かなり複雑だけれども、この方法は地球人がいままでに作り出した方法としては最も有効なエネルギー発生法だ。しかしこの熱エネルギーを宇宙船の推力に変えるために、彼らは原子炉の中に流動体を循環させようとしている。つまり熱変換器の中に流動体を循環させて圧力下に別な流動体を蒸気に変え、この蒸気をタービソの中に通してタービンを回転させ、それによって発電機を廻して電力を得ようというのだ。もし彼らが三〇パーセントの総合的な効果をあげれば、これはたいした技術上の功績ということになるだろう。
だがもし彼らがもっと簡単な言葉で考えることができれば、現在持っている知識でもって核分裂炉のまわりに簡単な熱電対を作って、発生す温度変化を直接に電気エネルギーに変えることができ、少なくとも九四ないし九八パーセントの効果をあげられるだろう。これには可動部分は不要だし、費用も安上がりで、エネルギー出力の単位あたり少ない物量ですむ。だがわれわれの方法にくらべれば、この方法さえも不経済で複雑なように思われる。

下線と強調は管理人による。 原子炉による発電に機械稼働部分のない熱電対を用いることで94~98%の変換効率を実現できると述べています。それも1950年代に既にある技術で可能だとのことでした。

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無限と 外のない内 の違い 孤立系と開放系の違い

2010年から宇宙の外とは何かを考え続けて、2017年頃にやっと「 外のない内 」という表現に辿り着きました。2017年11月24日『自然科学のいう「非科学的」とはどういうことか?』を参照ください。

発端は、G・アダムスキーの足跡でした。

図1

宇宙の中に居る我々の存在は、図に示される幾つかの紡錘図形で表されていることはわかっていました。問題は足跡の輪郭です。我々は2種類の何かに包まれていて、輪郭は「宇宙の外について、一切言及していない」と考えていました。当時はそう表現したものの、何かすっきりした言い方は無いかと探し続けてきました。それが2017年に山崎弁栄上人記念館の資料の中にぴったりの表現を見つけました。それが「 外のない内 」でした。

ぴったりの言葉がみつかるまで、孫悟空とお釈迦様の掌を例え話に幾つか記事を書きました。サイト内を「孫悟空」で検索すると5件見つかります。説明するに結構苦労して記事を書いています。

一般的に自然科学は孤立系の学問です。(たぶん)一定区間の量を計測し、平均を求めます。後は、数学的にマイナスの無限遠からプラスの無限遠までの積分をとれば全量を求められると考えられていると思います。で、孤立系を無限大まで拡張すれば開放系に等しく扱えると考えているように思います。この考えは管理人の考える自然科学に過ぎないかも知れませんが、自然科学をそのように捉えている方も多いと思います。

一方で、数学を含む言葉(言語)は互いに規定し合うことにより成り立つ循環であることがわかっています。例えば2進数で云えば、”1”とはゼロでない数ですし、ゼロとは”1”でない数としか云えません。

同様に無限大(∞)とは、有限でない数ですし、有限とは無限大(∞)ではない数としか云えません。つまり、循環の内に開放系を定義することは不可能だと考えます。孤立系をどれだけ拡張しても開放系にならないというのが管理人の出した結論です。

空間とは何か、あるいは「空間の外」とは何かを定義できていない以上、循環である言語で拡張しても表現しきれないのではないかと思うのです。「空間の外とは何か」という疑問そのものをうっちゃれば問題を避けられるように思います。それが「 外のない内 」ということです。その上で空間に関する疑問を別の次元軸に原因を求めようというのが弧理論の考え方です。ですから、弧理論は図1の輪郭内のことを別の次元軸を元に考えることになります。うまく表現できたか甚だ疑問ですが、おわかりいただけるでしょうか?

 

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