先日の記事で作成した図を眺めているとキリスト教における教義である 三位一体 を思い出します。
- 2025年8月16日 知識の限界 、意識の限界
図1 スプーンは洋風の匙、匙はスプーン
図1の右側はループです。このループから 三位一体 を思い出します。
上の記事を読んでも余りわかりませんけれども、ここはAIに訊いてみます。
- 「三位一体」は、キリスト教の根本教義の一つで、唯一の神が父、子(イエス・キリスト)、聖霊(The Holy Spirit)という三つの位格(ペルソナ)として存在する、という考え方です。
次に聖霊とは何かを訊いてみます。
- 聖霊(せいれい)とは、キリスト教における三位一体の神の位格の一つで、父なる神、子なるイエス・キリストと共に一体をなす存在です。聖霊は、人々に啓示を与え、聖化へと導き、慰め主とも呼ばれます。
次に啓示とは何かを訊いてみます。
- 「啓示」は、神や超越的な存在が、人間の理解を超えた真理や知識を人間に示すことを意味します。宗教的な文脈で使われることが多く、神の言葉や意思が人間に伝えられることを指します。
どうも、啓示とは、新しい知見を得るということの様です。これは、当サイトで言うところの「発見・創造」にあたり、仏教で言うところの他力に相当しそうです。
それで、3つ(父、子、聖霊)と神(God)の間の関係が記されています。
- 父、子、聖霊の間は、( Is Not )「~でない。≠」
- 神(GOD)と他の3つの間は、( Is )「~である。=」
図1の右側と図2を比較して見ると、Godだけは余分です。引用先を読むと、何故この理論が必要になったか書かれています。
どうも、父も子も納得できないし、Godも余分です。ただ、啓示(他力?)を与える聖霊だけが意味を成します。単にユダヤ教の教義に反しない様にキリストを子として(無理に)意味づけしただけの様です。 要は、 三位一体 とは、キリストが偶像ではないことを示す為の理屈に過ぎません。
しかし、その論理構造に言葉の定義に近いものを含んでいることは確かです。三位一体の構造がたまたまネットワークの要素になっていたに過ぎません。
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言語、あるいは言葉は、要素をして互いに規定し合って意味づけする繰り返し(ループ)でありネットワークである。
要素には幾つかあります。
- 音素(母音・子音)→言葉
- 記号(0~9)→数
- 記号(a~z、∫、Σ etc)→代数学
それらの要素を図1に示した関係性(ひもとループ)をもって構成して意味づけしたネットワークが言語だということです。しかし、それらの要素は決してわかりません。
注)要素とはブラックボックスです。ブラックボックスでサイト内を検索ください。44件の過去記事があります。
少し付け加えます。数学者の岡潔は、次のように述べています。
- 自然数の1は決してわからない。
自然数「1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、11、12、13、14、15、16、・・・・」の1は決してわかりません。
10進数の要素は10個の記号です。これではわかりにくいので0と1を使う2進数に置き換えます。かつ1桁に限ります。すると以下になります。
- 1は0でない数
- 0は1でない数
1は、あらかじめ0が何かわかっていなければ、わかりませんし、0は、あらかじめ1が何かわかっていなければ、決してわかりません。
何故ならば、要素(0と1という記号)は互いに規定し合って初めて意味づけ出来るからです。
この言葉(数)の仕組みは図1の左側と同じです。図1の左側の関係は、仏教で言うところの如来に等しいです。
- 1は0の如し、0は1の如し。
そのまま、パソコン等に用いられるスイッチに同じです。
0がなければ、1はあり得ませんし、1だけを取り出すことは決して出来ません。これは10進数の多数桁であっても同じです。
因みに、 三位一体 の語句を含む過去記事は8件あります。
追記 ここで言いたいことは、弧理論によれば、(言葉の仕組みからすると)論理の帰結として、決してわからない何かが残る。しかも心の核としての“自己”は、決してわからないアからやって来るから、このわからないアを信じるしかないと言うことです。これがここでの信仰です。
決して、図2にある神(God)ではありません。信仰の本質を超越的な(超自然的な)何かに無理矢理押し込めることではありません。
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