確率 は原因ではなく結果

確率 と云えば思い出すのはサイコロやトランプです。

写真1

ここでは、弧理論から見た 確率 についてメモします。 ある科学者は確率について、2箇所で言及しています。一つ目。

たとえば地球の科学者は電子が粒子で、波動性の二重性をもつものと定義せざるを得ない状態にある。彼らは電子は 確率波を持つ粒子だということによってこれを正当化させようとしている。これは心で描くことのできない状態であり、そのため進歩の唯一の方法として抽象的数学に頼らねばならなくなる。

下線は管理人による。 幾つか気になる語があります。「波動性、確率波、心で描けない、抽象的、数学」です。 二つ目は、「科学知識を求める人間を木に登るアリ」に例えて、次のように述べています。

自分では上方へ動いて動いていることがわかっていても、その視野は狭すぎて幹全体を見通せない。そのために幹を離れていることに気付かないで下方の枝の方へ移動するかもしれない。・・・  だがその枝が急に無数の小枝に分かれいていろいろな方向に葉が散らばっているために本人はまごつき始める。・・・  基本的法則がいまや分かれ始めて、反対の方向に散らばり始めていることに気付く。すると科学者は心によって受け入れられる知識の限界に近づいていることや、あらゆる物理的な法則は究極的には全く統計的なものになるという結論に達する。

君たちの科学は一本の低い枝を知識という全体の樹木に替えていて、そのために科学がひどく複雑になっているんだ。そこでこの科学が実用面で応用されると、できあがった装置は手が出ないほど複雑になる

また、ある科学者はこうも述べました。

正しくながめれば基本的な真理は常にかんたんで理解が容易なのだ。だから幹の上から眺めれば枝は”枝”としてかんたんな理解の容易なものになるのだ。てっとり早く言えば、君らの科学が進歩し続けようとする場合に必要なのは、君たちがとまっている枝から幹との分岐点まで降りて、ふたたび登り始めることだ。

ある科学者が云ったことは、地球の科学は根本からやり直すことだということです。その根幹にあるのは「物質の振る舞いが確率である」という考えにあります。つまり量子力学を見直せと云うことです。

弧理論での確率の話の前に前置きです。

弧理論の考え方の基本形は、物質が別の次元軸からの投影による映像だというものです。

E軸上の実体が原因。物体は結果。

図1

物質は位置質量を持って現れます。別の次元軸をE軸と云います。物質が観測者に対して静止するとき投影角は90度です。

図2

E軸上の実体が持つは物質の質量として現れます。観測者に対して運動するとき投影角は変化します。

図3

E軸上の実体が持つ値が変化(減少)した分ΔEは、我々が存在するM軸(物質的自然あるいは物理空間)では運動として観測されます。

注:物理学でのエネルギーの次元は[ML2T-2]です。また運動量Pの次元は[MLT-1]です。いずれも時間を含んでいて、ここでは使えません。そこで、これらを便宜上、時間を含まない運動と表します。別の次元軸上にある実体が持つ値を真のエネルギーEとして区別します。つまり、ΔEと運動は一義的に対応します。

投影角が浅くなり運動は大きくなります。すると物質はM軸に対して次元を失います。つまり運動のみで質量は観測できなくなります。具体的には””だと考えられます。 物質の運動が大きくなると波の性質を帯びるということです。とともに質量は観測不能になります。波の性質として位置を特定できないというのがあります。 物質の運動の一形態がだということです。

弧理論の発端となった一つは、ある科学者が云った次の言葉です。

君たちの科学の急速な進歩に対する根本的な障害の一つは、科学者たちが物質とエネルギーのかんたんな同一性をまだ十分に把握していないことだ。地球の最大の思索家の一人であるアルバート・アインシュタイン教授はずっと以前に物質とエネルギーの同一性を量的に表した数式を発表した。この式は数学的には全く正しいのだけれども、誤った結論に達している。つまり、物質はエネルギーに転換するし、その逆にもなるというが、本当は物質もエネルギーも一つの実体の異なる側面に過ぎない。

数式とはE=mcのことです。まとめると次になります。

人は赤外線も紫外線も石油もダムの位置にある水も電気もエネルギー(源)として認識しています。そのエネルギー[ML2T-2]は物質の運動の一形態である「波」の状態であるとも云えます。2016年12月16日の記事『光速度にある電子は質量がゼロで「波」である。これは光子に等しい。』を参照ください。

本題です。

物質は基本的に物質を透過できません。電流は絶縁体に遮断されます。ただし、極小の世界では異なります。例えば電子は数原子程度の厚みの絶縁体を透過して現れます。波の性質を持つからです。この障壁を越えて現れる頻度が確率です。 ある科学者は、地球の科学者について「電子が粒子で、波動性の二重性をもつもの」であると考えざるを得なくて、「 確率波を持つ粒子」であって、しかも「心で描くことのできない状態」なので、進歩するには「抽象的な数学」に頼らねばならないと云ったのです。

弧理論の立場から云えば物質が持つ性質の一つである 確率 は結果です。原因は投影の仕組みにあります。その有り様ようが質量や運動であり、その一形態であるであるだけなわけです。

100年余り前の物理学者たちが「電子は確率波を持つ粒子だということによってこれを正当化させようとした」結果が現在の状況です。 質量は、前述の数式E=mcを移項してm=E/cで表せます。素粒子物理学において観測される素粒子群は波の性質をもっていて、質量を特定しにくい性質を持っているはずです。素粒子の質量「GeV/c」というのは、この波の運動を量子化して質量に換算しているだけです。数式は等号で結ばれて数学としては正しいですけれども、物理学としては誤りです。

E軸からの投影角が問題です。これまで記してきたように、素粒子群はE軸上の実体(6種×2)の数だけ「投影による影」があろうかと思います。つまり、素粒子群は6の倍数あるいは12の倍数に分類されるはずです。そうすると新しく発見される素粒子はやはり12の倍数の内になると考えられます。でも素粒子からは「とは何か」という本質は見えてこないはずです。 すべては互いに規定し合って成り立つ循環ですから。

抽象的で精密・緻密であることが上等・高等・高尚であるわけではありません。むしろ心を病む原因になります。

お猿に玉ねぎを与えたら写真2

余談です。最近よく読まれる記事に「五つ玉のそろばんは、12進数の計算に使える」があります。目的は物性を「投影による映像」だという考え方から解き明かしたいのですけど、基本物理量に質量と長さ、時間があります。時間は物理量ではないので除いて、質量と長さ、それと運動とE軸上の実体との関係を表したいのです。そのためにはそれぞれを12進数で扱わねばなりません。そうすればかねてから記しているように、12進数の素数が宇宙の仕組みと関係していると証明できるものと考えます。E軸上の実体が持つ値と「原子の運動、つまりエネルギー準位」並びに12進数の素数列とが直で結ばれるだろうということです。

これまで量子もつれについて、幾度か取り上げたことがあります。『量子コンピューティングを脅かす「量子もつれの突然死」』の記事の末尾に次のようにあります。

注:量子もつれの基本的なところが理解できないというみなさん、心配は無用だ。Eberly氏は次のように述べている。

「量子もつれに関するワークショップから戻ったばかりだが、そこでいちばんよく耳にした告白は、『自分は量子もつれのことを完全には理解していない』というものだった。主催者や参加者でさえその程度だ。量子もつれが重要なことや、その特性は彼らも知っている。だが大半の物理学者にとって、自分は量子もつれに精通している、あるいは理解していると主張するのは無理な話だ」

参照論文:”Sudden Death of Entanglement.” By Ting Yu and J.H. Eberly. Science, Vol. 323 No. 5314, Jan. 29, 2008.

専門家さえ理解しているとは言い難い現状(量子もつれの突然死)について、理解できないでいるという事実が問題への取り組み方が誤っていることの証拠だとも云えます。

 

Φ について

2010年より研究しています。
カテゴリー: 解説 タグ: , , , , パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です