正確には素粒子の質量として扱われるGeV/c2は、質量を意味する「数」ではありません。では、何を意味しているかを考えましょう。
前置きが長いですが、日常の出来事と対比させて詳しくご説明します。
電子ボルト
まず、電子ボルト(eV)とは何かをAIに訊きます。
Q:電子ボルトとは?
A:電子ボルト(eV)とは、エネルギーの大きさを表す単位の一つです。主に原子や素粒子といった非常にミクロな世界のエネルギーを測る際に使われます。
定義
1電子ボルトは、「1個の電子が、1ボルト(V)の電位差の中で加速されたときに得るエネルギー」と定義されています。
主な特徴
・非常に小さい単位: 私たちの日常生活で使われる「ジュール(J)」に換算すると、1 eV ≒ 1.602 × 10?1? J という極めて小さな値になります。
・計算の利便性: 原子物理学の世界では、ジュールを使うと桁数が多すぎて不便なため、この「電子ボルト」という単位を使うことで数値を扱いやすくしています。
具体的な使用例
・可視光のエネルギー: およそ 1.6 ? 3.1 eV
・水素原子の電離エネルギー: 13.6 eV
・医療用X線のエネルギー: 数十k(キロ)~数M(メガ)eV
さらに詳しく知りたい場合は、高エネルギー加速器研究機構(KEK)の用語解説や、ブリタニカ国際大百科事典(コトバンク)などで正確な定義を確認できます。Q:正確にはGeV/c2ではないか
A:ご指摘の通り、素粒子の物理学において「質量」を表す厳密な単位は GeV/c2(またはeV/c2)です。
混同を避けるために整理すると、以下のようになります。
1. 物理的な定義の違い
・eV(電子ボルト): 本来はエネルギーの単位です。
GeV/c2: アインシュタインの式 E=mc2(エネルギー=質量 × 光速の2乗)に基づいた質量の単位です。
・式を変形するとm=E/c2 となるため、エネルギー(GeV)を光速の2乗(c2)で割ったものが質量の単位として使われます。
2. なぜ「GeV」だけで呼ばれることが多いのか
専門家の間や論文などでは、しばしば単に「質量は~GeV」のように表現されます。これには以下の理由があります。
・自然単位系の使用: 高エネルギー物理学では、計算を簡略化するために光速 cを1 と置く「自然単位系」が一般的に使われます。c=1 の世界では、E=m となるため、エネルギーと質量の単位を区別せずにeV や GeV で表記します。
・慣習的な略称: 文脈上「質量」の話をしていることが明らかな場合、分母の c2 を省略して呼ぶのが通例となっています。
まとめ
・厳密(SI単位系との整合性)に言うなら: 質量はGeV/c2 です。
・物理学の慣習(自然単位系)では: 質量もエネルギーも GeV で表します。
例えば、陽子の質量は厳密には約0.938 GeV/c2 ですが、物理学の文脈では「約 1 GeV」と表現されるのが一般的です。
要は、電子ボルト(GeV)は、「1個の電子が、1ボルト(V)の電位差の中で加速されたときに得るエネルギー」として使われるが、正確には(GeV/c2)であるとの説明です。
c2(光速度の二乗)ここが問題です。後に説明します。
物理量
それでは、物理学者は物理量を扱っているとされますので、物理量とは何かです。
Q:物理量とは
A:物理量(ぶつりりょう)とは、長さ、質量、時間、電流、エネルギーなど、物理学において測定可能で、数値と単位の積(例:10m)で表される物理的な実体や状態の量。物質の性質を定量的・客観的に記述するための指標であり、国際単位系(SI)などに基づき定義される。
物理量の詳細
・定義: 物理現象を記述する際に現れる、数値化可能な量。
・表現方法: 「物理量 = 数値× 単位」で表される。
例:(21cm)(長さ)、(60kg)(質量)、(5s)(時間)
・分類:
基本量: 長さ、質量、時間、電流、熱力学温度、物質量、光度など。
誘導量: 基本量から計算(速度=長さ/時間、面積=長さ×長さなど)で定義される量。
・特徴: 単位を変えても物理量そのものは不変(例:1m=100cm)
・表記: 通常、イタリック体(斜体)の1文字の記号で表す(例:F は力、m は質量)。
物理量は、実験や測定によって得られる自然界の現象を客観的に記述するために必要不可欠な概念です。
下線と強調は管理人による。
まとめると、
- 実験や測定によって得られる自然界の現象を客観的に記述するために、長さ、質量、時間、電流、エネルギーなどを扱っています。それら物理量の一つとしてGeV/c2がある
ということです。
時間は物理量かかる「数」ではない
度々、記してきましたように、数学者の岡潔は次のように述べています。
- 人は、いつも運動から時間を作る
- 自然科学者は、運動は時間に比例して起きると勝手に決めてかかって
- そういう時間はあると思って
- 時間はわかると思っている
- 直接わかるものではない。
と言います。
また、岡潔は言います。
- 数は量のかげ
人がわかるのは物と事です。事とは動き、運動、出来事です。物には量があります。そして、当サイトでは、事には質があるとしています。
- 物の量
- 事の質
ですから、岡潔の言葉に補足する形で、それぞれを数として扱うことが出来ます。
- 物の量にかかる数
- 事の質にかかる数
数には種類があるということです。
さて、時間についてです。
時間は、振り子やセシウムの運動(振動)から作ります。つまり、時間は出来事、事です。これまでの考察によって時間とは次のように説明できます。
- 時間は過ぎ行く運動の記憶に基づいて人が抱く観念に過ぎない
振り子などの運動、出来事を数として扱ったのが時間です。時間は、物の量にかかる数ではありません。事の質にかかる数です。

相対性理論
運動から時間を作り、時間を光速度cに置き換えたのが相対性理論です。
こうして得られた数式がAIの説明に出てくるE=mc2です。説明の通り、移項した数式を素粒子の質量を求めるために使われています。
- m=E/c2
電子の運動エネルギーが電子ボルト(eV)ですから、電子の質量は(MeV/c2、GeV/c2)で正しいように思います。
しかし、説明したとおり、時間は事の質にかかる数でして、物理量ではありません。
素粒子はと言うと
素粒子は、物の性質を持つと同時に波の性質を持ちます。ある科学者の言葉を引用します。
地球の科学者は電子が粒子で、波動性の二重性をもつものと定義せざるを得ない状態にある。彼らは電子は確率波をもつ粒子だということによってこれを正当化させようとしている。これは心で描くことのできない状態であって、そのために進歩の唯一の方法として抽象的な数学に頼らねばならなくなる。
素粒子は実験によって観測されることは事実です。では、何を観測しているのでしょうか。素粒子は波の一種であって、孤立波です。これをソリトンと言います。
ある科学者が言うように、電子波確率波をもつ粒子というのは心で描けません。電子のスピンは、電子がクルクルと回るイメージを持っているが、何かが回っている訳ではないと言います。何も回っていないにもかかわらず、電子は確率波をもつ粒子だと説明しています。
これの何か問題なのでしょうか。物理学者たちは何を観測しているのでしょうか。
物と波
例え話をします。
空気は気体であって物です。音は波であって、空気を媒質とする疎密波です。既に記したように、
- 物である空気と空気の振動によって伝わる音(雑音、騒音、話し声、音楽など)とは関係がない
このような例は他にもありそうです。
- 物である??と振動によって伝わる子素粒子(孤立波、ソリトン)とは関係がない
当サイトにおいて、このような表記は過去にしています。
- 電子と光子は一つの実体の異なる面に過ぎない
これが当てはまりそうです。
- 物である電子と振動によって伝わる光子とは関係がない
勿論のこと、電子は物であり、光子は事であるという理解です。
多数観測される素粒子群は、物である??の振動によって伝わる波(孤立波)であるというのが、弧理論での結論です。
超ひも理論 超弦理論
前回の記事を書いていて、気づいたのが次です。
- E=mc2
- 物質はエネルギーと等価
- 言い換えると「物は事に等価」
- 光子や電子などのミクロな世界のエネルギーが連続的ではなく、不連続な粒(量子)として振る舞う
- 量子力学の根幹となる基礎物理定数が
- プランク定数
- 6.62607015× 10-34 J・s(ジュール・秒)
- 光の振動数νとエネルギーEには関係式 E=hνがある
大事なのはプランク定数に時間である(秒)が入っていることです。そして、振動数が出てきます。
大きな流れを示します。
- 物は事である(アインシュタイン)
- ミクロな世界の現象は不連続な粒(量子)である(マックス・プランク、ヴェルナー・ハイゼンベルクなど)
- 光の振動数に置き換えたのがプランク定数
- 物(量子)をとても小さな振動として捉える
- (きっと)物はとても小さな振動だ(南部陽一郎、弦理論、素領域理論)
- 超弦理論、超ひも理論(南部陽一郎、後藤鉄男、エドワード・ウィッテン、大栗博司など)
- 2種類考えられる超ひもを再構築してネットワークが出来る
- ループ量子重力理論(ロジャー・ペンローズ)
要は、物と事を混同し、小さな世界の出来事を振動に置き換えて、これを2種類のひもと考えました。その上で、2種類のひもを使って再構築して得られたのがループ量子重力理論だとの結論です。
なぜか仏教の如来
だから、何度も取り上げてきた仏教の如来には、もう一つ型があるとの結論に等しい訳です。

如来の仕組みを相対性理論に当てはめます。
- エネルギーは物質のような、エネルギーのような、物質のような、・・・・
と言う往復の振動(繰り返し)です。それで、もう一つの型があります。
- エネルギーは物質のような、光のような、エネルギーのような、物質のような、光のような、・・・・。あるいは、その逆順
と言う循環(ループによる繰り返し)です。
この2つの型を組み合わせれば、ネットワークが出来ることはすぐに理解できます。

まとめますと、
- 物理学者たちが観測した現象は、空気と音の例ででわかるように、素粒子群は出来事、事である
- 物の量と関係が薄い事を抽象と言う
- 素粒子は物の量ではなく事の抽象に過ぎない
- その型は、仏教に示される如来の型
- 事の複雑さ(抽象度)に限りはない
物理学者は何もわからない
観測と理論が合致しても正しくありません。彼らは、物の量ではなく事の質を量っているに過ぎないからです。それは音楽かも知れませんが、ただの雑音(ホワイトノイズ、ピンクノイズなど)かも知れません。
それら物理学者たちの行為は、何を意味しているかです。
- 物と事が揃うと言葉で言える
- 揃わない何かは意味も価値もわからない
- 意識もできない
しかしながら、物の量と関係が薄い事、即ち抽象は幾らでも複雑に出来ます。何故ならば、数学を含み言葉は、如来の仕組み(如来の型)から決して出ないからです。
ネットワークはどんなに巨大で複雑でも必ず閉じています。絶対にです。
仮に何処かに別のネットワークがあっても物と事が揃う関係で、そのネットワークつながらないならば、その存在を知ることは出来ません。
そもそも知識は2つの型を基礎とするネットワーク(振動による繰り返し、あるいはループ、循環による繰り返し)に過ぎないのですから。
- どんなに分けようとしても、物理学者たちは何もわからない
彼らの理論の行き着く先は、超絶複雑すぎて、意味も価値もわからない、意識を通さない抽象になります。
同じ型の繰り返し
結論です。自然科学は、どこまでも相対性理論を引きずって行きます。
- E=mc2
- E=hν
運動から時間を作り、時間を光速度に、光速度を振動数に置き換えただけだとお気づきください。その原因は時間にあります。時間を物の量だと決めつけて現在に至ります。
補足として、ある科学者の言葉を引用します。
物質科学の進歩を止めることなどできやしない。それは進んだりもどったりはするにしてもだ。もどるとすると、それを支えている要素は退化のプログラムによってまず弱くなってきてそして崩壊することになる。
基礎的には地球の物質科学に悪い所はないんだ。もし、人々がそれを支えることができるような基礎を用意しないとそれは夢想だにしなかったほどに水平に広がって進歩してしまう。」
「もし、基礎がなかったら?」と私は言った。
「君たちの文明は終わるさ」


