以下は管理人の妄想かも知れません。
ヲシテのカミの仕組み
神道 は、ヲシテのカミから仕組みを除いたものです。ヲシテのカミは次です。
- 繋がりもたらし、生じさせる
前の2つが仕組みです。残ったのは、生じさせるという働きです。
- 神道=生じさせる働き
補足が必要です。ヲシテのカミにフトマニのアウワと組み合わせます。すると
- アとワは繋がり、ウをもたらし、ウよりヒトを生じさせる。ヒトハアノモノ
となります。フトマニは下図です。

図1 フトマニ占い師養成講座より 中央の縦にア・ウ・ワは何れもホツマの特殊文字
このヲシテのカミから、仕組みを取り除いたのが神道です。
生じさせる働きとは、ヒトを生じさせて、ヒトに”わかる”という働きを与えることです。
”わかる”と言う働きを心と言います。そして、この”わかる”と言う働きと対となるのは、以外の全てです。これを自然と言います。
ですから、ヒトは自然が”わかる”のです。
この働きの現象面を捉えたのが以下です。
- 小室直樹:日本人は神様仏様より人間の都合を優先する
- 山本七平:日本教
- 田中英道:日本人は神(GOD)を信じない
- 田中英道:むしろ自然道という
これらの言い方は、日本人の特性に合致します。それが神道です。ところで、
- 日本人は、お寺も神社も分け隔てなくお詣りする
これは、仏教の側からすると説明できません。
神仏習合と廃仏毀釈
神仏習合には物部氏と蘇我氏の争いが関係しているようです。そして、廃仏毀釈は、明治政府の都合があるようです。
詳しくしませんが、時々の政治的都合によって、合わせたり引き剥がしたりが行われてきたと感じます。
信仰の順位
信仰に優劣はありませんが、順位があります。
- ヲシテのカミ
- 神道
- 仏陀(Buddha)
- 神(GOD)
仏陀は、物事がどうして対として生じるかはわかりません。神道でも説明できません。ご説明したとおり、仏教の信仰と神道の信仰はヲシテのカミの上にのっています。
結局の所、
- ヲシテのカミに神(GOD)や仏教を上書きしようとしたが、そうはならず上に乗っただけ
どう考えても、統治者の都合に左右されてきたと言えます。
でなければ、両方を分け隔てなくお詣りすることは出来ないはずです。
如来三種
仏教には如来があって、如来には3つあります。
- 往復(振動)
- 循環(回転)
- 再帰
その何れも量ることはできません。そして、如来の表れとして以下があります。
- 男女(雌雄)
- 善悪
- 左右
- 上下
- 裏表
- 真偽
- 神(GOD)と悪魔
- 天国(極楽)地獄
- ・・・・
その多くは対です。ですから、神(GOD)は仏教の下位にあるとわかります。仏教の浄土信仰は、神(GOD)の影響です。具体的には景教、原始キリスト教の影響であるようです。
如来は物事の現れ方(形)を示しているだけです。如来三種回向には価値観(善悪、天国地獄など)はありませんから。何も価値観のないところから浄土信仰は出ません。恐らく。
浄土論
おまけです。浄土論のAI(Gemini3シリーズ)からの応答を示します。
『浄土論』(正式名:無量寿経優婆提舎願生偈)は、インドの天親菩薩(ヴァスバンドゥ)が『無量寿経』に基づき、阿弥陀仏の極楽浄土への往生を願って著した論書です。偈頌(韻文)と散文(長行)からなり、五念門(礼拝・讃嘆・作願・観察・廻向)の修行を説いて、特に浄土の荘厳を観想する重要性を強調しています。
『浄土論』の概要と特徴
・別称: 『無量寿経論』、『往生論』とも呼ばれます。
・内容: 冒頭で「世尊、我一心に、尽十方無碍光如来に帰命して、安楽国に生まれんと願ず」と阿弥陀仏への帰依(南無阿弥陀仏)を表明しています。
・五念門(ごねんもん): 浄土へ往生するための5つの実践行(礼拝、讃嘆、作願、観察、廻向)を解説しています。
・観察(かんざつ): 五念門の中心であり、阿弥陀仏の国(国土荘厳、仏荘厳、菩薩荘厳)を観想し、極楽浄土の素晴らしい様子を心に思い描くことです。
内容の欄、書き出しの「世尊」はイエス・キリストです。ここからも信仰の順位がわかります。世尊については、下記の書籍にあります。


