科学的態度について

科学的態度とは何か考えます。

エネルギー保存の法則

有名なこの法則のwikiでの概要があります。

エネルギー保存の法則(エネルギーほぞんのほうそく、英: law of the conservation of energy)とは、「孤立系のエネルギーの総量は変化しない」という物理学における保存則の一つである。エネルギー保存則とも呼ばれる。
熱力学第一法則は、熱力学において基本的な要請として認められるものであり、あるいは熱力学理論を構築する上で成立すべき定理の一つである。第一法則の成立を前提とする根拠は、一連の実験や観測事実のみに基づいており、この意味で第一法則はいわゆる経験則であるといえる。

一方でニュートン力学や量子力学など一般の力学において、エネルギー保存の法則は必ずしも前提とされない。

下線は管理人による。
これまでに(熱力学での)例外はない経験則だとあります。力学では前提ではないとのことです。
それでも殆どの自然科学者は、これはほぼ絶対的な法則であって、例外はないという態度であるようです。

  • 「そんなことは科学的にあり得ない。」と非難される

 

岡潔の見解

このような姿勢について、数学者の岡潔は、講演録「五感でわかるもの」で次のように述べています。

物質は、途中はいろいろ工夫してもよろしい。たとえば赤外線写真に撮るとか、たとえば電子顕微鏡で見るとか、そういう工夫をしても良い。しかし、最後は肉体に備わった五感でわかるのでなければいけない。こう思ってます。

それじゃあ、どんなに工夫しても五感でわからないものはどうなのかというと、そういうものはないと思っている。「ない」といってるんじゃありません、「ない」としか思えないのです。だから、仮定とも何とも思ってやしませんから、それについて検討するということはしない

五感でわからないものはないというのは、既に原始人的無知です。しかも、自分がそう仮定してるということにさえ気付かない。それについて考えるということができないというのは、実にひどい無知という外はありません。そう感じます。

で、そういう物質が自然を作っている。その一部分が自分の肉体である。

「自分がそう仮定してるということにさえ気付かない、ひどい無知」だと言っています。これは本当にそうなのでしょうか。

 

本居宣長の考え

弧理論の大前提は、次です。

  • ヒトがわかるのは物と事である

物には量があります。
そして、事とは動き、あるいは運動です。運動と言ってもいろいろあります。鳥や自動車、電車の動きから、光(電磁波)によるキャベツ、ブロッコリーの緑色、あるいは信号機の色なども「事」です。音も空気の動きによります。
少し前に書いたように、空気は物ですし、音は事です。音にもいろいろありまして、会話、音楽、テレビ、ラジオ、形体からのスピーカー音、あるいは電車、工事の騒音などです。

もののあはれ

管理人が「ヒトがわかるのは物と事だ」と気づいたのは、2016年頃でした。

気づいた切っ掛けとなった『「本居宣長研究ノート「大和心とは」と「本論:第九回「もののあはれ」の巻」』は、既にサイトがありません。

気になる方は、リンクをそのままにしてありますので、https://archive.org/にあるWaybackMachineにURLを貼り付けてください。多分読めるでしょう。

 

それで、ヲシテ文献との比較をしました。

  • 岡潔の        ヲシテ文献にあるナサケヱダ
  • 本居宣長のもののあはれ ヲシテ文献にあるアワレヱダ

必ずしも一対一の対応ではありませんけれども、もののあはれには感情は入っていないとのことでしたから、考えました。

岡潔の「情」は、「何となく、その物の趣が”わかる”」と言う内容でした。一見何を言っているのかわからないでしょうけれども、幸いにも管理人は、二十歳前に知っていましたから、即、飲み込めました。

その上で、「情=ナサケヱダ」だと判断しました。問題は「もののあはれ」とアワレヱダの関係です。

本居宣長の言う「もののあはれ」に感情はなく、(確か)物がわかる心、事がわかる心と言う解説があったはずです。上に示した過去記事にありました。記事の一部をそのまま示します。

また宣長は、「紫文要領」の別のところで、「もののあはれ」について、以下のようにも述べています。

  • 世の中にあらゆる事に、みなそれぞれに物の哀れはあるもの也。
  • 物の哀(あはれ)という事は、万事にわたりて、何事にも其事(そのこと)其事につきて有物(あるもの)也。

これによれば、「もののあはれ」は、私たちが想像するような、人間の感情の一種ではなく、「物」が「物」、「事」が「事」としてあることの裡に相即して、この世のありとあらゆる物や事に、その固有な存在様式として、あらかじめ遍在しているものなのです。つまり、「もののあはれ」は、人間の情感に先行して存在しているのです。

そして上記本文に、「ありのままに知るのは、物の心、事の心であり、それらを明らかに知って、その事の性質情状(あるかたち)に動かされるままに感じられるものが、物のあはれである。」とあるように、「物の心、事の心」をありのままに知るのは我が「心」であり、それは心が能動的に知るのではありません。あくまで物・事の有り様に即して、その物・事を通して具現されている物・事の心を、我が心に受動的に知るのです。このとき心は、何か実質の詰まった実体ではなく、「空の器(うつわ)」として、物・事のありのままの受容体として機能することになります。

管理人は、結局のところ、次の様に考えました。

 

どう整理するか

  • 本居宣長のいた江戸時代中期に、和製漢語である写真静止画)、動画という語はなかった
  • だから、本居宣長は苦心惨憺して「物の心、事の心」を総称して「もののあはれ」と表現した

ですから、

  • 情=ナサケヱダであり、「物が”わかる”」は静止画が”わかる”であり
  • アワレヱダ=事が(わかる)=動きが(わかる)は動画が(わかる)

としました。動画が(わかる)、動きが(わかる)為には、静止画が”わかる”必要があります。その為には覚えておく必要があります。
2つの「わかる」と言う心の働きには、覚えておく仕組みはありませんから、どうしても肉体が必要です。

以上の通り、ヒトがわかるのは物と事であると結論しました。

 

理解とは

大分、回り道しましたが、本題です。

自然科学者は、経験則を法則として、力学には適用しないとしながらも、「自然はわかる」としか思えない訳です。

  • 岡潔 「わかる」と言うと理解とか物の理と言うが、全然理解じゃない

これの意味と順序を本居宣長の考察を加えて示します。

  1. 物が”わかる”
  2. 事が「わかる」
  3. 物と事が揃って、
  4. 物と事の意味が(わかる)
  5. 物と事の価値が(わかる)
  6. 最後に、物と事を意識を通して(わかる)

但し、括弧()が理解、物の理です。(わかる)を整理すると

  • (わかる)=”わかる”+「わかる」

でして、これで静止画と不連続な静止画を記憶して動画が(わかる)訳です。
ここで、言葉で言えるのは、3.からです。人が意識出来るのは言葉からです。

注:意識はあるけれども「意識出来ない」これを岡潔は「意識を通さない。」と表現しています。意識と通すのは、物と事が揃った時だけです。心理学の無意識とは違います。

 

自然は映像

  • 物が”わかり”、事が「わかり」、物が”わかり”、事が「わかり」、物が”わかり”・・・・

物と事の有り様は、どうしても不連続にならざるを得ません

図1 因(現在)を中今と言う。これを自然科学は知らない

ですから、

  • この不連続性から、どうしも「自然は映像」に至ります。

 

無い事の証明

それで、次の結論を得ます。

  • 物と事が揃わない何かは決して(わからない)

ですから、自然科学者の

  • 自然は(わかる)と思っている
  • (わからない)ものは無いとしか思えない

と言い切るためには、その前に「(わからない)ものは無いと証明」する必要があります。

よって、

  • ヒトに心が2つあると知らない自然科学者は、自身を疑うところから始めるべき

との結論に至ります。参考の記事です。

ここで、歴史上、例外の候補があります。

 

例外

ローレンツ力

ファラデーの単極誘導です。実に不思議なのは、教科書や参考書に「ファラデーの単極誘導」と言う語句すら出て来ないところです。

現在はローレンツ力として説明されています。確かに、理屈では(何となく)納得したような気になります。実際に2013年頃から2015年にかけて、単極モーターの実験を繰り返しました。

  • この現象には、運動の相対性という本質がある

この見解は、現在も変わりません。
地上に生活していて「運動の相対性」を感じられるのはファラデーの単極誘導しかありません。それ以外ではISS国際宇宙ステーションなどに搭乗する以外には実感できません。

単極誘導

それで、電磁気現象として認識されながら、教科書でも片隅に追いやられているのがファラデーの単極誘導です。

事実、ファインマンの電磁気学において、ローレンツ力として説明されていますが、それこそ(わからない)まま、現在に至ります。

この現象について、単極モーターの実験を行ってから10年ほども過ぎています。しかし今でも山ほど言いたいことがあります。過去記事は297件あります。

 

本当に(わからない)

本題から逸れますが、一つだけ書きます。

  • 区別できないが、加速度には種類がある

でなければ、磁力と重力が合成出来るはずありません

  • 磁力 ≠ 重力

なぜ皆、知らないか、(わかった)つもりか(わかった)振りをするのでしょう。解せません。

  • 単極誘導の現象には、複数の加速度が関係していると考えざる得ない
  • ファインマンは、「電磁誘導とローレンツ力」の関係について「他に例を知らない」と書いたが、見つけたのが「磁石と重力」の関係

経験則は例外があれば、全て崩れます。科学というよりは自然科学の話です。

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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