仏教 の核となる部分を3行で書き下します。
- わかると言う働きを仏陀(Buddha)
- わかり方を如来(tathagata)
- 創発を他力
と言います。1.2.の何れも「量れない」と言う意味では同じですが、量れなさには大きな違いがあります。3.は1.にあって2.にはありません。
そして、如来のわかり方には3つの形があります。
- 往復(振動)
- 循環(回転)
- 再帰
詳しくは過去記事を。
- 人は言葉でわかっているのではない
これを言葉で言い詰めるのは、容易ではありません。
ただこのままでは、科学になり得ません。例えば、
- お寺にも神社にもお詣りする理由を説明できません。
- 物と事がどうして起きるのか説明できません。
- 神(GOD)と悪魔、地獄と極楽、男と女、陰と陽など、物事が対となる理由がわかりません。
注:上の1.と3.において、信仰は必須ですけれども、仏教の教義とは趣が違います。
何れ世界の宗教家たちは、
- 信仰を取るか、宗教の教義を取るかの選択を迫られる
そんな気がしています。特に神(GOD)における宗教家にはきついでしょう。
- 2026年1月2日 仏教 を二行で Buddhaは「働き」 如来は「仕組み」



仏教の本を読めば読むほど脳トレみたいになって、救われるどころか、
ただ「外のない内」をグルグルしていただけでした。そこに仏はいなかったのですね。Φさんの「なぜ、量子場に猫はいないのか?」という動画を見て気づきました。
そうですね。「言葉でわかっているのではない」を「言葉で伝える」のは矛盾です。言葉は循環ですから、どの段階(階層)で「わかった」とするかだけです。岡潔は情としました。釈迦は仏陀としました。善導は覚としました。気でもあります。それをなんと呼ぼうと「わかる」と言う働きは、意識知識ではありません。理解、物の理ではありません。