如来とは 物事の仕組みである Buddha(仏)との関係について

如来とは

仏教の如来について、考え始めたのは2021年10月頃です。98件の記事があります。

漸く 如来とは 何か、どう言ったものかまとめることが出来ました。過去記事を幾つか挙げます。

如来は、サンスクリット語でTathagata(タターガタ)と言います。如来は決して量れません。これを阿弥陀如来と言い、サンスクリット語の「a-mita-Tathagata」を漢字に置き換えたものです。以下、 如来とは 何かを箇条書きにします。

  • 如来に人格性はない
  • 如来は決して量れない
  • 如来は仕組みであって、働きはない
  • 如来は相対性を示している
  • 如来は全てを覆っているが、それより外へは決して出てない
  • これを「外のない内」と言う
  • 如来には2つの形態がある。
  • 1.繰り返し、往復、振動
  • 2.循環、ループ
  • 全ての論理は、2つの形態の組み合わせに過ぎない

2つの形態とは以下の様なものです。例示します。

図1 2つの形態を示す如来の例(左:往復と 右:循環ループ

 

ここまでをまとめます。すると意外にも常識的な話になります。

 

知識は如来の仕組みによる

AI(人工知能)という語で画像検索をすると、例えば次のような図が見られます。

図2 AI(人工知能)のイメージ図

脳の内側に描かれているのはネットワークです。このネットワークは、図1に示す2つの形態を持つ如来によって構成できることがわかります。如何に複雑なネットワークも必ず2つの形態を持つ如来によって構成が可能です。

ですから、図1に示すとおり、最高の頭脳とされたアインシュタインによる相対性理論の結論が如来の仕組みから1ミリも出ていませんでした。同じく、超ひも理論の結論もまた如来の仕組みの内なのです。

人類発祥から現代科学に至るまで、如来の仕組みは同じでした。そして、この仕組みは永遠に変わりません。でなければ二千数百年も続きませんし、残るはずもありません。

 

ヒトの心が持つ(わかる)の内訳

ところで、ヒトが(わかる)のは事(動き、運動)です。

図3 物と事は空間に帰す

物と事が揃って、初めて言葉で言えます。ヒトが物事を言葉で言えるまでの順を示します。

  1. 物が”わかる”
  2. 事が「わかる」 動きが「わかる」
  3. 物と事が(わかる)と言葉で言える
  4. 物と事の意味が(わかる)
  5. 物と事の価値が(わかる)
  6. 物と事を意識して(わかる)

ここで、{わかる}には種類があります。

  1. ”わかる”
  2. 「わかる」
  3. (わかる)

1番目の”わかる”を神道では中今(過去と未来の間)と言います。そして、この3つの間には関係があります。

  • (わかる)= 物が”わかる” + 事が「わかる」

右辺に示す2つの{わかる}において、1つめの”わかる”をお釈迦様は「Buddha(音写で仏と言う)」と言いました。また、善導大師は「覚」としました。

そして、数学者の岡潔はこれを「情」と言いました。西洋ではこれを「ソウルマインド」と言います。

  • 岡潔:情的に”わかる”というのがなければ、一切は存在しない。

因みに、物と事が揃わない何かは、意味も価値もわかりませんし、意識も出来ません。これを「外のない内」と言います。要するに、知識、情報ネットワークは、必ず閉じているからです。

 

Buddhaと如来の関係

まとめます。Buddhaは、心の本体である自己の働きを示しています。唯一の現在です。これが上記に示した ”わかる” です。

図4 時の流れ 現在と過去

それで、物と事が揃って(わかる)訳で、そのわかり方が如来です。前述の通り如来には2つの形態があって、これによって、記憶、知識、情報が形作られます。

  • Buddhaはヒトの心の本体
  • 如来は物と事の仕組み

如来は、情報の類型(ネットワークの要素)です。その意味では、如来はよりヒトの方に近いと言えます。

 

Follow me!

ブログランキングの応援と広告のクリックをお願いします。 にほんブログ村 科学ブログへ  学問・科学ランキング  

Φ について

2010年より研究しています。
カテゴリー: 解説 タグ: , , , , , パーマリンク

如来とは 物事の仕組みである Buddha(仏)との関係について への8件のフィードバック

  1. ききょう のコメント:

    このような話を誰にも話したことがないので、Φさんに伝わって嬉しいです。
    ある時突然「そのまま」という声が聞こえました。それから十数年、仏教の視点から「そのまま」とは何か?を考えてきました。でも、「そのまま」の持つ性質を考えれば、「そのまま」は決して量ることができないとようやくわかりました。気づくのが遅すぎ、情けないです。これからは、その声の発信元と共に日々歩んでいきます。

    • Φ のコメント:

      『ヒトは「言葉」でわかっているのではない。』日本語で言えば、50音韻の繰り返し循環、ループに過ぎません。単純ながら人類の7~8割がこれを知らずに人生を終えています。
      貴方の「そのまま」は、恐らく「弛緩と関心」のようです。リラックスしてわからないものに関心を集め続けるという作業です。数学者の岡潔も研究の態度としてほぼ同じことを述べています。これを仏教で「他力」と言います。これが発見や想像の仕組みです。発見想像の行為は「言葉以前」だからです。私も弛緩と関心でやってきました。
      ただ奇妙なことに「山羊の頭」に拘る連中がいることは歴史的に事実です。(悪魔崇拝)奴らも何かの方向性(私たちと異なる「そのまま」)を持って活動してきたようです。
      自身が方向を誤ることのないように気をつけるべきと思います。「気づかされる」というのには時間がかかります。
      ttps://www.youtube.com/results?search_query=%E5%8F%8A%E5%B7%9D%E5%B9%B8%E4%B9%85%E3%80%80%E6%82%AA%E9%AD%94%E5%B4%87%E6%8B%9D

  2. ききょう のコメント:

    度々失礼します。コメントに言葉が足りませんでしたので付け加えさせて下さい。
    「私に働きがない」とは、私自身に「働き」があるのではなく、「働き」は私の知らないどこからかやって来るのであって、一瞬一瞬、毎日毎日、その「働き」を受けながらステップアップして生きていくのだ、ということです。

    • Φ のコメント:

      伝わっております。ききょうさんと同意です。「私」は自明ではなくて、ヒトには色々な仕組みがあります。まず「働き」は2つあります。1.自然が出来る仕組みと働き。2.自然を「わかる」という働きです。なぜ「働き」があるのかは謎です。
      ヒトには自然が「わかる」という働きがあります。これも2つあります。1.物がわかるという働き。2.事(動き)がわかるという働きです。この2つの働きを心と言います。
      1.の働きをBuddha、覚、情、ナサケヱダ、ソウルマインドなどと言います。2.の働きをアワレヱダなどと言います。
      2つの心を和語で「タマ+シヰ」と言います。シヰとは強いるのシヰで、生命維持の欲求です。
      ヒトとは「フミヨイムナヤコ」のヒ・トです。貴方の言われる「「働き」を受けながらステップアップして生きていく」と同義です。
      まとめると「ヒト=タマ+シヰ+肉体」です。これらを漢字で書くと意味が通らなくなります。

  3. ききょう のコメント:

    (わかる)までの一瞬の過程に、因縁果の対応があることに驚きました。尊いと思いました。
    「縁」は時の中であって、平面的なところにはなかったのですね。
    Φさんの「まず、『働き』がある」という言葉にいろいろ考えさせられています。
    「私に働きがあるのではない」と、私は思っています。
    またコメントさせて下さい。丁寧に教えてくださり、本当にありがとうございました。

  4. ききょう のコメント:

    はじめまして。阿弥陀仏のことをずっと考えている者です。「ネットワークの要素」とはつまり、「縁」みたいなものに思えました。

    • Φ のコメント:

      はじめまして。ネットワークの「要素」は人の脳やAIを構成するエレメントです。これは「知の領域」のお話です。以下は、深いです。できれば紙に書き出してお考えください。
      物と事が揃って、やっと知です。言葉で言えます。「縁」はもっと根底です。
      人は時の中に住みます。時には「中今と過去と未来」があります。中今とは未来と過去の間をいいます。縁は「時」の内にあり、順として「因と縁と果」と言う流れです。そして、因となるのは中今です。そうやって物と事が(わかる)のです。
      実は「物や事」自体が結果に過ぎません。問題はなぜ「人は物が”わかる”のか。事が「わかる」のか」です。2つ揃って(わかる)とします。岡潔は「物が”わかる”という「働き」がなければ一切は存在しない。」としました。最初の”わかる”という「働き」を釈迦は「Budda」と言いました。これは岡潔の「情」に同じです。善導の「覚」に同じです。感覚の覚です。
      まとめると、{物が”わかる”。次いで事が「わかる」}という順が「時の流れ(因縁果)」に対応します。「因果 縁」で検索。
      なぜ人は{物が”わかる”}という「働き」があるのか?決して量れません。a-mita-Buddhaです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA