空間 はなぜ3次元なのか

前提が長いです。

物と事のわかり方

ヒトが(わかる)のは、です。この(わかる)を理解とか物の理と言います。このわかり方には順番があります。

  1. 物が”わかる”・・・・心の本体。Buddha、覚、情、ナサケヱダあるいは気、他力(気づかされる)などとも言う
  2. 事が「わかる」・・・・動き、運動、出来事と言う。また、アワレヱダとも言う
  3. 物と事が揃い、音韻に割り当てたのが言葉物事が揃って初めて言葉で言える
  4. 物事の意味が(わかる)
  5. 物事の価値が(わかる)
  6. 最後に、物事を意識して(わかる)
  7. 物と事が揃わない何かは、決して(わからない)
  8. この(わかる)を外のない内と言う

私たちが意識して理解できるのには、順と条件があると言うことです。

  • (わかる)=”わかる”+「わかる」

言い換えますと、人の物事に対する意味や価値、あるいは意識には限界があるというのを外のない内と言う訳です。ここで、注意すべき点があります。

  • 岡潔「情的に”わかる”というのがなければ、一切は存在しない」
  • 岡潔「大宇宙の中心は情である」

 

空間 はない

一方で、数学者の岡潔は 空間 について、次のように述べています。

  • 空間は量的質的にない

それでは、量的に質的にない空間が、どうして(わかる)のでしょうか。弧理論の骨子は以下です。 続きを読む

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感想 いつも 部外者

少し感想を書きます。管理人が調べたり、接触する方々、あるいは資料はいずれも専門家とされる方が述べた、あるいは書いたものです。それで感じるのは、

  • いつも 部外者 。専門外

と言う疎外感です。過去に似たような記事がありました。

管理人が参考にしている資料は、それらの内には研究者がいて、長きにわたって深く探求されてきたことは承知しています。

当然のことながら、彼らの視点、あるいは原点は研究対象である資料しかありません。そのことがどうも引っ掛かってきました。

何々の研究者、何々の学者、何々の僧侶等です。例えば、僧侶は帰依する宗教の教理、経典が伝える内容からしか話をすることはできません。例え、個人の考えがあってもです。

  • 職業、僧侶という範囲を超えることは決して出来ない
  • 職業、物理学者という範囲を超えることは決して出来ない

 

管理人が15年間を通じて、参考にした各資料の内には素晴らしいものを含んでいると感じます。それら資料に拘るのも当然です。それが専門家だからです。

  • 専門家という限界
  • 先端は末端でもある

どうしても、そう感じます。

 

ヲシテ文献といつも引用するある科学者の言葉から、何故か全てが論理的に、かつ演繹的に出てきます。その理由は、

  • ヲシテのカミと「ある科学者の言葉」は同一だから

に尽きます。

 

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矢作直樹の実践こそ 中今  必要なのは「弛緩と関心」

矢作直樹氏が 中今 について語る興味深い動画がありましたので、メモします。

動画 世界の新しい姿】2026年から人類文明は大転換期を迎える!断言する「脳はただの〇〇に過ぎない」|矢作直樹×小名木善行

7:00~からです。小名木善行氏が次のように述べています。

小名木氏「この瞬間に、やるべきことを一生懸命にやっていくこと。まさにこれが中今にいきるという事なのかな?」

矢作氏「逆にそれを意識しなくても良いかなっていうか・・・・」

「自然体でいることがよい。」と続きます。

ここで、当サイトが強調してきたのが、弛緩関心です。矢作直樹氏が動画で述べているのは、これです。

図で示します。

の内に因となるのが現在であり、これが中今です。

が”わかり”、物の動き、運動、が「わかって」、初めて言葉で言えます。これが知識、意識であって、それらは既に過去です。

 

ですから、矢作直樹氏は、その辺りをよく会得されていて、実践しておられることが動画から(わかり)ます。

  • 懸命に一心に、汗をかいて奮闘努力するのと 中今 は最も遠い
  • ヒントや気づきを得られるのは、中今にしかない
  • ただ、懸命に努力するのも場合によっては必要だが
  • 弛緩と関心の状態がベスト
  • 矢作氏の言う自然体に近い
  • 殆どの方が大きく勘違いしている
  • 人は物事を言葉で(わかっている)のではない
  • こんな簡単な事実に誰も気づいていない
  • ここで、
  • ”わかる”と「わかる」と(わかる)。この3つはまったく異なる
  • すべての因は”わかる”にある
  • これが中今
  • 知識、意識は中今にある気づきの邪魔

ご参考まで。

 

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如来 に精神性は含まれていない

仏教の 如来 に精神性(spirituality)はないとわかりましたのでメモします。

注:人は自ら信じたいものを信じますので、これを阻むものではありません。

仏教の核

仏教については以下の2つでした。

  1. ”わかる”という働きという。岡潔の言う情、釈迦のBuddha、善導の覚、ヲシテのナサケヱダ、キ(気)に同じ。あるいはソウルマインドとも言う
  2. そのわかり方がtathāgata(如来)。如来は仕組みであって、わかり方には2つのがある

ヒトの心で何が”わかる”かというと、心以外の全てです。これを自然、あるいは宇宙と言います。

如来にある2つの類型

そのわかり方、即ち如来には類型が2つあります。

図1 続きを読む

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仏教 を二行で Buddhaは「働き」 如来は「仕組み」

仏教とは

仏教 とは何かを二行で書き下せるようになりました。

  1. Buddhaは「働き」である
  2. tathāgata(如来)は「仕組み」である

 

仏陀

Buddhaはサンスクリット語でして、漢字の音で「ぶつ」です。善導は「」と名付け、数学者岡潔は、これを「」と言いました。また、ヲシテ文献では、「ナサケヱダ」です。あるいは、「)」とも言います。「気づかされる」であって、仏教で言うところの「他力」です。

これらを平たく言うと”わかる”です。この”わかる”という働きをと言います。心の働きがBuddhaであり、覚、情、気、ナサケヱダである訳です。

それで、岡潔はについて、次のように述べています。

  • 情的に”わかる”というのがなければ、一切は存在しない。
  • 大宇宙の中心は情である

ヲシテ文献において、大宇宙をモトアケ、アモトと言いますし、ヒトハノモノとされていますので、ヒトが持つ”わかる”という働きはアモトから来ていますので、岡潔の言葉を言い換えますと次になります。

  • 大宇宙の中心はBuddha(仏、情、覚、気、キ)である

つまり、”わかる”と言う働きは大宇宙の中心より来ているということです。


注:管理人は、仏ぶつを「ほとけ」とは呼びません。諸説あるようですが、AIに訊いた語源は次になります。

「ほとけ」の語源には諸説ありますが、有力なのは、仏陀(ブッダ)の音訳である「浮屠(ふと)」が転訛(てんか)し、接尾辞「け」が付いて「ほとけ」になったという説で、「覚者」を意味し、転じて「死者」や「悟った人」を指すようになりましたが、伝来時の流行病説や、煩悩が「解ける」からという説もあります。?

「浮屠」の当て字は感じよくありませんので、管理人は仏を「ぶつ」と呼んでいます。 続きを読む

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悟り、完全な理解、ロのヲシテ 3つは同じ 社会科学

先日、仏教の悟りある科学者が言った完全な理解は同じだと書きました。

2つに加えてヲシテ文献にある「のヲシテ」も同じです。以下の3つは同じで、弧理論による 社会科学 の基礎とも言えます。

  • 悟り
  • 完全な理解
  • のヲシテ

ロのヲシテ

ホツマ辞典(p190)によれば、「 は自分自身の自立を意味する。他人に幸せをもたらすためには、まず自分自身の自主独立の幸せがあってこそであるとする。」とあります。

図1 自然科学の欠陥 自然科学には発見や創造の仕組みがない

続きを読む

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神 (GOD)を創ったのは人間

物と事の関係性

ヒトがわかるのは物と事です。物と事は互いに規定し合う関係性によって意味づけ出来、価値がわかります。だから、物事を意識してわかるのです。

つまり、ヒトは物事を言葉でわかっているのではありません

  • 物と事が揃わない何かは決してわからない
  • 数学者の岡潔の言葉「自然数の1は決してわからない」に同じ
  • つまり、1以外の自然数との関係性によってのみ1に意味づけ出来る
  • 同じ言葉でも意味も価値も反転し、ヒトの意識も反転する
  • 例:こちらの右は相手の左
  • 例:仕掛けた犯人が被害者面するのはよくあること
  •  :あまりに強く主張するから、やがて自ら被害者だと信じ切る
  •  :自分がそうだからといって、相手も「そうする」と疑わず相手を責める
  •  :結果、病む

物事は関係性によってのみ意味を持ち得ますから、物事は必ず「」となって現れます。例外はありません。

人間は、まず「こうだ」と決めます。その次に結論に向かって理屈、理論を考えて、他人を説得する材料にします。これが主義、主張、思想、信条などです。

 

神(GOD)と宗教

その典型が 神 (GOD)です。但し、当サイトではヲシテのカミとは明確に区別します。 続きを読む

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悟り と完全な理解

悟りとは

悟り とは何かAIに訊いてみました。

「悟り(さとり)」とは、仏教などでいう「迷いの世界を超え、真理を体得し、自己と世界の真の本質を直観的に理解する境地」で、覚醒や解脱とも同義です。日常的には「物事の道理をはっきり理解すること」ですが、仏教的には、自分の欲望や思い込み(無明)から解放され、苦しみから解放された「目覚めた状態」を指し、ブッダ(仏陀)とは「目覚めた人」を意味します。

管理人は悟りを得た訳ではありませんけれども、どうも穏やかで無駄な自己主張をしない人と言うイメージがあります。

 

言葉

前回の記事に示したように、ヒトは物事を言葉でわかっているのではありません

悟ったヒトが、「ああすべき、こうすべき」などと自己主張しないのは、心の核となる自己に従っているだけのように感じます。

  • ヒト=タマ+シヰ+ウ(肉体)

但し、タマの働きをナサケヱダと言いまして、これを自己と呼んでいます。これは岡潔の情に同じですし、覚、気、あるいはBuddhaに同じです。

 

戦争と平和

ところで、別の資料によれば、ある科学者は、戦争と平和について次のように述べています。 続きを読む

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なぜ 戦争 はなくならない

至極簡単です。ヒトは物事を言葉でわかっているのではないからです。

ヒトの物と事のわかり方は次の順です。

  1. 物が”わかる” ・・・岡潔の言った情、あるいは気、ナサケヱダ、覚、Buddha
  2. 余として空間がわかる ・・・1.がわかるから空がわかる
  3. 事が「わかる」 ・・・動き、運動がわかる
  4. 物と事が揃って、初めて言葉で言える
  5. 物事の意味が(わかる)
  6. 物事に価値が(わかる)
  7. 物事を意識して(わかる)

括弧を付けた(わかる)を理解や物の理と言います。

  • (わかる)=”わかる”+「わかる」

わかるという働きをと言います。物と事の現れ方ですが、以下です。

  • 物と事は一つの実体の異なる面に過ぎない

図1

この仕組みにより、物と事は互いに規定し合う関係になります。ですから、物も事も単独では決してわかりません。物と事が揃わない何かは決してわかりません。

  • 物と事は、互いに規定し合う繰り返し、ループ

よって、物事は必ず「対」となって現れます。

  • 右と左、上と下、前と後ろ、表と裏、陰と陽、+と-
  • 男と女、雄と雌
  • 神と悪魔
  • 天国と地獄、天と地
  • 善と悪、善意と悪意、希望と失望

ですから、言葉が持つ意味と価値と意識は幾らでも反転します。同じ言葉でも立場によって幾らでも反転します。つまり、

  • ヒトは物事を言葉でわかっているのではない

と言うことです。

  • すべての人々は、自ら信じたいものを信じているに過ぎない
  • 自ら信じる物事に合った理屈、論理を展開し、主義、主張を構築し、それを互いに押しつけ合っている

たった、これだけです。それが

  • 民主主義、共産主義、社会主義、資本主義、新自由主義、何であろうとも同じ

憲法や法律を決め、ルールの内に討論し、選挙によって方針を決めても何も解決しないのは歴史が証明しています。

ですから、このままでは 戦争 は決してなくなりません。

 

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素粒子 物理学者の過ち

前回、の量と関係が無い「」を抽象だいう説明をしました。また、美術、芸術は物の量と関係がない「事」の一種だとも説明しました。

今回は、物理学者たちが 素粒子 について勘違いしている点について書きます。

素粒子は事の質

人がわかるのは物と事です。

物理学者たちは物(物質)とは何かを探求し続けました。電子は19世紀末に発見されました。最初に発見された素粒子は電子です。

注:当サイトでは、基本粒子は3種(陽子、中性子、電子)とします。電子は物であり素粒子でもあります。

その後、多数の素粒子が発見されました。数え方にもよりますが、100以上ともあります。それらを17種類、あるいは18種類に分類しています。

図1 物質の標準模型

この素粒子群はソリトン(孤立波)であって、波の性質を持っています。前の記事に書いたように、素粒子は波の一種であり、「事」です。波には様々あって、管理人はこれを事の質と呼んでいます。

  • 事・・・・動き、運動、出来事、波の質

素粒子は粒子と呼ばれますが、その性質は波であって事の質です。

例えば、電子は物であるし素粒子でもありますが、電子波、光子の性質を合わせ持っています。 続きを読む

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