仏教とキリスト教は 既に一つ( アワウタ )に帰納している

本記事は、次の記事を1.として書いた直後に、もっと大事なことに気づいたため、続けて2.を書いて一本の記事としてまとめたものです。

 

1.仏教の如来は、景教ネストリウス派に由来するのだろうか? それとも普遍なのだろうか?

ずっと以前から仏教とは何かよくわかりませんでした。

  • 仏教にある地獄極楽と聖書にある天国と地獄がどう見ても同じであること。

素朴に疑問でした。

昨年、 如来 の意味がわかりました。

右は左の如し、左は右の如し、善は悪の如し、悪は善の如し、表は裏の如し、裏は表の如しです。合わせ鏡のようですし、繰り返し、循環です。つまり、すべては相対的です。言い替えると物事は二項対立として成り立ちます。どう考えても如来に人格性はありません

地球上において人類は、主義主張による二項対立の構図にあることを否めません。

そして、 如来 は、先人たち言葉の仕組みと働きから気づいたのではないかと考えました。

ここに人類普遍の思考が働くことによって、 如来 と言う言葉をいつか何処かで誰かが言い出したのだろうと推測しました。

ところが、如来について、いつ、何処の誰が言いだしたのかを調べましたが、わかりませんでした。意味を調べても管理人が考えるものとまったく異なるものです。困りました。しかも如来は、仏の一部だとあります。仏の一覧に如来部として記載があります。

釈迦如来 (釈迦牟尼仏)
阿弥陀如来(阿弥陀仏)
薬師如来(薬師瑠璃光如来、薬師仏)
五智如来(金剛界五仏)
大日如来(遍照如来、毘盧遮那仏)
阿?如来(あしゅくにょらい)
宝生如来
観自在王如来 – 阿弥陀如来と同一視する考え方もあるが、真言宗では別としている。
不空成就如来
胎蔵界五仏
大日如来
宝幢如来 – 阿?如来と同じとする説もある。
開敷華王如来
無量寿如来
天鼓雷音如来
普賢王如来(本初仏、法身普賢、法身普賢王如来。普賢王如来は大日如来の別名。金剛界において大日如来は広大普遍な賢により治め、善の意をなす。故に普賢王如来と称し、またの名を法身普賢という)
持金剛仏
多宝如来
毘盧遮那仏(盧遮那仏、遍照遮那仏)
弥勒如来
定光如来(燃燈仏)
過去七仏(釈迦とそれ以前に出世された7人の仏)
天王如来(提婆達多の未来での成仏する時の号)
大通智勝如来
世自在王仏
香積如来

この説明では意味がわかりません。管理人による解釈は以下です。

善導大師がBuddhaを漢字の音で「仏」、その意味をして漢字の「覚」と名付けました。岡潔の言う「情」の特性とほかの資料を参考に、心の仕組みと働きを次のように整理しました。

図1

仏をどのように整理するかについて、下記を参考にしてください。

都合、人の心は、岡潔の言った第2の心がすべてを下支えしていて、情、覚、あるいはヲシテ文献のタマという心がなければ、一切は存在しません。そして、この心が時の現在であり、第1の心は時の過去です。少し問題はありますが、概ね整合がとれています。

 

管理人の考える如来の意味は、上記のとおりですが、興味深いことに新約聖書(ギリシャ語聖書)にも同じ意味の言葉があります。

それが「アルファでありオメガである」です。アルファはオメガの如し、オメガはアルファの如しです。アルファは、繰り返しですから決してわかりません。どう考えても如来と同じです。

アルファであり,オメガである (ヨハネ黙示21:6)より引用します。

「事は成就した。

わたしはアルファであり,

オメガである。

最初であり,

最後である。

わたしは,

渇く者には,

いのちの水の泉から,

価なしに飲ませる。」

この同じであることを普遍性から来ると解釈してきました。

イエスは、「最初であり、最後だ」と聞いたとあります。ところが、この言葉に人格性はないはずなのにイエスは「御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。」としています。イエスが「わたし」から聞いたというのは、神からの声を聞いたのですから、ここに人格があるということです。

「アルファでありオメガである」にも如来にも、本来、人格性がないはずなのにキリスト教にも仏教にも人格を備えて示されています。実に不思議です。

一方で、管理人が解釈した如来と同じ仕組みがあります。弧理論によるヲシテ文献での解釈、カミから読み解いたものです。カミとは次です。

  • アとワはつながり、ウをもたらし、ウよりヒトを生じさせる。ヒトはアのもの

アはワの如し、ワはアの如しです。アは決してわかりませんが、ヒトはアのものです。

注:カミは神仏とは違います。カミは自然がどのように現れてくるかを示す仕組みと働きを示しているに過ぎません。当然、人格はありませんし、超自然的な何かも含まれていません。

ヒトが肉体に備わった器官でわかるのは、物と事です。物を5つの母音に、事を10の子音に落としたのがアワウタ(48音:ヨソヤコヱ)です。

図1 出展:日本ヲシテ研究所

如来とは、の始まりであるから、の終わりであるを意味します。人がわかるのはアからワまでです。「アルファでありオメガである」と如来に人格性はありません

ですから、イエスが伝えた「アルファでありオメガである」は、普遍性から来る言葉を言ったと解釈できます。偶然などではありません。

ところが、新約聖書に登場する声の主である「わたし」には人格性があるし、如来も擬人化されています。何か変です。

 

仏教においてのもう一つの疑問は、人格性のない如来をして、なぜ擬人化するのか意味がわからないことでした。聖書の伝える声の主と冒頭に示したおびただしい数の如来と意味は通じます。しかし、管理人の示す普遍性とは相いれません。どちらが解釈において忠実なのでしょうか。

失われたミカドの秘紋:加治将一」のp341に次のような記述があります。

常識的に考えればチャイナは仏教などより桁違いに早く、ゾロアスター教やキリスト教に染められていたという歴史です。ならば一足も二足も先に西の諸宗教の漢字用語があった。チャイナの主人と言うべき宗教は実はユダヤ教やキリスト教で、先にそっちの用語ができていた。それを後発の仏教が借用したと考えられるのです。

チャイナは、ここでは中国(支那)大陸という意味合いで用いられています。

キリスト教の一派である景教ネストリウス派の「アルファでありオメガである」がチャイナで「如来」と翻訳?意訳されるにはハードルが高いような気がします。しかし、両方とも擬人化して扱われているというのは、強い共通点です。

はたして、如来は景教ネストリウス派に由来するのでしょうか?そうだとするならば、日本人の多くが信仰しているのは、キリスト教だということになってしまいます。それとも如来は、人類普遍の思考の結果であって、如来は仏教固有の信仰なのでしょうか?

 

2.仏教とキリスト教は 既に一つ( アワウタ )に帰納している

新約聖書のヨハネ黙示録第21章6にある「アルファでありオメガである。最初であり、最後である。」から漢字の仏教用語である「如来」に意訳するにはハードルが高いと感じて、人類普遍の思考の結果だろうかと感じたのですが、改めて、大事なことに気づきました。

前回、すべての宗教は一つに帰納する可能性があると書きました。

更に、争いの元である主義主張も含まれていて、一つに帰納するかも知れない旨を記しました。ところが、よく考えてみたら、既にして仏教の如来もキリスト教の「アルファでありオメガである」もヨソヤコヱ(48音:アワウタ)に含まれていることに気づきました。1.の記事の一部を再掲します。

如来とは、の始まりであるから、の終わりであるを意味します。人がわかるのはアからワまでです。「アルファでありオメガである」もまた、アワウタに含まれています。つまり、既にして仏教とキリスト教は、日本語の起源である和語の元であるアワウタに含まれているということです。

前回の記事は、可能性を示していただけではなく、既に成就していたのです。これは驚きです。

世界の宗教の人口別割合で見ます。

図2

キリスト教22億人+仏教3.8億人=25.8億人です。73億人に対して約35%です。これは大きいです。なお、イスラム教はユダヤ教と神を同じくしていますので、今後、ユダヤ教が一つに帰納するとわかれば、イスラム教を含めて計41.8憶人となり、人類の57%強が一つに帰納することになります。これは大きいです。ただし、アワウタは既にして新しい科学です。

道理で、日本語は如何なる文化も受け入れてなお、本質的に変化しなかった訳です。

日本語に興味がある方は、サイト内を日本教で検索ください。

参考動画です。

動画1 22:00 ユダヤ人が一神教を持ってきても、日本には根付かない。世界で唯一、ユダヤ人がユダヤ人でなくなるということが日本にあった。

どうも、神道は太陽信仰と思われていますが、それだけでは説明できません。日本語ゆえの特性です。

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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