前提が長いです。
物と事のわかり方
ヒトが(わかる)のは、物と事です。この(わかる)を理解とか物の理と言います。このわかり方には順番があります。
- 物が”わかる”・・・・心の本体。Buddha、覚、情、ナサケヱダ、キあるいは気、他力(気づかされる)などとも言う
- 事が「わかる」・・・・動き、運動、出来事と言う。また、アワレヱダとも言う
- 物と事が揃い、音韻に割り当てたのが言葉。物事が揃って初めて言葉で言える
- 物事の意味が(わかる)
- 物事の価値が(わかる)
- 最後に、物事を意識して(わかる)
- 物と事が揃わない何かは、決して(わからない)
- この(わかる)を外のない内と言う
私たちが意識して理解できるのには、順と条件があると言うことです。
- (わかる)=”わかる”+「わかる」
言い換えますと、人の物事に対する意味や価値、あるいは意識には限界があるというのを外のない内と言う訳です。ここで、注意すべき点があります。
- 岡潔「情的に”わかる”というのがなければ、一切は存在しない」
- 岡潔「大宇宙の中心は情である」
空間 はない
一方で、数学者の岡潔は 空間 について、次のように述べています。
- 空間は量的質的にない
それでは、量的に質的にない空間が、どうして(わかる)のでしょうか。弧理論の骨子は以下です。 続きを読む
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図1


