宇宙は「 外のない内 」である

研究を始めた当初から、どう表現したらよいのか悩み続けてきたことについて、適切な言葉として「 外のない内 」という考え方を見つけましたので記します。

2010年に研究を始めた切っ掛けはG・アダムスキーが遺した

写真1

ネガフィルム並びに

図1

足跡でした。ネガフィルムから紡錘図形を切り出して

図2

補助線を入れたものを出発点に、紡錘図形が

図3

原子模型であるという観点で、弧電磁気論を著しました。これが現在の弧理論です。 弧電磁気論において、図1の足跡は「宇宙図」でありまして、この図の解析結果として、この図は

宇宙の外については、一切言及していない

と表現してきました。 いくら考えても宇宙の外という考えは出てきませんでした。これをうまく表現できないのです。 これまで、図1図2をある科学者の言葉や小室直樹、岡潔、ヲシテ文献、日月神示などを参考に考察の上、解説してきたのですけれども、図1の適切な表現は出来ないままでした。

とにかく、2015年から2016年にかけて縄文哲学の骨子であるカミの定義(つながり、もたらし、生じさせる)を用いて、カミについて

「ア」と「ワ」はつながり、「ウ」をもたらし、「ウ」よりヒトを生じさせる。ヒトは「ア」のもの。ヒトは「ウ」なり。

に辿り着きました。カミとは宇宙の構造を示す言葉でした。 これを図2に当てはめることによって、

図4

が出来ました。「ア」と「ワ」は宇宙の中心であり、「ウ」とは、M軸(物質空間)を成す弧理論(Ark Theory)の骨子です。 同時にE軸上の実体を原因とする原子模型でもあります。人は「ア」と「ワ」がつながることによりもたらされた「ウ」により生じたということです。ですから人は「ア」のものであり「ウ」でもあるということです。

補足として、図4右に示す想念のの経路を精神科学と呼びます。また想念のの経路を社会科学と呼びます。そして物質科学は、E軸上の実体をも含むM軸上の性質を扱います。

図2紡錘図形の解析から弧理論の考え方の基本形

E軸上の実体が原因。物体は結果。

図5

を得ています。これはある科学者の E=mcについての言葉

物質はエネルギーに転換するし、逆にもなるというが、本当は一つの実体の異なる面に過ぎない

から来ています。当サイトに於いてはエネルギー[ML2T-2]は時間を含んでいることから使えませんので、運動としています。(※岡潔の時間についての言葉により、時間は基本物理量として使えない。限界があることが分かっています。)  運動は相対的です。ある物体あるいは物質がある観測者に対して静止しているとき、E軸上の実体からの投影角は90度です。観測者に対して運動1や2にあるときは

図6

のように、投影角は90度以外になります。 つまり、M軸(物質空間)に存在する物体あるいは物質に対するE軸の方向は、運動方向に直交しているということです。原子分子も人も惑星も恒星系も銀河系も相対的運動状態にあります。一般的な運動状態においてこのE軸の方向を特定することはできません。ただし、唯一の例外があります。このことについては後述します。

例えば、ある人にとってE軸の方向はどのようか考えます。今、人を中心に宇宙の中心(例えば「ア」)の方向を考えますと模式的には

図7

のようになります。如何なる運動方向に対してもE軸は直交しているならば、M軸上にある人にとって宇宙の中心である「ア」は、360度全方向に存在するに等しいです。E軸の方向を特定できません。 すると、M軸上の人にとって進むすべての方向は宇宙の中心に向かっているということになります。この宇宙の中心を破線の円で示した訳です。

 

前回の記事に記したように、先日、岐阜市にある

写真2

山崎弁栄記念館を訪れ山崎弁栄展(宗教の彼方、新たなる地平)なる冊子を買い求めました。その一部P11~P12にかけて引用します。ネットにpdfがあります。(山崎弁栄上人-その生涯と宗教芸術-河波昌

西田幾多郎は最晩年において「無限円」(すなわち円周ないし直径が無限の円)なる概念に到達するのであるが、まさにかかる円の無限性(すなわち仏教的にいえば、円が空であり、空が円となっているところ)に真のエンサイクロぺディアが成立しうるのである。 かかる点からいって弁栄上人の「一切経」閲読には真の意味でのアンシクロぺディ(エンサイクロぺディア)、すなわち哲学体系への展望を開いてゆく契機となるものがあった。 体系とは一切をみずからの内に包含するものであり、それは「外のない内」であって、かかる包括者(法界身)は阿弥陀仏そのものに他ならず、また、かかる内容をみずからの内から展開した弁栄上人の宗教哲学体系こそが、やがて十二光体系の形成へと結実してゆくのである。 それはヘーゲルの哲学体系をも超えるものなのである。弁栄上人の「一切経」閲読にはかかる重要な契機が存していることが考えられるのである。

一般に無限大あるいは無限遠は理解しがたいです。数学の積分で記号処理としての∞は分かっても「完全に飲み込めているか」というと、管理人にはムリです。

西田幾多郎の「無限円」は理解できなくても

図8

外のない内」は理解できます。そして、これこそ図1足跡の説明に最も相応しい説明でした。 長く模索した「宇宙の外について一切言及していない」とは、「外のない内」だったのです。

図1 再掲

図7の破線の円を宇宙の2つの中心である「ア」と「ワ」に置き換えて整形することで図1足跡の輪郭になります。今のところどちらが「ア」で、どちらが「ワ」なのか判然としません。おそらく右側が「ア」ではないかと考えています。

「投影と映像」を考えるに

図9

我々自身は投影された映像であり、スクリーンの外という概念は無意味であることは明白です。置き換えます。投影はE軸上の中心から、そしてスクリーンはM軸(物質空間)とするなら、M軸上の存在である我々にとってM軸の外という概念は無意味だということです。

ところで、前回記事を書いているときに岡潔の唯物主義についての言葉、「五感でわからないものは無いとしか思えない。」を

図10

のように示しました。 これが今回記事の図8と全く同じ構造をしていることに気付きました。 つまり、岡潔の云った『西洋人の「五感でわからないものは無いとしか思えない」』という感覚は、図8の構造から来ていると云ってよいように感じます。 図8を図10に倣って書き換えます。 「内でないものは無いとしか思えない。」

勿論、我々の肉体が持つ感覚器官は、画素(基本粒子=ここでは陽子中性子電子のこと)にて構成されているだろうなので、画素に満たない現象が感覚(五感)にかかる訳がないのは当然のことです。 放射能や素粒子が無味無臭である訳です。火傷などの害はあります。

 

ところで、弧理論の考え方は、M軸(物質空間)+E軸という、4次元からなると考えられます。これは

図11

4つの3次元空間に分けられます。 XYZ XYE YZE ZXE の4つで、五感でわかるのはXYZのみです。 上図左に注目してください。 余分な次元軸であるE軸は、運動方向に直交しているのですから、XY平面で回転運動する物質あるいは物体は、その回転軸方向(Z軸)にE軸が重なることがわかります。  ちょっと分かりにくいですが、観測者自身が回転しても無意味です。 観測者の近傍に於いて回転する物体の回転軸方向にE軸は重なるのです。これは原子やコマや惑星あるいは太陽系

図12

銀河系も同様です。 これを代表する現象がファラデーの単極誘導ではないかというのが管理人の見立てです。(余りにも微弱ですけれども。)

ここで、(山崎弁栄上人-その生涯と宗教芸術-河波昌)P12から引用します。

ルネッサンスの頃、ヨーロッパで活躍したキリスト教の最大の宗教思想家ニコラウス・クザーヌスは、「最小なるものは最大なるものよりも小さくはない」(『知ある無知』(1440))と云っている

図2の紡錘図形は原子模型です。でありながら、図1の宇宙の構造をも示しています。 つまり、最小なるものは最大なるものよりも小さくはないのです。

もう一度図7を見て、図8の「外のない内」を思い出してください。「一切をみずからに包含」していることが分かります。宇宙の中心と内が反転しています。我々自身に宇宙の中心を内包しているのに等しいかも知れません。

実は清家新一氏は同じ事を述べています。 かつて清家氏は、クラインの瓶を用いることにより、

図13 出典:単極磁石及びその製造方法

メビウス巻きのコイルをして「外を内包」すると説明していました。 宇宙は外のない内であり、一切を包含しているのです。  上記に引用した資料は、いずれもほとんど同じ事を説明しているようです。 よく一致しています。

 

Follow me!

ブログランキングの応援と広告のクリックをお願いします。 にほんブログ村 科学ブログへ  学問・科学ランキング  

Φ について

2010年より研究しています。
カテゴリー: 解説 タグ: , , , , パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA