最近も恩師であるA先生と情報交換しています。その一部を引用します。
まず気づく
人はまず、 気 づくところから始まると言う内容です。
A先生に、古くは2013年頃よりメールでお伝えしたことは、自然科学とかけ離れていますので、入りにくいと思います。
気は根幹をなすもので、その起源は3次元にありません。
しかし、 気 は、岡潔が懸命に伝えようとした「情」と同じものです。
当時、AIはありませんでしたから、無理な面もありました。しかし、誰でもAIが使える時代になりましたので、人との違いがわかりやすくなってきました。AIや脳に発見や創造が起きる仕組みはありません。少しずつ理解は進むと思います。社会学者の宮台真司氏は、YouTubeで、最近の物理学者は仏教に関心を寄せていると述べていました。自然科学では何もわからないままです。
理由は簡単です。
言語は、有限の要素(母音子音、記号等)の組み合わせに過ぎません。要素は互いに規定し合って成り立つ繰り返し、循環、ネットワークです。
どのような理論もこれを超えることはありません。国語の辞書も、国会図書館もインターネット網も必ず有限で閉じています。
人の思考は必ず循環ですから、まず、「気づいて」、意味がわかり、価値がわかります。最後に意識してわかります。
要は、人は物事を言葉でわかっているのではありません。この絶対的事実を殆どの人は知りません。
以上の内容は、岡潔と同じです。岡潔の言葉の要約を載せます。
岡潔の情
- 情的に”わかる”というのがなければ、一切は存在しない
- 情的に”わかる”ものを知的に言い表すことで文化は出来てくる
- 情的に”わかる”から言葉というものが有り得た、形式というものが有り得た
- 大宇宙の中心は情である
- 情的に”わかる”というのがなければ、意識を通さない
これらの言葉は、すべて「気」にも当てはまります。
- 「気づく」と”わかる”は同じ
「理解する」の内訳と順
但し、理解する。物の理という意味での(わかる)は以下の内容を含んでいます。
- 物が情的に”わかる” → 気づく
- 動き、出来事、事が「わかる」→ アワレヱダ:本居宣長のあわれ、あはれに近い
- 物と事が揃って→ 母音子音に割り当て出来る(言葉)
- 物と事が揃って→ 意味づけ出来る
- だから、物と事の→ 価値が(わかる)
- 最後に意識を通す
- だから、物と事が→ 理解できる。物の理が(わかる)
ここで、気づいて、理解して、意識するまでの順があります。岡潔は「2つの心」として述べたのは、以下です。
- 物の理が(わかる)=物が”わかる”+事が「わかる」
「意識を通す」の意味
この言葉の意味はもの凄く単純です。
- 物と事が揃わない何かは、決してわからないし、意識出来ない
ですから、「意識はあるけれども、揃わない何かは意識を通さない」という意味です。
岡潔講演録【1】2つの心より抜粋です。
人には、ここから何時も言わなきゃ仕方ない、心が2つある。心理学が対象としている心を第1の心ということにします
ー略ー
この心は私というものを入れなければ金輪際動かん心です。その代り、一旦、私というものを入れたら、「私は悲しい、私は嬉しい、私は愛する、私は憎む、私は意欲する」と、丸で笑いカワセミのようにうるさい。
それから、この心のわかり方は意識を通さなければ決してわからない。それから、ここまで来ればもう心理学は知らないんだけど、この心は物質的自然界の全部を覆うている。しかし、それより外へは決して出てない。物質的自然界というのは、自然科学者が研究の対象としている自然です。
なぜ「この心は物質的自然界の全部を覆うている。しかし、それより外へは決して出てない。」と言うのか、ご納得頂けますでしょうか。


