あなたの科学にあなた自身は含まれているか?

正確に言えば、あなたの信じている科学に、あなた自身の精神は含まれていますか? あなた自身を成り立たせている精神の仕組みは含まれますか?

 

岡潔は【3】西洋の唯物主義にて述べました。

五感でわからないものは無いとしか思えない。これが唯物主義です。

そして、岡潔は自身の精神は五感でわかるもの以外から来ていると考え、大宇宙の本体は情であると結論しました。 管理人は岡潔の云うように大宇宙の本体が「情」であるかどうかわかりません。 しかしながら、縄文哲学の核心部分に「アワレヱダ」「ナサケヱダ」があるように、何か縄文哲学と共通するものがあると感じます。

もし、人の信じる科学に人の持つ精神が含まれていないならば、意味不明な物や事(例えば心霊現象など)に対して、その人はこう言うでしょう。「そのようなことは非科学的だ。ありえない。」

一般に、自然科学に入らない(扱えない)ことは非科学として排除します。  現に存在するありとあらゆる「物や事」について、部分を排除することが適切だとは思えません。 それらは、どうにか合理的に解釈することができるはずです。 きっとそれらが存在する何かの理由があるはずです。

何かを非科学として排除したならば、それは科学ではありません。

岡潔の述べたことについて調べていますと、一部にはトンデモに近いとみる向きもあるようです。しかしながら(五感でわかるもの以外を)排除したことにより、その論は科学ではなくなります。 岡潔が対象にしたのは人の心あるいは精神です。 人の心・精神も宇宙の内であり、五感でわかるもの以外の何かかも知れないという認識がなければ、岡潔の述べたことは、ただトンデモに感じられるということです。

岡潔は誰もが認める天才です。故に人々は岡潔の著書を読みます。しかし、岡潔の伝えたかったことの入り口に立ち止まってしまう人もいるでしょう。そのような人は唯物主義なのだろうと思います。 そして唯物主義の極致が神の数式であったりします。ですから数式を考える人たち自身の精神は数式に含まれていなさそうです。 彼らは彼ら自身(の精神)を彼らの神と同列に置くことに戸惑いがありません。

図1 出典:宇宙誕生の様子、スパコンで計算

 

縄文哲学は、縄文の人たちによる永い歴史の上にできあがった人類の「たから」です。岡潔は一代でそれに匹敵するほどの域に到達したのですからまさに天才です。

 

管理人には、岡潔が言った第2の心と第1の心は縄文哲学の「ノヲシテ」と「ノヲシテ」に比しうると感じます。 同時に

図2

弧理論の考え方による、想念の経路(1)が岡潔の第2の心で、想念の経路(2)が第1の心に相当するようです。 人の心や精神の働きは、善いも悪いも含めて、そういう仕組みの元に在ると感じます。

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Φ について

2010年より研究しています。
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