物と事の間は 素数 でつながっている

普段の睡眠時間はおおよそ7時間ほどです。目覚めてから起床までの間に、これまでの考察を振り返る(復習)ことが多いです。早朝、何となく目覚めて、ぼんやりしていた時、不意に次の言葉が浮かんてきました。

  • 物と事の間は 素数 でつながっている。

弧理論の前提は、「物と事は一つの実体の異なる面に過ぎない。」というものでした。 別の次元軸(E軸という)が存在し、我々はE軸上にある何か実体という)が投影されることによって現れる映像M軸という)だというものです。言い換えると、自然はE軸上の実体が投影により作り出す映像だということです。

人が肉体に備わった器官でわかるのはです。弧理論では”事”を運動と呼んでいます。E-M軸を二次元平面として描くと次になります。

図1

投影角が変化することにより、物と事として現れます。あるいは次にように描けます。

図2

投影角の変化により、M軸に物と事(運動)が現れる仕組みです。

その物と事の間は 素数 でつながっているというのです。勿論、この場合の素数は12進数によります。

  • 物と事の間は12進数による素数でつながっている

現在のところ、この言葉が正しいかどうかわかりません。

 

発端は、ある科学者の言葉です。2か所ありますので続けて引用します。

君たちの科学の急速な進歩に対する根本的な障害の一つは、科学者たちが物質とエネルギーのかんたんな同一性をまだ十分に把握していないことだ。地球の最大の思索家の一人であるアルバート・アインシュタイン教授はずっと以前に物質とエネルギーの同一性を量的に表した数式を発表した。この式は数学的には全く正しいのだけれども、誤った結論に達している。つまり、物質はエネルギーに転換するし、その逆にもなるというが、本当は物質もエネルギーも一つの実体の異なる側面に過ぎない

二つの次元を持つ幾何的な平面を考えてみたまえ。この面が君の視線に対して直角をなすとき、君はそれを平面と感じる。これはその実体の物質面をあらわす。次に君がその面を九十度ほど回転させると、その面は君の視界から消えて一次元のみとなる。これはその実体のエネルギー面だ。君はその面をとり変えたわけではない。ただ観点を変えただけだ。技術的に言えば関係位置を変えたのだ。一定の物体に含まれていると思われるエネルギーの量は、一定の観測者にとって質量エネルギー軸を中心にそれがどれくらい回転したかにかかっているのだ。別な関係位置から同じ物体を見ている別な観測者は、まったく異なる量のエネルギーを見るだろう。

物質とエネルギーの同一性を量的に表した数式というのは、相対論にあるE=mcのことです。物理学上のエネルギー[ML2T-2]には量ではない時間[T]が含まれますので、これを運動と呼ぶようになった結果、”物質も運動も一つの実体の異なる側面に過ぎない”との結論を得、その後、弧理論の前提になる”物と事は一つの実体の異なる面に過ぎない”という表現に行き着きました。

我々の算数はいくつかの重要な関係で君たちのものと違っているからなんだ。我々の先祖は君たちと同様に最初に計算法を学んだときに十本の指を使ったんだ。

我々が君たちがやっているのと同じ十進法を基礎とした計算システムを開発したのはおきまりの結果だった。長い習慣から、その後数世代の間このシステムが使用され続けたが、十二進法を基礎としたシステムがもっとかんたんで有用で、本質的により可分性があるとわかったんだ。知ってのとおり十二は、二、三、四、六で割り切れるが十は二と五でしか割れないんだ。

研究を始めた当初から、何故ある科学者は12進数による 素数 を持ち出すのか不思議でした。そこで考えたのは物質のエネルギー準位と素数との関係です。以下に関係する過去記事をあげます。

こうして振り返ると随分と考え方が変わってきたことがわかります。二層型の浮沈子は、空間(M軸)とは何かを説明する境界空間の仮説の元となった模型です。境界空間でサイト内を検索ください。

 

一方で、ヲシテ文献にある次の文より考察を進めてきました。

  • ヰクラムワタネコエ ワケ フソヨニカヨイヨソヤコヱ

日本語の元となる大和言葉の起源がヨソヤコヱ(48音韻:アワウタ)です。物と事を5つの母音と10の子音に割り当てることによりヨソヤコヱが出来ています。

図3 出展:日本ヲシテ研究所

弧理論の図に落とすと次になります。

図4

ヲシテ文献にある書き方だと”カミ”に相当します。

  • アとワはつながり、ウをもたらし、ウよりヒトを生じさせる。人はアのもの。

カミとは宇宙自然ができる仕組みと働きを言います。そして、ウ(ウズ:渦)がM軸であり、紡錘図形です。紡錘図形の元は次図です。

図5 弧理論による原子模型(ただし、詳細は不明)

図5の元はG・アダムスキーの遺したネガフィルムにある部分です。

写真1

まとめると、ヲシテ文献にあるカミ(自然の仕組みと働き)は、G・アダムスキーの遺した写真の部分と同じということです。そして、これら資料の考察から得たのが、表題の「物と事の間は素数でつながっている」ということです。

日本語は偉大です。人がわかるのすべてをアワウタ(48音韻)に織り込んでいるのですから。

  • 物の初めから事の終わりまで。これらアとワの間は12進数による 素数 でつながっている

というのです。今のところ、真偽はわかりません。

リーマン予想について、随分前から関心を持ってきました。ここにおおよそのつながりがわかってきました。

それと、12進数による計算は、10進数に慣れ切った我々には途轍もなく困難です。無茶苦茶ハードルが高いです。

 

最後に岡潔の言葉を引用します。下線は管理人による。【3】西洋の唯物主義より。

大正9年に亡くなった山崎弁栄という上人がありますが、その人は心について大変詳しく云っていますが、その人の云うところによると、本当に実在しているのは心だけである。自然は心があるために映写されている映像にすぎない。そう云ってるんです。

 実際科学をみましても、自然科学は素粒子を発見した。その素粒子には、安定な素粒子と不安定な素粒子とがあって、不安定な素粒子は生まれてきてまたすぐ消えてしまっている。そうすると、自然は存在じゃないんですね。少なくとも、一部は映像と云ってよい

 また安定な素粒子、安定な素粒子の代表は電子ですが、電子には絶えず不安定な素粒子が衝突している。だから安定してみえるのは位置だけであって、内容は刹那に変わっているのかもしれない。そうも考えられる。もしそうだとすると、山崎弁栄上人が自然は映像であると云っているのと同じになるんですね。今の自然科学では、自然は存在でないことはわかっているが、安定な素粒子というものがあるから、全体が映像かどうかはわからない。そういう状態です。

 西洋人は五感でわからないものは無いとしか思えない。これが唯物主義です。この仮定のもとに調べてきた。それが自然科学です。そうすると、とうとう素粒子というものにいき当った。不安定な素粒子というものがあって、生まれてきてまたすぐ消えていってしまっている。無から有が生じるということは考えられない。そうすると、五感でわからないものは無いという仮定は撤回しなければならない。それで西洋の学問は、一番始めからもう一度調べ直さなければならないところへきているんです。

ついで。

  • 宇宙の中心は2つ(アとワ)がある
  • 人には心が2つあることと関係する(タマ:第2の心とシヰ:第1の心)
  • 人が病むのは、2つの心:タマとシヰの乖離が原因
  • 事(運動)の複雑さに際限がない
  • 事の行き着く先は、社会全体の抽象化
  • 行き過ぎた抽象にタマ(第2の心)が耐えられなくなる
  • 弧理論は、3つの科学(精神科学弧理論による社会科学物質科学)による
  • 精神科学と弧理論による社会科学が基礎になる
  • タマは物がわかる シヰは”生命維持の欲求”であると同時に事がわかる
  • 物がわかる→時の現在がわかる 事がわかる→時の過去がわかる (記憶の仕組みが必要=情報を蓄える肉体が必須) ヒト=タマ+シヰ+肉体
  • 現象はアとワの差分である
  • その他諸々

大事なのは、自然は人の心の表れであり、自然の仕組みと働きとの仕組みと働きは切り離すことなどできないということです。

アワ(泡)は宇宙の大規模構造と直結しています。ウ(渦)は何も固定された点がない空間において、最も重要な運動です。マイケル・ファラデーが発見した単極誘導が本命です。単極誘導は微弱ですけれど、すべての現象が差分であるならば微弱であることは問題ではありません。如何に差分を大きくするかだけです。

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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