某ホツマツタヱを紹介する動画を見ていて感じたことをメモします。
どうも「神道には教義がないが、ホツマツタヱは、書き換えられているし、教義があるから偽書だという意見もある。」と紹介されていました。
2015年からヨソヤコヱ(48音:アワウタ)について考察を続けてきて、漸くアワウタがどのような仕組みで出来ているかわかりました。
ホツマツタヱ、ミカサフミ、フトマニとして知られる ヲシテ文献 に書かれている内容は、歴史書であり、修身・道徳であり、かつアワウタという科学です。管理人は歴史に興味がありませんので省略します。
本当のことをヲシ(ゑ)テ(教えて)、ツタヱ(伝え)ているのが ヲシテ文献 です。宗教書ではありません。
宗教の教義を伝える経典に書いてあることは、神様仏様から信者に対する戒律です。信者は、自らの行いを戒律により強制されることによって、何とか人間でいられるということです。言葉を置き換えるならば、「人間に原罪があるから、戒律で縛るしかない。」ということです。縛る方法としてユダヤ教のように「契約という形をした信仰」がとられた訳です。
- 上念司 アメリカ人から宗教 取ったら中国人
対して、ヲシテ文献は、ヒトの始まりからの歴史を記し、かつ、ヒトとは何か、ヒトはどう生きるべきかのミチをヲシヱテ、ツタヱているのであって、強制しているのではありません。ですから、ヲシテ文献は宗教書ではありません。
特に、アワウタ(ヨソヤコヱ:48音)は、物の初めをアとし、事の終わりをワという音おんにより意味付けした科学です。日本語の元である大和言葉(和語)の起源は、最初から物と事を明確に区分した科学です。以下は、2017年ころより考えてきた自然科学の問題点です。幾つかあげます。
- 2018年10月30日 自然科学の問題点
- 2019年7月29日 物や事の「わかり方」 物理学者 の世界観
- 2019年10月10日 自然と 物質的自然 の違い 自然科学の問題点
- 2020年10月30日 自然科学 の問題点(ほぼ確定)
- 2020年11月9日 自然科学 の限界
- 2022年4月25日 岡潔の”創造” 自然科学の問題点
直近では、アワウタの仕組みを考えることによって、仏教の「如来」、キリスト教の「アルファでありオメガである」とユダヤ教の「在りて在りたる」が同じ意味であって、アワウタに含まれるとわかりました。それどころか、相対論や不確定性関係で示されることのいずれもが物と事の関係を説明しているに過ぎないらしいとわかってきました。
図1 極大極小において、”物”は次元を失って視界から消える 両端にある複雑な”事”は論理的ではあっても大きな科学にならない 自然は映像
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