如来はわかり方
人がわかるのは物と事です。そのわかり方を如来と言います。
- 2026年3月24日 如来の2つの形は 如来二種回向文 にあった
如来には形が3つあります。
- AとBの間の往復(振動)
- ABCの間の循環(回転)
- A自身を呼び出す再帰
1.2.は互いに規定し合って成り立つ繰り返しで、量れませんしわかりません。
再帰
3.は、Aをわかるには、A自身を呼び出します。数学では階乗(!)です。
- 5!=5×4×3×2×1×0
これを数式で書くと、
- n!=n(n-1)!
nの階乗を求めるにnを呼び出しています。これが再帰です。
ここで、数学の定義を見ると「0!=1」と定義するとあります。でないと階乗の計算は常に0となってしまいます。
自然数の1
ここで、岡潔の言葉があります。
- 自然数の1は決してわからない
この言葉には前提として10進数がありますが、これを2進数の1桁とします。すると
- 1は0でない数
- 0は1でない数
0と1は互いに規定し合って成り立つ数です。つまり、1は決してわかりませんし、量れません。戻って、何進数であっても、その基礎となる数は意味づけして初めてわかります。
- 人は物と事の意味がわかり価値がわかって、意識できる
「0!=1」と定義することで、意味づけすると言うことです。だから、階乗に意味がある。そもそも、1は互いに規定し合って成り立つ繰り返しでしかありません。だから、再帰は量れません。
- 人は物や事を言葉や数でわかっているのではない
これが結論です。管理人は再帰をプログラミングの際に知りました。
プランク定数
ところで、如来の形を見ていると、物理現象を思い出します。つまり、古代インド人は、逆で現象を観察し考察して、そのわかり方の形に気づいたのではないかと感じます。
管理人が感じるのは、いずれも現象です。
- 往復(振動) → 波
- 循環(回転) → 渦
- 再帰 → フラクタル
それぞれの現象について考察すると、そのわかり方に気づいて、その結果「量れない」に至ったはずです。数学に強いインド人は「わからない」を「量れない」と表現したに違いありません。
ところで、フラクタルは数学の定義ですけれども、現象は沢山あります。雪の結晶、木の枝、葉っぱ、葉脈、山並み、雪の結晶など、いろいろあります。

フラクタルな現象の一つに月面のクレーターがあります。
動画 「かぐや」HDTVによるアポロ17号着陸地点とポジトニウス
クレーターはそのスケールがわかりません。1kmなのか100kmなのかもわかりません。
物理の定義
それで、先ほどの再帰の形にあった、「0!=1」と定義するに対応する物理学の定義がありそうです。管理人の直観ですが、
- 物理現象における最小の単位の定義はプランク定数
ではないかと考えます。
プランク定数(h)は、光のエネルギーと振動数を結びつける量子力学の基本定数で、値は正確に6.62607015×10-34Js(ジュール秒)です。ミクロな世界の粒子性と波動性を特徴づけ、2019年以降は「キログラム(kg)」の定義の基盤となっています。
但し、自然科学には幾つかの問題があって、その一つとして「自然科学には物と事の区別がない」があります。波は出来事ですし、波で伝わる熱も事です。運動から作った時間も事です。
このプランク定数の中にジュールと時間である秒が入っています。いずれも「事」です。物の量である重さ(kg)を事であるジュール秒に置き換えたのは問題です。
- 物と事は等価では無い(特殊相対性理論の否定)
- 物理学は「物も事」もまとめて事(波、時間)に置き換えた
- 従って、物理学は「物はわからない」
それはさておき、数学の定義に習って物理学の定義がありますから、すべての物理現象は事の関係に置き換えられました。
ここから再帰の延長として、フラクタル的な現象が数多く見られます。そして、物理学者は物はわからない。これが彼らの得た結果です。
客観的な観測者
ついでながら、物理学者たちが得た結果として、
- 客観的な観測者たり得ない
- 関与者の立場でしかない
との結論に至ったとのことです。
詰まるところ物理学者は「物と物との関係性」はわかった。しかし、彼らは、物質とは何かわからなかった様です。
物と物との関係性とはプランク定数です。物の量がわからないのは、プランク定数の単位に表れています。それと。フラクタルな現象の基点はプランク定数という直観です。
彼らの結論は、3つのわかり方の基点と同じです。このままでは「物は量れない」です。関係性のみわかります。


