如来とは
仏教の如来について、考え始めたのは2021年10月頃です。98件の記事があります。
漸く 如来とは 何か、どう言ったものかまとめることが出来ました。過去記事を幾つか挙げます。
- 2023年12月11日 如来 と岡潔「自然数の1は決してわからない」の関係
- 2025年8月26日 もう一つの 如来
- 2025年10月7日 如来 の意味(物事の相対性を示している)
如来は、サンスクリット語でTathagata(タターガタ)と言います。如来は決して量れません。これを阿弥陀如来と言い、サンスクリット語の「a-mita-Tathagata」を漢字に置き換えたものです。以下、 如来とは 何かを箇条書きにします。
- 如来に人格性はない
- 如来は決して量れない
- 如来は仕組みであって、働きはない
- 如来は相対性を示している
- 如来は全てを覆っているが、それより外へは決して出てない
- これを「外のない内」と言う
- 如来には2つの形態がある。
- 1.繰り返し、往復、振動
- 2.循環、ループ
- 全ての論理は、2つの形態の組み合わせに過ぎない
2つの形態とは以下の様なものです。例示します。

図1 2つの形態を示す如来の例(左:往復と 右:循環、ループ)
ここまでをまとめます。すると意外にも常識的な話になります。
知識は如来の仕組みによる
AI(人工知能)という語で画像検索をすると、例えば次のような図が見られます。

図2 AI(人工知能)のイメージ図
脳の内側に描かれているのはネットワークです。このネットワークは、図1に示す2つの形態を持つ如来によって構成できることがわかります。如何に複雑なネットワークも必ず2つの形態を持つ如来によって構成が可能です。
ですから、図1に示すとおり、最高の頭脳とされたアインシュタインによる相対性理論の結論が如来の仕組みから1ミリも出ていませんでした。同じく、超ひも理論の結論もまた如来の仕組みの内なのです。
人類発祥から現代科学に至るまで、如来の仕組みは同じでした。そして、この仕組みは永遠に変わりません。でなければ二千数百年も続きませんし、残るはずもありません。
ヒトの心が持つ(わかる)の内訳
ところで、ヒトが(わかる)のは物と事(動き、運動)です。

図3 物と事は空間に帰す
物と事が揃って、初めて言葉で言えます。ヒトが物事を言葉で言えるまでの順を示します。
- 物が”わかる”
- 事が「わかる」 動きが「わかる」
- 物と事が(わかる)と言葉で言える
- 物と事の意味が(わかる)
- 物と事の価値が(わかる)
- 物と事を意識して(わかる)
ここで、{わかる}には種類があります。
- ”わかる”
- 「わかる」
- (わかる)
1番目の”わかる”を神道では中今(過去と未来の間)と言います。そして、この3つの間には関係があります。
- (わかる)= 物が”わかる” + 事が「わかる」
右辺に示す2つの{わかる}において、1つめの”わかる”をお釈迦様は「Buddha(音写で仏と言う)」と言いました。また、善導大師は「覚」としました。
そして、数学者の岡潔はこれを「情」と言いました。西洋ではこれを「ソウルマインド」と言います。
- 岡潔:情的に”わかる”というのがなければ、一切は存在しない。
因みに、物と事が揃わない何かは、意味も価値もわかりませんし、意識も出来ません。これを「外のない内」と言います。要するに、知識、情報ネットワークは、必ず閉じているからです。
Buddhaと如来の関係
まとめます。Buddhaは、心の本体である自己の働きを示しています。唯一の現在です。これが上記に示した ”わかる” です。

図4 時の流れ 現在と過去
それで、物と事が揃って(わかる)訳で、そのわかり方が如来です。前述の通り如来には2つの形態があって、これによって、記憶、知識、情報が形作られます。
- Buddhaはヒトの心の本体
- 如来は物と事の仕組み
如来は、情報の類型(ネットワークの要素)です。その意味では、如来はよりヒトの方に近いと言えます。
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