改めて、 自然科学 の問題点(文明の危機)

これまで、 自然科学 は間違っているとして、問題点を洗い出してきました。考えるきっかけとなったのは、数学者岡潔の講演(岡潔 「自然科学は間違っている」(1)の解説)でしたけれども、考察の原点は、ある科学者の言葉に始まります。ここでは3つのキーワードを示します。

(1)たとえば地球の科学者は電子が粒子で、波動性の二重性をもつものと定義せざるを得ない状態にある。彼らは電子は確率波をもつ粒子だということによってこれを正当化させようとしている。これは心で描くことのできない状態であって、そのために進歩の唯一の方法として抽象的な数学に頼らねばならなくなる。

量子力学の進歩には、心で描けない抽象理論に頼るしか無いと述べています。

(2)物質科学の進歩を止めることなどできやしない。それは進んだりもどったりはするにしてもだ。もどるとすると、それを支えている要素は退化のプログラムによってまず弱くなってきてそして崩壊することになる。

自然科学を支えている要素は退化プログラムによって弱くなり、仕舞いには崩壊すると述べています。

(3)君たちの科学の急速な進歩に対する根本的な障害の一つは、科学者たちが物質とエネルギーのかんたんな同一性をまだ十分に把握していないことだ。地球の最大の思索家の一人であるアルバート・アインシュタイン教授はずっと以前に物質とエネルギーの同一性を量的に表した数式を発表した。この式は数学的には全く正しいのだけれども、誤った結論に達している。つまり、物質はエネルギーに転換するし、その逆にもなるというが、本当は物質もエネルギーも一つの実体の異なる側面に過ぎない

特殊相対性理論の問題点について、誤った結論に達したと述べています。これには説明が必要です。彼は「映像」という言葉を使っていませんが、要は「自然は別の次元軸からの投影による映像」だと説明しています。物質もエネルギーも映像の結果なのです。

管理人は、10年以上これらの言葉について考えてきました。過去記事は6件あります。その他関連する記事は多数あります。

問題は概ね3つにわけられます。

  1. 岡潔:時間という計量的なものはない。
  2. 相対性理論は、存在しない時間をパラメーターとする循環である。
  3. 量子力学は、粒子で波動性の二重性を持つと定義したために、心で描けない抽象理論にならざるを得ない。

 

岡潔の時間についての問題提起を切っ掛けに、時間とは何かについて、随分と考えました。人がわかるのはです。いずれも数に置き換えられます。物の量事の質です。自然科学においては、時間は物の量として扱われています。しかし、時間は事の質にかかる数です。つまり、時間は物理量ではありません。”時間”を含む過去記事は492件もあります。少しあげます。

 

相対性理論の全体は循環です。

図1 運動→時間→光速度→相対論(時間・空間)

一般相対性理論によって、時間・空間と重力の関係を記述しています。そのモノサシは光速度です。光速度がわかるためには、その前に時間がわかっていなければなりません。時間は運動から作ります。具体的には、天体の運動であったり、セシウム原子の振動であったりします。これら物体あるいは物質は空間内にありますから、全体は循環になっています。

  • 運動→時間→光速度(一定)→相対論(時間・空間)
  • ↑————————————————————┘

ここでアインシュタインは、光速度を一定だとして、時間を光速度に置き換えました。この循環を断ち切った訳です。

当然のこと、量子力学においても存在しない時間を使っています。ここで、興味深いことになります。

 

相対性理論によって時間・空間・重力を(一応)記述できました。心で描けくことのできない抽象性」を持った量子力学にも存在しない時間を使っています。(図1)

ここで「光速度を一定」として循環を断ち切ったはずなのに、姿を変えて循環が現れてきます。(例えば、多世界解釈です。)もはや、誰にも理解できません。この時間を原因とする循環によって自然科学全体が抽象化しているようです。

図2

また、社会生活に重要とされるあらゆるところに、存在しない時間が使われています。例えば、経済学や金融部門などです。結局、時間を使う限り循環を断ち切ることはできずに、社会全体が抽象化しつつあるということです。

ある科学者は「支えている要素は退化のプログラムによってまず弱くなってきてそして崩壊する」と言いました。自然科学は心で描けないし、理解も出来ない領域の実験に足を突っ込んでいます。これは進歩では無くて退化です

存在しない時間を使う自然科学は、複雑すぎて何もわからないという結論しか残りません。それ以前に、数学を含む言葉は互いに規定し合って成り立つ繰り返し循環・ネットワークですから、この発達は自明のことです。何も破滅的ではないはずです。この循環を避けるためには、自然が映像だという仕組みを追求すればよいはずです。そうすれば、別の次元に循環を回避できます。そのためには時間に変わるパラメーターを用意する必要があります。これが弧理論の骨子です。恐らく、12進数による社会システムは必須です。

大事な事を書き漏らしました。

  • 自然科学には、物の量と事の質の区別がない。
  • 自然科学は「空間とは何か」に答えていない。

基礎的には地球の物質科学に悪い所はないんだ。もし、人々がそれを支えることができるような基礎を用意しないとそれは夢想だにしなかったほどに水平に広がって進歩してしまう。

「もし、基礎がなかったら?」と私は言った。

「君たちの文明は終わるさ」

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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