前回の続きです。 自然科学 が自然を分類して、一向に統一できない理由を書き忘れました。これの理由も至極簡単です。
- 物事は「対」となって現れ
- 必ず繰り返しになっているから
- 物と事の区別がないから気づかない
つまり、分けたとしても必ず某かの余りあるいは例外が出てきます。これがいろいろな場面で出てくるようです。
例を挙げます。過去記事です。
- 2022年9月2日 筑波大学の論文『ファインマンも解けなかった問題を解明 ~ファラデーの電磁誘導の法則とローレンツ力はなぜ同じ起電力を与えるのか~』への疑問
- 2025年10月20日 ファインマン の疑問への答え
2つの過去記事は、難しいですけれども要約します。
- 2つの現象AとBがある。
- AはCを生じる
- BはCを生じる
- なぜ、同じCを生じる現象にまったく異なる2つの説明が必要なのか
- ファインマンは「他には例を知らない」と記した
これが何故だか130年程もわからなかったというお話です。
この問題を筑波大学の論文では、次のように置き換えられます。
- AとBをそれぞれ波動関数DとEに置き換える
- 異なるAとBの現象は、DとEの位相因子の2重性により繋がっていた結果である
一見、わかったような気がしますけれども、単に2つ現象を2つの数式に置き換えただけです。実は何も解決していません。このような置き換えは結果として、事をもっと複雑にして、抽象化します。
追記2026/02/02
もっと本質的なことがありました。対で繰り返しで、更に渦だからです。
- ヒト=タマ+シヰ+ウ
- ウは渦(物と事)
- 物=基本粒子(陽子中性子電子)
- 事=動き:回転運動
弧理論では物は回転運動として扱います。渦には左右と凸凹の4種類あります。
例えば、右手の向きを変えても左手に重なりません。遺伝子の螺旋もオリゴ糖などの糖類も右手系と左手系の違いがあります。人の手足や指、目や耳は対称ですけれども、内臓は非対称です。
こう言った、原子を回転運動として捉えると余り(余)が常に付きまとって、例外として残ります。だから、 自然科学 は、幾ら分けても切りが無く、従って再統一もできません。ドンドン抽象化します。
因みに素粒子は波の一種で事です。物の量ではありません。しかも量的質的にない空間は結果です。
- 2026年1月21日 空間 はなぜ3次元なのか
以下は無視してください。気になることがあったのでAIとのやり取りをメモします。 続きを読む
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