当サイトでは、弧理論を研究するにあたり、最重要資料の一つとして、 ヲシテ文献 を参考にしています。
ヲシテ文献 の研究は、日本ヲシテ研究所:池田満氏ならびに研究のお仲間が最先端であることは申し上げるまでもありません。当然のことながら、池田氏は ヲシテ文献 を読んで、読み込んで、書いて、書き込んで、一文字、一文字を厳密に緻密に解釈された結果を発表されています。
一方、当サイトでは他の資料との整合性が大切だとの考えでおります。数学者の岡潔や仏教、あるいは聖書など、世界に認められた資料には、某かの普遍性があるはずです。
当然、ヲシテ文献にも人類に共通する普遍性のある内容が含まれているはずです。現代人が、ヲシテ文献の根底に流れている考え方をヲシテ文献のみから読み取ることは並大抵の事ではないと感じます。邪道ではありますけれども、他の資料との整合をとることによって、私たちにもわかりやすい言葉に置き換えて理解することができるものと確信します。
「お知らせ」にご説明申し上げるとおり、日本ヲシテ研究所の池田満氏の研究に関する資料(書籍・動画・講演)は引用に際し、適宜、池田氏よりご許可をいただいておりますけれども、当サイト独自の解釈の部分についての記事の責任は管理人Φ(nsw495kpr8)にあります。しかしながら、池田氏も批判されているように、漢字直訳などはもってのほかです。「イクラムワタ」を間違っても「五臓六腑」などと解釈しません。ただ、池田氏の解説と完全に同じになっている訳ではありませんことをご理解くださいますようお願いいたします。
解釈の一例を挙げます。フトマニの「ア・ウ・ワ」についてです。
図1 フトマニ図 中央がア・ウ・ワ(特殊文字)
- 岡潔「自然数の1は決してわからない。」・・・・2進数で言えば、1は0でない数であり、0は1でない数です。0と1は互いに規定し合って成り立っています。繰り返し、循環ですから1は決してわかりません。
- 仏教「如来」の意味「~の如し~の如し~の如し~の如し。(合わせ鏡)」・・・・アはワの如し、ワはアの如しです。アは決してわかりません。 真は偽の如し、偽は真の如しです。右は左の如し、左は右の如しです。すべては、如来であり、決してわかりません。現代の表現では「相対性」に近いです。
- 新約聖書ヨハネ黙示録「アルファでありオメガである。」・・・・上と同様です。アルファはオメガの如し、オメガはアルファの如しです。決してわかりません。
- 阿弥陀如来・・・・a(否定)-mita(量る)如来です。決して量り得ないです。岡潔の「決してわからない」に通じます。
- 物と事は、互いに規定し合って成り立つ繰り返し、循環でネットワークです。
- 繰り返し、ネットワークのことを「外のない内」と呼びます。

