物理学 者の置かれた状況(行き止まり)

この記事は難しいです。何とか書きます。じっくり考えてみてください。

物理学者の考え

Google AI とXの Grokに訊いて、 物理学 者が考えていることは、(多分)次のようです。

  1. 時間や光速度に着目すると、理論の全体が循環になっているように見えるが違う
  2. その理由は以下の通り
  3. 物の量はわからないが、事の関係は精密にわかっている
  4. 事が起きてから、対応する物(素粒子等)がわかる
  5. 事の関係の内に、観測可能意味のある一定の値(プランク定数)を得ている
  6. この値が観測の限界である
  7. 仮に理論の全体が循環ならば、(何も決まらず)偶然に意味のある値が得られるはずはない
  8. だから、循環などとは認められない

光速度一定で循環を断ち切った

1.についてです。相対性理論は光速度を一定とする循環だと気づいたのは2016年頃です。

動画1 02自然科学は循環である

 

図1 全体は(運動→時間→光速度{一定}→空間[物質の運動])という循環

マイケルソン・モーリーの実験結果を受けて、光速度不変としてこの循環を断ち切りました。その結果得たのが以下です。

  • E=mc2
  • エネルギーと質量は等価

 

不確定性原理とプランク定数

ハイゼンベルクによる思考実験の結果、「電子の位置運動量(速度)の両方を同時に確定的な値は得られないとした」仕組みが不確定性原理です。

これは量子力学の基本原理です。

粒子の位置(x)と運動量(p)を同時に測定する際の限界を示します。その一定の値がプランク定数(h-:エイチバー)です。その値は非常に小さく(1.054×10-34J・s)です。

ここで、プランク定数に(J:ジュールとs:)として時間が入っています。時間が入っているからこそ、全体は循環だと指摘した際に、Grokが返してきたのが、

5.「事の関係の内に、観測可能意味のある一定の値(プランク定数)を得ている。」だから、7.「偶然に意味のある値が得られるはずはないから、循環などとは認められない。」と言う論理でした。

 

量子力学から得た結果

物理学者たちは、「3.事が起きてから、対応する物(素粒子等)がわかる」と考えているようです。つまり、物の量はわからず、、即ち動き、運動、運動エネルギーがわかってから対応する素粒子がわかると言います。(Googl AIによればです。)

事の関係は非常に精密にわかっている。その基礎となる定数がプランク定数だと言うことです。

物理学者たちがこのような考えに至る原因は、E=mc2の解釈にあるようです。

  • 物と事は等価である。
  • これは、質量とエネルギーは、互いに規定し合う関係にあることを意味する
  • だから、「物がわかる」と「事がわかる」が反転しても問題ない
  • 観測して、事(動き、運動エネルギー)がわかる
  • その後に、何の素粒子だったかがわかる

 

抽象理論

ところが、 物理学 には物と事の区別がありません。

  • 素粒子は粒子と名付けられているが、波の一種(ソリトン)
  • 波は物ではなく、事、動き、運動の一種である

だから、物理学者たちの「考え(3.)=物の量がわからない」との考えは当然の帰結です。

例え話をします。

空気(窒素と二酸化炭素と酸素の混合気体)は、です。空気中を伝わるのが波である音です。

音の質量を計算したりする者などいません

  • 物の量と関係が薄い抽象と言う

音は空気の振動ですが、会話や音楽は物である空気とは何の関係もない抽象です。

同様に、物理学者たちが観測した素粒子は物ではなくて、波の性質に聞き耳を立てて波の性質を区分けしているだけの抽象です。

  • 素粒子物理学は、物の量とは何の関係もありません。これは単なる抽象です。

 

行き止まり

物と事は反転し、物の量はわからず、それでいて観測可能な一定の意味がある値が得られています。

量子論の一つの成果として超ひも理論があります。でも実証可能な実験のアイディアが50年間もの間、一つも無いというのは、どう考えても行き止まりです。

 

 

なぜ意味のある値が得られる?

循環であるとわかってから、このことは気になっていました。
どうも、上に示した通り「物と事は等価であって、これは、質量とエネルギーは、互いに規定し合う関係にある」という物性に原因がある様にも思えます。
要は、物理学者たちによる「E=mc2の解釈そのものに原因がある」とも読めます。

管理人の考えは異なります。

単なる結果に過ぎないと考えます。一言で言えば、

  • 物と事は映像に過ぎず、その現れ方の仕組みによって、不確定性という結果になる

と考えています。その根拠は、ある科学者の言葉にあります。

君たちの科学の急速な進歩に対する根本的な障害の一つは、科学者たちが物質とエネルギーのかんたんな同一性をまだ十分に把握していないことだ。地球の最大の思索家の一人であるアルバート・アインシュタイン教授はずっと以前に物質とエネルギーの同一性を量的に表した数式を発表した。この式は数学的には全く正しいのだけれども、誤った結論に達している。つまり、物質はエネルギーに転換するし、その逆にもなるというが、本当は物質もエネルギーも一つの実体の異なる側面に過ぎない

二つの次元を持つ幾何的な平面を考えてみたまえ。この面が君の視線に対して直角をなすとき、君はそれを平面と感じる。これはその実体の物質面をあらわす。次に君がその面を九十度ほど回転させると、その面は君の視界から消えて一次元のみとなる。これはその実体のエネルギー面だ。君はその面をとり変えたわけではない。ただ観点を変えただけだ。技術的に言えば関係位置を変えたのだ。一定の物体に含まれていると思われるエネルギーの量は、一定の観測者にとって質量エネルギー軸を中心にそれがどれくらい回転したかにかかっているのだ。別な関係位置から同じ物体を見ている別な観測者は、まったく異なる量のエネルギーを見るだろう。

物(物質)と事(運動エネルギー)の現れ方が不確定性原理という結果になっているとの解釈です。

  • 物質もエネルギーも一つの実体の異なる側面に過ぎない
  • 物(物質の質量)も事(運動エネルギー)も一つの実体の異なる側面に過ぎない
  • 物と事は互いに規定し合って成り立つ繰り返し、循環である
  • 運動エネルギーが増大するに従って、物は次元を失って見えなくなる

この4つから、ミクロな世界において物事は、不確定性原理という結果になると言えそうです。

ある科学者の言葉が本当だから、物理学者たちのボタンの掛け違いによって、行き止まりになっているようです。

注:この辺りの考えは難しいです。

 

統計と確率も結果

もう一つ疑問があります。なぜミクロな世界においては、離散的に現れるかです。どうも、統計的に確率的に現れるのは、ある科学者の言葉の通り、直交する次元軸からの現れ方のせいである様に思います。

電子と光子

観測できる最小単位があり、物は次元を失って見えなくなります。物と事(素粒子)の関係について、かなり前に次のように記しています。

  • 電子と光子は一つの実体の異なる面に過ぎない

電子は運動エネルギーが大きくなるにつれて、質量は次元を失って見えなくなります。それが波の一種である光子だとの考えです。

光子の現れ方は、何度も観測して統計を取ると意味のある値が得られます。これが確率です。

本当の仕組み

統計と確率は結果であって、本当の仕組みは別であるようです。その仕組みが

  • 物と事は互いに規定し合って成り立つ繰り返し、循環

であるようです。

  • 素粒子の現れ方の規則性(統計と確率)も結果に過ぎない

例え話

何度も投げて、出た目の数を集計して、意味のある値を得ます。これが統計と確率です。

  • 物=プラスチック製のサイコロ
  • 事=何回も投げて、統計を取る
  • 意味のある値を得る
  • これが確率

しかし、物であるサイコロと「統計確率」は関係ありません。

  • サイコロと関係が薄い「統計確率」は抽象である

抽象だからこそ、統計や確率がトランプやルーレット等にも適用できるのです。

これは素粒子の観測にも適用できます。それが可能なのは、

  • 素粒子と「統計確率」は、関係が薄いであって、抽象に過ぎない

からですし、素粒子は波の一種です。

物理学者の解釈「物と事は等価」であるならば、

  • 素粒子は統計確率である

となります。どう考えても間違っています。

 

本当はニュートン以来変わらず

事の本質は簡単です。それは、ニュートンと変わりません。

 

運動の相対性

あるのは、運動の相対性です。例えば、

  • 運動するAとBがある
  • Aは50km/hrの速度で移動している
  • Bは100km/hrの速度で移動している

看板や木々は後ろへ去って行き、景色は変わります。しかし、これが宇宙空間で、周りに何も無かった場合を想像します。すると、

  • AとBは50km/hrの速度で遠ざかっている
  • わかるのはAとBの差分だけである

これは、ニュートン以来、変わらない運動の相対性です。

ここで、物理学の答え「E=mc2」に従って、AとBの質量を「J・s」に置き換えます。すると

  • 「事が起きた」とわかってから、どういった「物:質量」があったかわかる

という反転が起きます。このようなことは、実生活ではあり得ません。

話が複雑になってきましたけれども、質量を事である「J・s」に置き換えると

  • わかるのは、事の差分だけ

と言うことです。これは、量子力学の結論に等しいです。

 

置き換えただけ

物理学者たちは、古典物理の「E=mc2波のそれ(振動数)に置き換えただけだと気づきます。その定数がプランク定数なのです。

図2 飛び飛びのエネルギー|量子力学の幕開け(3)より切り抜き

常日頃経験している物事を事である波に置き換えただけということです。違うのは、

  • 波は重ね合わせる
  • ミクロな世界では波は離散的に起きる

サイコロやトランプに統計確率は適用できますし、素粒子の観測にも適用できます。
しかし、物が重なることはありませんし、離散的に現れることもありません。

 

共感と本当の狭間

数学的に美しいという感覚はかなりの人たちは共感すると思います。しかしながら、本当は何が起きているのかは、別だと考えています。

ここでは、長くなりすぎますので省略しますが、宇宙は統計や確率が本質ではなくて、本質は素数にあるのではないかと疑っています。

  • 偶然で、一定の意味のある値が出てくることはないから、理論が循環だとは決して認めない、ましてや、この美しい数式が何かを示しているに違いない。

音楽を美しいという感覚を疑っていませんが、音楽は空気だというのは受け付けません。共感と本当の仕組みは別だとの直観があります。

  • では、電波や素粒子の媒質(エーテル)は?

と言う疑問が残ります。

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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