過去に浄土信仰を促す「二河白道の譬え」を採り上げたことがあります。
- 2021年6月19日 研究 は知識の量や理論の複雑さとは無関係
- 2022年10月20日 お釈迦様の仏教と岡潔の「情」は 科学 になりえない *世界の宗教が一つに帰納できれば、新しい科学を創れる*
どうも、極楽浄土を願う信仰を二河白道に例えるのは、間違いかも知れません。
「二河白道」とは

図1 出典:法話
出典元の解説から一部を引用します。
「二河白道の譬え」とは、七高僧の第五祖である中国の善導(ぜんどう)大師が『観経疏(かんぎょうしょ)』「散善義(さんぜんぎ)」に示されるものでこの譬えは貪瞋(とんじん)二河の譬喩(ひゆ)ともいわれ、浄土往生を願う衆生が、信を得て浄土に至るまでを譬喩によって表したもので、その内容は以下のようです。(略)
図の左上が対岸で、弥陀(仏)が居る浄土で、浄土往生を願う民衆の目的地です。右下の民衆の居るところが現世?で、悪獣がいわゆる煩悩のようです。そして、こちら側に居るのが実在の人物である釈迦です。
煩悩は、悪いことではありません。ヒトが必然として持ちますから。
- ヒト=タマ+シヰ+ウ(渦)
ヒトは、心の本体であるタマと生命維持の欲求であるシヰに物質であるウが組み合わさってできています。欲しい欲しいのシヰ、強いるのシヰは、当然です。牛や馬、あるいは野菜を殺さねば、身体を成長、維持するための食物として栄養を摂取できません。過剰が悪だとも言えます。
浄土論(地獄と極楽)とユダヤ教・キリスト教の神(天国と地獄)
管理人の古くからの疑問でした。仏教にある地獄と極楽は、西洋のキリスト教にある天国と地獄に余りに似ています。というか、まったく同じです。その理由として挙げられるのは、シナには古くからトルコ人、ペルシャ人やインド人がユダヤ教あるいは原始キリスト教、仏教をもたらしていたと言う事実があって、日本に伝わった仏教にも色濃く反映されていたに違いないことがわかりました。
- 2019年10月21日 ヲシテ文献 にあるヰクラムワタとヰツイロの関係について(の追記部分)
やはり、仏教にある(地獄と極楽)は、ユダヤ教やキリスト教にある(天国と地獄)におなじだということです。シナに浄土信仰がもたらされた過程がわかる資料として、浄土論と世尊府世論があります。世尊とはイエス・キリストのことです。

図2 出展:浄土論(著者:菩提留支、刊行年:慶安元刊)(売却済みになるとリンク先は消えます。)
世尊府世論については、次にあります。
- 2022年11月21日 日本は十字架の国ではない アワウタ は何でも飲みこんでいく
ユダヤ教あるいはキリスト教はインド経由か直接にシナにもたらされたということになります。しかし、(地獄と極楽)と(天国と地獄)という対称は成り立ちません。過去記事で示したように日本人には原罪がないからです。
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