先人が” 如来 ”に気付いたのは言葉の仕組みから?

先人達、特に宗教家は、「管理人が進めている別の次元軸の存在に気付いたから” 如来 ”に行き着いた」という訳でないことは確かです。

では、どういう経緯で宗教家達が” 如来 ”という表現に行き着いたのでしょうか?

やはり、言葉が循環・ネットワークだと気付いたところから来ているように感じます。過去記事に示したとおり唯識に繰り返しが現れると気付いたところからも言葉の仕組みから”如来”に行き着いたように思います。

岡潔は気付いていたかどうか不明ですけれど、彼の次の言葉と如来の意味は同じです。

  • 如来・・・・何々のようなものであり、そのまた「のようなもの」、そのまた「のようなも」、そのまた「のようなも」・・・・と続く。たとえて言うならば、合わせ鏡。
  • 岡潔・・・・自然数の1は決してわからない。

2進数の1は0でない数です。0は1でない数ですから、0と1は合わせ鏡のような関係にあります。

まあ、管理人の進めている弧理論にある”カミの仕組み”にあるアとワも同じです。

  • アはワではない何かであり、ワはアではない何か。

別の次元軸上にある2つの中心”ア”と”ワ”は決してわかりません。

因みにカミの仕組みは以下です。 カミとは、「繋がり・齎もたらし・生じさせる」です。この「カミ」の定義において「何と何が」「つながり」「何を」「もたらし」「何を」「生じさせる」のかについて、補うことにより理解が深まります。

図1 出典:フトマニ×モトアケ

図1フトマニ図の中央「アウワ」を補足によって、「カミ」の定義が明確になります。 二つをつなげますと『カミ』とは、

「ア」と「ワ」は、つながり、「ウ」をもたらし、「ウ」よりヒトを生じさせる。「ヒトハ アノモノ」であり、「ヒトハ ウナリ」。

となります。図に示すと次です。

図2 宇宙の中心は別の次元軸上にある(アとワ)

参考記事です。

ヒトは物や事を言葉でわかっているのではありません。最小単位である母音や子音に意味はないですから。言葉は、母音・子音の組み合わせに意味を持たせている形式に過ぎません。

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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