岡潔の言葉をきっかけに自然科学の問題点について考察してきました。角度から作った時間は量ではありません。その時間をパラメーターとした物理学は間違いです。どうも弧理論の前提を考えると「運動Pと量ではない時間が比例するのは運動Pも角度も別の次元軸(E軸)からの投影角の現れ(比例関係にある)から」のようです。まだ、詳しくはわかりません。
- 2022年4月23日 時間感覚 はどうしてできるか?(時の現在と過去はE軸-M軸での相互作用に帰する)
図1
岡潔は、(自然科学者が対象とする自然)を物質的自然と名付けました。物質的自然は全体として、量ではない時間をパラメーターとする循環でした。
物質的自然にかかる問題は、究極のところ「物とは何か」という疑問です。その前提にあるのが「時間・空間」でした。物理学者が考える”時間”は実のところ量ではありませんし、”空間”は自明ではありませんでした。弧理論によるところの”境界空間”です。境界空間でサイト内を検索ください。
そのような物理学者たちの行き着いた理論の一つに 超ひも 理論があります。この 超ひも は仏教にある「如来」に同じです。
- 2021年7月7日 如来 の意味。何々の如しの如し・・・・
写真1 如来は合わせ鏡に似る
ついでながら、唯識論は誤りです。人は言葉でわかっているのではありません。
2021年7月7日 唯識論 は”繰り返し”になっている。だから間違い。
弧理論も究極的には繰り返しなので限界がある事は明白なのですが、当面は別の次元軸(E軸)に”因”を求めることにより、繰り返しを回避するという点で異なります。
で、「如来」という言葉を何処の誰が言いだしたのか調べてみましたけれど、わかりませんでした。しかし、先人が” 如来 ”に気付いたのは言葉の仕組みから?のようでした。2021年10月8日の記事。 続きを読む
ブログランキングの応援と広告のクリックをお願いします。
