先日、仏教の悟りとある科学者が言った完全な理解は同じだと書きました。
- 2025年12月22日 悟り と完全な理解
2つに加えてヲシテ文献にある「
ロのヲシテ」も同じです。以下の3つは同じで、弧理論による 社会科学 の基礎とも言えます。
- 悟り
- 完全な理解
- ロのヲシテ
ロのヲシテ
ホツマ辞典(p190)によれば、「
ロ は自分自身の自立を意味する。他人に幸せをもたらすためには、まず自分自身の自主独立の幸せがあってこそであるとする。」とあります。
弧理論による 社会科学
ある科学者は、完全な理解とはどのような状態かを説明し、その上で地球における社会の状況を次のように説明しています。
一般的理解が人種または人種のグループによって達成される前に、納得されねばならないある特殊な段階があります。物理科学の分野において地球の進んだ人種は、この段階を数世代前に踏み出しました。それが彼らの技術が急速に進んだ理由です。
しかし社会科学の分野では同じ歩みがなされませんでした。重要なものと考えられることさえありませんでした。その結果、私が前に述べた ように、彼らはどんな社会科学も持たず、後に続く人々のあいだに惑いと疑惑の念を起こさせるような違った方向に導きがちである指導者たちの信念と態度に頼った本質的な有意義な進歩さえできなかった社会技術だけしか持っていません。
年々、国家の政治的、社会的な問題を処理したり、論争を解決したりする能力を持った国際機構を作る努力がなされました。しかしまだこれらの努力で本当に成功したものはなく、政治的な緊張をいくらかゆるめることがときどき達成されただけでした。
個々の政府はどれ一つとしてその機構に自分たちの権威者や最高の地位にある人を代表として送る気は全くなく、したがって、そのような機 構には彼らの結論を履行させる本当の力は何もなく、事実、単なる諮問グループであり、その宣言は、それを命じられた人々に無視される可能性があり、また常 に無視されているのです。
地球において、物理科学は進歩したが、 社会科学 の分野では重要なものと考えられることさえなくて、ほとんど進歩しなかったと述べています。
そのような状況は現在も続いています。
社会科学が進歩する要件
実に簡単なことです。
- ヒトは物や事を言葉でわかっているのではない
同様のことを数学者の岡潔は次のように述べています。
- 情的にわかるというのがなければ、一切は存在しない
- 自然数の1は決してわからない
物と事は関係性の内に意味づけでき、価値がわかります。だから、意識できるのです。物と事が揃わない何かは決してわかりません。
大事なのは、物事を言葉でわかっているのではないことを深く飲み込むことです。これを深く納得すれば、口角泡を飛ばして、ワーワーと自己主張するのは無意味でとても恥ずかしいはずです。
これが言うなれば、悟りであり完全な理解です。そしてまた、自分自身の自立(
ロのヲシテ)です。
恵民立国
ロのヲシテと対となるのが「
トのヲシテ」です。ホツマ辞典p190には次の通りあります。
国の中心のアマカミが両手を差し上げてアメ(天)の恵みを受けるだけ受けて、国民に普あまねくわかち及ぼす形が、
トのヲシテの文字の意味。
「
トのヲシテ」とは、仏教にある他力に同じです。発見や創造です。知識をなす物事は互いに規定し合って成り立つ繰り返し、循環、ネットワークですから必ず閉じています。
- 2025年8月16日 知識の限界 、意識の限界
ですから当サイトにおいて、記憶、情報、知識、意識を外のない内と呼んでいます。つまり、ヒトがわかる物と事は互いに規定し合って成り立つ繰り返しであり閉じていて、限界があります。
ですから、新しい発見や創造は、「
トのヲシテ」や他力、「気づかされる」と言った知識や情報の内には無い働きによります。このような仕組みは自然科学にはありません。(図1)
誰も皆、物事を言葉でわかっているつもりでしかありません。これを深く納得する国民と発見や創造の仕組みを会得し実践し、かつ皆にわかつ(わけ与える)指導者がともに造る国をトコヨクニと言います。これが恵民立国です。
改めて書きます。
- 物と事は関係性の内にしか意味づけ出来ず、価値がわかることは無い
- 意味と価値、並びに意識は幾らでも反転する
- 主義、主張を以て、討論、協議、議論、理論、理屈を張り合っても、例え民主的な選挙を経ても絶対に解決しない
- 2025年11月18日 全ては「対」になっている 善意 も悪意も、希望も失望さえも
数百世代のあいだ地球人は「平和、平和」と叫んできましたが、平和はありませんでした。 彼らの最も知的で教育を受けた男女の多くは、平和のための研究に自分たちの一生をささげてきました。そのことはまったくバカらしいと思われるとしても、数 百万の人々が周期的に起こる戦争において「すべての戦争を終わらせるために」戦って死んでゆきました。彼らはどんなに直接的な試みによっても平和は決して 達成されないという単純な事実をまだ理解できていないようです。たとえ、どこを探せばよいかを誰かが知っているとしても、平和というものは掘ってゆけば得られるような黄金でもなく、またすぐに手に入る宝物でもありません。
平和は単に人と人、人種と人種、国と国、それにすべての人々のあいだの完全な理解と、神として地球人に知られている宇宙に偏満する『力と英知』の副産物として自動的に得られるものなのです。
そのような理解が存在しているときには、平和を探すとか平和のために働く必要はありません。平和は自動的に存在します。しかしこのことが理解されるまでは、どんな努力も成功しないでしょう。
但し、「神として地球人に知られている」とある神しんはGOD(超自然的な何か:抽象)であって、この説明は西洋人向けのものです。ヲシテのカミとは異なります。



