悟り とは心が2つあると知っていること

これまで、意図的に使ってこなかった幾つかの言葉のうちに” 悟り ”があります。その他、絶対とか真実などという言葉も用いてきませんでした。しかしながら、岡潔の言葉について考え続けている内に岡潔の云った「人に心が2つあることを知っている」のを 悟り といってよいのではないかと考えるようになりました。【1】2つの心より。

人には、ここから何時も言わなきゃ仕方ない、心が2つある。心理学が対象としている心を第1の心ということにしますと、この心は前頭葉に宿っている。それから、この心はわたくしというものを入れなければ金輪際動かん心です。その代り、一旦、私というものを入れたら、「私は悲しい、私は嬉しい、私は愛する、私は憎む、私は意欲する」と、丸で笑いカワセミのようにうるさい。

 それから、この心のわかり方は意識を通さなければ決してわからない。それから、ここまで来ればもう心理学は知らないんだけど、この心は物質的自然界の全部を覆うている。しかし、それより外へは決して出てない。物質的自然界というのは、自然科学者が研究の対象としている自然です。

 これは心理学者は知らないんだけど、子供の生い立ちを見てますと、第4年目にはこうなりますからわかります。人とはどんなものか、子供の生い立ちを見るのが一番よくわかる。第4年目にこうなる。それが前頭葉に宿る心です。

欧米人はこの第1の心しか知らない。しかし人にはもう1つ心がある、第2の心。心は2つしかないのです。1つじゃない、もう1つある、第2の心。この第2の心は頭頂葉に宿っている。この心は無私の心です。私のない心。どういう意味かと言うと、いくら入れようと思っても私というものは入れようのない心です。それから、この心のわかり方は意識を通さない、じかにわかる。

下線は管理人による。

前にも書きましたが、人に心が2つあることを最初に共通のこととして話を合わせねば何も始まらないのです。そして、欧米人は第1の心しか知らないと言います。また、岡潔は仏教の問題点として「仏教には心という言葉がない」と言います。【8】仏教の問題点より。

日本民族は、日本は1つの特徴があるんですね。それは『心』という言葉ですが、仏教には心という言葉が無い。心という言葉が無いんです。それから中国にも無いかもしれない。聞いたことがない。欧米には無い。この心理学的心を心と云ってますから。中国のはもう少し深いがこんなもの、心というようなものではない。赤ん坊にむき出しに現れてるものが心です。心理学的心が現われてるんじゃありません。

 大体仏教が ― 仏教は随分いろいろなことを教えてくれますが、仏教には今云った通り心という言葉が無い。これはだんだん説明しますが、心という言葉が無い。驚くほど無いんです。いくらなんでもそれではと思いますが、思うでしょうと云ってもあなた方思やしないでしょうけど。心のことなんか考えたことがない。仏教はそれじゃどうしてるかと云うと、例えば禅のように、師匠から弟子へ心をそっくりそのまま譲り渡す、移し入れるというようなやり方でその欠けたるを補ってるんですね。言葉に出しては何も云わない。云おうにもそんな言葉、全然無いんです。

 仏教には心という言葉が無い。心について何も書いてないだけではありません。『時間』というものについても何の説明もしてない。時間の生まれて来る元のものは『時』ですね。時とか時間とかいうものについて何も云ってない。

欧米人にはないし、仏教にもないといいます。そして、禅のように「師匠から弟子へ心をそっくりそのまま譲り渡す、移し入れるというようなやり方でその欠けたるを補ってる」と言います。

それでは、誰が「人に心が2つあることを知っている」かというと岡潔は、”日本人は何となくわかっている”と言います。しかしながら、現代の日本人は自然科学思想の教育により、それすらも知らないと言い切ってよいと思います。これまで考察してきたように、仏教の”如来”という言葉には心が2つあることの前段というか、ヒントがあることがわかっています。しかし、それ以上はないようです。

因みに”如来”という言葉は、岡潔の言葉「自然数の1は決してわからない」に通じます。

 

その上で、前回の記事、2021年11月16日「日本学術会議 会員有志による「 特殊相対論 入門」メモ」について考えます。このサイトの「素粒子物理学 理論」より。

世界唯一独自式と理論物理学
理論物理学専攻の学生は、論文は必ず”世界唯一独自式”で構成するよう強く指導を受ける
理論物理学者は”世界唯一独自式”は物理法則の発見(発明)と証明できなければ(出鱈目で)正しくないことは当然、理解し認識している。
理論物理学者は小学校理科の頃より物理式の単位はそろわなければ無条件にデタラメと理解しながら、完全に単位がそろわない世界唯一独自式で論文を構成する。
世界唯一独自式の各項の物理単位の有効性を検証すると未知の物理単位か完全に物理単位として無効なものである。

理論物理学者を志す学生は「世界唯一独自式」で記述しなければならず、しかも「単位がそろわない」理論になると言います。これがほんとうのことかどうか管理人はわかりません

フリーの物理学者である井口和基氏はかつて氏のブログに「理論物理学者は、実は物理現象とは何かよくわかっていないのではないか」との趣旨の記事を書かれていました。実験にて検証もできない理論に何の意味があるのでしょう。

その上、「特殊相対論入門」の主張によれば、次元の合わない世界唯一独自式では、その存在は無価値です。これは管理人がかねてより主張している「数学的に緻密で正確であっても全体が抽象へ向かっている」と述べていることと合致します。その行く末は、2つの心の乖離であり、統合失調そのものです。当サイト内を「統合失調」で検索ください。この文明が病んでいることの過去記事があります。

 

最近、管理人は、発達、進歩、進化あるいは新しい知見や発見という言葉に違和感を持っています。


岡潔の発見した「」についても、日本に漢字が渡ってきた以前からあるヲシテ文献にその随心としてナサケヱダがあり、情と同じと判断できることを指摘しました。

図1 ミヤビ(ナサケヱダ:現在+アワレヱダ:過去)

ナサケヱダは時の現在(静止画)であり、アワレヱダは時の過去(動画)です。合わせてミヤビと言います。動画がわかるためには静止画を記憶する必要があります。

図2 言葉(数字)で言える時間は時の現在を含まない。

だから、ミヤビに「社会性、他人を思いやる心、記憶を司る」働きが出ます。参考「ホツマ辞典―漢字以前の世界へ」のp225、p226「ヰクラムワタ」の項を参照ください。


 

つまりは、縄文時代からヲシテ文献では、タマ+シヰとして人に心が2つあることを示すとともに、時制(時の現在と時の過去)についても記述があったということです。

 

自然科学思想の教育では、「人は時代とともに新しい知見や発見を経て発達、進歩、進化する。そして、古いものは新しい何かに置き換えられていく」と教えられてきました。それを自明のこととしてきました。まったく疑問に思ってきませんでした。

ところが、そうではありませんでした。「人に心は2つあり、時には現在と過去があり、ずっと変わらないし、これからも変わらない。」ということを知っているか、知らないかの違いでしかなかったのです。

これは知見でも発見でも進歩でもありません。ましてや議論や討論、あるいは管理人の意見でもありません。

これを何というか、結構悩みました。それで、岡潔の言葉について考え続けている内に岡潔の云った「人に心が2つあることを知っている」のを 悟り といってよいのではないかと考えるようになりました。

従前、哲学や宗教において、何をもって 悟り と言ってきたのか知りません。とにかく、人に心が2つあることを知っているならば、理論物理学者になり得ないことは確かです。

実は、宇宙の真理を探究するに最適の道具は 数学 だという。ならば何故、数学の難問に挑むと心を病むのだろうか?(2018年3月27日)と考えた時期がありました。その後、考察を続けた結果、過剰な 還元主義 は、大脳皮質を麻痺させて機能を低下させる(2020年12月28日)ことがわかってきました。

その理由は、数学を含む言葉互いに規定し合うことにより成り立つ循環・ネットワークだからです。人は物や事を言葉でわかっているのではないのです。

ですから、いくら精密・緻密に論理を組み立てても際限はなく、論理の全体は抽象へ向かうのです。AI(人工知能)ならば、その負荷(緊張と集中)に耐えられますが、人の脳には限界があります。これまで指摘してきたとおり、脳も人工知能も還元主義の基本である(状態を変化させる)ブラックボックス(脳細胞あるいはニューラルネットワークの単位)で構成可能です。

 

ヲシテ文献ではヒトとは1~10の「・フ・ミ・ヨ・イ・ム・ナナ・ヤ・ココ・」のヒ・トです。ですから、「ヒトとは段階的に成長する存在」ということです。人に心が2つある知っていることがヒ・トとして成長していくための最低の条件だと強く感じます。これを 悟り と言ってよいのでしょうか?

緊張と集中により無駄な世界唯一独自式を作ろうとは思いませんし、できません。まぁ達成感はありますでしょうけれど。

管理人が数学者岡潔とヲシテ文献の存在を知ってから、かなり研究は進んだと自己評価しています。仮に読者の方には、弧理論のサイトの内容が進んでいると評価していただけるならば、岡潔の云った「わからないものに関心を集め続けた」成果だと思っています。当サイトで書き続けている考え方は、世界唯一独自式の対極にあり中学生くらいの方にもわかっていただける話しだと思っています。これが普遍性ということです。

注)ただし、弧理論もまた言葉のうちにありますから、循環・ネットワークです。突き進んでいけば、循環になることは自明です。勿論のこと、自然科学が量ではない時間をパラメータとする循環・ネットワークであり、自然科学の行き着く先が抽象であるということを避ける必要があります。

文明の抽象化を(当面の間)回避するために「原因のすべてを別の次元軸(E軸)からの投影による映像(M軸:物理空間)だ」との考えで進めています。人が物や事を言葉でわかっているのではないことを忘れてはいけません。

注)実は「人に心が2つある知っている」ことの”知っている”について、シラス・ウシハクのシラスと強い関連性を感じます。当時の天皇のお仕事はシラスです。

図3 ヲシテ文献、記紀、岡潔、仏教、フトマニの流れを汲む日月神示は、いずれも心が2つあることを示している

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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