仏教の 如来 については、大凡まとめることができました。
- 2025年8月26日 もう一つの 如来
上の記事では、如来の仕組みについて記しました。少しご説明します。
- 如来 に人格性はない。
- ~の如し、の如し、の如し・・・・
- ~のような、のような、のような・・・・
- 如来は合わせ鏡に例えられる。
- あるいは、鐘が鳴るか、撞木が鳴るかと例えられる。
- 右は左の如し、左は右の如し
- 前は後ろの如し、後ろは前の如し
- 表は裏の如し、裏は前の如し
- 真は偽の如し、偽は真の如し
- 善は悪の如し、悪は善の如し
- ・・・・
その上で、如来の意味について考えます。
今、テーブルを挟んで3人のヒトが向かい合っています。これをABCとします。3人の関係は如来の仕組みに同じです。
Aの向かいにBが座っています。
- Aの前は、Bにとって後ろである
- 逆に、Bの前は、Aにとって後ろである
- Aの右は、Bにとって左である
- Bの右は、Aにとって左である
同じ言葉であっても、立場や条件によって意味も価値も意識も違ってきます。これが如来の仕組みです。
次に、Aの右隣にCが座っています。
- Aの右は、Cにとっても右である
- しかし、CはAより右にいる
- Cから見るとAはより左にいる
AやCの立場や条件を比較することによって異なる言葉を用いる必要があります。その結果、意味や価値、あるいは意識は強まったり弱くなったりします。この事実は、如来が相対性を持っていることを意味します。右や左について、例を1つ示します。
- 左翼リベラルは、国民連合党首であるマリーヌ・ル・ペン氏を極右と呼ぶ。
- リベラルは、自分たちこそが正常?だからル・ペン氏を極めて右だとレッテルを貼る。
ヒトがわかるのは物と事です。ヒトは物と事が揃えば、物事を言葉で言い表せます。その際に(物と事がある部屋)空間の持つ性質によって、言葉に相対性(これを如来という。)が出てきます。つまり、言葉の性質(如来の仕組みと相対性)は、空間が持つ性質の結果とも言えます。
- 同じ言葉でも、立場や条件によって意味も価値も意識も異なってくる
- 同じ言葉でも、立場や条件によって、異なる言葉を用いて立場や条件がより強調されたり弱められたりする
要は、言葉には如来の仕組みと相対性が備わっていると言うことです。
それで、ヒトは自らの欲求によって、言葉を使って表現しますが、幾ら論理的に説明しようと如来の仕組みを超えることなど決して出来ません。
時に発言者の本心と言葉の間には如来の仕組みと相対性によって、乖離が入ってくる場合が出てきます。本心と言葉との間に乖離があるということについて、かつて恩師が言われた言葉と符合します。
- 考え方が不健康
現代社会が病んでいる原因は、一見、正しい主義主張(言葉)を叫んでいますが、本心を覆い隠しているからです。益々、政治家、金融資本家、経済人など、各界のトップが漏れなく劣化して病んでいるのはそのせいです。
- 愚かなおまえたち(市民:sheeple)は、DEI、SDGs、気候変動、COVID-19とワクチンのマッチポンプなどの主義、主張を信じて優秀な俺様の言うことをきいて滅びろ。
注)過度な抽象化によって人類は滅びます。心で受け入れられる知識の限界があります。彼らは自らの限界に気づいていません。如来の仕組みによる限界を絶対に超えることは出来ません。
如来 の仕組みと相対性について、じっくり考えてしっかり身につけたいものです。
参考の動画です。
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