お詫びします でも、 引力 は単極誘導とどこかでつながっている(はず)

前々回の記事「引力と遠心力は合成できるのか?」として、管理人が間違った点を書きました。しかし、まだ思い違いがありました。お詫びします。ただ、過去、かなりの回数の記事について間違いがあります。訂正が大変だからといって、削除することはせず、このまま考察を続けます。ご理解のほどよろしくお願いいたします。

習慣的に遠心力と表記してきましたけれども、不適切だとされています。

水を入れたバケツを鉛直面内で回転させたとき、「水がこぼれ落ちないのは遠心力のおかげ」などと言うことがありますが、この「遠心力」という言葉の使用法は厳密には不適切とされています(Wikipedia参照)。

正しくは「そのままでいつづけようとする性質」あるいは「向心力反作用の力」とでも言うべきです。

正しくは「向心力の反作用の力」というべきのようです。

図1 出展:遠心力

回転運動において、運動の接線方向に速度vがあり、回転運動の中心へ向かって向心力(求心力)があります。向心力の反作用として遠心力があります。遠心力は見かけの力です。

 

事の発端は、管理人が行った(主に)単極モーターにかかる力学特性を調べる実験にあります。その実験の結果から電磁気学は歪められていると感じていました。

その上で、ファインマンが教科書で記していたことに引っ掛かりを感じました。

われわれは物理学のほかの所ではどこにも、このように単純で正確な一般法則がほんとうの理解のために二つのちがった現象による分析を必要とする場合を知らない。

強調は管理人による。曰く「1つの起電力を説明するにまったく異なる2つの方法(電磁誘導とローレンツ力:単極誘導)がある」という例を他に知らないというのです。

そこで、直観的に「遠心力と重力」の関係を思い浮かべたのです。しかし、発想の順が逆であったために、力学の法則を忘れて辻褄合わせに走りました。恥ずかしいけれども、お詫びするしかありません。先を急ぎすぎました。気を取り直して続けます。

 

で、考えは変わらずにいます。考えていることを出来るだけ詳しく書きます。

  • 自然は別の次元軸(E軸)からの投影による映像(M軸)である
  • 質量と 引力 は、E軸上でのウ(渦:回転運動)が原因である
  • 電気現象(単極である:電荷をもった電子、陽子)と磁気現象(双極である””)は、一つの実体の異なる面に過ぎない
  • M軸上での現象(質量、引力、電磁気現象etc.)は、すべて差分である
  • 4種類ある発散トーラスの組み合わせによって、電磁気現象は説明できるかも知れない
  • 4種類ある発散トーラスを組み合わせによって、引力を説明できるかも知れない
  • 同じく、4種類ある発散トーラスを組み合わせてできる楕円双極によって、ある科学者が言う距離の7乗に逆比例する力を説明できるかもしれない
  • 物と事の違いはE軸からの投影角による

今まで書いてきた素粒子群について、粒子と言う名前はついていますが、素粒子は物ではなくて、波の一種である孤立波(ソリトン)であるということです。素粒子群はではなくてだという根拠は「自然は映像」だとの考えから来ています。

都合、発散トーラスの組み合わせによって、電磁気現象と引力、及び質量を一括で(渦:回転運動)として説明できるかも知れないと考えています。少なくとも電磁気現象は、外村彰氏によって、ベクトルポテンシャルが基礎にあることが証明されています。「電子波で見る電磁界分布 【 ベクトルポテンシャルを感じる電子波 】

現状、未知で前途多難であることは承知ですが、突っ込んでいくしかありません。誰もが認める幾つかの資料は、いずれも「自然は映像」であると認めています。この考え方は、100年以上、力を統一できないでいる自然科学者の考えよりもきっと筋が良いはずです。

前回の記事に書いた通り、自明だとしてきたことに疑問を持つことによって、前へ進めるのだろうと感じます。見過ごしていることに気づくことです。

 

単に加速度があるという括りではなくて区別できないが運動には種類があり、当然のこと、速度、加速度にも種類があるだろうと考えます。自動車やロケットによる加速と違って、原子が構造として持つ回転運動(渦)にかかる加速とは異なるはずです。

つまり、引力は原子が構造として持つ回転運動が原因であり、単極誘導もまた原子が構造として持つ回転運動に起因するということです。その他の運動、例えば向心力や(見かけの)遠心力などは、種類が違うけれども区別がつかないという仮説です。

ただし、「電子が粒子で、波動性の二重性をもつもの」で「電子は確率波をもつ粒子だ」と理論づけることを否定しません。この電子が持つ特性は、:粒子である電子と:波動として現れる仕組みの現れだと考えます。物と事としての現れ方が確率的ということです。確率は、映像の仕組みの上では、原理ではなく結果です。サイト内を光子で検索ください。41件の記事があります。

確率が基本的な原理などではないのではないかと考えた始めた時期の記事です。

それと、この様な考え方は、(もしかしたら)何処かの誰かにとって、大変不都合なのかも知れません。皆に出来るだけ考えてほしくないことの一つかも知れません。物理学全般への胡散臭さの原因かと。

 

gif1

人工重力を作れるのは事実です。

1966年9月 14日,アメリカのジェミニ 11号は,無人のアジェナを長さ 30mのロープで結んでぐるぐる回転させ,初めて人工重力をつくり出した。回転によって生じた遠心力が人工重力となって働くからである。

だからと言って、誰も遠心力が重力だなどとは考えていません。 引力(もしくは重力)と「向心力、遠心力」は違う現象なのに釣り合いがとれるというのは、おかしくないですか?

  • なぜ、引力と向心力の反作用である遠心力は違う現象なのに、釣り合いがとれるのですか?

 

寺田寅彦「物理学と感覚」よりについて一部引用します。

たとえば力という観念でも非人間的傾向を徹底させる立場から言えばなんらの具体的のものではなく、ただ「物質に加速度が生じた」という事を、これに「力が働いた」という言葉で象徴的に言いかえるに過ぎないが、普通この言葉が用いられる場合には何かそこに具体的な「力」というものがあるように了解されている。これは人間としてやみ難い傾向でまたそう考えるのが便宜である。

というのは、人の便宜だと説いています。

以上をまとめて、一言で言えば「回る」と「回す」は異なる運動だとの考えです。十把一絡げにして、力を「物質に加速度が生じた」として扱うのは違うと考えます。その上で、なお、4つの力を統一するという考えが二階から目薬のように感じてしまいます。  引力 と単極誘導は(回る現象として)どこかでつながっています。

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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