悟り と完全な理解

悟りとは

悟り とは何かAIに訊いてみました。

「悟り(さとり)」とは、仏教などでいう「迷いの世界を超え、真理を体得し、自己と世界の真の本質を直観的に理解する境地」で、覚醒や解脱とも同義です。日常的には「物事の道理をはっきり理解すること」ですが、仏教的には、自分の欲望や思い込み(無明)から解放され、苦しみから解放された「目覚めた状態」を指し、ブッダ(仏陀)とは「目覚めた人」を意味します。

管理人は悟りを得た訳ではありませんけれども、どうも穏やかで無駄な自己主張をしない人と言うイメージがあります。

 

言葉

前回の記事に示したように、ヒトは物事を言葉でわかっているのではありません

悟ったヒトが、「ああすべき、こうすべき」などと自己主張しないのは、心の核となる自己に従っているだけのように感じます。

  • ヒト=タマ+シヰ+ウ(肉体)

但し、タマの働きをナサケヱダと言いまして、これを自己と呼んでいます。これは岡潔の情に同じですし、覚、気、あるいはBuddhaに同じです。

 

戦争と平和

ところで、別の資料によれば、ある科学者は、戦争と平和について次のように述べています。

数百世代のあいだ地球人は「平和、平和」と叫んできましたが、平和はありませんでした。 彼らの最も知的で教育を受けた男女の多くは、平和のための研究に自分たちの一生をささげてきました。そのことはまったくバカらしいと思われるとしても、数 百万の人々が周期的に起こる戦争において「すべての戦争を終わらせるために」戦って死んでゆきました。彼らはどんなに直接的な試みによっても平和は決して 達成されないという単純な事実をまだ理解できていないようです。たとえ、どこを探せばよいかを誰かが知っているとしても、平和というものは掘ってゆけば得られるような黄金でもなく、またすぐに手に入る宝物でもありません。
平和は単に人と人、人種と人種、国と国、それにすべての人々のあいだの完全な理解と、神として地球人に知られている宇宙に偏満する『力と英知』の副産物として自動的に得られるものなのです。
そのような理解が存在しているときには、平和を探すとか平和のために働く必要はありません。平和は自動的に存在します。しかしこのことが理解されるまでは、どんな努力も成功しないでしょう。

人々に「完全な理解があれば、平和は自動的に得られて(戦争はなくなる)」と述べています。

注:言葉でわかっているのではないからこそ、信仰が必要だという結論です。但し、この信仰は宗教ではありません。

 

悟りとは完全な理解

冒頭に示した「 悟り 」とある科学者が言う「完全な理解」を比べます。

どうも 悟り とある科学者が言う完全な理解は等しいようです。その理解とは、前回の記事に示した「ヒトは物事を言葉でわかっているのではない」という深い理解を言うようです。すると、

人々が深い理解を得て「つべこべ言わない。あれこれ主張しない、人々を扇動しない。」穏やかな世界になれば、自動的に平和は得られるということです。

 

戦争の動機

ある科学者は、こうも述べています。

地球の各国間に存在する政治的緊張がやわらげられねばならない。地球の二大国がたがいに相手に対して決定的な科学的優勢力を持つようになれば、当然絶滅の戦争が起こるだろう。われわれは戦争を起こす国を助けるために来るのではなく、戦争を起こす動機をなくすようなある程度の進歩をうながすために来るのだ。われわれも数千年昔自分たちの戦争の動機をなくしたのだ。

人々が悟りあれこれ自己主張をしない様になれば、それだけで戦争がなくなる訳ではありません。それには条件があります。

我々は戦争の動機をなくさねばなりません。それが条件です。皆が深い理解を得た上で、戦争の動機をなくすことができれば、平和は自動的に得られるはずです。そのための進歩を促す為の手助けをするためにある科学者は来たと述べています。我々は、援助を素直に受ければ良いだけです。

ただ残念ながら、現在のところ管理人は、戦争の動機をなくす術を持っていません。これから探るところです。これが物質科学の入り口になると踏んでいます。この術を得られるタイミングを(個人的に)キックオフと呼んでいます。キックオフはもう少し先のようです。

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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