数学者岡潔は、人には 2つの心 があることを説いています。ところがどういうわけかあまり詳しく解説していません。晩年になって、自身の時間が残されていないからなのかわかりませんが、先を急いでいるような感じを受けました。
岡潔を知ってから「 2つの心 」と「時間とは何か」の2点について、少しずつ考えて記事にしてきました。できるだけ具体的な例を挙げながら、第1の心と第2の心の仕組みと働きについて考えてきました。この2つのテーマを掘り下げて考える理由は、自然科学の何が問題なのかを明確にするためでした。
しかし、これまでのところ、十分わかってもらえているという実感が湧きません。その理由について考えました。
ほぼ全ての人たちは、岡潔の講演録なり、著書を「読んだらわかる」と思っています。ところが実は、「岡潔を読んでもわからない」のです。誰でも岡潔を読めば、「岡潔は何かを訴えている」とはわかります。それで何かわかったつもりになります。それだけです。岡潔は第1の心と第2の心のあり方を次のように述べています。【1】巻頭言より。
第1の心のわかり方はことごとく意識を通す。その内容はすべて言葉で云える。それでこれを「有」という。これに反して、第2の心のわかり方は、決して意識を通さない。またその内容は、決して言葉では書けない。だからこれを「無」という。しかしながら、無が根底にあるから、有が有り得るのである。東洋人はこれをずっと知っていた。日本人も少なくとも明治までは知っていた。そしてよくわかる人は、そのことが非常によくわかったのである。何でもすべて本当に大切な部分は無である。だから日本本来のよさというのは無である。ギリシャ人や欧米人は有しか知らない。無のあることを知らない。
略
第2の心の世界を「無」と云い、第1の心の世界を「有」と云う。真、善、美はすべてその源を無の世界に発して、有の世界へ流れこんでいる。有の世界に入って後、言葉で云えるのである。
一見、哲学的なことを述べている様な言葉です。ところが直近の記事11月1日の『カルロ・ロヴェッリ著「 時間は存在しない 」について その2』で取り上げたこと、『「今」に何の意味もない』に一致することがわかります。「今」は、「無」より出ているからです。 続きを読む
ブログランキングの応援と広告のクリックをお願いします。
