最近、意識には階層構造があると感じて、幾つか記事を書きました。
- 2024年3月14日 知識と意識 の違いと関係
- 2025年8月16日 知識の限界 、意識の限界
2つの心
所謂、心理学で言うところの意識、無意識とは関係ありません。
ヒトが持つ(わかる)と言う働きは2つあります。以下、2つを” ”と「 」で区別します。
- (わかる)=物が”わかる” + 事が「わかる」
- 事とは動き:運動を言う
- (わかる)を理解、あるいは物の理と言う
ヒトが(わかる)順を示します。
- まず、物が”わかる”
- 次いで事が「わかる」、動きが「わかる」
- 物と事が揃って、初めて言葉で言える
- 言葉とは知識、記憶、情報である
これまでに示したとおり「物が”わかる”」から「余白として空間がわかる」のです。
- 2025年10月30日 人は、なぜ「 空間 」がわかるのか?
誰でも「空間はわかる」と思っていますが、順序が違います。
数学者の岡潔は次のように述べています。
- 情的に「物が”わかる”」と言うのがなければ、一切は存在しない
- 空間は量的質的にない
量的質的にない空間がわかるのは、岡潔の言った「情」の働きにより「物が”わかる”」からです。その余白として量的質的にない空間がわかるのです。
それから順に2.事(動き:運動)が「わかる」のです。
言葉、知識、記憶、情報
物と事が揃って、初めて言葉で言えます。これが「知」です。知識、記憶、情報です。
ところが、知識、記憶、情報は単なるネットワークに過ぎません。

図1 脳細胞とAIのニューラルネットワーク
ヒトの肉体が持つ脳や神経系、あるいはインターネットもネットワークであり、必ず有限です。どんなに大規模でも必ず閉じています。そもそも日本語は50音の組み合わせ、繰り返し、循環によるネットワークです。
言葉、記憶、知識、情報には 数 を含みます。
- 物には量がある
- 事には質がある
- つまり、数には2種類ある
- 物の量にかかる数と
- 事の質にかかる数
物がわかり、事がわかり、物と事を数で言い表すことができます。ここに問題が含まれています。
意識に「空間」が含まれることの問題
ここで、冒頭の{物が”わかる”、事が「わかる」}という働きには、余白としての空間が含まれています。

図1 物の出来事は空間で起きる
2つの階層
ここまでで、意識には2つの階層構造があると気づきます。
- 物と事と空間
- 言葉(知識、記憶、情報)
「物事を理解する。言葉で言える。」という結果の前提にあるのは1.です。
これに空間がわかるという部分を含んでいます。これが問題です。
つまり、物事を理解して、言葉で言えるという段階においては、気づかずに物の付随に過ぎない空間も{わかる}と思っています。これは間違いです。
何故ならば、閉じた知識には限界があるからです。知識の限界に気づかずに空間を自明とするのは浅いです。また、次も事実です。
- 空間がわかるから事がわかる
- 物が”わかり”→余白として空間がわかり→事が「わかる」の順
ここで言葉には数学を含みます。
- 知識には限界がある(閉じている)
- 存在しない「空間はわかる」と思っている
- 知識、言葉である数学を使った宇宙論で、空間を表せると信じている
これは間違いです。
ヒトの意識には、閉じている「知識、記憶、情報、言葉」と「物と事、並びに空間」という階層が重なって同居しています。これを次のように言います。
- 外のない内
受け入れられる知識の限界
再度記します。意識には異なる2つの階層が重なっています。
- 物と事はわかる。空間もわかると思っている(これを疑いもしない)
- 言葉、知識、記憶、情報には「閉じている」と言う限界がある
この2つの階層が意識を形作っています。同居しています。そもそも前提が間違っていることに気づいていません。この階層間にある齟齬によって、地球の科学は間違った方向へ進んでいます。
ヒトには、心で受け入れられる知識の限界があります。
- 複雑すぎる知識、情報は抽象に至る
- 過度な抽象化により、2つの心は乖離する
- 次第にヒトは劣化し
- やがて、ヒトは心を病み、社会も病む
ブログランキングの応援と広告のクリックをお願いします。



