「まず精神科学と社会科学が出てくる。二つの基礎がなければ物質科学の発達はありえない」・・・・なぜ素粒子物理学ではなくて、「物質科学」なのか?

当サイトにおいて、これまでの考察により出尽くしたことながら、改めて記します。

ある科学者の言葉を引用します。少し長いです。

知識や生きる目的の探求は議論とよりよい理解の目的で三つの大きな区分に分けられるほどの広いスペクトルになっている。この区分は次のように定義される。

(1)肉体あるいは物質の科学で人間の肉体や彼が住んでいる物理空間の自然の必要性と要求を処理する分野だ。この中には、生活・安楽・安全等に必要な物質を際限なく作り出す研究はもとより、物理・化学・天文学等の主要なものがこの分野に入っている。

(2)人間関係や、その関係がよりうまく、生産的に、しかも耐えていけるような方法を処理する社会科学である。この中には社会・政治・精神分析学それに経済学の非物質的な部分などが入っている。

(3)精神科学で、人間と君たちが神といっているすべての自然にあまねく浸透し、制御する偉大なる創造の力と無限の英知との間の関係を処理する分野だ。

宇宙における科学のすべて、真実の探求と理解のすべては、この三つの分野に入るんだ。もちろん、この三つの分野の間には明確な分離線は引けない。お互いにラップしているからだが、しかし、それらを支配する基本的な法則は全く同じものなんだ。

宇宙において文明が完全にしかも成功して発展するならば、進歩のこの三つの支流に同程度の努力と勤勉さがなされなければならない。しかしながら、まず精神科学と社会科学が出てくる。その二つの基礎がなければ物質科学の発達はありえないんだ。 (青色と強調は管理人による)

(1)が物質科学で、(2)が社会科学、(3)が精神科学です。

右リンク先の「3.時間を含まない真のエネルギーについて」で考察したとおり、自然科学の守備範囲は

五感でわかるスケール

赤い括弧で括った範囲だと考えられます。同時に人間に備わった五感で分かる範囲でもあります。その基礎は赤い矢印の部分にあります。 つまり、「陽子・中性子・電子」で構成される「物質」です。一方で、素粒子は「物質」の破片に過ぎません。

五感を持つ人間であるが故に、人間の為の科学だから、「素粒子物理学」ではなくて「物質科学」だということになります。

ある科学者は、人類が理解すべきとして三つの科学を挙げました。そして「それらを支配する基本的な法則は全く同じもの」であること、その内二つ(精神科学と社会科学)が最初に出てくると述べています。

管理人には、精神科学と社会科学、物質科学の三つが縄文哲学の象徴であるミクサタカラの「タマ、カガミ、ツルギ」に重なります。 数千年前、縄文の人たちは既に精神科学と社会科学を身につけていたと確信します。  翻って現代の私たちは己のことに無知です。 タマ(精神科学)とカガミ(社会科学)の基礎がないからツルギ(物質科学)が発達しないということです。 生命維持の欲求であるシヰ、欲しい欲しいのシヰの暴走を許している訳です。人類、自滅まっしぐら。

 

過去に書いたことながら、表の極大と極小を無理矢理ビッグバンにより統一しようと四苦八苦している様子は

zo_kame_hebi

自らの尻尾を飲み込む蛇に似ています。

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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