単純に、 日本語 は最強だ!というお話です。
数学者の岡潔は次のように述べています。【4】情のメカニズムより。
知の働きは「わかる」ということですが、そのわかるという面に対して、今の日本人は大抵「理解」するという。ところが、わかるということの一番初歩的なことは、松が松とわかり、竹が竹とわかることでしょう。松が松とわかり、竹が竹とわかるのは一体、理解ですか。全然、理解じゃないでしょう。
理解というのは、その「理」がわかる。ところが、松が松とわかり、竹が竹とわかるのは理がわかるんではないでしょう。何がわかるのかというと、その「趣」がわかるんでしょう。
松は松の趣をしているから松、竹は竹の趣をしているから竹とわかるんでしょう。趣というのは情の世界のものです。だから、わかるのは最初情的にわかる。情的にわかるから言葉というものが有り得た、形式というものが有り得た。
「わかる」には2つあって、最初に「情的にわかる」というのがあるから言葉という形式があり得たと述べています。ただ、言葉が型式であるという仕組みについては語っていません。それで、言葉(言語)が形式であるということについて考えました。
数、数学を含む言葉は関係性、あるいは関連性によって形式たり得ます。データベースでいうリレーションシップ(relationship)です。IT用語辞典から。
リレーションシップとは、関連、関係、結び付き、関連付け、血縁関係、間柄などの意味を持つ英単語。
データベースでは、多くはSQLが使われて、データを「一対一」「一対多」「多対多」などと関連付けて(意味づけ)されて、管理されます。
人がわかるのは物と事です。物には量があり、事には質があります。数で言えば、物の量にかかる数と事の質にかかる数の2種類あります。
そう言えば、データベースでも成績表であったり在庫管理であったりしますが、物と事という区別はありません。
そして、岡潔は「自然数の1は決してわからない」とも言いました。つまり、10進数で言えば、0~9を使う数も1と他を関連付け(意味づけ)しなければ、1は決してわかりません。管理人が言った例で言えば、次になります。
2進数の1桁で言えば、1は0でない数、0は1でない数であって、循環ですから1は決してわかりません。そう言えば、言葉は互いに規定し合って成り立つ循環ですけれども、データベースにおいては、循環も再帰も許されていません。
ここから 日本語 の話になります。日本語の起源である大和言葉の大元は、ヲシテ文献に示されるヨソヤコヱ(48音)になります。これを五七調に詠んだのがアワウタです。
図1 出典:日本ヲシテ研究所
図1の四十八音図表を作られた池田満氏は、5つの母音を漢字の「態たい」と関連付けすることによって意味を付し、10の子音を漢字の「相そう」と関連付けすることによって意味を付しました。
池田満氏は、日本語の起源であるヨソヤコヱを日本のタカラだとしながら、意味づけにおいて漢字から引いてきました。管理人はこれに違和感がありました。態も相も音読みです。物ものと事ことは訓読みです。
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