少し感想を書きます。管理人が調べたり、接触する方々、あるいは資料はいずれも専門家とされる方が述べた、あるいは書いたものです。それで感じるのは、
- いつも 部外者 。専門外
と言う疎外感です。過去に似たような記事がありました。
- 2019年8月20日 本当の 研究 をするには責任の伴わない環境が必要
管理人が参考にしている資料は、それらの内には研究者がいて、長きにわたって深く探求されてきたことは承知しています。
当然のことながら、彼らの視点、あるいは原点は研究対象である資料しかありません。そのことがどうも引っ掛かってきました。
何々の研究者、何々の学者、何々の僧侶等です。例えば、僧侶は帰依する宗教の教理、経典が伝える内容からしか話をすることはできません。例え、個人の考えがあってもです。
- 職業、僧侶という範囲を超えることは決して出来ない
- 職業、物理学者という範囲を超えることは決して出来ない
管理人が15年間を通じて、参考にした各資料の内には素晴らしいものを含んでいると感じます。それら資料に拘るのも当然です。それが専門家だからです。
- 専門家という限界
- 先端は末端でもある
どうしても、そう感じます。
ヲシテ文献といつも引用するある科学者の言葉から、何故か全てが論理的に、かつ演繹的に出てきます。その理由は、
- ヲシテのカミと「ある科学者の言葉」は同一だから
に尽きます。


