角度 は「量」ではない 角度から作る時間は物理量ではない

これまでに、「宇宙の本質は距離(長さ)ではなく、 角度 にある」と何度か書きました。この観点は、物質的自然※が「別の次元軸からの投影による映像」だとの仮説から来たものです。 しかし、人が時間を作ることとなった原点も 角度 でした。この一致は管理人にとって奇妙なことでした。現在もこの一致はどこからくるのかわかりません。※数学者岡潔の「【3】五感でわかるもの」を参照ください。

人は太陽や天体の運行により方位・方角を知るとともに季節の移り変わりとの関係に気付いて暦を作りました。

図1 出典:太陽の動き

暦(春夏秋冬の変化)とともに年や月を決め、時、分、秒という時間を決めました。 その際に用いたのが大地に立つ人と太陽や天体の動きにかかる 角度 です。

図2 出典:時差とは

だから、時計はアナログの日時計が始まりです。

写真1 携帯の日時計

デジタルになった現在のセシウム原子時計になっても10進数で扱いながら12の倍数であるわけです。

セシウム原子時計写真2 出典:日本標準時を作る

余談です。基本物理量である質量長さは10進数なのに、時間は10進数で扱いながら12の倍数です。宇宙の本質が長さではなく角度だという考えは、言い換えると「宇宙の本質は12進数にある」ということです。だから、12進数の素数に拘ってきたのです。 何故、1年を12ヶ月に割るのか。角度を12の倍数である360度とするのかに関しては、下記の記事を参照ください。

因みに上のリンク先、基本物理量にある長さの決め方に「1m は  光が(1/299,792,458)秒の間に真空中を伝わる長さ」とありますが、時間を用いて長さを決めてはダメです。

図3

太陽の運行(正しくは自転する地球と天体との位置関係、=物体の運動)により時間を決めると、光速度は物体の運動に依存します。その光速度から長さを決めると堂々巡りの循環になってしまいます。やはり今のところメートル原器によるしかないと考えます。

写真3 出典:産総研とメートル原器とキログラム原器

 

本題に戻ります。

時間とは何か」を説明するために、アナログの時計盤を作りました。10月18日の記事「物理的な時間について」を参照ください。

写真4

この記事で管理人は、時間についてほぼ理解したと記しました。けれど、もっと基本的なことがありました。それが角度です。 イチゴのチーズケーキを用いて説明します。

写真5

イチゴのチーズケーキはであり、嵩があります。これを4人で分ける事を考えます。ケーキの中心を通る線分ABとCDを描き、2つの線分を90度に配置します。ケーキの量を4分の1にわけるには、90度を使いますが「90」という数にはケーキの量は入っていません。ケーキが均質であると見なして、質量と体積はわかりますので等分するには角度で割ります。 角度を用いれば何等分にも分けられますが、角度は比例関係を示すだけです。量は質量と長さです。

これを時計に当てはめて考えればわかります。時計は角度の位置に割りふった数字を読んで時間とします。角度から得た数字に過ぎません。時間は何かの量に比例する数字ではあっても量そのものではありません。 その何かというのは、当初「天体の運行」でした。いわば地球の自転の速さによったのです。自転の周期がほぼ同じだったので、それを基準に時間を作ったのです。勿論、惑星や衛星によって1日の周期はまちまちです。地球の自転がほぼ同じだとしても、そこから作った時間は量ではありません。

これで、時間の本質に到達したと考えます。 例で云えば、等分する角度がわかってもケーキの大きさとは何の関係もありません。測地測量に用いる三角測量も同じです。面積は角度で求めますが角度は面積(土地という量)に関係ありません。

どんなに考えても時間は物理量ではありません。 五感でわかる運動から作った時間は、五感でわかる運動の計測にのみ使えるということです。「時間とは何か」を参照ください。

裏を返せば、量の裏付けのない時間を用いれば数字という一見、確かな裏付けが在るような何かに見せかけて、実は何も無いというふうに誤魔化すことができるということです。ちょっと実感しにくいですが、同じ数字なのに物や事に対して伸縮するということです。極めて巧妙な仕組みです。 これはお金もまったく同じです。 (ところがこの2つには強力な魔力(あるいは魅力)があり、誰も抜け出せないのです。この魅力はおそらく抽象化にあるのでははないかと考えます。)

時間とは何か」の記事は書き直すべきですけれど、もう少し後に考えます。

 

これまで、簡単な方へ、より基礎的な方へと考えてきました。 その簡単の極致が「物や事」です。物や事(出来事あるいは事柄)という表現をするようになった切っ掛けは、下記の記事からです。

実は、岡潔が云った「五感でわかるもの」の内には、「物と事」があります。本題である時間の基準となる角度は「事」でした。角度は測定し、確からしい数字に置き換えられるとともに精度を云々できる値でありながら「物」ではなくて「事」なのです。これ以下は次回に書こうと思います。

 

キーワード メモ 物や事

・物・・・質量 位置 投影による映像 →基本粒子(陽子中性子電子) 位置の隔たりは距離 位置の変位は運動  生物無生物関係なく全部一緒の物

・事(event)・・・ 事柄 出来事  「人と人」あるいは「人と物」との関係・関係性、リレーションシップ【relationship】 一対一 一対多 情報の質 情報は量ではなく「状態」 しかしエネルギーが関係する  方位・方角(東西南北)・角度  派生して 上下左右前後  空間の性質から派生して 「右」は正統な、正義の意味  派生して 善悪 正義不正義 右派左派 保守と革新 神と悪魔 天国・極楽と地獄 二項対立などの概念は空間の性質から派生?事のすべては相対的。事の二面性は投影元が2つあるから。ではなぜ空間は3次元と認識されるのか。実体が6種あるからか。6種が3方向に対応?実体が6つあるのに投影される物質(基本粒子)は3つしかない。なぜか。 事の成り立ちが投影元にあるなら社会科学と物質科学の接点はこのあたりにあるはず。

・物や事は、別の次元軸から投影されて映像として現れる物質とその性質。物から空間は認識される。空間は後から。 完全無個性な基本粒子だから情報は生じる。全部異なるなら混沌に過ぎない。名前すら付けられない。言葉も生じない。 「事」は物が互いに規定し合あう関係。言葉も数学も「事」 全ての「事」は3つの基本粒子から生じる。量子計算機は突然死があるから本質からはずれている。 映像である物は離散的に現れるから「わかる」には静止画と動画の2種がある。静止画のわかるが情 動画のわかるが「もののあはれ」のアワレ。本居宣長第九回「もののあはれ」の巻 ヲシテ哲学の心の構造「ナサケエダ・アワレエダ」にたぶん同じ。ヰクラムワタは五感の内訳であり物である感覚器官ではないだろう。五臓六腑は全間違い。

 

Φ について

2010年より研究しています。
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角度 は「量」ではない 角度から作る時間は物理量ではない への4件のフィードバック

  1. mm のコメント:

    ユミットの本を読まずに、この内容を独自に考えられたとは本当に驚きました。
    Φ様の考察はとても深く、真理の一端を掴んでいるものと思います。

    この「宇宙人ユミットの手紙」はフランスの科学者が執筆したノンフィクション小説でして、
    地球に調査の為に来訪した宇宙人であるユミットが手紙を通じて地球人にコンタクトを取ってきたので、その手紙について解説されている本です。
    その中のIBOZOO UUはユミットの数学と物理学の根幹を担う考え方でして、
    時間だけでなく、次元や空間や全ての素粒子に至るまで、距離や量ではなく「IBOZOO UUの角度の違い」によって構成されているとされているようです。

    ちなみに申し遅れましたが、こちらの「宇宙人ユミットの手紙」はシリーズものでして、
    IBOZOO UUについて書かれてるのは最終巻である3巻の
    「宇宙人ユミットの手紙人類の脳に「種の絶滅コード」を発見」になります。
    とはいえどの巻も興味深い内容ですので、全巻揃えておいて損はないと思いますが。

    • Φ のコメント:

      3巻とも注文しました。読んでみます。
      >時間だけでなく、
      時間は経験から来る人の持つ観念に過ぎません。

  2. mm のコメント:

    Φさんの「宇宙の本質は距離ではなく、角度にある」という言葉を見てちょっと驚きました。
    「宇宙人ユミットからの手紙」に書かれていた物理学の「IBOZOO-UU」の考え方に酷似しているからです。
    自分はこの「IBOZOO-UU」について興味があり何回も読んだのですが、内容と記述が非常に難解で上手く理解出来ませんでした。
    しかしΦさんのこのページでは「IBOZOO-UU」について本質を理解してとてもわかりやすく説明してるように感じました。
    Φさんは「宇宙人ユミットからの手紙」をよく読み込んでいらっしゃるのですか?

    • Φ のコメント:

      初めまして。知りませんでした。調べて早速注文しました。読んでみます。数学者岡潔は僧侶山崎弁栄上人を引用して「(素粒子の)少なくとも一部は映像だと云ってよい」と述べています。考察の結果、陽子中性子電子も映像だと考えます。つまり「物質は別の次元軸からの投影による映像」ということです。これは単に思いつきではなくて古代からの人々が考えに考えて到達した一つの真実あるいはそれに近いのだと感じます。その上で、投影による映像で大事なのは距離ではなく角度であることは実に簡単なことです。プロジェクタからの映像をスクリーンに投影するにレンズが必要です。レンズの役割は投影の角度を決めることです。大事なのはスクリーンの大きさではありません。
      手紙は知りませんけれども、多くの場合何かからの焼き直しだったり、どこかから摘んできたりした話だったりします。一部本当らしくても全部が本当だとは限りません。参考にしているG・アダムスキーもダニエル・フライの資料も全部はわかりませんし、信じるわけではありません。私にとって二人の資料は岡潔と同じ重さです。寛容で懐疑的な姿勢を絶対に維持すべきとのことです。
      ヒトハアノモノ ですし、ヒトハウナリ です。人は大宇宙のモノであると同時に物質です。人とは何か。物質が何かわかれば人がわかるに等しいと考えます。時間を物理量として用いている限り「事」とは何かわかっても「物」とは何かわからないです。

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