イタコ芸と 自然科学

幸福の科学の大川総裁の長男である宏洋氏が、父親である総裁による霊言について、「あれはイタコ芸だ。」と説明しています。 前置きが少し長いです。

 

映画などのエンターテインメントは、その基礎に 自然科学 に基づく映像・通信技術が根底にあります。 管理人は、これら西洋文明の成果である映画などのエンターテインメントについて、ある疑問を持っていました。

どういう訳か映画の一部門にSF(Science FictionあるいはScience fantasy)があり、その行き着くところおどろおどろしい魔法や魔術、あるいは呪術の世界を彷彿させる物語になりがちです。なぜ科学の時代と言われるなかで、エンターテインメントにオカルトや呪術のようなものを持ち込むのかずっと疑問に思っていました。

よく知られていることに、アイザック・ニュートンは物理学者であるとともに錬金術師でした。端的に言えば、 自然科学 の源流に錬金術があるということです。アイザック・ニュートンのオカルト研究

「呪術 魔法 魔術 錬金術 天文学 化学 力学 → 自然科学 」 という歴史的な流れがあって現代に至ったのです。つまり、当時学者といえどもわからない現象物質の解明に「科学者の分析的な目呪術的な取り組みが混在していたのではないかと推測します。

ですから、中世において現代と同じ科学的価値観や観念を持っていた訳ではなかったと考えます。

ところで、2015年9月8日『G・アダムスキー「ヴードゥー教とコックリさんをしてはいけない」 キリスト教の十字架もサタニストの儀式も同類である』があります。

 

岡潔は、人には心が2つ(第1の心、第2の心)あるとしました。2つの心はヲシテ文献のタマとシヰに等しいです。タマは心の本体です。シヰは”欲しい欲しい”のシヰであり、生命維持の欲求です。

岡潔は「わからないものに関心を集め続ける」と述べています。これは岡潔の思索の方法を具体的に示したもので、第2の心(タマ)の発露を目指した実践方法(弛緩と関心)を言います。最近では、管理人はこれを”待ち受けの状態”といい、仏教で言うところの他力に相当します。

対して、錬金術は呪術・オカルトに端を発し、これらはごく私的な欲求によります。つまり、第1の心(シヰ)から来ています。方法としては、現代もそうであるように”緊張と集中”によるだろうと考えます。

実は、第2の心による思索と第1の心による行為は、外見的にとても似ています静かな思索と対極にある祈祷のようなものです。似てはいるけど、まったく異なるのです。これが当サイトでオカルトやスピ系を避けてきた理由です。

 

大川総裁による霊言が呪術的であり、オカルトの類いであるというのがわかりやすい見方でしょう。ですから、ご本人が本当に信じているのか、それとも演じているのかわかりませんが、宏洋氏の言うようにイタコ芸であるというのは正しいようです。というか大川総裁による霊言はとても現代的だということです。大川氏は現代のシャーマンだということです。

 

以上のように、岡潔が”天才で変人”であると見なされる一因なのですが、本当に理解されにくいです。次の記事が参考になります。

 自然科学 には「創造の仕組み」がありません。

図1 各資料における2つの心を上段と下段に対比(自然科学には創造の仕組みがない)

古い記事で、現在ではもう少し詳しく説明していますが、ご参考まで。

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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