不確定性原理 は”原理”ではない (物理現象の終端)

2019年頃から 不確定性原理 に怪しさを感じて何本か記事を書いてきました。3つの科学:ミクサタカラ(タマ:精神科学、カガミ:社会科学、ツルギ:物質科学)のうち、タマとカガミの探求に長くかかってきましたけれど、2019年頃からツルギ:物質科学についても平行して考察してきました。

過去記事を”不確定”で検索すると13件ヒットしました。その中で不確定性原理について言及している記事を列記します。

  1. 「エネルギーを複素数空間で扱うこと」について 投稿日: 2012年4月12日
  2. 弧理論の考え方から見た「不確定性原理」について 投稿日: 2016年9月24日
  3. 物質的自然は「映像」だから「不確定性関係」が生じる 投稿日: 2017年12月8日
  4. 遠隔作用と 近接作用 接するとは? 投稿日: 2019年2月12日
  5. 電子雲 という回転運動 投稿日: 2019年2月27日
  6. 空間 とは何か? 場とは? 位置と点から考える 投稿日: 2021年1月6日
  7. ハイゼンベルク、ロバートソンの 不確定性原理 と相対性理論のE=mc^2は同じ? 投稿日: 2021年2月22日

こうやって振り返ると、思考過程がわかります。かなり早い2016年の段階で不確定性原理に疑問を持っていたことがわかります。その疑問の切っ掛けはある科学者の言葉から来ています。

君たちの科学の急速な進歩に対する根本的な障害の一つは、科学者たちが物質とエネルギーのかんたんな同一性をまだ十分に把握していないことだ。地球の最大の思索家の一人であるアルバート・アインシュタイン教授はずっと以前に物質とエネルギーの同一性を量的に表した数式を発表した。この式は数学的には全く正しいのだけれども、誤った結論に達している。つまり、物質はエネルギーに転換するし、その逆にもなるというが、本当は物質もエネルギーも一つの実体の異なる側面に過ぎない。

二つの次元を持つ幾何的な平面を考えてみたまえ。この面が君の視線に対して直角をなすとき、君はそれを平面と感じる。これはその実体の物質面をあらわす。次に君がその面を九十度ほど回転させると、その面は君の視界から消えて一次元のみとなる。これはその実体のエネルギー面だ。君はその面をとり変えたわけではない。ただ観点を変えただけだ。技術的に言えば関係位置を変えたのだ。一定の物体に含まれていると思われるエネルギーの量は、一定の観測者にとって質量エネルギー軸を中心にそれがどれくらい回転したかにかかっているのだ。別な関係位置から同じ物体を見ている別な観測者は、まったく異なる量のエネルギーを見るだろう。

ここで数式とは”E=mc”のことです。量ではない角度から作った時間[T]は物理量ではありません。ですから、この数式は数学的には正しいですが、物理的な意味では間違いです。エネルギー[ML2T-2]は時間を含んでいますので使えません。彼の説明にでてくる別の次元軸上(E軸と言う。)にある”実体”が持つ値を真のエネルギー値として区別します。ここでは、時間を含んだエネルギー[ML2T-2]のことを運動と呼びます。運動量・運動エネルギーを表す”P”は時間を含んでいますので、時間を含まない運動という意味でPに_(アンダーバー)をつけて区別しています。我々がいる空間をM軸と言います。

図1 M軸(物質面)とE軸上で視点を変える。

実際は、”面を取り替えた”わけではなくて、”観点を変えた”だけです。

図2 投影角の変化によりmは運動Pとして観測される。

ある科学者の言葉を言い換えると次になります。

「質量mは、運動Pに転換するし、逆にもなるというが、本当はmも運動Pも一つの実体の異なる側面に過ぎない。」

ここで、運動Pが増大するにつれて、質量mは次元を失います。(視界から消える。)つまりは、物質の質量mと運動Pは同時に確定することはできないということです。

ここで、運動Pを質量mで割ります。

数式”E=mc”は相対性理論での話ですけれど、量子力学でも使われます。つまり、天体の運動などマクロから微小なミクロの力学へ適用する訳です。

で、運動とmを小さな値にします。→0であり、m→0ということです。割り算の結果は次の3つに限られます。

  1. 数式の値は 0
  2. 数式の値は 無限大(発散)。
  3. 数式の値は 計算できない。

で、割り算の出所は、冒頭の”E=mc”にあります。

どうも管理人には不確定性原理もプランク長も、プランク質量も、はたまたシュワルツシルト半径も(原因が)同じに見えます。

図3

つまり、観測の限界というか、物理現象の終端だとの認識です。同時にシュワルツシルト半径は、ある種の観測の閾値ではあってもブラックホールの根拠にならないと考えます。

写真1 相対論(共立出版)カバー「球対称性をもつ強い重力場の中で運動する質点の軌道 中央の白地の部分はSchwarzschild半径である」

そもそも、相対性理論(と自然科学全体)は、量ではない時間をパラメータとする循環です。

図4 物質的自然※→物質の運動→時間→光速度不変?→時間・空間→※

なぜ、物理現象の終端を考えるかというと自然は別の次元軸(E軸)からの投影による映像だという考えからです。

仮に岡潔が云ったように自然が阻害性のある映像ならば、画素に相当する何かがあるはずで、それより小さな領域はきっと行き止まりであるはずと考えてきました。参考「【5】自然は映像」 当たり前ながら画素と映像は無関係です。この場合の画素に相当するのが量子力学の延長上にある”場の理論”です。だから、映像である古典力学と画素に相当する量子力学はつながることはありません。その根拠が冒頭にご紹介したある科学者の言葉なのです。

参考:”近接作用”でサイト内検索ください。「自然が映像ならば、 近接作用 はあり得ない」投稿日: 2020年12月21日」、「自然科学 の問題点(ほぼ確定)」投稿日: 2020年10月30日

これまで、記憶の限りにおいてブラックホールには触れてきませんでした。結論を言いますと、ブラックホールはないです。で、いろいろ考えますと相対性理論を根拠とするビッグバンモデルにも納得がいきません。(超高温、超高圧であったt=0で破綻します。)

 

そして、同時に想起するのはアキレスと亀の寓話です。

図5 出典:ゼノンのアキレスと亀を分りやすく解説して考察する

1÷ゼロ、ゼロ÷ゼロの議論は究極で言えば抽象です。物理学者たちは、このような論理の展開を120年近くやってきたのです。

人の心は2つあり、第1の心には限界があります。第1の心は循環である言葉で言える範囲に限られるからです。(これを外のない内と言います。)このことをわかる人があまりに少ないです。現代の物理学は”アキレスと亀”の寓話と違いはありません。数学を含む言葉により論理は限りなく緻密に組み立てることができます。しかし、如何なる理論も第1の心の限界である”外のない内”を破ることは不可能です。勿論、弧理論もです。だからこそ、論理の方向をE軸上に求める以外に手立てがないということです。

 

余談です。近頃、2019年7月22日の記事「負のエネルギー の解釈の間違い Alexey Chekurkov(アレクセイ・チェカーコフ)の浮揚ディスク 」に来られる方が多いです。勿論、本記事の内容と矛盾しない解説だと認識しています。XY平面内で回転運動する物体にかかるE軸の方向は回転軸(Z軸)に重なりますので、Z軸方向に非対称な構造を持つ回転体には真のエネルギー勾配が軸に重なるということです。このような理論は自然科学の範囲では決して出てきません。もっと言えば、加速度には幾つか種類があるらしいです。なぜ重力と遠心力は、起因が異なるようなのに差し引きできるか(区別がない)という疑問を誰も持たないのでしょうか。非常に興味深い。

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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不確定性原理 は”原理”ではない (物理現象の終端) への2件のフィードバック

  1. 中川 のコメント:

    6月の勉強会に向けて自身で気になる書籍の読書とこちらのサイトの記事を読む毎日になっています。
    最近の投稿されている記事がΦさんの今まで研究の要点まとめられた読みやすい記事でとても助かっています。
    理解をできているとは思ってませんが、
    とても楽しいです。

    学習の意図と目標が定まってきました。
    その内容の是非も当日伺いたいです。
    当日、ご意見お聞かせください。

    蛇足ですが、最近見たドラマの主人公のあだ名がハイゼンベルクでした。
    不確定性原理については全く興味なかったのですが、記事の内容とこちらの偶然で興味が持てそうです。

    内容のないコメントで失礼致します。

    • Φ のコメント:

      まだ、告知してませんが、次第を考え中です。フリーエネルギー関連の解析をお話ししてもよいなと考えています。タマとカガミについて、わかったと感じられるようになり、今はツルギについて取り組んでいます。ですから、タマとカガミを踏まえて過去をまとめています。わかりやすいとのことでよかったです。
      前回、2018年までで自然科学は循環であるとわかっていました。その後第1の心も循環であり、外のない内であることがわかるとともに、第2の心は2つある宇宙の中心から出ており、2つの中心は決してわからないと言うことがわかりました。
      岡潔が発見した大宇宙の中心は、だけではありません。情はヲシテ文献のナサケヱダとして随心です。その本体は「ア」ですけれど、アという呼び名も仮に過ぎません。本当の意味で、人には心が2つあることを理解せねば物質科学は進まないです。
      ただ、何事も鵜呑みにしてはダメです。当サイトを含めて「寛容で懐疑的な態度は絶対失ってはいけない」です。
      ついでながら、第1の心は外のない内ですから、総量はわかるし内訳もわかりますが、総量の保存はしません。しかも、エネルギーは運動P_で、「事の質」です。自然科学は物と事の区別を間違っています。よくわかりませんが、情報とは何かという本質に関わると感じます。
      運動から時間を作ります。ですから時間は事の質です。物の量ではありません。物と事は一つの実体の異なる面です。事の質である時間は、物の量についてのパラメーターとするには不適切です。光速度は小文字のcですが、”使えない定数C”の間違いですw。

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