タイム!

役に立たない小咄をひとつ。

自然科学者「」、 振り子の運動「」、 時間「

 「さて、振り子の運動を使って時間を計ってみるか。 何せ、振り子には等時性があるし、運動は時間に比例して起きるはずだからな。」

pendulum2015

 「時間?? いや、オレ知らないよ。 吊り下げたオモリと重力で動いているだけだから、時間に聴いてくれ。」

 「いや。待った! そっちこそ、運動に聴いておくれよ。」

う・タ 「こっちに言われても困る。 勝手に決めるなよ。」

という水掛け論でした。 いやー、よく考えたら時間なんてありませんでした。

”時間”は物理量じゃない。 時間とは、過ぎゆく運動の記憶(記録・情報)でしかない。時間を五感でわかるものと思っていましたけれど、違ったようです。  時間を”見た・触った・聴いた・味わった”人は、管理人までお知らせください。 時間が物理量ならば、重さや長さと同じで直接触れるはずです。

数学者岡潔によれば、「数学で大切なのは情緒である」だそうです。

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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タイム! への19件のフィードバック

  1. 佐々木 のコメント:

    1kgの定義が最近変わったようです。

    少し先が読めました。
    「時速4kmで1時間半歩けば6km進む」をより厳密に表現すると、
    「時速4kmを保ったまま、1時間半歩き続けるならば、6km進むことが可能である」です。
    移動手段は徒歩、自転車、車、鉄道、飛行機などいろいろあり、各時点での加減速、疲労、燃料なども考慮せねばならない。
    そこで運動が時間に比例するという発想をひっくり返す。
    ”時間に対する次数”というややこしい表現がこれですね。
    M軸が持つ複数の性質に、例えば電磁気などに、整数次数を持った変換をしてE軸にアクセスする。

    • Φ のコメント:

      >1kgの定義が最近変わったようです。
      まだ、最近のことですね。http://irorio.jp/daikohkai/20150719/245962/ 初めて知りました。
      >”時間に対する次数”というややこしい表現がこれですね。M軸が持つ複数の性質に、例えば電磁気などに、整数次数を持った変換をしてE軸にアクセスする。
      そのとおりです。物体を加速しても光速度に達しない。さんの装置ではパルスの頂点で起きることを弧理論に当てはめて考えます。するとE-M軸平面において、投影角θが反時計方向に3回×90度回転させることになります。結果、投影角がゼロになります。するとE軸上の実体は、M軸上に現れるはずです。しかしE軸上の実体は投影角90度(静止時)のとき電子なので、投影角ゼロではM軸上において我々からは見えなくなります。恐らく電子(単極F)でいえば、光子に相当するように思います。(投影角ゼロの電子は波と観測されるという意味です。) これまでに何度も解説を試みましたけれど、「光の速さを超える物体」は、「静止しようとする(ゼロ→90度)が故に実体が無限遠に消失して通常の電子に戻る」ので、電子はM軸上に現れた見えない実体に引かれるものと見られます。この引かれる方向が正の方向ですので、正の起電力に相当することになります。この現象が第3起電力なのだろうと考察しましたし、この弧(Ark)の3次元形状が発散トーラスということです。
      更に言えば、無限遠を内包するトーラスが正の起電力を実現するカギになるのではないかと実験を考案しています。

  2. 村里英明 のコメント:

     時間を五感みたいに感じるのを考えてみました、そこで待つという感覚、これは時間と思います、そこで遅いとか、早いとかは速さVをの感覚、待ち合わせ場所で相手が走ってくれば、速いので待つ感覚が少なくてすみます、相手がゆっくり来れば待つ感覚が大きくなります。

     KODENJIKI氏の記事にはコメントがついていいですね、私のアメーバブログは、ほとんど反応0です。ブリキのロボットで投稿していますので一度覗いてもらいアドバイスもらえれば嬉しいです。

     

    • Φ のコメント:

      ありがとうございます。
      自分で考えることは大事なことです。もがいた結果、誰かと同じであったとしても価値のあることです。当方もここで、述べていることのソースは、受け売りに過ぎません。(解析、解釈の努力はしましたが。)オリジナルは「渦とサイホン」の模型だけです。水銀による同軸三重反転も今までなかったようですが、これも「方程式により説明可能」と言われればそうですが、「やった」ことに意味があります。後付けであれこれ言うより、「やってほしい」です。
      >時間を五感みたいに感じるのを考えてみました、そこで待つという感覚、これは時間と思います、そこで遅いとか、早いとかは速さVをの感覚、待ち合わせ場所で相手が走ってくれば、速いので待つ感覚が少なくてすみます、相手がゆっくり来れば待つ感覚が大きくなります。
      数学者岡潔は次のように言いました。「人は時間の中に住んでいない。『時』の中に住んでいる。時には現在過去未来がある。時間は過去の『時は過ぎゆく』という属性の一つを取り出して観念化したものである。人は時間を知ろうとするとき何時も運動を使う。自然科学者は運動が時間に比例して起きると決めてかかって、そういう時間はあり、時間はわかると思っている。」
      つまり、時間は過ぎてしまった時の記憶でしか有りません。過ぎた時を実感できるのは「過ぎた運動」だからです。私たちが五感でわかるのは、運動だけだと思います。ですから運動は、時の過去と現在にしかありません。 圧力も温度も統計力学でいう運動です。この運動が時間に比例して起きると勝手に決め込んでいるだけと岡潔は述べたのです。
      当方が何を考え、何を目標にしているかをご理解いただける人はほとんど居ません。科学が発達したといわれる時代になぜこれほど閉塞していると感じるのか、疑問を持つことは大事だと考えています。「普通の人の普通の人による普通の人のための科学」こそが次へつながるものだと信じています。なぜなら、学者は真実を求める人たちではないからです。国家予算の多くが土建屋から大学へ移されてから久しいです。年収1000万を手放して革新的なことを提示できる学者はいないでしょう。岡潔のような超天才が出てきて続く人があれば希望が持てるように思います。
      >私のアメーバブログは、ほとんど反応0です。ブリキのロボットで投稿していますので一度覗いてもらいアドバイスもらえれば嬉しいです。
      以前から村里様の動画サイトは拝見しています。面白いものがありますね。発想がユニークですので参考になります。動画サイトはコメントを添削されていますし、google+と連携されましたので動画サイトへのコメントは控えています。 ブログも拝見しようと思います。
      私の場合、ソースが決まっており、そこからのアイディアを解説するとともに、発想の原点としています。ソースは途轍もなく情報が凝縮されていて、少しずつ解きほぐすこと全体と部分が次第に明確になってきました。根本的な問題が時間であることは確実です。これらの発想から実験に結びついています。普通は基礎からの積み上げなのですが、私の場合はソースから演繹的に出てきますので逆になっています。というのもマクスウェル方程式に代表される電磁気学は19世紀のある時点で、意図的に削除された歴史があるからです。当方のソースから見ると古典電磁気学は4分の1から8分の1に切り取られた残りであるように見えます。 しかしながら、既存の学問を無視することは出来ませんので注意が必要です。曲解や誤解は少しずつ訂正しながら、かつ発想を限定せずに続けていれば、やがて「ほぼ100%正しいように見える物理学」がまったく異なる体系の一部であると気付く証拠が出てくるのではないか、というのが筋道です。そうでなければ、次へ行けないのは道理です。(誰も口に出して言わないことですが。)

  3. 村里英明 のコメント:

     私も興味あるので考えてみました、重さ、長さも基本単位がありますので、速さについても、基本単位を決めて考えてみました、それをVとします、その千倍の速さをKVです。

     そこで距離100KMを速さ10KVで通過しました、そうすれば10M/Vとなります、速さの基本単位の10倍という事ですね。時間を使わない方法ですけど、この考えどうでしょうか?感覚的に馴れたら良いような気がします。

    • Φ のコメント:

      難しいことです。そもそもの発端が、あらゆる現象を一義的に表したいという欲求からきたものですから、距離(長さ)のまま、あらゆる現象を表現しようとすると煩雑になりすぎるだろうと思われます。それに運動により変化する事象を表現できません。だからこそ、「時速4kmで1時間半歩けば6km進む」という「直感的に当たり前」な表現に到達したのだと考えられます。
      ですが(運動を時間に置き換える)行為は、問題を解決したことになりません。「運動は時間から求め、時間は運動から求めている」からです。(運動/時間)の比を求める必要があります。この点を岡潔は指摘したのです。
      問題は、私たちが最も重要だと考える組立物理量であるエネルギー[ML^2T^(-2)]の量が正しくないらしいということです。日常生活においては、時間を含む組立物理量を使い続けることに当面の問題はありません。

      • 村里英明 のコメント:

         ありがとうございました、(運動/時間)の比を求める必要があると指摘していますが、いまいち意味が解りません。普通の考えでは時間は決められているので、つまり地球の一回転を基準として、24等分して1時間としています、(今では光の速さを基準としているようですが)その運動、時間の比は何を表すのでしょうか?

         法則は未来を予測するものであると思っています、そうでなければ意味がありません。世の中がランダムの世界であれば法則は必要ないと思いますし法則が成り立ちません、その為に時間が必要と思いますが、どうなんでしょか。

         

        • Φ のコメント:

          >普通の考えでは時間は決められている
          ここが問題です。岡潔は「運動は時間に比例して起きると決めてかかって、そういう時間があると思い込んでいる」と述べました。小学時に時計の読み方を学習しましたが、「時計の針の{動き}と『頭の中の数的概念に過ぎない時間』が比例している」というのは、強烈な刷り込みです。
          私たちは、東から陽が昇り西へ沈む生理的日常生活の他に、観測事実から来ているが生理的には受け付けない「太陽が中心」という理論を頭の中に並記しています。(両方が正しいと納得しています。) 同様に岡潔は、当たり前の「日常の時間感覚」と「(運動/時間)の比」は別のものだと述べたのです。
          >その運動、時間の比は何を表すのでしょうか?
          もう少し詳しくいいますと、五感でわかるのは運動だけです。時間とは過ぎゆく運動の記憶です。時間の実体は存在しないと考えられます。頭の中にのみ存在する「時間」という概念と物体の運動を同一視しているから「時間は決められている」と思い込むのです。
          「運動は時間から求め、時間は運動から求めて」いますので、運動/時間の比を決めることは不可能なことです。お金が単なる数的概念に過ぎないのと同じです。しかし、両方とも実生活にとても大きな影響を与えています。問題は、求めることができない「比」を決めることではありません。我々が正しいと信じている物理量であるエネルギー[ML^2T^(-2)]を時間を使わずに表すことです。(運動/時間)の比は、極大の10^30mとか極小の10^(-30)mという極限状態において問題になると考えられます。過去記事にあるように、現代物理学には幾つかの無限大・発散という深刻な問題があります。その一つが「比」からきているのではないかと考えています。時間の問題は、日常生活には関係ないが極大極小状態においては深刻になると理解しています。
          岡潔は解決法を示しませんでした。その代案として弧理論があります。
          >法則は未来を予測するものであると思っています、そうでなければ意味がありません。世の中がランダムの世界であれば法則は必要ないと思いますし法則が成り立ちません、その為に時間が必要と思いますが、どうなんでしょか。
          究極にはランダムだと断言しているのが物理学です。ご理解いただけるどうかわかりませんけれど、情報を蓄えるにわずかにもエネルギーが必要です。 弧理論のE軸上の実体が安定粒子である陽子中性子電子でできた物質のすべての組み合わせに関する情報を持っていると考えられます。これは聖書の「初めに言葉ありき」と同じものです。(最近の記事をご一読ください)つまり、宇宙の全情報がE軸上の実体に蓄えられているのですから、宇宙のすべての出来事は必然により起きていると考えられます。何も法則がないわけではありません。万華鏡を思い浮かべてください。不思議な変化は対称性とランダムによって起きます。しかし、変化は極めて簡単な構造より出来ていることを皆が知っています。自然科学は、万華鏡の対称性とランダムを必死で解析しているようなものです。弧理論は仕組みが理解できれば単純明快な解釈を与えてくれます。その阻害要因が時間とお金だと理解しています。

        • 佐々木 のコメント:

          現在デジタル回路は同期設計が基本で、基準発振に対してフリップフロップを駆動させます。
          コンピュータ内部ではCPU、画像、音声、通信などの各所で動作周波数は異なっており、また、互いの連携をする為の仕組みもあります。
          我々は社会生活のために、進み方を合わせた時計を使っています。
          実際は、惑星の公転や自転、体内時計など、それぞれの理屈において動いている。
          互いの関係をうまく表現しようと、今では光格子時計を基準発振器として使っています。
          しかし、物理現象は時計と数式に従っているわけではない。
          まず、時間とは無関係なメカニズムがあり、その動きを観測すると、周期や周波数を割り当てることが可能になる場合があるということ。
          例えば http://eleking.net/study/s-accircuit/sac-inductor90.html の内容。電気科でやる交流回路です。数式と電圧・電流の観測結果は一致しますが、導線を巻いてコイルにすることと位相の関係については説明されません。各時点において電圧と電流の位相をずらしているのはコイルです。コイルが無い回路と比較すると、何かしら電気(エネルギー)の情報を書き換えて、電気の運動を変えています。

  4. 佐々木 のコメント:

    弧理論では、E-M軸上に角度θをもってP_を発生させる仕組みを考えている。
    このP_は既に運動も時間も含むのだから、今さら時間だけを考える意味は無い。
    では、次の問題として。そのような仕組みをつくることができるとして、
    使用者(=観測者)にとって有用な効果をもたらすにはどうすればよいか?

    相対論は日本でしか流行ってないという話もあります。囚われることもないでしょう。
    一時期アインシュタイン・ブームがありましたね。私もそれ以前は知りませんでした。
    その時、日本人には知らせたくない科学上の重要事でもあったのでしょうか。

    • Φ のコメント:

      ありがとうございます。多元宇宙論や百以上もある素なる粒子、超ひも等々に興味を持てなくてどこか胡散臭かった原因は、相対論にあると一時期思っていました。ところが数学者岡潔の講演録を読んで時間こそが問題だと気付きました。私自身、ここ2年ほどかかって時間の何が問題かについて、次第に明確になってきました。
      >知らせたくない科学上の重要事でもあったのでしょうか。
      佐々木様には同意いただけるかわかりませんけれど、今の思いは次の通りです。
      自然科学者は、「運動」を「時間」に置き換えました。(一見便利だからです。) 両替屋(金融資本家)は、「時間」を「お金:通貨」に置き換えました。(利子利息のこと。利息は負債です。連中は信用創造という言葉遊びをします。)ドイツの児童文学者ミヒャエル・エンデは「お金を時間に置き換える」ことで小説「モモ」を書きました。 実際は、逆だったのです。両替屋の連中は、時間をお金に置き換えたのです。問題は、運動は10進数、時間は12の倍数、通貨は10進数でして、3次元物理空間を等しく分けることで、よく理解でき、それには12の倍数である方が望ましいのです。ですから、彼らは「12の倍数がよい」などと言う者が出てくることを阻止したいはずです。何より(運動/時間)の比が未定ですから、ひいては運動(仕事)から時間を経由してお金を巻き上げられる仕組みを堅持できることが大きかったと考えられます。
      情報の圧倒的勝者である両替屋の連中は、これを阻止するに相対論がうってつけだと判断したと考えています。100年は長いです。異様に持ち上げたり、徹底して貶めたりのバイアスには誰もが気付いています。無視したり無くしてしまいたい一つに単極誘導が有るのではないかと穿っています。
      問題の本質は、驚くほど簡単です。これを常識あるいは無意識というレベルで拒否せずに考察できたのが岡潔や岡潔が述べた道元禅師だと思います。岡潔が自然科学者を「原始人的無知」と述べた理由がここにあります。原始人的無知のレベルにあると自覚する必要がありそうです。

      • 佐々木 のコメント:

        おおよそわかります。
        持ち上げて貶めて興味を失わせるのはUFO・宇宙人話と同じです。
        ミもフタもないけど、たかだか「金」で「世に君臨したい」という話なんですよね。
        銀行のコンピュータ内でくるくる変わり続ける数字に右往左往することが、
        生まれ落ちた瞬間から押しつけられるわけですから。
        映画MATRIXと同じテーマです。
        人間は自分が動物だってことを知る必要があると思います。
        一方、私が支配したいのは「人」じゃなくて「宇宙」だったりします。

        進数については、基数変換すれば良いだけなので、
        エンジニアの私としては強度と精度・誤差しか気にしません。
        10進数で展開される数学と科学では、小さな粒子と加速器ぐらいしか行き着く先が無くて、
        空間を分割しやすい12進数と図式表現の方が、直感的で発展しやすいという予感ですね。

        • Φ のコメント:

          そうです。MATRIXの世界です。ご存じのとおり分割統治が基本です。
          過去記事にあるとおり、闘牛士に例えました。我々は牛であり、旗の色が何かは本質的に意味がありません。真の敵は闘牛士です。ある科学者は「地球を観察するだけで影響を受けるのか」と自問自答しています。従軍慰安婦という実体を持たない言葉でも何百回も言えば、やがて対となる概念ができあがってきます。これは当方が嫌う言葉遊びです。言葉は大変重要です。
          日本人以外の多くの人は「歴史は現在を有利に進める道具と考えている」ようで、時々で都合良く解釈する支那や朝鮮の人たちについて、モンゴル史家の宮脇淳子氏はある動画の中で「支離滅裂で、彼ら自身何が本当かわからなくなり、やがて自滅する。まるでレミングの集団自殺のよう」と述べていました。そうなっては彼らの思うつぼなのです。でも、闘牛士である支配したい連中こそお金の捕虜です。
          >進数については、基数変換すれば良いだけなので、エンジニアの私としては強度と精度・誤差しか気にしません。
          言われるとおりなのですが、相手は宇宙なので、精度は事実上無限に求められます。これが大事です。現実が無限大を許容するのは大問題です。無限遠に消失する発散トーラスが工学の上で重要になる理由です。(運動/時間)の比が問題になるのは、この領域なのです。過去記事を参照ください。
          >10進数で展開される数学と科学では、小さな粒子と加速器ぐらいしか行き着く先が無くて、空間を分割しやすい12進数と図式表現の方が、直感的で発展しやすいという予感ですね。
          難しいことなのですが、1.弧理論によるE-M軸平面は、ゼータ関数にそっくりなのです。2.積分を伴う回転投影の回数は、実数ではなく「整数」です。従ってM軸での現象は整数、即ち離散的になります。つまり、横軸であるM軸は整数値です。ご存じのとおり縦軸は真のエネルギー値であり、投影の角度θは12進です。
          3. 3年くらい前に、ある科学者のいう「距離の7乗に逆比例する力」について、ネットで調べたところ似た力に「カシミール効果」というのが有りました。このカシミール効果は、ゼータ関数に関する研究から予言されたものだそうです。
          4.一方で、ある科学者は「12進数がより可分性があり有用だ。なぜなら、10は2と5でしか割り切れないが、12は2、3、4と6で割り切れる」と述べました。当方は、なぜ素数について述べるのか意味がわかりませんでしたけれど、素数がキーワードとしてうまくつながるのです。今のところ、直感で発展しやすい予感だけですけれど、1~4の突合は、偶然ではあり得ません。
          ですから、E-M軸平面について、運動P_と真のE、rなどを12の倍数で表した上で、12進で表現した真のE値とM軸の(素数列)について、横軸を原子核のエネルギー準位と考えることで、ゼロ点の並びを対比すれば12進のE値と合致するのではないかと考えています。すなわち原子核のエネルギーを真のE値で求められるのではないかというのが当方のアイディアです。 数学ができないので、うまく表現できませんけれど、一言で言えば「リーマン予想は12進数で解ける」ということです。これも過去記事を参照くださるとありがたいです。

  5. 佐々木 のコメント:

    振り子の動きを見るのは、時間を見ているのと同じこと。
    時間とは意識の分解能表現の一種でしょう。
    閉鎖系では観測者を系の外に置けますが、開放系では分離できないのでは。
    [L][M]に対して、[T]だけ除外はできない。
    その系において、サンプリングが最も速いものを基準とすれば、時間の物理量化もできると考えます。
    でなければ、運動なんて無い(認識できない)でしょう。

    • Φ のコメント:

      >振り子の動きを見るのは、時間を見ているのと同じこと。
      いいえ、岡潔が述べたことは本質的なことです。重さ(質量)と長さは、持って・見てわかります。これを基準(キログラム原器・メートル原器)を元に、数値化(概念化)したのが我々の頭の中に(CGS、MKSとして)あります。 「ある物体の運動」を基準(基準時計)を元に、数値化(概念化)したものが我々の頭の中に「時間sec」としてあります。
      頭の中の数値と物質の重さと長さは「一対一」で対応しています。ところが、頭の中の「時間」と「ある物体の運動」の基準となった「基準時計」は一意的に決まりません。 基準時計に記された文字を読み取って「時間」としてます。五感でわかる物体の「重さ長さ」と比べると基準時計にあるのは「動き・運動」でしか有りません。ですから、(運動/時間)の比を別途決定する必要があります。つまり、運動は時間から求め、時間は運動から求めていることになります。そこにあるのは、「運動は時間に比例して起きるはず」という思い込みです。
      頭の中にある概念としての「時間」に対応するのは、あくまで時計の「動き」だけです。概念としての「時間」と時計の「動き」が一対一で対応すると学んだのは、小学校低学年です。アナログ時計の読み方で学習しました。これは、非常に強い思い込みでして、数学者岡潔は、この点を指摘したのです。
      >時間とは意識の分解能表現の一種
      もしかしたら時間も離散値をとっているかも知れません。しかし、これとて過ぎゆく運動の記憶(記録・情報)だと思います。 岡潔は自然科学者について「時間は直接わかるものではない。人は時間を知ろうとすときいつも運動を使う」と述べています。「運動が時間に比例して起きると決めてかかって、そういう時間があり、時間はわかると思っている。非常に問題がある。」とのことです。何度も書きますが、時間は頭の中にしかありません。五感でわかるのは運動だけです。運動を読み取って時間がわかったと思っているだけです。誰も比例して起きるかどうか確かめたことはありません。物理量は五感でわかるものであるべきです。
      実際の所、時計は正常で、日常まったく困りません。問題になるのは極大極小の世界だと理解しています。(運動/時間)の比を決めていないことが原因で幾つかの困難(無限大・発散)が生じているだろうと考えています。
      >運動なんて無い(認識できない)でしょう。
      時間に囚われすぎているように思えてしまいます。

      • 佐々木 のコメント:

        そもそも運動と時間を分離して考えることができません。
        私にはそれがまずよくわからない。教科書などでそのように植え付けられるのかもしれませんが。

        長さや重さと同じように、時間というものも、万人が共有できていると思い込んでいる。
        だから、見て分かる、より明確に共有できる運動をP_とした。と受け取っています。

        子供の頃の記憶が濃密であり、大人になってイベント単位になっていくのは
        記憶のサンプリング間隔が変わっていくからでしょう。
        しかし、それとは無関係に、運動し続けるものがこの宇宙にあるのではないか?
        というのがΦさんのやっていることだと思ってますが、違いますか。

        • Φ のコメント:

          ありがとうございます。
          >そもそも運動と時間を分離して考えることができません。
          当方も、論理的に理解できても、生理的には困難です。
          1.詩人谷川俊太郎は、大人でありながら子どもの感性で作詩できます。2.小学低学年で時計の読み方を学習します。3.数学者岡潔は学習による強烈な刷り込みを思考力で突き抜けることにより、谷川のようなことができる天才です。4.コペルニクス的転回といいますが、陽は東から西へ沈むのは(生理的)絶対的事実でありながら、観測により太陽を中心に考えねば説明できないから生理的に困難でも天動説を頭の中に並記しています。歴史的には大変な葛藤があったはずです。5.仮に運動と時間の関係が実験的に比例しない場合があると示されたならば、4のような大きな葛藤が生まれるのではないかと考えています。
          >より明確に共有できる運動をP_とした。と受け取っています。
          そうです。6.その場合、生理的な部分はこれまで通りで日常生活はこれまでと一緒、別途理論的な部分を頭の中に並記することになると思います。
          >子供の頃の記憶が濃密であり、大人になってイベント単位になっていくのは記憶のサンプリング間隔が変わっていくからでしょう。
          難しいことながら直観的には、子どもの身体には、大人と異なる真のE値が有るのかも知れません。体温が高いとか低いという意味ではなく、一見(運動が時間に比例している)ようでありながら、身体を構成する原子の状態から決まる真のE値が大人子どもで異なることが有るのかも知れません。ある情報によれば「地球人はエネルギーの正しい求め方」を知らないとされます。この場合のエネルギーは時間を含まない真のエネルギーのことを指します。
          >しかし、それとは無関係に、運動し続けるものがこの宇宙にあるのではないか?
          概ね正しいです。当方の考え方は、ネガと足跡の解析からきています。解析の結果、宇宙の最も大きな渦は、暗黒物質・暗黒Eと5%の物質の三つの間に働く斥力(回転モーメント)にあると考えられます。その回転モーメントは、まず銀河団が受けて銀河系から恒星を経て、各惑星衛星、さらには物質を構成する原子へと伝達されます。その基本構造が第3起電力仮説のエネルギー源についての考察で示された「発散トーラス」です。途轍もなく大きな構造体です。何百種もある素粒子は、このEの伝達要素から外れた些末な現象に過ぎません。
          問題は、このEの伝達がどのように起きているかです。太陽から地球へは太陽風であろうと考えています。単極誘導モーターでいえば物質間を伝搬するようですけれど、作用反作用が起きる接点と物質との間がどうなのかを考え中です。勿論、複数の伝達経路があるとの考えもあります。
          長くなりました。まとめると、本質的には(回転)運動しかないということです。投影された質量と位置しかないといえます。そして、すべての情報(物質の組み合わせ)は、E軸上の実体が持っていて、宇宙は偶然では存在しないということです。何らかの方向性をもっています。

          • 佐々木 のコメント:

            >その回転モーメントは、まず銀河団が受けて銀河系から恒星を経て、
            >各惑星衛星、さらには物質を構成する原子へと伝達されます。
            これは私もネガと足跡の印象から同じことを思ってました。
            伝達経路の間に入って、同じことができる機械のひとつが宇宙船です。

          • Φ のコメント:

            まったくそのとおりです。紡錘図形で言えば、「単極AとAのネガティブの単極G」&「単極CとCのネガティブの単極I」が暗黒物質と暗黒Eです。今のところどちらの方が「A&G」でどちらが「C&I」なのかわかりません。(足跡で言えばどちらが右足か左足かわからない。) 足跡図、右足の右上、縦長に配置された紡錘図形は母船です。その上部に描かれた小さな横向きの紡錘図形がネガの紡錘図形です。ネガはスカウトシップですからスカウトシップは母船の白丸を充電するという意味になります。 白丸は母船が宇宙空間から取り込むと解釈出来ますので、白丸が何なのかがわかれば、「A&G」or「C&I」の区別がつくはずです。左足の上、ヒゲのような図形は取り込むことを意味するようです。で、母船は三層構造をしており、内一層が取り込む役目をしているようです。この三層構造は、スカウトシップをクラゲのポリプのように重ねたようなものになります。
            白丸が充電されるのは、パワーコイルの部分であろうと思います。無限長ソレノイドを丸めることによってできるトロイダルは、無限遠を内包できるからです。(最近の記事にあります。) この意味で、映画「Thrive」は半分正解といえそうです。でも開放系の考え方がなければ正解への道筋は得られないと思います。
            結局、上記の仕組みから物質の真のエネルギー状態は4つありそうです。この組み合わせによって、小型船は、惑星に反発されるだけですが、「母船は出発地の惑星から斥力を受け、かつ目的地の惑星から引力を受ける」という惑星間航行が可能になります。この辺は、弧電磁気論の執筆時に考えていたことです。
            パワーコイルから外壁を経てフランジ部に至り、下部の三重反転機構の外周リングとの間で何か起きるようです。ですから、単極誘導モーターのように媒体が電子だとは言い切れません。この意味でバーグの残した資料は参考になります。

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