昨年、12月より須弥盛という仏壇の飾りを6台作っていました。
木製の物より重さは半分くらいに出来ました。材料はPLAと合板です。
自作 3Dプリンタ ー2号機で印刷に3ヶ月ほどかかって、おおよそ12kgほど必要でした。
また、合板の切り出しは、自作レーザー彫刻機を使いました。


印刷の途中でフィラメントをつなげませんので、切れ端が余ってきます。
もったいないので、つなげて使いたくなります。フィラメントコネクターをいろいろ探してみて、次の2つが候補に挙がりました。 続きを読む
昨年、12月より須弥盛という仏壇の飾りを6台作っていました。
木製の物より重さは半分くらいに出来ました。材料はPLAと合板です。
自作 3Dプリンタ ー2号機で印刷に3ヶ月ほどかかって、おおよそ12kgほど必要でした。
また、合板の切り出しは、自作レーザー彫刻機を使いました。


印刷の途中でフィラメントをつなげませんので、切れ端が余ってきます。
もったいないので、つなげて使いたくなります。フィラメントコネクターをいろいろ探してみて、次の2つが候補に挙がりました。 続きを読む
LGBTQに関して幾つか記事を書きました。その根拠に 多様性 があります。しかし、現実は行きすぎた多様性の押しつけがあります。言うならば、多様性主義です。
一見、反対しにくい多様性ですが、一体、何処の誰が考え出したのでしょうか。そして、その理屈がどのように出てくるのか考えます。
ヒトがわかるのは、物と事です。以下、箇条書きにします。
ここで、弧理論による物と事の関係です。
図で示します。
図1 物と事の関係
図2 時の流れ(現在と過去)
2つの図と上に示した物と事の関係を頭に入れて考えてください。
物と事は、繰り返しですから、意味づけと価値はすぐに反転します。ある人にとっては、善でも他の人には悪と感じます。これは意味と価値の相対性を示しています。
この相対性を仏教では如来と言います。
そう言った、言葉の仕組みの上に、意識があります。意識を通してわかるのは、物事の意味と価値です。
ところが、肝心の信条や主義、あるいは主張の意味や価値は、すぐに反転します。この性質は、物と事の性質から来ます。よくは知りませんが、極右と極左は、主義主張は異なりますが、両方とも過激で破壊的です。ハマスもイスラエル政府も同じ正義を主張します。
ブログランキングの応援と広告のクリックをお願いします。昨年後半から、 Buddha と如来の関係を考えてきました。そのうちに、 Buddha は、科学になり得ないと気づきました。
「自己と対になるのは、自己以外のすべて」であって、これをお釈迦様は、Buddhaといったようです。これ以外に考えられません。現代の言い方で言うならば、「自己と対になるのは自然界」とでも言えばよいかと考えます。
人がわかる※物と事を音韻に割り当てて意味づけしたのが言葉です。如来は、この言葉の仕組みから来ているようです。つまり、如来は仕組みであって、いわばBuddhaの下位にあたります。
※わかるの語源はわけるです。わからない何かをわけることによりわかる仕組みです。
そして、Buddhaは、そのままでは科学になりえません。科学とは物と事をわけることによりわかる仕組みです。ところがBuddhaはわけることができません。
ブログランキングの応援と広告のクリックをお願いします。2018年に田んぼの除草剤散布を楽にするため、ラジコンの プロペラボート を製作しました。
2019年春以来、5年(5回)散布してきました。その間に、ジャイロを搭載して今日に至ります。
そして、先日、今年も田植え後の3日後にフロアブル農薬の散布を終えました。しかし、幾つか不具合が出たのでメンテを行いました。
このプロペラボートは非力ですから、無風の状態でないと実施できません。天気の都合で、3日後の早朝に実施しました。
散布しようとすると1.の症状が出ました。受信機コネクタの接触不良です。既に6年目ですから無理もありません。次回からは、事前に接触を確認します。
2.については、だんだん吐出量が少なくなっているということは、感じていました。その分、ボートを走らせる時間が長くなります。 続きを読む
ブログランキングの応援と広告のクリックをお願いします。タイトルをどうするか悩みました。自然科学の物理学において、原子が回転する構造を持つという概念がありません。
少し前提が長いです。
古くは長岡半太郎(1865年8月19日~1950年12月11日)による土星型原子モデルがあります。
図1 長岡の「土星型モデル」
弧理論による原子模型は、この土星型原子モデルに近いです。つまり、原子は回転運動しているという前提がないとタイトルの意味がわかりません。
因みに、物理学において、似たような考え方でパリティ(偶奇性)というのがありますし、化学においては、糖やアミノ酸に右手、左手の違いがあると知られています。これをキラリティーと言うようです。
わかりやすく言えば、偶奇性やキラリティーは、像を鏡に映したとして、重ねられるか、重ねられないかの違いです。
空間において、右手をどのように移動しても、向きを変えても左手に重なりません。同様に、(弧理論のとおり)右回転する原子は、どのように移動しても、向きを変えても左回転する原子に重なりません。
要は、自然科学において、量子力学の偶奇性や化学のキラリティーはあっても原子の回転運動にかかる偶奇性という考え方はないということです。
ただし、弧理論のモデルは、回転方向が異なるというだけではありませんで、その違いを簡単に書くと次になります。
この説明は難しくなりますので省略します。一応、参考になる記事を挙げます。 続きを読む
ブログランキングの応援と広告のクリックをお願いします。これまでに、ユダヤ人について、何本かの記事を書きました。
その中で特に微妙な話として、 アシュケナージ 系ユダヤ人(アシュケナジム)の出自について、興味深い動画がありましたのでメモします。
動画1 聖書に記された恐ろしい未来。ユダヤ最大のタブーとは!?
どうも(旧約)聖書の話をそのまま実行したいのが、アシュケナージ系ユダヤ人のようです。その境遇(ディアスポラ)からして、大変なことだとはわかりますけれども、やって来たことはとても罪なことです。
見た目が白人の アシュケナージ 系ユダヤ人も遺伝子的には、スファラディ系ユダヤ人と同じだとの話を読んだ記憶があります。つまり、アシュケナージというのは、都市伝説?の類いだとの考えです。ところが、この動画では、更に突っ込んだ話が出ています。
同時に、管理人は、1948年無理矢理に創られたイスラエルに違和感があります。
上の動画から、シオニズムの意味が明らかなってきたようです。「聖書に書いてあるならば、そのまま実現してしまえ」という考えに同意できません。そんな単純なものではありません。聖書には、もっと深い意味合いがあるように感じます。
つまり、たとえ聖書の預言どおりにイスラエル建国を果たしたとしても、聖書で言うところの彼らユダヤ人の原罪は消えていない訳です。それより、もっと罪深い状態であることは明白です。
これが最大の問題であることに誰も気づいていません。一神教を捨てて、日本に同化する以外に方法は無いように思えます。
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先日の記事において、 矢作直樹 氏の「中今」のことを少し書きました。
動画1 『中今を生きる』 磐座の存在から未知なる次元の可能性を考える 虚心坦懐の感性を|矢作直樹×小名木善行
動画2 人類という存在は無くならない 未来のことを考える前にまずはしっかりと自分自身の生き方・行動から|矢作直樹×小名木善行
これまで、岡潔の言葉より、自然科学の問題点や、自然科学の成り立ちについて考察してきました。その中で、くどいように数学を含む知識・言葉は現在を含まないと記してきました。
ところが、これがよく伝わっていないらしいことに気づきました。それをうまく説明できるのが中今です。 続きを読む
ブログランキングの応援と広告のクリックをお願いします。前2回の記事で、自然界には2つの働きがあるが、自然科学には「働き」がないことを説明しました。今回は、もう少し詳しくします。
自然界にある2つの「働き」は、宇宙に大規模な構造を作ります。
写真1 出展:Large-scale structure of light distribution in the universe
宇宙は、非常に大きな泡構造(アワ)をしています。宇宙の中で、銀河がほとんど存在しない巨大な空間があり、これをボイドと言います。丁度、ボイドに挟まれたかたちで多数の銀河(ウ:渦)が存在します。
全体のつながりを言い換えますと、次になります。
上記をカミと言います。カミとは、神仏の神ではなくて、自然界の仕組みのことです。大事なのは、ヒトが持つ心(タマ+シヰ)は、大宇宙の中心であるアに帰するということです。
ついでながら、アとワは、暗黒物質と暗黒エネルギーに対応しているようです。どちらがアで、どちらがワかはわかりませんが。
ブログランキングの応援と広告のクリックをお願いします。これまでに、プロフィール欄に示した資料を基に、1.自然科学の問題点やヒトが持つ2.心の仕組みと働きについて考察してきました。その結果、自然界には2つ「働き」があるとわかりました。
これまでにわかったことを踏まえて、自然科学の成り立ちを考察します。
数学者の岡潔は、自然科学者が持つ「自然」について、概ね次のように述べています。
岡潔は、世界は思想の洪水であって、その原因が自然科学にあるとの趣旨を示しています。そこで、自然科学が抱える問題を挙げてきました。
問題点の主なものと解説を幾つか挙げます。
岡潔は、人には心が2つあって、「2つめの心は、数学の使えない世界だ」と述べています。【6】数学の使えない世界より。 続きを読む
ブログランキングの応援と広告のクリックをお願いします。先般、ある方から頂いた資料に仏教にある如来のことを、「はたらき:働き」と書いてありました。これまでに考察したとおり、如来は仕組みです。
例を幾つか挙げます。
すべては、対となって現れます。それを如来の仕組みと言います。立場や状態によって、意味と価値は反転します。私の右隣の人にとって、私は左側にいます。
如来とは、すべては相対的であるという意味合いを持つ言葉です。およそ、絶対などということは(ほぼ)ありません。
それでは、その資料になぜ、如来をはたらきとしたのでしょうか。
管理人から見て、働きは、仏教のBudhhaにあるように思います。すべての根源としてBuddhaからの「働き:はたらき」によって、ヒトがわかるのです。多分、これは正解です。岡潔は、山崎弁栄上人の言葉を伝えています。【3】西洋の唯物主義より。
大正9年に亡くなった山崎弁栄という上人がありますが、その人は心について大変詳しく云っていますが、その人の云うところによると、本当に実在しているのは心だけである。自然は心があるために映写されている映像にすぎない。そう云ってるんです。
つまり、ヒトが持つ心の働きによって、自然がわかるのです。これを御釈迦様はBuddhaと言ったとすると整合がとれます。ヒトの心が持つ働きによって、「自然がわかる」のです。
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