物や事の「わかり方」 物理学者 の世界観

物や事の分かり方には2つあります。 物理学者 の世界観(自然に対する姿勢)はその内の一つに過ぎません。現代の物理学における物や事の見方に直接の疑問を持ったのは、ある科学者の言葉からでした。知ったのは2010年頃でした。引用します。

たとえば地球の科学者は電子が粒子で、波動性の二重性をもつものと定義せざるを得ない状態にある。彼らは電子は確率波をもつ粒子だということによってこれを正当化させようとしている。これは心で描くことのできない状態であって、そのために進歩の唯一の方法として抽象的な数学に頼らねばならなくなる

正しく眺めれば、基本的な真理は常に簡単で理解が容易なのだ。

だから幹の上から眺めれば、枝は”枝″として簡単な、理解の容易なものになる。てっとりばやく言うと、君らの科学が進歩し続けるために必要なのは、君たがとまっている枝から枝との分岐点まで降りて、ふたたび登り始めることだ。

下線は管理人による。 数学は森羅万象を理解するに最強の道具だとされます。数学ができない管理人でも信じてきました。ところがこの科学者は、極小な世界を理解するに量子力学の「定義」は正当ではないと指摘しました。その理由として 物理学者 が描く数学による物や事の描像は「人の心で描くことができない」からとしています。 当時、数学を使ってどこが悪いのかと思いましたし、量子力学が心で描けない状態とするならば、心で描ける状態に対応する物理学とはどのようなものだろうかと疑問を持ちました。さらに「抽象的な」という部分に引っかかりを感じました。引用文からいきなりこのような疑問に至ったわけではありませんけれども、現在までを振り返るとそうなります。

 

数学者岡潔を2015年頃に知りました。岡潔は人には2つの心があることを述べていることや自然科学は間違っていて、時間・空間というモデルの時間に問題があることを知りました。 時間については、4年近く考え続けまして、最近ようやく簡潔に説明できるようになりました。本記事で扱う心の仕組みと働きについては、ホツマツタヱ、ミカサフミ、あるいはフトマニといったヲシテ文献に示されていることがわかりました。内容は既出です。わかったのは、岡潔の述べた2つの心とほぼ同じだということです。『岡潔「2つの心」の解説』を参照ください。

リンク先にある岡潔の言葉はわかりにくいです。岡は、「情のメカニズム」において次のように述べています。

知の働きは「わかる」ということですが、そのわかるという面に対して、今の日本人は大抵「理解」するという。ところが、わかるということの一番初歩的なことは、松が松とわかり、竹が竹とわかることでしょう。松が松とわかり、竹が竹とわかるのは一体、理解ですか。全然、理解じゃないでしょう。

 理解というのは、その「ことわり」がわかる。ところが、松が松とわかり、竹が竹とわかるのは理がわかるんではないでしょう。何がわかるのかというと、その「おもむき」がわかるんでしょう。

 松は松の趣をしているから松、竹は竹の趣をしているから竹とわかるんでしょう。趣というのは情の世界のものです。だから、わかるのは最初情的にわかる。情的にわかるから言葉というものが有り得た、形式というものが有り得た。

 それから先が知ですが、その基になる情でわかるということがなかったら、一切が存在しない。

これでもまだわかりにくいです。 人には心が二つあって、一つは「知的にわかる」、もう一つは「情的にわかる」とでも云えます。これでもまだわかりにくいです。

  1. 知的にわかる。わかり方は、意識を通し言葉で言える。物の理ことわり。理解。わけることによりわかる。還元主義。
  2. 情的にわかる。わかり方は、意識を通さず言葉で言えない。直にわかる。物や事の趣おもむきがわかる。

「松は松なりに、竹は竹なりの趣が直にわかる。」と云われてもまだわかりません。もっと具体的に説明します。

 

映画に例を取ります。 映画の歴史について調べると興味深いものがありました。「映画の歴史_1pdf」を参照ください。 リンク先13ページにあるゾーアトロープというのを何かの番組で観たことがあります。その番組ではスリットを設けた円筒形に馬が走る様子を描いてあったと記憶しています。

図1 出典:映画の歴史_1

同じく18ページにある「疾走する馬の脚は同時に地面から離れるか?」のような写真をゾーアトロープにしたようなものだったはずです。 探しましたところ似たものがありました。

gif 1 出典:常歩(なみあし)

上記「知的にわかる」を「わかる※1」とし、「情的にわかる」を「わかる※2」とします。するとgif1は、「馬がなみあしで走っている」と「わかり※1」ます。 これは、意識を通し言葉で言える「わかる※1」です。次にgif1の部分を拡大してみました。

写真1

さらに拡大します。

写真2

写真2のモザイクあるいはドットに「馬がなみあしで走っている」という物や事の本質はありません。誰でも「わかって※2」います。

物理学者(素粒子物理学者)は、「宇宙のすべての物や事は、素なる粒子からできている。」と主張しています。同時に素なる粒子に宇宙のすべての情報があると信じています。 物理学者もまたgif1について、「馬がなみあしで走っている」と「わかって※1」います。 物理学者 は写真2はモザイクあるいはドットに過ぎないことも知っています。素なる粒子に宇宙のすべての情報があるという主張は、写真2のモザイク一つ一つに「馬がなみあしで走っている」という情報があると主張しているのと同じなのです。これは矛盾します。

gif1を観て「馬がなみあしで走っている」とわかる※1以前に皆、gif1を観て意識を通さず、言葉で言えないが直に何となく「わかって※2」いるのです。

情でわかる※2ということがなかったら、一切が存在しないのです。「わかる※1」はあり得ないのです。 回りくどい説明ですが、ようやく本質に近づいてきました。

 

冒頭引用したようにある科学者は、素粒子の一種である電子について、「電子が粒子で、波動性の二重性をもつものと定義せざるを得ない状態にある。彼らは電子は確率波をもつ粒子だということによってこれを正当化させようとしている。」と述べました。 この状態を示す模型を作りました。

gif 2

光る球を仮に電子とします。例えば電子は粒子であるとともに波動性をもっています。電子は離散的に現れる粒子であり波の性質を持っています。これは観測によります。物理学者は、この粒子であり波でもあるという二重性を表すに波動方程式を作りました。

写真3 シュレーディンガーによる最初の波動方程式

ところがある科学者は、この状態は、人の心に描けないと云いました。 これが岡潔が云った2つの心「わかる※1」と「わかる※2」に関係します。

 

ある科学者が指摘した「人の心に描ける」とは、次のような状態です。

gif 3

先ほどの「馬が走っている」というgifとその拡大写真との比較を思い出してください。モザイクやドットの集まりに「馬が走っている」の本質はありませんでした。意識を通し言葉で言える「知的にわかる※1」は、「情的にわかる※2」がなければ一切は存在しませんでした。

同様に、gif3の「(知的に)球が回るというのがわかる※1」のは、「(情的に)球が回るというのがわかる※2」からです。 そして、gif2にあるような離散的な観測について、電子について云えば「電子は確率波をもつ粒子」という定義は、物や事が「わかる※2」とは整合性がありません。これがある科学者が云った「心で描けない状態」です。

それではgif2の観測はどう解釈すればよいのでしょうか。答えは映像にあります。観測が映像ならば何の問題もありません。岡潔が山崎弁栄上人をひいて「自然は心があるために映写される映像に過ぎない」と云いました。そして「(素粒子の)少なくとも一部は映像と云ってよい」とも述べています。

 

弧理論(Ark Theory)は、別の次元軸(E軸)に実体があって、物質的自然(M軸)に投影されることによって現れる映像だという理論です。 つまり、理論の根幹は、2つの心という仕組みと働きの原因を別の次元軸に求めることによって、心の仕組みと働きに整合性を持った理論にしようというところにあります。

具体的には、gif3のように「回る」様子がわかる※2仕組みが別の次元軸にあって、その投影による映像がgif2の観測になります。その観測は離散的かつ確率的に現れるものの、仕組みは「回る」にあります。観測が離散的なのは映像だからです。ですから観測について、波動関数ではなくて、別の次元軸に「回る」仕組みがあった上で、投影によって物質的自然に映像として「離散的・確率的かつ波」として観測されると考えます。これが弧理論による仮説です。

早い話しがgif2は「回っている」として扱うということです。意識を通し言葉で言える「回っているとわかる※1」のは、意識を通さず言葉で言えないが、しかし「回っているとわかる※2」による仕組みと働きがあるからです。 これなら「心の仕組みと働き」としての2つの心「わかる※1」と「わかる※2」の間の整合性がとれます。一言で云えば「抽象 具体(訂正します)から離れてはいけない」ということです。人もまた映像だから、心の仕組みと働きに合致した具体から離れすぎてはいけないということです。

 

日本語の元は、ヨソヤコヱ (48音韻:アワノウタ)です。ヨソヤコヱは、人の五感でわかる物や事を人の心の仕組みと働き(2つの心)に合致する形で言葉にしました。本当に凄いです。2019年7月17日の記事「ヨソヤコヱ (48音韻:アワノウタ)の特徴 表音・表意文字との比較」を参照ください。

 

余談です。弧理論では運動の一形態がです。波は物質としての次元を失いますので質量は観測されません。

図2 別の次元軸(E軸:エネルギー軸) 物質面(M軸:物質的自然)

弧理論の基本形は次図です。

図3

当サイトで用いる発散トーラスと正負2種の発散トーラスを組み合わせることによりできる楕円磁場電気磁気現象が図3による別の次元軸からの投影による映像だと考えることにより導出したものです。 因みに発散トーラスは、E軸上の実体が描く弧がM軸に接する際にM軸上にできる「距離の7乗に逆比例する力の場」です。

図4

実体Cが描く弧はM軸に接するときM軸上の物質は運動3の状態にあります。この「mと運動3」のM軸上での3次元形状が発散トーラスです。ただし、mは次元を失うので観測できません。

図5

前回記事に示すロシア人による浮揚ディスクの解釈も別の次元軸に原因があると考えることによりおおむね理解できます。量子力学や相対性理論ではまったく解釈出来ません。 この発散トーラスは、トム・ベアデンが手紙に書いた「ヘヴィサイドが発見した回転性電磁エネルギー流」と同じだろうと推測しています。

 

追記 物理学者や物理学を学ぶ方は、自身の科学の基礎が完全無欠であると思っていますので、部外からの意見に一切耳を持ちません。物理学に一大変革がない限り現状のままでは重力との統合は無理だろうと考えます。

図6

その根拠が本記事や当サイトで述べていることです。それと過去記事に「社会全体が抽象(仮想あるいは妄想)へ向かっている」と書きました。物理学も例外ではありません。その原因は、「五感でわからないものはないとしか思えない。」という唯物主義にあります。還元主義と相まって、物理学は時間を含む理論でもって、抽象化しています。物理学は、上記の管理人による弧理論と比べて妄想の具合にそれほどの差はありません。自然科学の物理学は、現状において信仰に近いものです。

 

追記7/31 これまで、幾度も人の「わかる」あるいは「わかり方」について書いてきました。量子力学を基礎にした素粒子物理学は間違いであるとして、管理人が思う「その正しい見方」に立った上で弧理論を展開してきました。しかしながら、原子の世界を「回る」としない量子力学を学んだ方には、弧理論を説明してもまったく受け付けられる気がしませんでした。本記事でやっと少しは「そんな考え方もあるかも」と思う人が現れてくることを期待します。 山崎弁栄上人も岡潔も生きていたなら、賛意を示してくれるように思うのです。

科学知識を求める人間は木に登るアリのようなものだ。自分では上方へ動いていることがわかっていても、その視野は狭すぎて幹全体を見通せない。そのために幹を離れていることに気づかないで下方の枝の方へ移動するかもしれない。いっときは万事がうまゆく。自分ではまだ上方へ登れるし、進歩という果実を少し摘み取ることもできる。だがその枝が急に無数の小枝に分かれていろいろな方向に葉が散らばっているために本人はまごつき始める

そして基本的法則は今や分かれ始めて反対の方向に散らばり始めていることに気づく。すると科学者は心によって受け入れられる 知識の限界 に近づいていることや、あらゆる物理的な法則は究極的には全く統計的なものになるという結論に達する

たとえば地球の科学者は電子が粒子で、波動性の二重性をもつものと定義せざるを得ない状態にある。彼らは電子は確率波をもつ粒子だということによってこれを正当化させようとしている。これは心で描くことのできない状態であって、そのために進歩の唯一の方法として抽象的な数学に頼らねばならなくなる。

正しく眺めれば、基本的な真理は常に簡単で理解が容易なのだ。

だから幹の上から眺めれば、枝は”枝″として簡単な、理解の容易なものになる。てっとりばやく言うと、君らの科学が進歩し続けるために必要なのは、君たがとまっている枝から枝との分岐点まで降りて、ふたたび登り始めることだ。

君たちの科学は一本の低い枝を知識という全体の樹木に変えていて、そのために科学がひどく複雑になっているんだ。そこでこの科学が実用面で応用されると、できあがった装置は手が出ないほどに複雑になるんだ。

君たちにとって最も必要なのは、自然の基本法則または事実がまったくかんたんだということを発見することだ。

心の仕組みと働きを理解せねば、到底のこと次へたどり着けないと思います。2018年10月30日「自然科学の問題点」で示した様に、研究の現状を列挙するとともに、その隙間が次第に埋まってきました。全体像が見えてきました。いまだ基本粒子(陽子・中性子・電子)による原子模型は出来上がっていませんけれども、やがては別の次元軸を認め得る実験にたどり着けるように思います。岡潔は、実に簡単で具体的なことを述べていたのに誰も理解していなかったのが驚きです。

 

Φ について

2010年より研究しています。
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2 Responses to 物や事の「わかり方」 物理学者 の世界観

  1. takutaku のコメント:

    毎回、興味深く読んでいます。
    昔読んだ本の中に、地球で引力、重力と言われているものは
    天の川?、銀河系の中心からくる圧力のようなものだ、というのを読んだ
    記憶があります。
    UFO周辺の力場、フォースフィールドというSFちっくな言い方も
    よく聞きますが、その圧力を磁力?の流れで機体下部から上へ押し上げる
    方向に反転させる方法があるのだと思います。
    以前、ここで書いたかもしれませんが、私は小型のUFOを真下から見ることが
    できました。そのとき機体下部の円盤の周辺に放射状にいくつも伸びる
    虹色の光の筋が見えました。
    機体下部はすごく光を発していたのですが、直視してもまったくまぶしくなく
    その光の筋は一本一本が識別でき、虹色に光っていたのですが
    その虹色の光の流れは機体中心部に向かっているが、よく見えました。
    私は、このサイトで、あれが何だったのか謎が解けるような気がして
    毎回、拝見しております。

    • Φ のコメント:

      子どもの頃と研究を始めて2年目くらいの2度でした。それも遠くて不確かですから、見間違いかも知れません。話題としてくだらなくて、家族にさえ黙ったままというようなことで、意外と見た人は多いのかも知れません。ttps://www.youtube.com/watch?v=zoUDW8WmueQ
      これまでにわかっていること。父性母性というような2種の何かがつながり、もたらされるのが(投影元が2つの立体映像である)物質的自然で、すべては循環で回転であり、互いに規定し合うことで成り立つ自然です。フラクタルも結果です。だから、物質的自然には、大きな構造が元になるサブセットが我々をとりまく自然環境に現れると考えます。それは渦潮であったり、台風であったり、表面張力であったりします。つまり、我々の持つ五感でわかる現象に大きな構造と似たものが現れているはずです。それを模型としたのが動画にあげた「渦とサイホン」なり、「1円玉とアルミホイル」です。ですから、素粒子物理学にあるような難しい数学的概念を含む理論は的外れだと感じます。
      特に素粒子という”波”を観測して、波の運動P_を(物理量ではない)時間を含む数式にて質量に換算するのは明らかに間違っています。音の質量を計算するに同じで無意味です。 それすらもわからないまま素粒子物理学者は研究を続けて100年以上経ってしまいました。takutakuさんが見たものが何であったのかは、間違いを訂正したその先にあります。本当は中学生くらいの人にもわかる簡単な仕組みと働きであるはずです。でなければ、発達は止まります。1kg程度の脳に支えきれる複雑さは知れています。複雑な抽象、あるいは仮想に本質などあるはずがありません。岡潔が云ったように、人が「わかる」のは、要素還元主義によりわかるのではありません。何故なら互いに規定し合うことで成り立つ循環だからです。要素に意味はありませんから。わけることによりわかる訳がない。複雑な抽象は心の病の元です。脳が支えきれなくなるからです。

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