有限と無限  第1の心 の限界(外のない内)

手元に月刊ニュートンの別冊「ゼロと無限 素数と暗号―数学者たちを魅了してきた深奥な数 (ニュートンムック Newton別冊) 」があります。

写真1

目次写真2にある様々な”数”についての記事があります。以下は「数とは何か」です。

  • 数は(物の)のかげ・・・・岡潔
  • 数は事ののかげ・・・・管理人

岡潔は「数は量のかげ」といいました。正確には、数は物の量のかげです。”数”にはもう一種類あって、”事の質のかげ”でもあります。これは管理人の考察によります。人が五感でわかるのはです。

  • 物と事は一つの実体の異なる面に過ぎない。

で、数は元々、物の量事の質を表すために使っていたのですけれど、文明の方向として事の質を表すに重きが置かれる様になってきました。例えば、仮想通貨は”数”ですが、事の質であって量は伴いません。これまで観てきたように、事の質にかかる複雑さに際限はありません。その行き着く先は抽象です。

このような2種類ある”数”について、事の質を探求したのが冒頭の本です。目次を観ます。

写真2

「ゼロとは何か?」に始まって、素数と暗号、無限、そしてゼロと無限のQ&Aと続きます。

無限とは限りなく大きい数だと漠然と考えています。本の「3無限」の冒頭を引用します。

はるか昔から、人々は「無限」という概念に対して特別な感情を抱いてきました。「決して到達できないもの」である無限は、宗教や哲学において大きな意味をもっていました。このとらえどころのない「無限」は、現在では科学的、数学的に扱うことできるようになっています。

科学的、数学的に扱えるようになった無限で何がわかっているのかが問題です。

 

言葉互いに規定し合って成り立つ循環(繰り返し)・ネットワークであり、外のない内です。平たく言えば、如何なる物や事も言葉で言うにつけ、堂々巡りに過ぎないのです。つまり、人は、物や事を言葉でわかっているのではありません。人には心が2つあります。

  1. 意識を通し言葉で言える。物の理ことわり、理解・・・・ 第1の心 、ヲシテ文献でいうシヰ(生命維持の欲求)
  2. 意識を通さず言葉で言えないがしかし、何となくその趣おもむきがわかる。・・・・第2の心、ヲシテ文献でいうタマ(心の本体)

人は、第2の心(タマ)でわかっています。 第1の心 (シヰ)でわかっているのではありません。タマがなければ、一切は存在しません。

ここで、言葉には数学を含みます。これまでに例とした匙とスプーンの関係図に有限と無限をいれます。また、2進数でのゼロと1も書き入れます。

図1 如何なる理論も思考も”外のない内” すべてを覆っているが、そこから一切出ていない

第1の心は、岡潔が言ったように「すべてを覆っているが、そこから一切出ていない」のです。つまり、有限に対して”無限”と言ったところで、「無限とは有限はでない数」という意味合いしかないのです。引用にあった無限に対する「特別な感情」に意味などありませんし、宗教や哲学のそれも大して意味はないことになります。

同様に、”ゼロ”とは「本当に何もない:真なる空」などといったものではなくて、「外のない内」における「内」の一つに過ぎません。”有”と”無”も同じです。

 

孫悟空は、お釈迦様の掌てのひらから出ることはできません。

この記事は岡潔のことを、山崎弁栄上人のことを知る前に書いた記事です。孫悟空がお釈迦様の掌から出られないというのは比喩で、我々が堂々巡りである言葉を使っていることによる限界を意味します。2014年の時点で管理人は、「外のない内」という表現を知りませんでしたが、感じていたことの意味は合っていた訳です。

本には出てきませんけれども、発散収束もあります。収束とは「ある値に限りなく近づくこと」です。発散とは「数列、級数などが有限の値に収束しないこと」です。有限の値に収束しないということは無限と考えてよいと思います。しかし、前述の通り、発散も言葉の性質からして「発散とは有限ではない」くらいの意味しかないととれます。

実は、管理人が発見した発散トーラスについて、発散トーラスという名称はあまり適切ではないと感じています。このあたりの説明は難しいです。

 

意識を通し言葉で言える第1の心(シヰ)の限界についてのお話でした。世のほとんどの人たちは心が2つあることを知りません。わかっていません。ですから、このような数学上の話を書いてもほぼわかってもらえないだろうと考えています。

如何なる実験や観測、如何なる理論も第1の心が持つ本質的な限界を超えることなど不可能です。ですから、半径130億光年の宇宙もまた、外のない内です。勿論、弧理論も含みます。逆に言えば、第1の心がすべてなのにもかかわらず発見や創造があり得るのです。

 

「3無限」の最後の部分です。

科学者や数学者が「無限」に立ち向かい、どのようにその概念を「科学」や「数学」の中に取りこんできたのかをみていきましょう。

「取り込んだ」ところで、その限界に気づくことはできません。心が2つあることを知らないからです。写真2の「3無限」にあるP136密度無限大のブラックホールやP140密度無限大の素粒子などの記事はまさに行き過ぎた(運動)による抽象に過ぎません。

図2 事の複雑さに際限はない

繰り返し(ループ)やネットワークが現れたら抽象の行き止まりです。

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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